第2話 誕生日会
土曜日。授業もバイトもない唯一の完全休養日に俺は、一人自室で、人を迎える準備をしていた。
テーブルに除菌スプレーを掛け、その上を布巾で軽く拭く。後は――
ピンポーンとチャイムが鳴った。
思ったより早かったな。
「はーい」
と返事をしながら、俺は玄関に近付き、扉を開ける。
「やぁ」
そこにいたのは千里だった。手には少し大きめの袋を抱えている。それが何か聞くのは、野暮というものだろう。
「まだ主役は来てないよ」
「そうか。それは良かった」
先に中に引っ込み、千里を室内に招き入れる。
時刻は二時四十二分。約束の時間より十五分以上も早い到着だった。
「後になるのが嫌で、今日はいつもより早く来てみたんだ」
靴を脱ぎながら、千里がそんな亊を言う。
「まぁ、その気持ちは分からないでもないが……。とりあえず、座って待っててくれ」
「了解した」
袋を見えないようにテーブルの下に置き、千里が近場の席に座る。
その間に俺は、冷蔵庫からケーキの入った箱を出し、それをテーブルの上に置く。
「ところで、隆之は鈴羽に、何をプレゼントするつもりなんだ」
「実は本命の方はもう渡してあるんだ」
「へー。何を渡したんだい?」
「ネックレス」
なんとなく気恥ずかしくなり、視線を逸らしながら俺は、千里にそう答える。
「ネックレスって、もしかして最近鈴羽が大学に着けてきてるあの、ネックレスかい?」
「そう。そのネックレス」
「ふーん」
と意味ありげな声を出しながら、千里が含みのある笑みを俺に向けてくる。
「なんだよ」
「いや、隆之にしては、ずいぶん洒落た物を贈ったなと思って」
「あくまでも、入学祝いも兼ねてのプレゼントだから。ただの誕生日プレゼントじゃないから」
「はいはい。そんなに必死に説明しなくても分かってるって。他意はない、だろ?」
「あるか、そんなもん」
というか、やっぱりネックレスって、そういう勘違いをされない代物なのか……。今後は気を付けよう。
「ちなみに、いくらくらいだったんだい? あれは」
「一万八百円」
「一万円か。一介の学生にしては、なかなか奮発した方じゃないか」
確かに、初めはもう少し安い物を買うつもりだった。しかし、たまたまネットサーフィンで目に止まったそれが、あまりにも鈴羽のイメージにぴったりで、思わず当初の値段設定を無視してそれを選んでしまった。
今思うと、ただの後輩に贈る物としては、若干奮発し過ぎた感はあるが、まぁ家計にダメージを受ける程ではないので良しとしよう。
「そういう千里は、何を持ってきたんだよ?」
俺の方にばっか話の矛先が向くのは不公平とばかりに、今度は俺が千里にそう尋ねる。
「私か? 私は猫のぬいぐるみをプレゼントしようと思ってる」
「猫のぬいぐるみ!?」
贈る方贈られる方、そのどちらにも似合わない意表を付いたプレゼントに、俺は思わず驚きの声を上げた。
「いや、私も色々考えたんだ。考えた結果、可愛い女の子にはぬいぐるみが似合うという結論に唐突に至ったのだ」
唐突にという辺りに、千里の苦悩が見え隠れする。つまりは迷走の末の思考停止。もしくは振り出しに戻るといったところか。
どちらにしろ、あまり理知的な判断とは思えない選択だった。
「ま、いいんじゃないか、ぬいぐるみ」
とはいえ、その選択が全くの間違いかと言うと、実はそうでもなかった。
鈴羽はぬいぐるみが好きではないが、別に嫌いでもない。そして、贈る人によっては、その方が喜ばれたりする。日頃自分が買わない物を、憧れている相手から贈られれば、余程変な物でない限り、喜ばれる亊はあっても嫌がられる亊はないだろう。
「隆之がそう言うなら、とりあえずは一安心だな」
「いや、俺が言うのもなんだけど、それはさすがに楽観的というか、俺の判断を信用し過ぎじゃないか」
信用されて悪い気はしないが、過ぎた評価は得てして重荷になる。
「少なくとも鈴羽に関しては、君の方が私より詳しいんだから、その判断を尊重するのは客観的に見ても理に適ってると思うのだが」
「理に適ってるのかな?」
なんか、誤魔化されているような上手く丸め込まれているような……。
「それより準備の方はいいのかい?」
「あ」
千里に言われ、いつの間にか自分の手が完全に止まっていた事に気付く。
時間は?
「二時五十分。約束の時間まで後十分弱といったところだね」
俺の視線から思考を読んだのか、千里が自分のスマホで時間を確認し、そう俺に告げる。
「今更だけど、何か手伝おうか?」
「いや、準備って言っても別にそんなやる事あるわけじゃないから、一人で大丈夫だ」
言いながら俺は、冷蔵庫からジュースの入ったペットボトルを取り出し、それをテーブルの上に置く。
そして、コップと皿を人数分用意し、最後にフォークをそれぞれの皿の上にセットし、前準備は完了。後は本日の主役を待つだけだ。
その後、千里と雑談しながら待つ事、数分。
廊下を誰かが歩く音がして、程なくしてチャイムが押される。
「はーい」
返事をし、来客を迎える。
ドアを開けると、案の定そこには鈴羽が立っていた。
「本日はお招き頂きまして、誠にありがとうございます」
「うむ、苦しゅうない、良きに計らえ」
「ははー」
などと玄関先で戯れた後、鈴羽を部屋に招き入れる。
「あ、千里さん。ホントに来てくれたんですね」
部屋に入るなり、千里の姿を見つけ鈴羽がそう声を掛ける。
「鈴羽の誕生日会なら、例え予定があってもなんとかしてやってくるよ」
「そんな、大層なもんじゃありませんよ」
「まぁ、元々予定はなかったから、そこは気にしないでくれ」
そう言って手をひらひらと振る千里だったが、こいつの場合マジで予定があっても無理矢理空けそうだから怖い。
もちろん、俺だってそれなりの予定ならなんとかするが、千里はそれなりじゃない予定までなんとかしそうだ。具体的にそれなりじゃない予定を挙げる事は難しいが、とにかくそういうイメージが千里にはあるという話である。
「鈴羽は奥な」
靴を脱ぎ、部屋に上がった鈴羽を一番遠い席に誘導する。
「あ、上座ってやつですね」
奥の席に誘導された事が嬉しかったのか、鈴羽が移動しながら、そう少し跳ねた声で言う。
鈴羽が座り、俺も席に着く。
「じゃあ、メンバーも揃った事だし、まずはケーキ選んでいくか」
箱を開け、俺はケーキを二人にお披露目する。
「鈴羽、千里、俺の順で選んでいこう。今日の主役だしな」
「わーい。ありがとうございます」
嬉しそうな声を上げ、鈴羽が箱の中を覗き込む。
とりあえず今日は、六種類のケーキを買ってきた。チョコ、チーズ、モンブラン、ミルフィーユ、ショートケーキ、フルーツケーキの六種類だ。
「じゃあ、私はこれにします」
そう言って鈴羽が取ったのは、チーズケーキだった。
多分鈴羽なら、それかチョコかのどちらかだろうと思っていたので、その選択は俺の予想通りだった。
「なら私は……」
千里が選択したのは、フルーツケーキ。
残った俺は、モンブランを取る。
それをもう一周行い、鈴羽がチョコを、千里がショートケーキを、俺がミルフィーユをそれぞれ選び、ケーキは全部片付いた。
後は飲み物をそれぞれのコップに注ぎ、今度こそ全ての準備が完了した。
「それでは、神崎鈴羽の十九歳の誕生日を祝って――」
二人がコップを手に持っている事を確認し、
「乾杯」
俺は音頭を取った。
俺達の「おめでとう」に対し、鈴羽が「ありがとうございます」と返し、それぞれコップに口を付ける。
「今日は鈴羽にプレゼントを持ってきたんだ」
そう言って千里が、テーブルの下から少し大きめの袋を取り出す。
「え? 本当ですか? ありがとうございます」
お礼を言ってから、それを鈴羽が受け取る。
「なんだろう? ここで開けてもいいですか?」
「あぁ……」
やはりまだどこかに不安が残っているのか、千里の返事は少し重たく、快活とは程遠いものだった。
鈴羽が丁寧にリボンを解き、袋を開ける。
「わー」
中から出てきたのは、先程千里が告げたように猫のぬいぐるみだった。
大きさは三・四十センチ程だろうか。部屋に飾る事を考えたら、俺としてはちょうどいいサイズ感にそれは思えた。
「可愛い。ありがとうございます」
ぬいぐるみを抱きかかえ、鈴羽がもう一度千里に俺を言う。
「色々考えたんだ。色々考えた末に、一周回ってそれになったというか……。今思うと、他にも候補はあった気もするが……」
「?」
言い訳するように次々と言葉を並べる千里に、鈴羽が本当に何も分かっていないように首を傾げる。
つまり、そういう事だろう。
「良かったな、鈴羽。いい物が貰えて」
「はい。大事にしますね、千里さん」
その遣り取りで、千里もようやく鈴羽の気持ちに気付いたらしく、安堵の表情をその顔に浮かべる。
「あぁ、大事にしてやってくれ」
「じゃあ、俺からはこれをやろう」
千里のその様子を悟られないように、あえて被せ気味に俺も鈴羽にプレゼントを渡す。
「わーい、ありがとうございます」
俺には聞かずに、鈴羽がその場ですぐにプレゼントの開封作業に入る。
包装を剥がすと、すぐにそれは姿を現した。
「あ、ペンケースだ。ちょうど欲しいと思ってたんですよ。よく分かりましたね。私がペンケース欲しいって」
色はオレンジ。素材は布ではなく皮の物を選んだ。正直こちらはおまけなので、それほど深く考えずに購入した。そして値段もそれなりだ。
「いや、別に知らんけど、ずっと同じの使ってるみたいだったから、そろそろ返えた方がいいんじゃないかと思ってそれにした。デザインに付いてはなんとなくだから、文句は受け付けん」
「え? 普通に好きですよ、このデザイン。自分じゃ買わないかもですけど、だからこそいいっていうか……。とにかく、大事に使わせて貰います」
そう言って、ぺこりと頭を下げる鈴羽。
まぁ、気に入ってくれたなら、何よりだ。
――なんて感想を抱いている時点で、俺も少なからず、自分のプレゼントに不安を覚えていたのかもしれない。
この調子じゃ、あまり千里の事は言えないな。




