第41話 お礼
店から出ると、外はすっかり赤くなっていた。後三十分もすれば、空は完璧に夜のそれに変わる事だろう。
「駅まで送っていくよ」
「あ、はい」
まだ少しふわふわした気分の中、せんぱいの申し出に私はなんとかそう頷いた。
この辺りはどちらかと言うと住宅街に近いので、駅のある方からこちらに向かって歩いてくる人が、今の時間は多く見受けられる。
その人達に逆行する形で、私達は肩を並べて駅へと足を進めた。
「どうしてこれだったんですか?」
首から掛かったネックレスを少し持ち上げ、私はせんぱいにそう尋ねる。
「やっぱり、鈴羽と言えば猫かなって」
「それは、名前に鈴が入ってるからですか?」
「いや、それもあるけど、雰囲気がなんとなく猫っぽいというか、なんというか……」
猫は好きだ。だから、猫っぽいと言われる事に抵抗はない。抵抗はないのだが、なんだか少しむずがゆい気分だ。
「犬は従順、猫はきまぐれって言いますよね」
「あぁ。一般的に犬は群れで生活する動物だから、自分より上だと思った者には従うし、逆に下だと思った者には従わないって話だっけ、確か」
「じゃあ、猫っぽい子より犬っぽい子の方が、男性的には好みだったりするんですか」
「うーん。どうだろう? 人それぞれだろ、好みなんて」
人それぞれ。それは一般論であって、個人の話ではない。私が聞きたいのは、そういう事ではなく――
「せんぱいはどうなんですか?」
だから、今度は直接的な表現で聞いてみる。これなら、一般論には逃げられないだろう。
「犬と猫ね……。どっちかと言うと猫派かな、俺は。付き合った二人もそんな感じだし、今付き合いのある子も大体がそんな感じのような……」
言われてみれば、確かにせんぱいの周りには猫系の女の子が多い気がする。小鳥遊先輩は言うまでもなく、千里さんや天使さんもどちらかと言うとそういう気があるような……。
「とはいえ、お前以外にそれを贈ろうとは思わないけどな」
「それってどういう……?」
「いや、深い意味はないけど、単純に似合わなそうっていうか、もし贈るなら別のやつにするかなって」
「あー。そういう……」
一瞬でも、瞳を輝かせてしまった私の気持ちを返して欲しい。
「せんぱい、あんまそんな事ばかり言ってると、いつか背後から刺されますよ」
「……冗談でもそういう事言うなって。ホント怖いから」
冗談のつもりは全然なかったのだが、思ったよりせんぱいが嫌な顔をしたので、あえてそこは訂正せずに流す事にした。
「まぁ、なんでもいいですけど、こんなの他の女の子にプレゼントしたら、絶対勘違いされますからね。気を付けてくださいよ」
「いや、そう簡単に贈らないから。ネックレスなんて」
「……」
この人は、狙ってやってるのか。狙ってやってるんだろ、絶対。
「ん? どうした?」
私が突然立ち止まったのを、気配で感じ取ったらしいせんぱいが立ち止まり、こちらを振り向く。
「なんでもないです。なんでもないでよーだ」
そう叫ぶように言うと、私は小走りでせんぱいの元に近付き、その体に体当たりをかました。
「いたっ。何するんだよ、急に」
「せんぱいがアホな事ばかり言うからです」
「俺がいつアホな事言ったんだよ」
「自覚がないから、いつまで経っても治らないんですよ。せんぱいのそれは」
とはいえ、そこがせんぱいのいい所でもあるし、そこがせんぱいの個性でもある。そんなせんぱいだからこそ、私は――
「せんぱい、何してるんですか? 行きますよ」
「いや、先に立ち止まったの、お前だからな」
などと文句を言いつつも、私が歩き始めるとせんぱいは、隣に並び一緒に歩き出した。
なんやかんや言っても、せんぱいは優しい。それはきっと誰にでも。
「鈴羽。明日カラオケでも行くか」
「……珍しいですね、せんぱいからカラオケ誘ってくるなんて」
もしかしたら、初めてかもしれない。
「なんだよ。行かないのかよ」
「えー。どうしようかな?」
別に即答しても良かったのだが、ふいに悪戯心が沸き、少し焦らすような台詞を、私は思わず吐いた。
「じゃあ、いいや。また今度って事で」
「ウソウソ。行きます。むしろ、行かせてください」
せんぱいがあまりにあっさり引き下がるものだから、私は慌てて手のひらを返す。
「たく。初めからそう言えよ。変に焦らしやがって」
「ちょっと出来心が働いてしまって」
「なんだそれ」
せんぱいが私の言葉に苦笑を浮かべる。
ハクアから最寄りの駅までは歩いて十分程で着く。会話をしながら歩いていれば、文字通りあっという間だ。
「今日は色々とありがとうございました」
駅へと繋がる下行きの階段の近くで、私はそうせんぱいにお礼を告げる。
「おぅ。大事にしてくれよ」
「それはもう、家宝として末代まで飾らせて頂きます」
「いや、付けろよ、普通に」
「付けますよ、毎日」
折角せんぱいがくれたプレゼント、身に付けなければ逆に勿体ない。
「いいけど、あまり俺が贈ったって、周りに言い触らすなよ」
「なんでてすか?」
「なんか、恥ずかしいから」
そう言うとせんぱいは、視線を斜め下に落とし、本当に恥ずかしそうにほんのり頬を染めた。
やだ、何その反応。せんぱいのくせに可愛いじゃないか。
「自分からは言い触らしませんよ。でも、しつこく聞かれたら言っちゃうかも」
「まぁ、その場合は仕方ないから、いいけどさ」
正直、今の私の中には、せんぱいから貰ったこのネックレスをみんなに見せびらかせたいという気持ちと、誰にも言わずこっそり貰った余韻に浸り続けたいという気持ちが、両者ひしめき合っていた。
とはいえ、自分から言うつもりがないというのは本当で、そこはさすがに私も常識は弁えていた。
「……」
「……」
なんとなく、どちらとも黙り込み、変な間が出来る。
「じゃあ、帰りますね」
その変な間を先に打ち破ったのは、私の方だった。
「あぁ、気を付けて帰れよ」
せんぱいにそう声を掛けられ私は、体を反転させ、階段へと足を進めた。
階段に到達し一段下に足を下ろしたところで、
「鈴羽」
背後から声を掛けられ、私は振り向く。
「ありがとな、プレゼント貰ってくれて」
「なんですかそれ」
プレゼントを貰った方ではなく贈った方がお礼を言うなんて、聞いた事がない上に訳が分からない。
「いや、その前に怒らせちゃったから、貰ってくれるか少し心配でさ」
そう言うとせんぱいは、気まずそうに人差し指で軽く頬をかいた。
「せんぱいって、時々変な事言いますよね」
「そうか?」
「そうですよ。だって、せんぱいが選んでくれた物を私が受け取らないわけないじゃないですか。だって――」
危うく口を滑らせそうになり、寸でのところでなんとかそれを止める。
「だって?」
「なんでもありません」
まだだ。まだこの言葉は、口にしてはいけない。少なくとも、私の決心が着くまでは。
「じゃあ、今度こそ、さよならです」
「あぁ。またな」
少し怪訝な顔をしながらも、せんぱいはそれ以上何も言わず私を見送る。
せんぱいの視線を背中に感じながら私は、一段一段階段を下る。
大学に入って色々な変化があった。交友関係、服装、授業、時間割、エトセトラ……。
せんぱいとの関係も、多分、少しは変化している。
だけど、変わらないものが一つ。それは私のせんぱいに対する思い、というか気持ち。
なんやかんや言っても私は、せんぱいに構われたいのだ。
その気持ちはもしかしたら、せんぱいに対する私のどの感情よりも強く、優先順位が高いのかもしれない。
だからもう少しだけ、後少しだけ、最近芽生えたこの感情には眠っていてもらう。私が本当の意味で恋をするその時まで。




