第2話 友人
「ふわぁー……」
欠伸を噛み殺し、大学構内を歩く。
今日は一時限目から授業を受けなければいけないため、少し寝不足だ。
「おや、昨日はお楽しみかな?」
「おっと」
突然背後から背中を叩かれ、わずかばかり前につんのめる。さすがに転んだりはしなかったが、多少なりとも肝は冷えた。
「危ないだろ、千里」
「隆之がぼっとしてたから、少し目を覚ましてやろうと思ってね」
俺が半眼と共に向けた恨み言を爽やかに交わし、千里が俺の隣に颯爽と並ぶ。
こいつの名前は大道寺千里。俺の大学で出来た初めての友人だ。
名前こそ仰々しいが、そのルックスはまるでどこかの王子様のように完璧だ。身長は高く、手足もすらりと細く長い。そのくせ顔は小さく、全体が綺麗にもとまっているもんだから、もう言う事はない。
運動神経は知らないが、頭は良く、言動もいちいち恰好がいい。まさに人から羨望の眼差しを受けるために生まれたような人間だ。
ホント、なんでこんなやつが俺とつるんでいるのか、それなりに付き合いを重ねてきた今でも不思議でならない。
「すまない。少しふざげ過ぎてしまったようだ」
どうやら、俺が黙り込んだのを不機嫌になったのだと勘違いしたらしく、千里が眉を曇らせてそう謝罪の言葉を告げる。
こういう所があるからこそ、俺はこいつを憎めないでいるのだろう。
「いや、お前の言う通り、ぼっとしてただけだ。少し寝不足気味なんだ」
「夜遅くまで何かやっていたのかい?」
「まぁ、簡単に言えば、電話だな。馬鹿が時間も考えずに電話を掛けてきやがるから」
「あぁ、彼女か」
馬鹿で通じる辺り、あいつの知名度も増してきたと言える。
「夜更けまで君の声が聴きたかったのだろ? なんともいじらしい話じゃないか」
「いや、そういうのではないと思うんだが……」
単純にアレは、俺に話したい事があって、時間も考えずとりあえず電話を掛けてきたという感じだろう。結局のところ、深く物事を考えていないのだ、やつは。
「隆之は優しいからね。彼女もついついその優しさに甘えてしまうのだろう」
「俺が優しい? どこが?」
「自覚がないところが、君のいいところだよ」
まぁ、千里は聖人君主なので、人のいいところばかりによく目が行くのだろう。世界がこいつみたいなやつばかりなら、きっとこの世界から争いは生まれなくなるはずだ。
そのまま連れ立って、二人で北棟に入る。この建物の二階に、俺たちがこれから授業を受ける教室はあった。
「それにしても、千里は凄いよな。いつもしゃんとしててさ。俺、お前の眠たそうなところ見た事ないもん」
「まぁ、その辺はそういう風にしつけられたと言ってしまえば、それまでの話なんだけどね」
「厳しい人なんだな、お前の親って」
「幼少期は色々と思ったりもしたけど、今では親の立場も理解しているし納得もしている。厳しいだけではなかったしね」
千里の親は二人共教師をしており、特に母親の方は厳しい人らしい。こいつの言動の一端は、その影響受けてのものだろう。
エントランスを抜け、階段を上がる。
「そういえば話は変わるけど、今度の土日、どちらでもいいんだが、隆之はその、暇だったりするのかな?」
「土日か……。まぁ、今のところ、予定はなかったと思うが」
頭の中の予定表を開いてみても、その二日間に予定は書きこまれていない。あくまでも、今のところは……。
「そうか。捜し物があって大きい本屋に行きたいんだが、初めて行く場所というのは、その、なんというか不安なんだ」
「あー……」
千里の言わんとする事は大体分かった。
つまりは、生きるナビゲーターが欲しいとそういう事だ。
こいつは本人に自覚がある通り、いわゆる方向音痴なのだ。何度か行った事のある場所ならいざ知らず、初めての場所だと地図を見ながらでもまず間違いなく迷う。実際、入学当時は俺も、よく大学構内で迷子になっている千里を助けたものだ。
「いいけどさ。本なら別にネットとかで注文すればいいんじゃないか? 二三日もすれば手元に届くだろ?」
「それはそうなんだが。こだわりというか、どうしても本は、手に取り目を通してからじゃないと、買う気が起きないんだ」
「ふーん。そういうもんか」
俺は読書をしないたちなので、その辺の感覚はよく分からないが、まぁそういうものなのだろう。
「分かった。じゃあ、土曜日の昼頃、昼飯を済ませてから、場所は……ここでいいか。ここ集合で」
どこかの駅構内で待ち合わせをしてもいいのだが、意外に大きな駅は迷うポイントがたくさんあり、北といったのに南で待っていたというケースが多々ありうる。千里が相手なら、尚の事注意が必要だ。
そうこうしている内に、二階に到着する。廊下を右に行き、そのまま教室を目指す。
「時間は二時でいいか」
昼食を取ってからの移動だから、その辺が無難だろう。
「あぁ、それで問題ないよ。悪いね、帰りにでも何かおごらせてもらうよ」
「別にいいのに」
「気持ちだよ。お願いを聞いてもらう側のね」
そう言って、千里が俺に向かって軽くウィンクを決める。
「……」
まぁ、そういう事なら、ここは素直にその気持ちとやらを受け入れさせてもらうとしよう。
後、ウィンクは心臓に悪いから、本当に止めて欲しい。
「せんぱーい」
一時限目の授業を終え、廊下を千里と共に歩いていた俺の背後から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
立ち止まり、振り返る。
俺の視界に、こちらに向かって小走りでやってくる鈴羽の姿が飛び込んできた。
それを見て千里が、俺に手を振り鈴羽とは逆の方向に歩き去る。
どちらにしろ、千里とは次の授業が始まるまでには別れる予定だったので、それが少し早まった形だ。
「せんぱい、こんにちは」
笑顔を浮かべ、俺の前で立ち止まった鈴羽の頭を俺は、グリグリと下に向かって押す。
「痛い、痛い、痛いです、せんぱい」
「お前な、あんな時間に、用もないのに電話を掛けてくるんじゃない」
「用ならありましたよ」
「なかっただろ」
ついでに中身もなかった。
「私がせんぱいとお喋りしたいと思った。それが用です――って、わー」
ドヤ顔で胸を張る鈴羽の頭を乱暴にかき混ぜ、俺は千里の行った方へと歩を進める。
「ちょっと待ってくださいよ、せんぱい」
そう言って、すかさず俺の隣に並ぶ鈴羽。
「なんだよ」
「せんぱい、二時限目は授業受けないからどうせ暇でしょ? 私もないんで、一緒に何かしましょうよ」
「何かって、なんだよ」
「それは……ジャンケン、とか?」
言うに事書いて、ジャンケンって……。
「よし。ジャンケン――」
突然廊下の途中で立ち止まると俺は、鈴羽に向かってそう掛け声を上げ、拳を握る。
「「ポン」」
そして同じく廊下の途中で立ち止まった鈴羽と、いきなりジャンケンをする。
鈴羽が出したのはチョキ、俺が出したのはパー。つまり――
「わーい。私の勝ち」
「そうか。それは良かったな」
ジャンケンに勝って心底嬉しそうな鈴羽を置いて、俺は一人で再び歩き出す。
「あれ? ちょっと、せんぱい?」
わずかなタイムラグの後、俺に置いていかれた事に気付いた鈴羽が、慌てて俺を追いかけてきた。
「そういえば、さっきせんぱいと一緒にいたのって、もしかして大道寺先輩ですか?」
「そう。てか、初めてだっけ? 千里と会うの?」
「です。え? せんぱい。その口ぶりだとまるで、大道寺先輩とお知り合いのように聞こえますが……」
「まるでも何も知り合いだし、友達だよ、千里とは」
「は? マジで?」
「マジで。というか、一緒に並んで歩いてただろ? さっき」
だからこそ、俺に千里の事を聞いてきたんだろうに。
「いや、てっきりせんぱいが一方的に絡んでるのかと思って……」
「おい」
まぁ確かに、俺と千里じゃ毛色も格も違うから、鈴羽がそう言いたくなる気持ちは分からないでもない。ただ、思っても口にするなとは思うが。
「あんな凄い人と、どんな手を使ったらお友達になれるんですか」
「どんな手って……」
それじゃまるで、俺が千里を騙したみたいじゃないか。
「普通に向こうから声を掛けてきたんだよ。隣の席になった時に」
「え? そんな事をして、大道寺先輩になんの得が?」
さっきからナチュラルに失礼な発言ばかりだな、こいつは。
「知るか、そんなもん。ただの気まぐれか、暇つぶしか、もしくは人と話すのが好きとかだろう、多分」
俺は千里じゃないので本当のところは分からないが、そもそも意味などなかったのかもしれない。なんとなく、思い付き、意外と人の行動理由なんてそんなものだろう。
「なんだ、千里に興味があるのか?」
「いやいや、別に、興味とか全くもってないですよ。ただ、ちょっと、どんな人かなって思っただけで……」
それを世間一般では興味があるって言うんだよ。
「俺は紹介せんぞ。お前を紹介して千里に不利益があったら、申し訳ないからな」
まぁ鈴羽も、元から俺に紹介してもらおうなんて気はさらさらないと思うが、鈴羽の友人をけん制する意味も込めて、一応そう釘を刺しておく。
「だから、別に興味ないって言ってるじゃないですか。……それより、今これってどこに向かって歩いてるんです?」
ここまで行き先も聞かず、ただ横に並んで付いてきていた鈴羽が、ようやくその質問を口にする。
「とりあえず飯にしようぜ。この時間ならまだ空いてるだろ」
「はいはいはーい。私、久しぶりに外行きたいです」
「外? 別にいいけど。どこ行くんだよ?」
「それはーー」