第10話 弁当
ピンポーンとチャイムが鳴る。
時刻は昼の十二時過ぎ。こんな時間に誰だろう?
リビング兼自室の床から腰を上げ、立ち上がる。そのまま一歩二歩と歩き出し、ふいに昨日のやり取りを思い出した。
まさか……。
嫌な予感を覚えながら、それでも訪問相手を確かめるため、玄関に向かう。
出来るだけ音を立てないように、忍び足で移動し、玄関に辿り着く。俺は扉をすぐには開けず、まずはドアスコープを覗いた。
予想に反して、そこに鈴羽の姿はなかった。というか、誰の姿もない。
いたずらか?
首を捻る俺の耳に、突如どこからか声が聞こえてきた。
「私、鈴羽。今、玄関の前にいるの」
「……」
これは、スルーしてもいい案件だろう。
俺は何も聞かなかった事にして、再び自室に戻る。
すると、今度は机の上に置いていたスマホが震える。着信だった。
相手の名前を確認した後、一応電話に出る。
「はい」
『私、鈴羽。今、玄関の前にいるの』
「……」
凄いな、こいつ。一度滑ったネタを、もう一度間を置かずに仕掛けてくるなんて。
スマホを耳に当てたまま、再び忍び足で玄関に近付く。
『私――』
そして、扉を開く。
「鈴羽」
「知ってる」
まだ同じネタを続行しようとしていた鈴羽を、俺は冷めた目で見つめる。
「えへへ。来ちゃった」
「お前な。俺、三時限目から授業出るから、今から昼飯食べて出掛ける準備しないといけないの。分かる?」
「はい。昼飯ならここにあります、隊長」
そう言って、トートバッグを目の前に掲げる鈴羽。
「誰が隊長だ」
たく、しょうがないやつだな。
「分かった分かった。上げてやるから、大人しくするんだぞ」
「はーい」
玄関に引っ込み、鈴羽を招き入れる。
「お邪魔しまーす」
「お茶でいいよな」
「お構いなく」
こちらから何を言うでもなく、鈴羽がダイニングキッチンのテーブルの一角につく。
ガラスのコップを二つ出し、一つを鈴羽の前に置き、もう一つをその前方の席の前に置き、それぞれに麦茶を注ぐ。
その間に鈴羽は、バックから布に包まれた大きめの弁当箱を一つ取り出し、テーブルのちょうど中央に置く。包みを外し、蓋を開けると、中にはたくさんのサンドイッチが詰まっていた。
「美味そうだな」
椅子に座りながら、そう口にする。
「でしょ? じゃあ、遠慮なく――とその前に、手を洗いましょう」
「え? あぁ」
鈴羽に言われるまま、二人で洗面台に向かい順番に手を洗う。
「では、改めまして……。じゃあ、遠慮なく食べてください」
「おう……。いただきます」
手を伸ばし、サンドイッチを一つ手に取る。
そしてそれを口に運ぶ。
「うん。美味い。大丈夫。普通に食える」
「なんですか、その感想……」
苦笑を浮かべながら鈴羽にそんな事を言われるが、俺としては素直に正直な感想を述べたつもりなので、そう言われても困る。
「では、私も」
そう言って鈴羽が、サンドイッチを手に取り、食べる。
「まぁ、こんなもんですよ、サンドイッチなんて。プロじゃないんですから」
「いや、だから、美味しいってホントに」
ただ鈴羽の言うように、サンドイッチという食べ物の性質上、予想を裏切る事がそうそうないので、上手くリアクションが取れなかっただけというか……。
という事で、二つ目に手を伸ばす。
「うん。美味しい。この腕ならお前、料理人なれるわ、将来」
「褒め方が雑っ!」
そんな事言われても……。
「分かりました。明日はもっと凄いやつ作ってきますから」
「いや、だから――」
「覚悟しといてくださいよ」
テーブルの上に身を乗り出し、俺の方に体ごと顔を突き出す鈴羽。
「……はい」
その迫力に押され、俺はそう言って頷く事しか出来なかった。
「それは君が悪い」
五時限目の授業を受け終え、後は帰るだけとなった俺と千里は、休憩がてらエントランスで少し喋っていく事にした。
その中で今日の昼の話が俺の口から出て、今の千里の台詞に繋がる。
「だって、サンドイッチだぞ。アレ以上どう褒めろって言うんだよ」
「というか隆之の場合、むしろ言葉が余分なんじゃないか。どうせ要らない言葉を、後ろに付け加えたりしたんだろ」
「うっ」
図星だ。図星過ぎて反論のしようがない。
「まぁ、君は良かれと思っての事なんだろうけど、もっとシンプルに言ってあげた方が彼女も喜んだと思うよ」
「関係性とか色々あって、難しいんだよ」
多分、他の女性に対してなら、俺ももう少し上手く誉められただろう。しかし鈴羽相手となると、それが途端に出来なくなるのだ。
「距離が近過ぎるのも考えものという事か」
そう言って千里が、お茶の入ったペットボトルを口に運ぶ。
「まぁ、心を許した相手への対応が、他の人のそれより丁寧さに欠けるというのは、分からない話ではないが」
「千里にもあるのか、そういう経験」
「そうだね。おそらく、この愚痴なのか相談なのか惚気なのかよく分からない話にしても、してきた相手がもし隆之以外だったら、もう少し親身になって真剣にアドバイスをしたかな」
「それはまた……」
なんとも反応のしにくい事を、さらっと言ってくれる。
話の流れからすれば、俺の事を心を許した相手と称してくれるわけだから、ここは素直に喜ぶべきなのだろうけど、聞きようによっては、他の人より雑に扱われているとも取れるため、ただ喜んでばかりもいられないような、そんな事もないような……。
「それに、別に喧嘩をしたというわけでもないんだろ?」
「喧嘩ではないかな、アレは。その後も一緒に登校してきたし、会話もしたし」
話を掘り返すように何度か弁当の事は言われたが、それで険悪な雰囲気になったわけでは全然ないし、どちらかと言うと鈴羽の闘志に火を付けてしまったかなという感じだ。
「なら、やはり真面目に悩むような話じゃないし、君もそれ程悩んでるわけではないんじゃないか?」
「まぁ、な」
俺としても、千里に話して軽くアドバイスでも貰えたらラッキーぐらいにしか考えていなかった。だから、千里の反応はもっともだ。
「ところで、話は微妙に変わるけど、やはり隆之としては女性に弁当を作ってきてもらうのは嬉しい事なのかい?」
「そりゃ、嬉しいか嬉しくないかと言われれば、普通に嬉しいだろ。少なからず手間も掛かる事だし、その人の手料理が食べれるんだからな」
とはいえ、全く関係も興味もない人から弁当を貰っても戸惑うだけなので、それを作ってくれる相手もこの場合重要なのかもしれない。
「弁当と言えば、具はなんだろう?」
「具か……。卵焼き、ハンバーグ、ミートボール、ナポリタンとか」
「へー。君の所のやつにはそういうのが入っていたのか」
「千里の所は違うのか?」
今俺が挙げた物は、比較的普通によくあるラインナップだと思っていたのだが。
「ウチは母親ではなく、家政婦さんが作っていたから、一般的なそれとは少し違ったかもしれないな」
「家政婦……」
千里の家には、そんなのがいたのか。初耳だ。
「というか、お前の家、そんなにデカイの?」
「大きさはそこまでじゃないかな。ただ、両親が共働きで家を開ける事が多いから家事にまで手が回らないんだ」
「なるほど」
家政婦がいる家なんて別世界の話だと思っていたから、こんな身近にその本人がいるとは軽く驚きである。
「そういうのって、どうやって頼むんだ?」
「それは紹介所に電話して……言っておくけど、家政婦とメイドは別物だからな」
「べ、別に、少し気になったから聞いてるだけで、単なる知的好奇心を満たすためというか知識欲が疼いたせいというか……」
とにかく、そこに邪な感情は一切なく、千里に言われるまでメイドのメの字も頭には浮かんでいなかった。
「……とまぁ、冗談はさておき、意外と簡単に家政婦は雇えるし、ハウスキーパーを含めればそんなに珍しい業種でもないんだ、実際のところ」
「そう、なのか?」
確かに、ハウスキーパーや家事代行の仕事の様子は、たまにテレビ番組でも目にするし、俺が思っているよりは珍しい職業ではないのかもしれない。
「とはいえ、日本の家庭でメイドを雇っている所は、少数だろうけどね」
「まだ言うか」
たく、俺は別に、メイド好きじゃないっての。……まぁ、嫌いでもないけど。




