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蓮華ヒステリック  作者: 大仏薫
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第六話 父と娘



 翌日、女は、いつになく爽快な気分で朝を迎えた。この数日、心の中で燻っていたもやもやは、見事に鎮火され、女の心は、窓の外に見える景色と同じくすっきりと晴れ渡っていた。女は、上体を起こし、布団の上に足を崩して座ると、昨晩の告白を思い出してみた。常識的に考えれば、わざわざ後輩の家までやって来て、謝罪をするのは可笑しいことなのかもしれない。しかし、そのままにしておけば、いつまでも、いや、下手をすれば一生、心の中にもやもやを抱えて生きていかなければならなかったかもしれない。何かあるたびに、思い出し、後悔に押し潰されるのは、嫌だった。勿論、時間が経てば、自然と忘れてしまうということも無いとは言えない。しかし、場合によっては、時を重ねることによって、後悔の念が増大していくことだってあり得るとも思う。女は、否定的な意見と肯定的な意見の両方を頭に浮かべ、自分にとっては、やはり、全てを打ち明けて、謝罪をして正解だったと考えた。そして女は、昨晩のあの瞬間から、自分は生まれ変わったと、感じるようになった。元の自分に戻れただけでなく、更にバージョンアップしたような気分だった。

 女は、布団の上に座ったまま、両腕を天井に向け思い切り上げて、伸びをした。そして「うーん、最高」と呟いた。

「何が最高なんですか?」と、隣で寝ていた後輩が、目を擦りながら尋ねてきた。後輩は、未だ夢と現実の狭間にいるようだ。

 女が、質問に応えようと、後輩のほうへ視線を向けたが、後輩は、またすやすやと寝息を立てて眠っていた。後輩の幸せそうな寝顔を暫し微笑みながら見つめていた女は、少しすると立ち上がり、晴れ渡る空を間近で見ようと、明るい窓辺へと足を進める。そして、澄み渡る空の青と、山の緑を前に、ラジオ体操を模したような、変な動きを始めた。すると、背後から後輩の声が聞こえてきた。

「また、お芝居の練習ですか?」

 この娘は、中々面白い。

 女は、振り向くと「そうよ。舞台は年末だからね。時間に余裕がないのよ」と、ちゃんと話に乗ってあげる。

「頑張ってくださいね。きっと、いえ、必ず観に行きますから。そうそう、父と一緒に」と、後輩は笑って言った。

 女は「じゃあ、是非とも、お母さんのご位牌も一緒にね」と、話を続ける。

「それはいいですね。母も絶対喜ぶと思いますよ。先輩のことも、自分の娘だって言ってましたから」と後輩。

 女は、この会話の最後は、後輩と二人の大笑いで締めくくれると思っていた。

 ところが、後輩の「先輩のことも、自分の娘だって言ってましたから」という言葉を聞いた瞬間、女の目には、又もや涙が湧いて出てきてしまった。

 女は「やばい。また泣く」と、後輩に宣言をして「えーん」と言って、憚らずに涙を流した。

 そして「私の『えーん。』は、本当の『えーん。』だよ」と、後輩の『えーん。』とは違うと、自慢?それとも、負け惜しみ?よく解らない言葉を続けた。

 後輩は「そうそう、私の『えーん。』は泣き真似ですね。でも、これは、嘘、ではないですよ。エンターテインメントです」と、泣いている女を笑わせようと、頑張った。

 女は「ありがとう」と、後輩の気持ちに礼を述べると「もう、大丈夫」と言って、寝巻の袖で涙を拭った。


 女と後輩は、布団を押し入れへと片付けると、朝食の準備のために、台所へと向かった。女は、朝食の準備を手伝う気で、やる気十分であった。

 女が「何か手伝わせて」と後輩に志願する。

「じゃあ、お味噌汁に入れる葱を切ってください」と、後輩が頼む。

 女は「ラジャー」と言って、流しの端に用意されていた葱を掴み、包丁を後輩から預かり、俎板の上で刻み始めた。しかし、女が俎板を叩くリズムは、非常に遅い。しかも、変拍子である。

 その音を聞いて、少し苛ついた後輩が「あっ、先輩、それは私がやりますから、こっち見ててください」と、苛々を女に悟られないように優しく言った。

 女が、後輩の指示にしたがい、大きな七輪の上に載せられたアジの開きを監視しに行くと、台所に16分音符の連続音が響き渡る。女が音のする方に顔を向けると、後輩が目にも留まらぬ速さで、包丁を振っていた。女の動体視力では、本当に、後輩の振る包丁の切っ先は見えなかった。

 女は「ほー」と、おじさん臭く唸って、暫くその後輩の美技に見惚れていた。そして「ん?」女は、後輩に頼まれていた監視の仕事をサボっていたことに気が付いた。慌てて振り返ると、無残にも腹から開かれ、七輪の上で焼かれているアジ達が、更に無残な姿になりつつあった。と、その時、異常な煙に気付いた後輩は「先輩、お気持ちは大変嬉しいんですけど、やっぱり、お客様ですから、今日は、どっか隅っこにでも座っててください」と、丁寧に、そしてやんわりと、女の手出しを断った。

 結局、料理上手の後輩に全てを持っていかれた女は「やっぱり、毎日やってないと駄目ね」と、負け惜しみを吐いて、台所の隅でしょんぼりと体育座りになった。


 その後も後輩は凄かった。勿論、料理の腕は一級品だが、パフォーマーとしても、十分にやっていけそうだった。そんな後輩の、料理と戦う勇姿を見ていた女は、テレビのクッキング番組は、この娘を使えば絶対視聴率上がるだろうに、などと考えて「知り合いのディレクターに紹介してみようかなあ」と独り呟いた。


「よし。できた」後輩が言う。

 台所の隅っこで、大人しく後輩の料理姿を見ていた女は、漸く自分が仕事をする順番が回ってきたと、立ち上がる。

 そして「じゃあ、私、運ぶね」と、後輩に言って、両手で持ち切れるだけの出来立ての料理を、あの座卓の部屋へと運び始めた。

 後輩は「お願いします」と言いながら、女が持ち切れず、置き去りになった料理を大き目の盆の上に載せた。そして、女の後について運んでいく。

 女は、両手に持てるだけの料理を持ったことで、自分が仕事をしているといった満足感に包まれていたが、三人分の、しかも、品数の多い料理を運搬するのに、盆を使うといったことに気付けなかった。何しろ、女の普段は一人きりの弁当食が殆どだったし、これまでの人生において、常に台所と食卓は目と鼻の先であった。この女は、会社の仕事をやらせれば、特級品であったが、その他のことでは多少抜けている。


 座卓の部屋では、既に父親が胡坐姿で新聞を開き、朝食の準備が整うのを待っていた。

 父親は、部屋に入ってきた女に気付くと、読んでいた新聞を左膝の横へと畳んで置き「おう、おはよう」と挨拶をした。

 女も「おはようございます」と挨拶をすると、続けて「昨晩はご馳走様でした。とても美味しいお寿司とお酒でした」と礼を言った。

 父親は「何々、いいんだよ、礼なんて。俺も楽しかったよ。ちと飲み過ぎで、頭が痛いけどな」と言って、額を押さえる振りをした。そして続けて「何なら、迎い酒するか?」と、女に向かって、にやっとしながら言った。

「いえいえ、それはご遠慮させていただきます」と、この父親の誘いを、女は笑顔で丁寧に断った。

「そうか。なら、しょうがねえ」と、父親は素直に引き下がり「そんで、今朝は何だ?」と、娘に向かって朝食の献立を聞いた。

 この時既に、食卓の上には、後輩自慢の出来立ての料理の数々が揃っていた。女と父親が話をしている間に、後輩が配膳を完了させていたのだ。

 後輩が「見れば判るじゃん」と、冷たく父親に言った。

 これに対し「お、おお、そうだな」と、父親は少し気まずそうに答えた。

 女は思った。この父は、娘と多くの会話をしたいと望んでいる。きっと奥さんを亡くしてからは、一日の中で話をする時間も少なくなったのだろう、やはりそういうこともあって寂しいのだ、と。

 そこで女は「そんな、冷たい言い方したら駄目よ」と、後輩に向け、ここへ来て初めて先輩らしいことを言った。

 そうすると父親も「そうだ、そうだ。もうちょっと父を敬え」と、女の言葉に便乗してきた。

 後輩は「そうですね。つい、言い過ぎました」と、父の言葉は無視して、女に向かって言った。

 女は、父親に向かって「お父さんも、お寂しいんですよね。奥さまを亡くされて」と、同情の言葉を掛ける。

 娘の前で強くありたい父親は「いや、そんなことはないけどね」と、慌てて否定した。

 そんな父親に対して、後輩は「そうだよね。ごめんね。お父さんを敬うかは別として、娘だったら、その位は理解できないといけないよね」と、若干の抵抗を見せつつそう言った。

 全く、この父娘は素直でない。

「ほらほら、二人とも素直になりましょうよ」と、女は笑って言った。女は、このように言ってしまってから、父親に対してはちょっと失礼だったかな、とも思った。

 すると「いや、ほら、俺は何時だって素直だよ。素直が服着て歩いているみたいなもんだ。素直じゃねえのは、こいつのほうだ」と父親が言う。

「何言ってんのよ。人をこいつ呼ばわりなんかしないでよ。お父さんが素直な訳ないじゃない。いつもかっこつけてんだから」と、後輩がヒートアップしてくる。

「お前こそ、何言ってんだ。俺のどこがかっこつけてるっていうんだよ」と、父も負けていない。

「私、知ってるのよ。お父さんは、いつも私の前では強い振りしてるけど、本当は弱いところもあるんだって。この間だって、お母さんの位牌の前で、しょんぼりして暗くなってたじゃない」と、後輩は父を攻める。

「何だ、お前見てたのか。だったら、声ぐらい掛けろ」父は、少したじろいだ。

「だって、そんなお父さんの背中を見てたら、可哀想になって、悲しくなって、それで、泣いちゃったのよ!」と、後輩は本心を打ち明け、涙目になる。

「そうなのか」父はしんみりと言った。

 後輩は、攻撃を続ける。「もう、お父さんの馬鹿!いいんだよ、もう無理しなくって。私だってもう大人なんだから。もういい加減、素直になって」と言って「もう」を連発した後輩は、遂に涙の雫を畳の上へと落とした。

 女は自分が火を点けてしまった手前、どこかでこの二人の言い合いを止めなくちゃ、と思って聞いていたが、いつしか後輩と共に泣いてしまっていた。

「すまん」父親は胸を張り、大きめの声でそう言った。そして続けて「悪かった。もうそろそろ、お前を認めなきゃいけねえな。俺にそんな口が叩けるようになったんだ。随分成長したな」と言って、嬉しそうに、うんうんと頷いた。

 女はこの時、自分の師匠は更なる高みへと邁進していると確信した。そして、この後輩に、一生ついて行こうと強く思った。

 この後、後輩は、女に向かって「すみません。取り乱しちゃって」と、涙を拭いながら謝った。

 女は「いい親子だね」と言って、自分も涙を拭いながら、しょげている後輩の肩をポンっと軽く叩いた。


 「よし。食うぞ。折角の娘の美味い料理が冷めちまう」と父親が言うと「もう、冷めちゃったよ」と、後輩がまた、ちくりと刺すようなことを言う。

 女が「こらっ」と言って、後輩を軽く叱ると「すみません。ちょっと癖になってますね。反省します」と言って、後輩は舌を出した。


 この後の女は「美味しい」を連発しながら、後輩の調理した朝食をありがたく頂いた。

「やっぱり、あなたのお料理は最高ね」と、女が後輩のほうを向いて言うと「そうだろ。こいつの料理は、本当に誰に食べさせても美味いって言うんだよ」と、父が即座に自慢をする。

「それは、お父さんが睨むからでしょ。怖くて不味いなんて言えないのよ」と、後輩がまたしても...

 しかし、直ぐに「でも、お父さんにそう言って貰えると、嬉しいよ」と、本当の気持ちを付け加えた。

 父親は「お前にそんなこと言われると、何だか気持ちわりいよ」と、口では言いながら、目頭を押さえた。

「うわー、もう、テレビドラマみたい」と女が茶化すと「こらっ、茶化すな」と、今度は父親が、女を叱った。

「すみませーん」と、女がしょげ返った振りをして謝ると、一同揃って大きな声で笑った。

 そして、この後も、三人の顔から笑顔が消えることはなかった。


 朝食が終わり、女と後輩は、空になった食器を盆の上に載せ、再び台所に戻った。

 女が、洗い物なら自分にもできると、せっせと働いていると、隣に並んで同じく洗い物をしている後輩が「先輩、私、今日久しぶりに父といっぱい話しました」と、手の中の食器から目を離さずに、ゆっくりとした口調でそう言った。

「そうなんだ」と、女も手元の食器から視線を外さずに返事をした。

 すると「本当にありがとうございます。先輩のおかげです。私が父に対して口が悪いのもいけないんですけど、なんかこの頃、ちょっとぎくしゃくしてたんですよね」と後輩は、洗い物をする手を休めずにそう続けた。

「お母さんが亡くなってから?」と女が尋ねる。

「いえ、その少し前からですかね。特別何かがあったって訳じゃないんですけど、いつまでも子供扱いされるのが疎ましくなっちゃって、でも、母がいるうちは、まだ良かったんです。母が喋るので。ところが、母が亡くなってからは、食事時も、殆どお互い喋らないで、只、黙々と食べるって感じで、息が詰まりそうになってたんですよね」と後輩は言い、洗い物の手を止め、その光景を思い出すように遠い目をして前を向いた。

 そして「父は調理とか全然駄目で、まあ、全て母がやっていましたから。なので食事はやっぱり、私が用意しなくちゃいけなくて、でも、それは全然苦じゃないんですけど、食事中の沈黙が本当に嫌で嫌で」と、再び手元の食器に視線を戻してそう続けた。

「じゃあ、良かったね。今日は沢山話せて」と女が言うと「はい。だから、本当に先輩には感謝しています。これからは、ちゃんと話せそうです。ありがとうございます」と、後輩は、再び手を止めて女の方を向き、笑顔で礼を述べた。


 そうして、全ての食器を洗い終え、食器乾燥機の中へとセットした二人は、また、後輩の自室へと戻った。

 女は「さて、朝風呂でもしてこよっかな」と、後輩に聞こえるように言うと、目くばせで「あなたはどうするの?」といったメッセージを送ってみた。

 後輩は「うんもーう。分かりました。一緒に行きます」と笑って返した。

 鋭い...

 女は驚いて「今の分かったの?」と聞く。

 後輩は「先輩のことなら何でも分かるんです」と答えた。

 女は「ひー、怖いー」と言って、笑った。

 勿論、後輩も一緒になって、笑った。


 この後も、女と後輩は、只管喋り捲った。食事時には、父親も交えて、やはり、喋り捲った。時には、笑い転げたりもした。



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