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メインディッシュは唐突に

作者: 龍眼

「ちょっと外を見て歩きたいわ」

「畏まりました」


 私は、ミーファお嬢様の執事を小さい頃からしている。

 ミーファ家の仕来たりで、完全に信頼できる関係を築き上げるためらしい。

 年の差は4歳ほどで、小さい頃は私の方が背が高く、執事でありながら、子供特有の無邪気さで可愛がりもした。

 もちろん、成長した今は違う。


「少しだけ、庭園は寒いかもしれませんね。陽の光はこの季節、まだ強いです。日傘は」

「私が持つわ。――私の方が背が高いし、ね」

「いけません。お嬢様のお手を煩わせるわけにはいきませんので。それに、身長は関係ありませんよ」

「いいえ? これは決定事項よ? さぁ、行きましょう」


 はぁと、ため息を吐く。

 成長してからは、だいたいこんな感じだ。

 小さい頃は私の名前を呼びながら屋敷の中を探したりと、大変可愛らしかった――いや、今も大変可愛らしく、女神に迫るほど美しいが――あの頃と違い、自らが周囲を引っ張るようなそんな存在へと徐々に変わっていった。

 今では、名前を呼びながら後を追いかけるのは自分の方だ。

 もちろん、一族の一員としてはその才覚に惚れ直すばかりではあるけれども。

 しかし、しかしだ。

 昔は頭を撫でてた私が、逆に頭を撫でられる対象になるとは。

 歳を追う毎にまさかと思っていたが、歳を重ねるにつれて身長は伸び、数年前には同年代の女性の平均身長を超えて、男性の平均身長に近い。

 その背丈はとてもダンスに映えるお姿で、社交界では年に不相応な魅惑的なダンスを披露される。

 寄ってたかって集まってくる男性は年々増えて、それを断る私の技は年々研ぎ澄まされていく。

 このまま増えれば、一騎当千も夢ではない。

 馬鹿どもめ。

 私が一緒に踊りたい。

 が、練習として踊る際、常に男性役はお嬢様になるのが納得いかない。

 身長を追い越してからというもの、ほとんど男性役はお嬢様が務める。

 意味の無いことではない。

 お嬢様のカリスマに落とされた少女がお姉さまと言いながら誘いに来るのだ。

 そのために男性のステップもマスターしているお嬢様である。

 男装をしてパーティ会場へと現れた時は、何時もの可愛らしさが鳴りを潜めたそのお姿に、少年達を差し置いて会場の少女達の視線を全て奪ってしまった事もある。

 流石です、お嬢様。

 そんなことを考えているとはつゆ知らないお嬢様は、一流の庭師によって精巧に、緻密に、芸術として人々を通せるレベルに昇華された庭園を、丁寧に見ながら歩く。

 その少し後ろを、私が歩く。


「見事な物ね」

「彼らの努力の賜物です」

「私には、わからない部分もあるけれども、どこを見ても、美しさを感じることができるよう、複雑な計算がされているのね」


 一つ一つ、その使われた技を読み取るようにお嬢様は歩く。

 風のない、晴れた雲よりも遅いような歩みで回る。

 後日、庭師に伝えるためだろう。

 彼女は直接見たこと、感じたことを、自らの手でそれを作り上げたものに伝えるのを好む。

 多少、お嬢様のお父上は、その癖については快く思っていないようだ。

 口うるさくいう事は無いけれど、私も少しだけ、好ましいとは思っていない。


「素晴らしい技術を堪能するのはよろしいですが、少しばかり、熱心に庭師にお伝えしすぎでは」

「いけないことかしら?」

「彼らの中に、お嬢様への恋慕を見せる輩が出る恐れがあります。今はまだ尊敬の類でも、若い庭師が来た時には少し、その熱を下げるべきでしょう」

「そう……罪作り、という奴かしら」


 たぶん違いますが。

 そう呟いた言葉は、綺麗に無視された。

 本当に、この娘は4歳年下なのだろうか。

 身長の差だけとはそうは思えない。

 気にしてはいない、気にしてはいないのだが、憂鬱だ。

 私は20歳だ、気にしてはいない。

 16歳の少女に何を気にしているのだ。


 お嬢様と共に庭を歩き続ける。

 長い針が当初の半分を超えても、お嬢様は私に日傘をお渡ししてくれない。

 しかも、並んで歩くことを強要されたため、お嬢様に日傘を持たせて歩く執事、という執事失格の情けない構図だ。

 これはいけない。

 そうして、気を引き締めようとすると頭を撫でられる。

 少し強めに睨んでも、笑顔で返されて、憮然とした感じに前に向き直る。


「お嬢様……。いい加減、お戯れになるのはやめて頂けますか」

「いいじゃない。それに、昔はよくこんなことをしてくれていたじゃない。私、撫でてもらうのは今でも好きよ?」

「お嬢様……。昔は昔です。あの時は、私もまだ子供だったのです。今ではお互いの立場があります。日傘も、私が持つべきです」

「しつこいわねぇ。しつこいと結婚できないわよ? ね、もうちょっとだけ、ね?」

 

 一言も二言も余計な言葉が挟まれるが、そこに突っ込むのをぐっと我慢して、仕方有りませんねと呟いて、前を向き続ける。

 ふっと、一瞬だけ、お嬢様は後ろを確認した。

 このとき、その仕草に私は気づいていなかった。


「まったく。歳を重ねられて、お綺麗になられたんですから、何時までも子供気分では――」

「日傘、こういう風に使いたいの。それにもう、ただの子供でもないわ」


 前を歩いていた、視界が日傘で隠された。

 お互い、ほとんど顔が日傘に隠れて、若干後ろからなら頭を確認できるまで、日傘が下がる。

 驚いて半歩だけ身を引いて、お嬢様に向き直る。


 「何、を」


 言い切る前に、感触が来た。

 顎に、滑るようになめらかな感触を持つ、手袋をつけたお嬢様の人差し指と中指が添えられる。

 手袋越しに感じる、暖かさを持った柔らかい感触。

 普段から嗅ぎ慣れた香水の匂いが強くなり、お嬢様の体臭が混じり、甘いと称せる独特の、理性を遮断する香りがふっと顔を包む。

 伸ばされた2本の指が、そっと羽根を掴むように優しく顎を持ち上げた。

 一連の動作は、つなぎ目の無い陶器のように滑らかに行われた。私がそれをされたと認識出来る前に。

 いや、ただ単に、お嬢様の手の柔らかさに意識を奪われていただけに過ぎない。

 そう思う間に、視界に、目を閉じたお嬢様のお顔がすっと近づいて。

 あっと言おうとした私の口は、乱れた思考にはあまりに乱暴すぎるしっとりとした弾力をもった唇で優しく塞がれた。

 強い電流を受けたように、びくりと体が反射的に動くが、それを巧みに組み伏せられる。

 直後に、上唇の内側を、美食を食べるかの如く舌で丁寧に舐められる。

 その動作は、あまりに優しく、慈悲すら感じられた。

 新鮮な状態で調理された鮮魚をその舌で確かめるように、味わうように、ゆっくりと。

 どれ程の柔らかさか。どのような食材も並び立つ物は無いだろう。

 コース料理のメインディッシュのみを唐突に味わうような、そんな贅沢。

 しかれど蕩け合うのは食材でもなく舌でもなく、お互いの理性。

 電流にバラバラにされた思考は、更に毒に侵されたように淀み始める。

 物足りないとばかりに丁寧に唇を割り、お嬢様の舌が、形を確かめように一つ、一つ。丁寧に歯をなぞる。

 ここが何処かも忘れる程の刺激が背筋を這う。

 心音すら耳に入らないほどの静寂を感じる。

 全ての五感をただただ、この心地良さだけを味わうために使いたい。

 溶け始めた理性でもなく、自らを律する知性でもなく、正常に戻そうとする力でもなく、別の何かの衝動に突き動かされて、自らの舌もその美食を求めて――そうした考えに支配されかけた時、するりと、蝶が風で流されるような自然さで、そっと離される。

 唇の間には、陽に煌めく白い線が一瞬見えて、溶けるように消えた。


「あ――」

「あら――トロンとした目になっちゃって、可愛い」

「な、そ、あ、そ、それは……。それは!お嬢様が、突然、キス、するから」

 

 一瞬で現実を取り戻すと、急激に熱を持つ自らの頬に手で触れる。

 手は頬を流れて、人差し指がとっかかりを覚えたように唇の真ん中に止まる。

 料理の余韻に浸るような、甘美な感覚。

 少しだけ見上げて、お嬢様の視線に合わせると、ややしっとりとした、いたずらが成功したような瞳と視線がかち合って。

 はっとして、すぐにお嬢様の手を退けると同時、ハンカチで乱暴に拭う。口紅の跡がうっすらと拭き取れた。

 可愛らしいと小さく笑う声がした。


「はしたないです。お嬢様……! まったく貴女様と来たら……!」

「偶には良いじゃないの。もう最近はほとんど室内でもさせてくれないじゃない。興が削がれたわ。もういい、日傘も返してあげる」


 言葉とは裏腹にお嬢様は実に幸せそうな笑顔だ。

 そうやって、かわかわれて。

 立ち止まった自分と反対に、機嫌よく前を歩き出す。

 私の方が年上なのに、なんだか理不尽だ。

 身長がもっと伸びていれば良かったのにと、ぐずぐずとした憂鬱な気持ちになる。


「馬鹿らしい……私の身長が伸びたところで」


 何時か、誰かに貰われていくお嬢様が、私の物になるわけでもあるまいに。

 お嬢様は歩いてこない私に気が付くと、スカートを揺らしながら機嫌よく振り向いた。


「置いていくわよ――アンジュ」

「あなたに置いて行かれてはお父上に怒られてしまいます、ミーファお嬢様」

「ふふ。そうかしら? その楽しみは別の機会にしておくわ」


 前を向き直ったお嬢様へと歩き出す。

 その背中を眩しく見つめる。

 陽の中で輝き、止まる事を知らない光。

 誰もが振り返るミーファお嬢様の美しさ。

 同性であるがための近さで手に入れた物によって、同性を超えた近さを求めるはめになるなんてと、気持ちは更に憂鬱になった。

 まるでアリ地獄にいるようだ。

 もがけばもがくほど、砂は崩れ、深みへと滑り落ちる。

 それでいてまるで底が見えない。

 何処まで落ちていくのか、何時までも落ちていくのか。

 落ち切った先に何があるのかも見えない暗い暗い闇の底。

 囚われた思いは二度と放されることはない。

 ――けれども、そんな気持ちも。

 視線を上げたお嬢様の、陽の中を駆ける――そんな幻視を見せるような軽やかな足取りが、暗い気持ちを少しづつ、日陰に差す陽の光のように削り取っていく。


 いつか、その時が来るまで。

 その時を迎えても。

 そう。

 ――貴女が誰かのもとへ嫁ぐその時になっても。

 死が、私と貴方の二人を別つ時まで。

 神話の女神を彷彿させる、美しき貴女様の執事であらんことを。

 切に願う――。

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