1.異世界に
発端は三十歳の誕生日、家族も恋人とかもいない俺、尾上駿ノ助は仕事から帰ると、いつもよりちょっと豪華な弁当を電子レンジで温め始めた。そうしてもうすぐ温めが終わるという頃に、突然爆音がして俺の意識は飛んだ。
それからどれくらい時間が経ったとか、そういう感覚はなくて、気がついたら妙に神秘的な雰囲気の漂う森の中に立っていた。
「おいおい、俺の弁当は?」
俺の口からは出たのはなんとも間抜けな言葉だった。数秒間そのまま待ったが返事も反応も何もなかった。
「もしもーし、ここはすぐになんか神っぽいのが出てくるところだと思うんだけども」
それでも何の反応もなく数十秒が経過し、これはどうにもならないかもしれないと思い始めた頃、突然目の前に狼が飛び出してきて、さらにカラスがその頭上の枝に止まった。
「待たせたな」
狼が口をきくとなんか神秘的な雰囲気だ。普通なら怖いと思うようなサイズだけど、むしろ興奮する。
「尾上駿ノ助、お前は偶然が重なりここにいる。これも何かの縁、何か望むことがあるならば言ってみよ」
俺はすぐには返事をせず、望みというのを考えてみたけど、ここはまあアレだろう。
「違う世界に行きたい。転生というのじゃなくて、このままで」
「ほう、異界行きを望むか」
「珍しいのかな?」
「そもそもここに来る人間が珍しいのだが、その中でも数少ない。大抵は何かを得て元の場所に戻るものだ」
まあ、健康とか金とかが得られるならそうするだろうな。でも俺はろくな仕事も近しい人も何もなかったから別に元の生活に未練はない。
「それで、その異界行きでもなんかこう、それ以外の望みもかなえてくれるのかな?」
「元の世界に戻すのも異界に送るのも大した違いはない。望みはそれとは別に言うといい」
ここは悩みどころだと言いたいところだけど、実は俺の欲しいものは決まってる。
「傷つかない体と、どんな相手でも上回れる力が欲しいな」
「傷つかないというのはともかく、力はどう解釈すればいいのかわからないのだが」
「じゃあ、相手よりも三割増しの力が発揮できるっていうのでどうかな」
「それならば可能だ。行きたい異界の希望はあるか?」
「まあ、文明的な人型の生物がいればなんでもいいや。あ、言葉と文字を使えるようにもして欲しいんだけど」
「わかった、それではすぐに送ろう。案内もつけておく」
カラスが俺の頭にとまると、視界が白く染まった。そして気づいたら道路のど真ん中に立っていた。
「あれ、ここ異世界か?」
馴染みのある足元の感触に思わず首をかしげる。空は灰色で足元は荒れ果てた道路らしきものだった。さらに周囲を見回すと、ビルが建ってはいるものの明らかに廃墟だ。
「いやいやいや、異世界っていったらもっとこうファンタジーな感じだろうよ」
「何でもいいと言ったのはお前だろう」
頭上から声が聞こえ、俺がそっちを見るとさっきのカラスがいた。そのカラスは俺の肩にとまると、羽根で頭を叩いてきた。
「いやそうは言ってもこうくるかっていうのがあるだろ。ここって人間生きてるのかよ」
「それなら心配ない。前を見ろ」
そう言われて前を見ると、確かに人影があった。
「おいおい、あれってなんだよ」
人影なのだが、はっきり見えてくるとそれはパワードスーツのようだった。いやいや、それってありなの?
「そこの蛮人! どこから侵入した!」
どう考えても物騒なんですけど。
「おい、あれはなんだよ」
「この世界の支配階級であろう」
「どう考えても友好的じゃないんですけど!?」
そうしている間にもパワードスーツの連中は俺の前で銃らしきものを構えていた。
「そうだな、逃げるのがいいだろう」
俺はそれにうなずいて逃げようとしたが、パワードスーツ連中の後ろに人が転がっているのが見えて足が止まった。それは全身を縛られていて頭には袋を被らされていたが、背格好からして間違いなく子どもだった。
そう確信すると不思議と足が止まる。異世界転移で力をもらって、目の前には捕らわれた子どもらしき姿。こうなればやることって一つじゃないか?
「何を考えているかはしらんが、逃げるなら早い方がいいぞ。お前の身体はあの者達の武器では傷つかないだろうが、痛みがないわけではないし、不死身になったわけでもないぞ」
「でもこれはチャンスだぜ!」
俺が目の前のパワードスーツの一人に意識を集中すると、全身に今まで感じたことのない力が漲るのが分かった。どうやら中の人でなく、あのパワードスーツの力の三割増しになったらしい。これならいけるだろ!
俺は顔の前で両手をクロスさせて突進する。瞬時に両手に思いのほか軽い手ごたえを感じると、パワードスーツ一体を吹き飛ばし、俺はその背後にまで到達していた。そして縛られている子どもを抱えると全力で地面を蹴る。俺の体は一瞬で加速し空を駆けた。
「この能力はすごいな! パワーだけでなく、タフさまでバッチリだ!」
勢いよく着地して振り返ると、すでにパワードスーツ連中は見えなくなっていた。それでもカラスは俺のすぐ横にいる。
「今回は相手が驚いたおかげだ、運が良かったのを忘れるな」
「わかったわかった。それよりまず隠れないとな」
俺は子どもを抱えたまま周囲を見回し、とりあえず人気のないビルとビルの間に駆け込んだ。そうしてゴミ捨てのコンテナだったものの陰に子どもを下ろすと、頭の袋を取ってから体を縛っていたロープを引きちぎった。
「あれ?」
そこで全身に漲っていた力が抜け、しりもちをついてしまう。
「能力が切れたな。あの者達を振り切ったということだろう」
「そうか」
距離が離れると力は元に戻るってことかな? いや、能力の検証は後でいいだろ。俺は立ち上がると子どもの様子を見る。多分年齢は十歳前後だろうか、着ている服はまさにぼろと言ったほうがいいもので、性別は、よくわからん。
「おーい、起きろ」
軽くおでこを叩いてみると、子どもはうめき声を出してからゆっくりと目を開ける。
「……おじさん、だれ?」
おじさん。まあ俺はぴちぴちだけど、この年代から見ればそうと言えなくもない。
「捕まってたお前を物騒なスーツを装備した連中から助けたんだ。名前は?」
「ファン」
「ファンね。俺は尾上駿ノ助、まあ流れ者かな」
「流れ者?」
「そう、だからどこか落ち着ける場所が欲しいんだよ。助けられた礼だと思って、案内してくれないか?」
それから俺がファンを立たせると、少しよろめいたが壁に手をついてしっかり自分の力で立った。
「それはいいけど、まずはここから出ないと」
「ここからか。ところで、ここは一体なんなんだ」
「知らないでここに来てたの? ここは岸見っていう貴族の本拠地だよ」
「いや、お前こそなんでそんな場所にいるんだよ」
「それは、別にどうだっていいでしょ」
あからさまに何かある様子だが、まあいいだろ。今はこのちびっこと一緒にここから脱出することが先だ。とりあえず俺は頭上のカラスを見上げる。
「お前案内だろ、ここからの脱出ルートを教えてくれよ」
カラスは俺とファンの間に降りてきた。
「いいだろう。少し待て」
カラスは飛んでいき、そのカラスに驚いていたらしいファンはしばらくしてから口を開く。
「なあにあれ?」
「いつまでいるのかは知らないけど、俺の案内を担当してるんだ」
「変わった生物と知り合いなんだね、おじさんは」
「いやまあ、つい最近の話だから特別そうってこともないけど。それはそうと、その岸見っていう貴族はなんなんだ」
「何でも独り占めするひどい奴なんだ。人狩りもしてる」
「それで、お前はそれに捕まったのか?」
そう聞くと、ファンはしばらく迷った様子を見せたが、首を横に振った。
「取り戻したいものがあったんだ。でも、見つかって」
「捕まったわけか」
「そう」
それ以上喋りたくはなさそうだったので、俺も聞こうとは思わなかった。このまま気まずい沈黙がくるかと思ったが、それよりも早くカラスが戻ってきた。
「この街の脱出経路はわかったぞ。お前達を探している者はいるが、それほどのものでもない」
「じゃあ、案内頼む。ファン、歩けるか」
「大丈夫」
「ついてこい」
俺達はカラスの先導で歩き出し、時間はけっこうかかったが特に危ないこともなく街を抜け出していた。そこはまさに荒野と言うほかなく、なんというかそういう映画を見てるようだった。
「ここからお前のいたところに戻れるのか?」
俺がそう聞くと、ファンは自信満々といった様子でうなずく。
「もちろん、任せてよ!」
それから街の外に出てしばらくして、大きな岩の物陰に到着すると、そこにはサイドカー付きの小ぶりなバイクがあった。
「これ、お前が運転してきたのか?」
「ちょっと借りてきただけ」
「なんか無法感があっていいな」
俺はサイドカーに乗り込んでみる。ちょっと狭い感じだけど、初めて乗るからわくわくするな。ファンはいっぱしにバイクにまたがるとエンジンをかける。
「いくよ」
カラスが俺の肩にとまると同時にバイクは発進した。しかしまあ、少し進むと舗装された道もほとんどなくなり、植物も少なくてまさに荒野という感じになっていった。
「このあたりはずいぶん荒れ果ててるんだな」
「そうだよ、ここじゃ何も育たない。さっきの街は遺物で食べ物には困ってないんだけど」
「遺物ねえ。連中のスーツとかこのバイクもそうなのか?」
「このバイクはちょっと違う。でもほとんどのものは岸見が独り占めしてる」
「なるほどな」
それから休みをとりながらたぶん一日中走ると、廃工場のようなものが見えてきた。ちなみに空はずっと灰色で時間はよくわからない。
「あれがお前達の村というか、そういうあれか。全然そういう感じには見えないけど」
「だから落ち着いて住めるの。貴族もこんな廃墟には興味がないし」
バイクのまま廃工場に入っていってしばらく進むと、外からは見えないようになっている車庫があり、様々な車両が並んでいた。ファンは空いている場所にバイクを止める。
「怒られるんだろうなあ」
ファンがぼやきながらバイクから降りると、俺も続いてサイドカーから出る。気が進まない様子ながらもファンは立ち止まらずに歩いていき、俺もその後に続く。
さて、一体何がどうなるのかね。