たんぽぽ日和・6
「自分から告白しておいて……どうしようもないな。本当にそういう雰囲気になったら、恐怖で体が震えるなんて。しかも全身傷だらけの女なんて、嫌だよな」
冗談めかして笑ったものの、顔は上げられなかった。ただ空虚のようなものに満たされていく胸が、ジクジクと膿んだように痛かった。今までとは異なるその痛みに、不思議と涙は出ない。
「ねぇ、リダ」
服を拾うと、不意にテイルの声が落ちてきた。彼の声音はとても静かで、落ち着いていた。
「今、貴女に触れたら……泣きますか?」
手にした服を胸元で握り締め、私は頷いた。
「多分な」
テイルの身体が、一歩私へ近付いた。
「じゃぁ、片手だけ僕に許して下さい」
「え?」
伸ばされたテイルの手がふわりと私の手を取り、彼はそのまま、私の前に膝を折った。そして恭しく手の甲へ口付けて、優しく笑う。
「もう一度タンポポを摘んで、今度は指輪も用意します。傷痕なんて気にしないし、リィナとの戦いのせいで僕の身体もひどいものです。……キスも何も要りません。僕と結婚してください」
穏やかに響いたその言葉に、私は耳を疑った。
「け、結婚……?」
呆然と尋ねた私に、テイルは頷く。
「もしリダがレイグを求めているのなら、僕にはどうすることもできません。上塗りする自信も全く無いです。でもそれ以外なら、全部掻き消してみせます」
テイルは私の手を離すと、ゆっくりと立ち上がった。
「それに、貴女にここまでさせておいて、貴女の気持ちを疑ったり、レイグのことを引き摺って逃げるなんて、格好悪いじゃないですか」
「ちょっと待て! 結婚っておまえ、わかってるのか!?」
慌てる私に、テイルは不思議そうに首を傾げた。
「愛し合う男女が一生を添い遂げる誓いを交わす儀式ですよね? わかってますよ?」
「そうじゃなくて!」
「大丈夫」
テイルはふわりと目を細めて微笑んだ。
「万が一にも辛くなったら、いつでも捨てていいですから」
その言葉に思わず目を見開くと、テイルは「ね?」と笑って、くるりと後ろを向いた。
「返事の前に、服着てください。風邪引きますよ」
すらりと背筋の伸びた彼の背は、男にしては細い。しかしそれでも私が縋る分には、十分すぎるほどの広さと熱を持っているように思えた。
「テイル……。捨てていいなんて、そんなこと言うな」
気付けば伸ばしていた手で、彼の背を掴んでいた。
「リダ?」
訝しげに私の名を呼んだテイルの背中に、私は両腕を回した。間近に感じる体温と胸の鼓動に、息が苦しくなる。
「別に、パニックになったりするような深刻なものではないんだ。そこまでひどかったら、さすがに今まで私だって気付いていただろうから」
「僕は貴女がいるだけでいい。無理しないでください」
テイルは優しい声でそう言った。回した腕から背中で感じる彼の呼吸は平然として落ち着いているのに、心臓が早鐘を打っているのは丸聞こえで、おかしかった。
「最初だけだ。――きっとそのうち、そうじゃなくなる」
「リダ、服を着て」
「お預けは嫌だ。私はおまえが、好きなんだから」
「……っ!」
テイルの背がビクリと震え、しばらくの沈黙の後、彼は顔面を両手で覆ってその場にしゃがみ込んでしまった。
「えっ、テイル!?」
「リダ、貴女ってそんなキャラでした?」
「え……」
「もーっ。……反則です」
顔を覆ったままそう言ったテイルは耳の先まで赤くしていて、何だか可愛かった。
「テイル」
後ろからテイルの肩を叩き、声をかけた。拗ねたような表情で振り返った彼の唇に、そっと自分のそれを重ねた。
「!」
しかしテイルは驚いたように身を引くと、すぐに心配そうに眉を下げた。
「リダ、本当に無理しないでください。僕は――」
「いいんだ」
テイルの言葉を遮って、私は言った。
「おまえは……恐怖も嫌悪も、掻き消してくれるんだろ?」
するとテイルは一瞬黙り込み、両手で私の頬を流れる涙を包み込んだ。それはいつの間に流れたのか、わからなかった。
「……嫌だったら、止めてくださいね」
テイルはそっと目を伏せると、甘く慈しむようなキスを唇に落とした。縋るようにテイルの胸元の服を掴むと、傷口の膿を絞り出すような鈍い痛みが指先の感覚を奪い、心臓が押し潰されそうなほどの鼓動を刻んだ。
遠慮がちに捻じ込まれた舌に、熱い唾液が絡み付く。乱れた呼気と粘膜の濡れた音に、視界が霞んで脳が疼いた。
「ん、ぁ……」
彼の与えてくれる熱と痺れるような感覚に身を委ねようとすればするほど、得体の知れない罪悪感のようなものが胸に広がる。
「リダ……あんまり煽らないで。凄い顔してますよ?」
「なっ……!?」
テイルが小さく笑い、熱に浮かされたような双眸で私を見つめた。
「リダはどうしてキスが気持ち良いか、知ってます?」
濡れた唇に指先で触れながら、テイルは首を傾げる。さらさらとした彼の黒い髪が、色白な肌の上を滑っていく。
「知るか」
吐き捨てるように呟くと、テイルはふわりと笑って、私の頭をそっと抱き締めた。
「伝えきれない言葉が、唇から溢れるからですよ。僕は貴女のことが好きで堪らないんです」
そんな恥ずかしいことを臆面もなく口にして、テイルは私の額に口付けた。
「僕の気持ちが伝わっているからだと思うから、貴女が感じてくれるのが凄く嬉しい」
テイルの手がゆっくりと首筋へ滑り、指先が背骨をなぞる。思わず熱い溜め息のようなものが零れて、私はテイルの胸へ顔を埋めた。
「ゆっくりでいいです。できなくてもいいです。怖かったら僕の名前、呼んでください」
目頭が熱い。溢れた大粒の涙が、彼の胸元を濡らしていくのがわかる。
「さ、服を着て」
優しい声が、私の中に浸透していく。
「貴女に似合う指輪、探しに行きましょう」
― 終 ―
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
本編最終章に出てきた、野草でリダにプロポーズしたテイルのお話です。
実は最終章でクレスが目覚めないフラグも立っていました。メロヴィス様、もしあそこでキスしてたら、ヴェネスの手を借りながら全力でリダを守り抜いてたと思います。
彼に本当に気が無かったのかどうかは、彼のみぞ知るということで……。
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