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たんぽぽ日和・5

「テイル」


 彼の前に仁王立ちになって声をかけると、テイルは血で汚れた口元を手で押さえながら私を見上げた。


「リダ、本気で殴りましたね……?」


「誰の所為だ、誰の」


「すみません」


 もやしのような外見とは裏腹に、テイルは意外と打たれ強い。顔面以外は大した怪我もしていないようで、彼はゆるゆると身を起こした。


「でも、顎砕くことないじゃないですか」


「とっくに治したくせに」


 私は鼻を鳴らし、テイルに手を伸ばした。


「いや、汚れますから――」


「誰が〝起こしてやるから掴まれ〟なんて言った?」


 私は冷やかにそう言って、テイルの胸倉を掴んで壁伝いに持ち上げた。


「うぐっ!?」


 くぐもった声を漏らしたテイルを、自分と同じ目線の高さまで引き起こして、私は首を傾げた。


「で? 何様のつもりだ? さっきのは何だ? 夢か?」


「あはは……」


 テイルは誤魔化すように眉を下げて笑い――不意に表情を改めると、突然私の後頭部を手で引き寄せ、血塗れの唇を私の唇に押し付けた。


「んっ!?」


 唇の隙間から血の味が流れ込んでくる。その味が不快で身を引こうとしたが、テイルの力が思いの外強く、動けない。そうこうしているうちに、生温かい舌が歯列に割り入ってきた。


「ふっ……ん……」


 堪らず鼻にかかったような息が漏れたが、とにかく血の味がひどい。胸がズキズキするのは、間違ってもときめきの類ではない。二度目の殺意だ。


 何やら攻め気になっているらしいテイルの鳩尾に、私は膝蹴りをお見舞いした。


「ごっふ!?」


 再び崩れ落ちたテイルを見下ろしながら、私は口元の血を手の甲で拭った。テイルは蹲ったまま、頭を抱えるように、滑らかな黒髪をくしゃりと握った。


「あー……すみません。忘れてください」


 掠れた弱々しい声で、彼はそう言った。


「さっきの妙なプロポーズを? それとも今のキスを?」


「……どっちもです」


 言われて、カッと頭に血が上った。


「おまえは一体何が――」


「だって!」


 声を荒げた私を遮って、テイルが俯いていた顔を上げた。彼は悲しそうに顔を歪めて、私を見つめた。


「リダ、泣いてるから」


「え……?」


 驚いて自分の頬に触れる。冷たい涙が伝って、指先は小刻みに震えていた。


「何で……」


 この涙と震えは、一体何なんだ。私は彼に、レイグの影を見たわけではないはずだ。


 だったら……。


「わかりました? 僕は絶対こうなると思ってたんです」


 しかしもちろん、テイルはそうは思わないのだろう。彼は自嘲気味に呟いてから立ち上がると、いつもの淡い微笑みを浮かべて、私をそっと押し退けた。


「邪魔してすみません。メロヴィスのところ、行ってください。昨夜いい雰囲気にもなったんでしょう? きっと前に進めると思います」


 立ち去ろうとするテイルの背を、辛うじて絞り出した声で呼び止めた。


「テイル!」


 振り返ったテイルは、何も無かったように穏やかな表情をしていた。


「そんな顔して、まだ自分を殺すのか」


「……。レイグの代わりを務められるほど、僕は人間出来ていませんよ」


「レイグじゃない!」


 昨夜メロヴィスに迫られた時に言われた、「怖がらせる気は無かったんだ」の意味。


 この考えが正しかったとしたら、恐らく私は、かなり面倒な女だ。だが、それならその理由で拒んで欲しい。


「レイグの面影を理由にするのは嫌だ」


「でも僕は――」


「さっきのタンポポ、本気で言ってくれたんだろ? 私はおまえが好きなんだ。証明する」


「証明って……」


 私はテイルの手を取り、有無を言わせず彼の手を引いた。


「えっ、ちょっと!? どこ行くんです!?」


 中庭から城内に戻り、並ぶ空き部屋の一つにテイルを引き摺り込んで、後ろ手に鍵をかけた。


「リダ、あの……?」


 困惑しているテイルの手を離し、私は俯いて長い息を吐いた。冷静になるのが怖い。私は何をやっているんだろう。


「…………」


 服の留め具を外し、恐らく混乱しているであろうテイルの前で、私は上衣を床に落とした。下着姿の肌を晒して、テイルの顔は見れなかった。


「多分、まだ怖いんだ」


 私は治癒系統魔術が苦手だ。


「こうなるまで、立ち直れなかったから」


 綺麗な身体のイメージを作れなくなったから。


「レイグの代わりとか、そんなのもう考えるな。レイグとおまえは別人だし、私はレイグを愛した自分がいることも後悔していない」


 裂傷、銃痕、火傷の痕。全身の傷痕は数え切れない。


「だから自分が死ねばよかったなんて、もしまだそう思うなら、もう二度と思わないでくれ」


 全部――あの時から治せなくなった。それがこんなことにも影響していたなんて。


「泣いたのも震えたのも、多分このせい。つまるところ、私は積極的に普通の恋愛に臨むなんて無理だったというわけで……。ついさっき気付いたんだ。すまなかった。『忘れてくれ』は、おまえじゃなくて私の台詞だ」


 俯いたまま、私は両の拳を握り締めた。


 レイグに対する歪な愛を擦り込む為に、鎖に繋がれ、男二人に無理矢理犯された。


 頭では乗り越えたつもりだったから、未だ身体が無意識に恐怖を感じてしまうことに、気付かなかった。


「私の態度は、おまえにレイグの影を重ねていると思わせて当然だったんだろう。苦しめてすまなかった」


 俯いたままそう言って、私は足元に落とした服を拾おうと身を屈めた。


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