たんぽぽ日和・4
* * *
翌日、メロヴィスとの約束よりもだいぶ速い時間に、私は中庭に向かっていた。
昨夜は部屋に戻ってからも全く眠れず、ベッドでひたすら寝返りを打ちながら朝を迎えた。
恐らくメロヴィスはあの話を改めて持ち出す気なのだろう。もしかしたら酔った勢いだった、というオチもあるのかもしれないが、実直な性格の彼に限ってそれは考えにくい。
「どうしよう……」
何度目になるかわからない「どうしよう」を呟いているうちに、私はいつの間にか中庭に到着していた。中庭に面した図書室の窓が、陽光を反射してキラキラと光って見えた。
「リダさん!」
声を掛けられてそちらを振り向くと、そこにはなぜか、メロヴィスではなくアデルとソールとギルムの三人がいた。彼らは一様にきっちりと身なりを整えており、背筋を真っ直ぐに伸ばしてこちらに駆け寄ってきた。
「リダさん、実は自分達……知っての通り以前からリダさんをお慕いしていたのですが――」
「そのっ……昨日、見ちゃったんだ。いや、見る気は全く無かったんだけど、偶然と言うか、何と言うか」
「てっきりリダさんはテイルさんと恋仲だと思ってて……そういうことなら、俺達は親衛隊的な位置で満足だったんだ」
順番に口を開く三人。何となく彼らが言わんとしていることを察して、私は思わず「あー……」と間抜けな声を出してしまった。まさか告白現場を見られていたとは……。
何となく気恥ずかしくて胸元に触れながら言葉を探していると、突如バサァッと真っ赤な薔薇の花束が目の前に突き出された。
「テイルさんが特別な相手で無かったと言うのなら、話は別です!」
「昨日の今日で気持ちが変わるはずが無いのは、十分にわかってる!」
「でも、どうにも我慢ならなかったわけで!」
差し出された三つの花束の向こうで、それぞれに顔を真っ赤にした三人が、私の前に膝をついた。
「「「付き合って下さい!」」」
思わずポカンと口を半開きにした間抜け面でいると、後ろから人の気配がした。振り返ると、メロヴィスがびっくりした顔でこちらを見ていた。彼の手には、一輪の薔薇があった。
メロヴィスは少しの間固まっていたが、すぐに淡い笑みを口元に浮かべると、どこか挑戦的に首を傾げた。
「私もそこに加えてもらおうかな」
「なっ……!?」
やはり昨夜のアレは酒の勢いではなく、本気だったと言うのか!?
戸惑う私に構わず、彼はサクサクと中庭の芝生を踏んで近付いてくると、ギルムの隣に並んだ。
「リダ、よかったら私と――」
メロヴィスが言いかけた、その時だった。
ダンッ!
「!?」
突如屋根の上から黒い影が降って来て、驚いた私と、アデル、ソール、ギルムは硬直してその影を凝視した。メロヴィスだけが、ニヤッと意味深な笑みを浮かべたのが見えた。
「え、テイル……?」
ゆらりと立ち上がったその後ろ姿は、キョロキョロと左右を見回してから、ずんずんと大股で私達の傍から離れていった。そして地面に咲いていたタンポポをブチッと引き千切ると、また大股でこちらへ戻ってきた。
「な……」
呆然とする私に構わず、彼は私の前に勢い良く膝をついた。
「リダ、僕と結婚してください!」
頬を上気させ、何かを振り切ってしまったかのような決死の形相で差し出されたタンポポ。その拍子に沸いてきたのは、感動の涙でも何でもない。
ただの殺意だ。
「ふっ!」
気付けば鋭い呼気と共に、渾身の右ストレートを繰り出していた。テイルの顔面左頬に。
「ぐがっ!?」
拳に骨を砕いた感触が伝わり、テイルがタンポポを握り締めたまま、直線に近い弧を描いた軌道で飛んで行く。彼は地面に到達する前に壁に叩き付けられ、壁面にちょっとしたヒビを入れて、そのまま崩れ落ちた。
「……あ」
やってしまってから振り返ると、先刻まで鼻先にあったはずの三つの花束が、三メートルくらい遠くに後退していた。
「自分、やっぱり親衛隊の位置で満足であります!」
「告白しておいて申し訳無いけど、俺は夫婦喧嘩に命を捧げる覚悟はないです!」
「どうぞお幸せに!」
アデルとソールとギルムは、顔を引き攣らせながら気を付けの姿勢でそう叫ぶと、全員ちょっと涙目になって一目散に走って行ってしまった。
「え、いや、今のは……」
言い訳しようにも、既に後ろ姿は遠い。唯一元の位置にいるメロヴィスは、喉の奥を鳴らしておかしそうに笑っていた。
「容赦無いな、リダ」
笑い過ぎたのか、彼は目元に浮かんだ涙を拭いながら言った。
「昨夜のこと、謝らないとな。少し悪ふざけが過ぎた」
「悪ふざけって……」
「今日のこれ、仕組んだの私なんだよね。さっきの三人を焚き付けて、テイルに待ち合わせの時間と場所を教えて――」
「えっ!?」
驚いてメロヴィスを凝視すると、彼は「すまない」と頬を掻いた。
「まぁ、こうなるのはわかっていたんだ。テイルは絶対、リダの好意の上に胡坐をかいていただけだったから。いざ他の男に奪われると思ったら、いてもたってもいられなくなったんだろう」
「…………」
沈黙した私に、メロヴィスはまた、あの扇情的な色を浮かべた瞳を私に向けた。
「まぁ、もしこれでテイルに冷めたんなら、昨夜の続きをこれから始めるんでも構わないが」
「……さっき『悪ふざけ』って言ったじゃないか。悪ふざけの続きをする気は無い」
「それは残念だ」
メロヴィスはちっとも残念そうに見えない様子で笑うと、私の肩をポンと叩いて傍らを通り過ぎ――ようとしたところで、僅かに目を見開いて足を止めた。
「あれ、歯?」
メロヴィスの視線の先を辿ると、血の付いた白い奥歯が二本、点々と芝生の上に転がっていた。
「あの勢いじゃ、歯ぐらい折れても当然か。リダ、女の子ならグーでぶん殴るよりパーで平手打ちの方が可愛いよ」
よくわからないアドバイスを残し、メロヴィスは手の代わりに薔薇を振りながら中庭を去って行った。
……さて。
私は壁際で蹲っているテイルに視線を向け、溜め息を吐いた。