たんぽぽ日和・3
* * *
ふわふわとした心地良さに身を任せ、静かな夜の街を歩く。月はすっかり高い位置に昇って、ひんやりとした夜風が火照った肌を撫で上げていく。
「あー、飲んだ飲んだ」
浴びるほどタダ酒を飲んで大満足の私に、メロヴィスが少し後ろで溜め息をつく。
「無茶をしないでくれ……」
「大丈夫、酒には強いんだ」
「強いのは見ていて十分わかったが――それでも随分酔っ払っているだろう?」
「力で捩じ伏せるより、あの変態が朝まであそこで酔い潰れているのを公衆の面前に晒しておく方が面白いじゃないか」
「…………」
メロヴィスは困ったように眉を下げると、口を閉ざして黙り込んでしまった。
「どうした?」
不意に訪れた沈黙は何か言いたげで、促そうと振り返ったその時、突如私の身体が彼の方へ引き寄せられた。抵抗を思い立つ間も無く、気付けば私の左手は、手近の壁に縫い止められていた。
「メロヴィス?」
壁を背にして身体を囲われるような状態で見下ろされ、思わず目を見開く。メロヴィスはなぜか少し苛立ったように、いつもより低い声で言った。
「あんな男にリダが色仕掛けをするの、見たくなかった」
「は……?」
月明かりの逆光で、表情がよくわからない。ただ、私の手を握る彼の手に、グッと力が込められたのを感じた。手のひらが熱い。
「何の気も無い男を夜中に連れ出すなんて、どうかしてる。――って、ちょっと違うか」
「え?」
何なんだ、この展開。その台詞はさっき私がテイルを咎めた時の――……えぇ?
酒の所為かぐるぐるする頭で考えようとしても、何も出て来ない。しかしメロヴィスの様子は、明らかに普段とは異なっていた。
「私では駄目か、リダ?」
「……っ!?」
紡がれた言葉に、息を飲んだ。見上げた先にあるメロヴィスの碧眼が、まるで熱に浮かされたように薄っすらと潤んでいるように見えた。
「それは……つまり、テイルなんてやめて自分にしろと?」
「あぁ」
「……おまえは特殊生体だろう。仮におまえが本気だとしても、悪いが私は、もう死を前提にした恋なんてしたくない」
「リダが私を唯一無二の必要としてくれるなら、私は死んだりしない。私の為に生まれた特殊生体がいるなら、責任を持って私が倒せばいい。確かに私は普通じゃないが、リダを幸せにする自信はある」
強い口調で言われ、堪らず私は口ごもって目を伏せた。そうしながらも、メロヴィスの肩越しに白銀の流星が落ちたのが見えた。脳裏に、穏やかに微笑むテイルの顔が過ぎった。
心臓が痛い。指が震える。どうしてこんなに、息が苦しい。
「ヴェネスを見ていれば、おまえに愛されるのがどんなに幸せなことかわかるよ」
辛うじてそう言った直後、不意に視界が熱く滲んだ。息が詰まったようにつんとする胸を庇うように、知らず自分の胸元を握り締めていたことに気付いた。そこに、もうレイグの指輪は無い。
「レイグとも、よく星を見ていた。きっとテイルは、彼なりに新しい思い出を作ろうとしていてくれたんだろう。でもレイグと同じことをして、私ではなくテイルが耐えられなかったのか……――わからないが、とにかく彼には、私では駄目なんだろうな」
「…………」
メロヴィスの手が、壁に押し付けていた私の手から離れた。彼の手はそのまま私の頬に触れ、伝い落ちる涙をそっと拭った。心臓が抉られるような痛みを伴って拍動するのを感じながら、私はメロヴィスを見上げた。
「これ以上テイルを苦しめるのは本意ではないし、引き際なんだろう。これからは、もう別の男に目を向ける」
するとメロヴィスは微かに目を見開いたが、私がその場から動こうとしないのを見て取って、ゆっくりと身を屈めた。近付いてくる彼の整った面立ちに、このまま唇が触れるならそれも構わないと思って、目を閉じた。
――が、吐息が感じられるほどの距離で、不意にメロヴィスはピタリと動きを止めた。
「……?」
また何か私の勘違いだっただろうかと目を開けると、メロヴィスは私から身を離し、口元を手で覆ってそっぽを向いてしまった。
「ごめん。そんなに震えないでくれ。怖がらせる気は無かったんだ」
「え……?」
見上げて首を傾げると、メロヴィスは口元から手を離して小さく笑った。
「明日、十時に城の中庭で待ってる。私が傷心に付け込んでいるのは認めるけど、酒の勢いは嫌だから」
そう言って、彼は壁際から離れた。
「帰ろう、リダ」
何事も無かったかのように歩き出す彼の背を追ったものの、視界はまた、涙で滲んだ。