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たんぽぽ日和・2

*   *   *


 賑わいを見せる酒場の奥の席。グラスに注がれた赤ワインをぼんやりと眺めていると、約束の時間よりも五分ほど早くメロヴィスが姿を現した。


「すまない、待ったか?」


 時間を過ぎたわけでもないのに、メロヴィスは申し訳無さそうに言った。私は笑って、首を横に振る。


「いや。こちらこそ、突然付き合わせてすまない」


「気にしないで。でも……初めてだよな、リダとこうやって酒を飲むなんて」


「そうだな」


 メロヴィスは店員を呼び止めてビールを注文すると、椅子に腰かけた。


「ヴェネス、怒ってた?」


 尋ねると、メロヴィスは苦笑を浮かべた。


「中庭で夕涼みしていたライムを見つけて、尻尾振って飛んでったよ」


「あいつも頑張るな」


「どうも本気で惚れてるらしい。それに、もうすぐ三年になるからな……」


 メロヴィスは呟くように吐き出すと、悲しそうに目を伏せた。


「クレスは無事なんだろうか……」


 周囲の活気に揺らめく赤ワインの水面に視線を落とし、私はそっと目を閉じた。


「そうだな……。一人で戦っているクレスを差し置いて、するべきことでもなかったかもしれない」


「やっぱり何かあったんだ?」


 運ばれてきたビールに口を付け、メロヴィスが視線を上げた。私は頷き、ワインを口に含んだ。


「テイルに振られた」


「ぶっ!?」


 途端にメロヴィスがビールを噴き出し、盛大にむせ込んだ。ほら、メロヴィスですらこの反応だ。彼は慌てたように口元を拭うと、目を白黒させた。


「うわっ、すまない。あの、でも、えぇっと――それ、本当なのか?」


「あぁ」


 するとメロヴィスが「そんな馬鹿な」と呟いて、何かを考え込むように右手で額を押さえた。それから、ビールを置いて私に向き直る。


「すまない。この場に誘われた以上は、色々聞いていいものだと思っていいんだな?」


 黙って頷くと、メロヴィスは言葉を選ぶように口元に指を当てた。


「単刀直入で悪いが……告白したのか?」


「あぁ」


「テイルは何て?」


「『有り得ない』って」


「有り得ない!?」


 上擦った声を漏らしたメロヴィスに、私は頷いた。


「ローグ城に来てからほとんどの時間を彼と過ごしていたし、楽しかった。レイグと重ねるのではなく、一人の男としてテイルを見る自信があった。二人で夜中に星を眺めに出かけるのも好きだったし、月明かりの下で他愛もない話をしながらあいつが笑ったりすると、まぁ、ドキドキしたりもした。だから――……」


 知らず声が震えて、私は言葉を止めてワインを一気に煽った。店員にお代わりを要求してから、溜め息をつく。


「でもそうやって舞い上がっていたのは私だけだったらしい。私に対して恋愛感情を抱くなんていうことは、彼にとって有り得ないことなんだそうだ。『勘違いさせたならすみません』とトドメまで刺された」


 困ったような顔をして、しかし淡々とそう言ったテイルを思い出し、私は思わずガンッと音を立てて空のグラスをテーブルに叩き付けた。


「だが、だったら何のつもりで私とあんな風に接していたんだ。レイグに対する負い目か? 私への同情か? あぁ、もう腹が立って仕方無い! 有り得ないって何だ!?」


「リ、リダ……落ち着け」


 びっくりした様子のメロヴィスが、慌てたように私を諌めた。私は運ばれてきた二杯目のワインを煽り、理不尽とわかっていながらもメロヴィスを睨んだ。


「メロヴィス、普通、何の気も無い女を夜中に連れ出すか?」


「いや、それは無いな。というか、確かテイルは氣術で人の心がわかるんだろう? リダにそこまでの思いをさせるまで放っておくなんて、あんまりだと思うんだが……」


 眉を寄せたメロヴィスに、私は首を横に振る。


「自分の心が相手に筒抜けって、気持ち悪いだろう?」


「え……まぁ、そうだな」


「テイルは、無闇やたらに氣術を使わない。あいつが氣術で心を読むのは、周囲に警戒するべき敵意がある時だけだ」


「なるほど。……だとしたら、あいつは天然タラシか」


 メロヴィスは唸るように呟いて、喉へビールを流した。


「しかし……そうか、リダが告白か。何だか意外だ」


「恋愛なんて興味無さそうに見えるって言うんだろ?」


「まぁね。でも――」


 メロヴィスは一旦言葉を切り、少し考えるような仕草をしてから、淡く微笑んだ。


「そういうリダも、私は好きだけどね」


「冗談。ライムのように愛嬌があるわけでもなし、ローグの兵士達には鬼人扱いされてるし」


 テイルにもよく言われる。私は目付きが怖いらしい。


 メロヴィスはおかしそうに笑った。


「リダは自分にも他人にも厳し過ぎるくらい厳しいからね。普通の感覚じゃ、それなりに怖くも見えるんだろう。でも、例の三人組はそうでもないじゃないか」


「アデル達か……。どんなに叩き伏せても食い付いてくるから、あの三人は面白いんだ」


「彼らが単なる向上心だけで、親衛隊と呼ばれるほどリダにくっ付き回っているとは思わないけどね」


「?」


 首を傾げると、メロヴィスは「とにかく」と話を切った。


「別にリダが無闇に他者に嫌われるような人間じゃないってこと。だから自分の何が駄目だったとか、そういうのは悩まなくていいと思う。人に好かれる努力は大切だけど、素の自分を隠してまでそうすることは苦痛にしかならないからね」


「そう……」


 メロヴィスの優しい慰めは、苦々しい疼きを胸の内に残していった。レイグのことが無ければなどとは思いたくないが、多分、そういうことなのだろう。


 三年前、テイルは私のことを愛せないと言った。私の気持ちを知った上であれだけはっきり突き離しておきながら、彼は命懸けで私を救ってくれた。私が今ここにいられるのは、アローニェの攻撃で瀕死の状態だった私に、テイルが自らの命を削って氣術を施してくれたおかげだ。あの時、氣術に使う余剰分の生命エネルギーなんて、彼にも残されていなかったはずなのに――……。


「私が好いているのを知りながら、興味も無いのに距離を詰めてくるなんて最低だ」


 ブチブチ言いながら、グラスの底に残っていたワインを一気に飲み干した。


「まぁそういうわけだから、自棄酒に付き合ってくれ」


「構わないが、あまり飲み過ぎるなよ?」


 メロヴィスが苦笑した時、店の中央の方で小さな悲鳴が上がった。


「何だ?」


 不審に思って顔を向けると、中年の男が若い女の手を捉えており、女の方は怯えた表情でその手を振り解こうとしているようだった。


「ご、ごめんなさい……! わざとじゃないんです」


「弁償できないんなら、身体で払ってもらうしかないだろう。大体、ミドール人がここにいられるのは誰のおかげだと思ってるんだ? 俺達が命懸けで特殊生体を退治して、おまえらを保護してやったおかげだろうが」


 女がぶつかって零したのか、それなりに高価そうな男の服がワインで赤く汚れていた。周りの客は女に憐みの視線を向けたり顔を引き攣らせたりしていたが、割って入ろうとする者はいなかった。ローグの権力者か何かだろうか。


 持ち前の正義感からか立ち上がりかけたメロヴィスを制して、私は中年の男に声をかけた。


「すみません。彼女を離してあげて頂けませんか?」


 割り込んできた女の声に苛立ったのか、男が「あ?」と不機嫌そうにこちらを向いた。私の姿を見つけるなり、彼は小馬鹿にしたように鼻を鳴らす。


「誰かと思ったら、主君を見捨てて自分だけ生き延びた騎士様か」


 その台詞に、私の後ろにいたメロヴィスが怒りの感情を滲ませたのがわかった。事実なのは間違い無いし、もしここで彼をぶちのめしてしまっては、ローグに保護されているミドール人の立場が危うくなりそうだ。……何より面白くない。


「とにかく彼女を離してあげてください。私が彼女に代わってお詫びさせて頂きます。本当に申し訳ありませんでした」


「この服はあんたみたいなクズに払えるような額じゃないんだよ。それとも何か? あんたが身体で払ってくれるのか?」


 下卑た表情を浮かべた男に、私はニコリと笑って見せた。


「えぇ。……でもその前に、私と勝負しませんか?」


 私は絡まれていた若い女をさりげなくメロヴィスの方へ逃がし、男の隣の席に腰かけた。


「見たところ、お強いんでしょう? 飲み比べをして私が勝ったら、ここの酒代を支払って、今夜のことは不問にしてください」


 男の顔を覗き込み、私は誘うように首を傾げた。


「私が負けたら、一晩私を好きにして頂いて構いませんから」


「何で俺がわざわざそんなこと――」


 拒否しようとした男の耳に、私はすかさず身を乗り出して、そっと囁く。


「私、酔ってた方が感じるんです。それとも……自信が無いですか?」


「はっ。後悔するなよ?」


 ……ちょろいものだ。


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