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ノスタルジスト  作者: 黒檀
第一章
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4 水晶と炎の獅子(2)

「ほら。読んでみろよ」


 ブロックさんは、付きつけるようにして地図を渡してきた。

 そこに書いてあったのは、アルビオン政府の樹立記念演説の冒頭部分だ。

 彼の字は、筆記術によって矯正された字だった。筆記術は、悪意ある筆跡分析に対抗するための策だ。筆記術をマスターし、ある形式的な文字を書くことで、個性(つまり個人情報)を混乱させるのだ。

 彼のことをちらっと見あげると、「早くしろ」とでもいいたげな表情をしていた。そのことは、僕を惑わすため、あるいは貶めるためなど、「読ませない」意図でこの文字を使ったのではない、というあかしだ。そうではなくて、彼が自分でそうしようと思う前に、この書き方を身に付けさせられた可能性が高かった。(だとすれば、汚い言葉遣いをして下品ぶっているこの人は、実はいいところのお坊ちゃんであるとしか考えられない。絶対にそうだ。)

 そして、これが幼いころに身につけたものなのだとしたら、どんなに無個性にしたと思っても、わずかに癖が出ているはずだ。たしかに、文字列に特徴的な歪みはない。でも、彼の場合、ある母音の形状のはらいがわずかに上ずっている。あと、ある文字とある文字の隙間が、微妙に狭まるところがある。注意深く見て行けば、ところどころ基準からずれている箇所が見つかる。その「閾値」を観察することが必要だった。

 父さんが僕にこの技術を教えてくれたのは、筆跡分析が弾劾されたあとのことだ。だから、筆跡分析の対策として取りざたされるようになった筆記術、それよって均質化された文字の読み解き方も教えてくれた。そのことは、今思えば明らかに違法だったのだ。ただの筆跡分析ならともかく。封印された文書を許可なく開き見ること、情報ネットワークの防壁の中へ不正に侵入すること、その方法を体系化して広めること。それらと変わらない違法性があるのかもしれない。分析結果が正しかろうが、間違えていようが。

 父さんがその技術をどんなことに使ったかは知れない。でも、僕に対しては、「発掘屋になりたいのなら、見えないものを見る必要がある」と言って教えてくれたのだった。あのときはその意味がわからなかったけど、今はわかる気がする。残された文字から、もう会うことのできない失われてしまった人の失われた言葉について、僕は「今・ここ」に居ながらにして知ることができるかもしれない、と。

「……ブロックさんのご出身はケルズ島で、親や召使など、幼いころからの身近な存在のなかに、アーソナ大陸出身のひとがいる。ご家庭は裕福。成功経験が多く、たぶん、一番を取られることが多かった。性格は一言でいえばストイック。人を惹きつける魅力がありますが、人を見限るのが早く、冷淡。それから、時間意識が強い。教養レベルはかなり高く、非言語にも強い。健康状態はきわめて良好、今の気分は……懐疑的」

 言い終えて、おそるおそるブロックさんを見上げる。彼は口元に手を当てて、眉根に皺を作っている。どうも納得していない。外したのだろうか。

 彼は、しばらく考え込んだ後、ようやく口を開いた。

「それ、俺と対面してんだから、当然そこからも推測もしてんだろ?」

「あの……。ハイ、そうです」僕は白状した。

「身近に大陸のひとがいるって、……いるに決まってんだろ。島と大陸は近いし、人口比考えりゃそうなるだろ。まあ、ケルズを当てたのは褒めてやるけど。……どうだ、走ってくるか?」

「えっ、それ冗談じゃなかったんですか」

 不満そうなブロックさんに、ライジャさんが快活に言う。

「だいたい当たってるんじゃないのか? お前は時間に厳しい。とても厳しい。時間を奪うと、金に換算して請求されそうな勢いだ」

「当たり前だろ。俺の時間を無益に奪うことは、殺人に等しい重罪だ。そのへん、解ってない奴が多すぎる」

「ほらな」

 と、ライジャさんは笑って見せる。僕もようやく、頬の肉がゆるんできた。

「なんだよ、俺のこと好き勝手言いやがって。ライジャ、お前も丸裸にしてもらえよ」

「いや……俺はいい」

「デカい図体してビビりだな、お前って奴は」

「あの、それで、入寮の件は……?」

 言い出さないと、目的を忘れられている気がした。

「構わない。俺ははじめから許可するつもりだった。マリー嬢の推薦だからな」

 僕とライジャさんは、そろってブロックさんを見た。その時、あなた次第なんです、という思いを込めて見上げた。それに動かされたわけではないんだろうけど、彼はわずかに頷いた。

「約束通り、芸を見せたからには許可してやる。でも勘違いすんなよ、お前がマルセルに落ちようが受かろうが、一年後には査定だ。その時になんも成果がなかったら追い出すからな。役立たずもグズもいらねーから」

 やっぱりひどい言いようだ。でも、純粋にうれしかった。だから、うまいお礼の言葉が見つからないでいた。するとブロックさんは僕を見下げて言う。

「返事」

「はい! ありがとうございます! よろしくおねがいします」 

「それからライジャ。お前は寮生に報告だ。不満が出たら俺にまわせ」

 ブロックさんは、言うだけ言って、さっさと中に戻っていってしまった。そんな彼を、僕はぼっとして見送っていた。ライジャさんが、ぽん、と一回僕の背中を叩いた。

「気にするなよ。あいつの言葉を真に受けてたら、身が持たん。もうちょっとマシな言い方ができんもんか……」

 彼はほとほと困った口調で言った。ブロックさんのあの調子では、ライジャさんがフォローに回ってあげているような気がしないでもない。

 それからライジャさんは、言った。

「冷淡、ていうのは、外れだぞ。あいつは実は面倒見がいい」

 仲がよさそう、という第一印象はあながち間違っていなかったんだろう。

 僕だってむろん、分析結果、とくに性格の部分は信用していない。人はいろんな面を持っているって、なんとなくわかるからだ。


 

 ライジャさんは、僕を後ろに従えて戸を押した。ぎぎぎ、という今にも壊れそうな音をたてる。両開きの扉を一緒に押しながら、僕はふと疑問に思った。

「あの、これは他意のない疑問なんですが、寮ってお金を払えば入れるのではないのですか?」

「金払って住むだけなら、ほかの家貸し屋と何も変わらんだろう」

「あ、そうか」

「どこの寮も、優秀なやつが欲しい。というのも、リヤンには寮対抗のイベントがあるからなんだよ」

「寮対抗、イベント?」

「そうだ。体育祭だったり、文化祭だったり。特にマルセル学園グループは、いわゆる政府の指定する『教育機関』、『学校』じゃないから、公式では学校行事ってのが無いんだな。だから、ほかの学校の寮を巻き込んでお祭り騒ぎをするってわけだ。すごいぞ、会場を貸し切って客呼んで」

 ライジャさんはとても楽しそうにいった。

 開け放った扉の内側には、吹き抜けの巨大なホールが待ち受けていた。エントランスホールは、石の床に、直にどでかいソファーが何脚も置いてあった。そこにもたれ掛って談笑している人たちもいる。ライジャさんは、そんな彼らとにこやかにあいさつを交わした。

 僕は頭上を見上げる。

 外から見ただけだと、長方形のどっしりした普通の建物のようだったけど、内部は、最上階以外はドーナツのように中心部分が全部(無駄に)吹き抜けだった。圧倒的な開放感。部屋は、東、南、西の三辺に展開している。すべて外壁に添っているので、全室に窓があるということだ。外見とはうらはらに、収容人数が少なそうだった。部屋の前の共用通路部分はテラスのようになっていて、このエントランスホールが見下ろせる。今もこうして、手すりに寄りかかっている住人を、ここから見上げることができる。

 採光の窓がなく暗いけれど、落ち着いたオレンジの灯や機械蝋燭がいろんなところに配置されているので、おどろおどろしくはない。ちょっとエレガントですらあった。

「エントランスホールは、パーティーホールとして使うこともある。ほら、二又階段もあるしな。寮間交流会、楽しいぞ。特に、マルセル学園白百合女子寮とは兄妹寮なんだ。年二回の交流会がある。まあ、そういう間柄だから、寮の幹部は互いの寮に相応しい学生を推すことができる」

「それって、」

 彼は頷いた。

「そうだ。マリー嬢が君をうちに推薦したようにな。推薦制度と呼ばれている」

「じゃ、それってとても重大なことだったんじゃ……。マリーは、僕なんかを推薦してよかったのだろうか」

 ライジャさんは苦い顔をした。

「いや、だからな、その、なんだ。……『マリー』、という呼び方はどうにかならんか?」

「……ひょっとして、なれなれしい?」

 そんなことはない、彼女はそんなことを気にしない、気さくな女性だ、と激しいフォローを入れるライジャさん。

「……心臓に悪いんだ。せめて、『様』か『嬢』か『姫』をつけてくれ」

 恩人なんだけど、いい人なんだけど、このときばかりは、何言ってんだこのひとは、と思ってしまった。でも、聞かなくてもわかった。ライジャさんは大まじめだった。

「マリー様はあなたにとっていったい何者なんですか……」 

 マリー曰く「友人」だけど、それにしてはライジャさんのほうで距離をとりすぎている。僕ももう少し大きくなったら、寮長の微妙な心情を理解できるようになるのだろうか。

 ライジャさんは、二又階段を無視して、北側の壁に向かって進んで行っていた。どうやら、北側の壁の向こうには別棟があるらしい。

「ライジャさん、聞いてもかまいませんか」

「なんだ?」

「寮間で体育祭や文化祭があるというお話でしたが、リヤンにはほかに有名な寮はありますか?」

 彼は思案顔で首をひねる。

「男子の運動系最大手はリヤン高等学校第一男子寮。スポーツ第一の学校だ。年齢の幅が狭いのが弱点ではあるが。ツラで言えば、タレント排出率最強のマルセル学園AG男子寮。頭脳で言えば州立リヤン研究大学校付属男子寮。さすがはエリート、全てにおいてバランスがいい。芸術でいえばロムルレムス・クリエーターズ・スクール男子寮。教養もあれば勝負ごとにも強い。こんなところか?」

「なるほど。思っていたよりもたくさんの学校があるんですね。マルセル学園グループだけでも、たくさんあるし。……それから、あと、もう一つ聞いてもいいですか」

「なんだ?」

「この寮の寮間交流大会の成績は、どのような、アレなんですか?」

 ブロックさんのあのいいようだ。ひょっとすれば、総合一位の常連かもしれない。しかし、ライジャさんは気まずそうな表情で頬を掻いた。

「それがな、」

 彼は言葉を詰まらせた。

「……万年運営だ」






続きます。

挿入形式で更新していきます

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