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ノスタルジスト  作者: 黒檀
第一章
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0 眠る死体、あるいはフレデリック・デ・ラルジュの話

 






 フレデリック・デ・ラルジュが新しい職に就き、一年が経った。


 半年前、13歳になる娘の私立学校の合格という幸せと、48歳になる自分の会社の倒産という不幸がいっぺんにやってきた。当面は貯金と保険でしのげるものの、未来の金はわからない。フレデリックは、明日から通う場所がないことへの混乱がおさまらないままに、新たに動き出さねばならなかった。業界の景気は悪く、積み上げてきたものを生かそうにも、どこの会社にもイエスの返事はもらえなかった。彼は途方に暮れたが、えり好みはやめた。すると、意外なほどあっさり採用された。


 ながいことデスクワークをしてきて、歳も歳で体力に自信がないにもかかわらず、工事現場へ赴くことになった。世界は空前絶後の開発ブームに沸いていた。喉から手が出るほど働き手が欲しい情勢に、うまく潜り込むことができたのだった。賃金も悪くなかった。しかし、忙しかった。フレデリックは、熟読していた新聞も流し読みをするようになった。

 多くの人間が都市に集まり続ける一方、老人や低所得者は周縁部に取り残された。行政は、この二極に平等なサービスを提供するのが難しいと判断し、周縁部でも限界集落を放棄させるようさまざまな補助政策を打ち出して移住を促しているそうだ。ハード面では、都市の地理的な拡大に力を入れている。同時に、都市間の交通も強化するとのこと。地下を利用し、星の裏側まで数分で移動できる乗り物を政府は開発中という話だ。サーマス大陸、特に政府の本拠があるハートランドがモデルケースとなり、フレデリックの住むアーソナ大陸もそれに続く。フレデリックの今の業界が活発になっている所以だ。

 経歴と歳を考慮してくれたのか、彼の役割は主にスケジュール管理と指揮ではあった。が、実際はそれだけで済むこともなかった。初めの数箇月はひどいものだった。多数の業者が入り乱れる現場で、それぞれの調整に手を焼いた。今までこんなこと何度もやってきたろうと自分を奮わせても、この業界の体質とそこに身を置く人間とこれまでの経験とがほとんど噛み合わなかった。まるで右も左もわからない若者にでもなった気分だった。失敗をやらかし、進行を遅らせた。自分よりも若い人間に何度も怒鳴られては頭を下げた。それでも、今までの数十年にあった出来事にくらべれば、耐えられた。しかし、あとがない自分はともかく、彼と同じく大量採用された仲間のほとんどはいつのまにか消えていった。

 

 不安な状況はそう長く続かなかった。この生活にもようやく慣れ、仕事あがりの朝食を上司におごってもらうようになった。チームの若い作業員は、以前の仕事の話を面白がって聞きたがる。役に立つことを、時間外に教えてくれる熟練の作業員。

 そして彼自身は、誰よりも早く現場に着き、現場のチェックを始める。これが、彼がこの職に就いてから一年も経ったころの状況だ。

 

 彼はいつものように、敷地内の見回りをしていた。図面を開き、頭の中に叩き込んであるスケジュールと照らし合わせた。新時代的な集住施設の地下に、エネルギー精製装置を取り付ける段階だ。

 昨日の雨のせいだ。彼はうっかり仮設階段で足をすべらせた。足元にはぽっかりと深い地下へ続く穴が開いている。彼は土の壁に手を伸ばした。土は柔らかく、手の筋を残して崩れ去るばかりだった。

 鈍い音を立てて彼は地面に打ち付けられた。どうやらまだ生きているし、体には怪我一つない。見上げれば、自分が踏み外した段から数メートルと離れていなかった。それも幸いだったのだろう。彼は安堵のため息とともに、どっさりと倒れ込んだ。心臓が鳴っている。大開きにした自分の手の指先を見る。泥にまみれている。握り拳を作る。動く。彼は生きていることを実感した。

 が、一気に血の気のひくものを見る。限界かと思っていた心臓が、より強く緊張で震えた。


 拳の視野の奥、白い茸のようなものが芽吹いている。茸などではないのは、直感的にわかった。

 彼は四つん這いで柔らかい土を張って、白い物体に近づいた。それが何なのか確信した時、胃の腑が飛び上がる心地がした。


 土地買いの話を盗み聞いたことを思い出す。この土地は、文化保護で存在感を増し始めた新興の財団が買い手になったと言っていた。

「いわくつきの土地なんだよ。地主コロッコロ変わるし。調査でさ、過去の地主にいろいろあったのがわかったんだよね。首落とし(彼の勤め先では、土地を買い入れることを『首を落とす』と言うらしかった)の都合いい殺し文句にはなったんだけど、まさかそれがすぐ売れるとはなあ。盛者必衰とかの前に、この財団消えるっしょ」

 悪魔でも出るんじゃねえの。(フレデリックにとっての)ホワイトカラーは、そう言って笑った。


 フレデリックは叫びを抑えようと手の甲を噛んだ。それは人間の指だった。白く細く、まるで少女のようなそれは、焦げ茶色の土から生えている。

 まだ生きているかもしれない、彼は必死でその指のまわりを掘り返した。だんだん顕になるのは、指とまったく変わらぬ白さを維持した若い肌だ。腕、肩、胸、そして、顔。彼は息をのんだ。自分の娘とそう変わらないであろう歳ほどの少女が、眠るようにして横たわっていたのだ。

 蕾のような唇は桃色で麗しく、長いまつげは繊細なカーブを描いている。ささやかなふくらみの頬は、まるで妻が焼く白パンのようだ。ただ奇妙なことに、少女の髪は老婆のように真っ白であった。毛先が見えぬほど長く伸び、土に埋まっている。

 震える手でその肌に触れると、慄くほどの冷たさだった。彼はおそるおそる口元に耳を寄せた。数秒間そうしてたが、吐息は一切聞こえてこない。少しのためらいの後、左胸よりの中央にも耳をあてた。拍動の音は聞こえない。考えるのも恐ろしいが、死んでそれほどたっていないのか? 死体など、まじまじと見たことはない。


 どれほどの時間をそうしていたか知れない。同僚の呼びかけの声と肩をゆすられた衝撃で、ようやく我に返った。それからは、警察を呼び、質問を受け、会社にも呼び出され、めまぐるしく時を過ごした。あの少女の死体に対面することは二度とないだろうと思った。




 彼の発見は、変化中の世界をさかしまに変化させた。

 少女の遺体は、どうやらとんでもない秘密と謎を抱えていたらしい。現代のあらゆる情報を総動員しても、彼女の正体はわからずじまいだ。

 しかし、わかったことがある。この星の知られざる地下には、何か謎めいたものが埋まっているらしいのだ。

 その結果、アーソナ大陸においては、開発に対する厳しい規制と調査が強制された。おかげで、この大陸での都市開発は勢いを失い、都市の機能面では、サーマス大陸どころかその他の大陸にも遅れをとった。

 一方、化学的知識と歴史文化の素養、土を掘り返す技術力などを備えた、「発掘屋」と呼ばれる新たな職人たちが脚光を浴び始めた。彼らは、星を掘り返して出てきたものを世に放ち、その成果によって名声を得る。この流れに乗っかったフレデリック・デ・ラルジュは二度目の転職を果たし、「眠り姫」との再会をも果たした。


 この少女の死体の発見に端を発し、『財団』が先導したここ百年の独立した歴史は、後世において「発掘の世紀」と呼ばれている。

 はじめ、地下や地上の史的に価値ある遺物探しをする硬派な発掘屋と、大衆向けのモノを拾って金を稼ぐ軟派な発掘屋は区別されていた。後者は特に、モノ集め屋であることを揶揄して「コレクター」と呼ばれていた。しかし、「発掘の世紀」という言葉が使われ始めたころには、何の含みもなく、発掘屋はコレクターとも呼ばれた。


 眠る少女の遺体は「眠り姫スリーピングビューティー」と名づけられ、この町の博覧施設で深い眠りについてる。そのキャプションには、発見者としてフレデリック・デ・ラルジュの名が確かに刻まれている。

  

 不朽の死体を生んだオーバーテクノロジーは、未来に属するものではなく、失われた過去のものだと、『旧世界』への道しるべだと、そう語られるのだった。






◆◇◆





 それからたくさんの時が流れた「今」。

 フレデリック・デ・ラルジュの伝記本は、ユリゼン大陸の砂漠のそばの小さな町・コンドマでは、トキツグ・ラッツェル少年の手元にあった。

 

 このとき、百年前に中断した開発は本格化していた。アーソナ大陸も含めて、「発掘の世紀」と呼ばれた停滞期を脱することになる。

 そんな時代に、フレデリックと「眠り姫」をテーマに本を作る連中は酔狂なものだが、そんな本に魅せられてしまったトキツグは不運だった。彼はその本を何度も見た。特に、制作に協賛・出資した『マルセル財団』、その名を忘れることはなかった。

 このマルセル財団こそが、当時眠り姫の発掘現場を買い取った「文化保護で存在感を増し始めた“新興の”財団」だった。悪魔に憑かれることもなく、今も存在している。それどころか、その意思決定は世界中から注目され、甚大な影響力と権力を有した“百年”組織に化けているのだった。
















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