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ノスタルジスト  作者: 黒檀
略述
1/36

百年の孤独(1)

ご注意


・男の子ばかり出ます。

・今のところ、お話の続きは、最新話としてではなく挿入で更新します。

・実在するものとの関係はありません。また、背景ある言葉(姓名含む)を、レトリック、演出として本作独自の意味、あるいは意味を持たせずに用いることがあります。現実での語源・象徴を無視してお読みください。なるたけ現実の言葉を使い、造語は極力避けるつもりです。

・「備忘録」パートは読まなくても大丈夫です。ちょっとよくわからなくなりましたら、どうぞご覧ください

・誤字脱字、矛盾等ありましたら申し訳ありません。適宜改訂します。お気軽にご指摘ください。

 





 母親の葬式は、霧雨の降る日に執り行われた。コンドマの町は、水蒸気と砂埃で一日中不快にけぶっていた。

 僕は久しぶりに工場のアルバイトを休んだ。


 自殺だった。

 スモーキンタウン医師(せんせい)は、サキョウさんは病の苦しみに耐えかねたんだ、許してやってくれ、と慰める。僕らきょうだいは、とにかくその言葉を受け取るしかなかった。彼は、子どもたちをを慰めなければならないと思いつめていたようだったので。

 実際、僕らは見捨てられたようなもので、母親は母親としての責任を全うしないまま逃げたのだと言ってよかった。10歳の僕と、4歳のアンナを育てる責任は、軍学校を出て軍施設で働いていた姉にのしかかった。スモーキンタウン医師は、アンナちゃんは私が育てよう、と申し出てくれたけど、姉さんは首を縦に振らなかった。母親に似たのか、アンナは病がちで、ときどき幻覚の発作を起こす子だった。それを承知している先生だからこそ、アンナを「押しつける」なんてことはできない。たぶん姉さんはそう思った。


 誰にともなく宛てた遺書には、たった一つ、遺体は火葬にしてほしいという願いが記されていた。灰は、父さんと同じように、砂漠に捲いてほしいとのことだ。


 父さんは、5年前に家を出て、3年前に骨になって我が家に帰ってきた。送り主は、アーソナ大陸に住む父さんの両親だった。一度も顔を合わせたことのない祖父母だ。父さんに家族がいたことには驚いた。父さんは、「両親は死んだ」といっていたのだから。

 父さんは、ここユリゼン大陸の生まれではない。アーソナ大陸のストランド出身のジャーナリストだったと記憶している。ユリゼン大陸の砂漠調査に訪れたときに、その自然に魅了されたと言っていた。そのくせ、突然家を飛び出してしまったし、果ては死んで帰ってくるなんてどうかしてる。でも、本能の赴くままに好きに生きた人生だったんだ、かわいそうだとは思わなかった。代償として、家族や平穏、社会的な何か、そして命といった、大きなものを失ったんだとしても。彼の生き様は心底うらやましかった。この大陸の外へ、身一つで飛び出していける無責任さが羨ましかった。

 亡骸を砂漠にまく、というのは僕の提案だ。墓土地を買う経済的な余裕がなかったというのもあるけれど、面影を語らない粉を見て、これが本当にその人だったものだとは思えなかった。仮にこれが本当に父さんだとして、彼は綿毛のように移ろう人だったから、墓という錨で一つのところに縛り付けてしまうのは何か間違えている気がした。だったらせめて、彼が愛した、人を拒絶するユリゼンの広大な砂漠に放ってやるのがいいように思えた。母親の遺言を読んで、それが正解だったとあらためて思う。


 ただ、ひとつところにとどまり続けた母親が、父さんと同じ死後の旅を求めていたのは意外だった。わがまま一つ言わない人だった。最期の願いくらい、叶えてやろうというのが僕らの答えだ。

 僕と姉さんは、グレートバルモア砂漠へ行って母親の旅立ちを見届けることにした。砂漠までは、姉さんの(長い)恋人であるジャームッシュが送ってくれた。彼は気を遣って車で待っていてくれるので、僕らきょうだいは二人きりで砂漠の奥へと進んだ。

 母親の灰は、砂の混じった風に飛ばされて、ものの数秒で所在がわからなくなった。父さんと再会することは、できたのだろうか。


「姉さん。姉さんへの遺書にはなんて書いてあったの」


 砂埃が吹き上げるなかで、姉さんを見上げて尋ねた。母親は、僕と姉さん、それぞれにも手紙を遺していた。

 姉さんは、厳しい横顔のまま、静かに口を開いた。


「……あんたには教えない。だからあんたも、あんたに向けられた言葉を私に話す必要はない」


 僕は正直、姉さんに聞いてほしかった。母親は、手紙の中で自分の死について弁明していた。自分が生きていることで、僕や姉さんの人生を縛ることになる。二人の人生における時間やお金を、自分の世話のために使ってほしくない。「自由に生きてくれ、トキツグは何者にでもなれる。」そう書いてあった。僕は僕の夢に貪欲になっても構わない言い訳を手に入れたように思えたし、姉さんにもそれを認めてもらいたかった。



 姉さんの名前は、レイ・ウリュウ・ラッツェルという。

 ラッツェルが姓で、ウリュウがミドルネーム、レイがファーストネームだ。ミドルネームは、何らかの意味を持っていることがある。姉さんの場合、母方の一族、ウリュウ一族からきている。ウリュウ一族は、果てしなく遠い昔に水に沈んだオホミタカラの離散民族にルーツがあるらしかった。オホミタカラは、ルヴァ大陸南東端に位置していた小さな島だ。今でもその一部を見ることができるらしい。

 長いこと閉鎖的なコミュニティを築いていた彼らは、近親婚を繰り返していたという。そのせいかどうかは知らないけれど、母親は生まれつき病弱だった。ウリュウ一族が、他の大陸からユリゼン大陸に移住してきたのは、百年以上前のことだ。(正確な記録なんて残っちゃいないけど、母親は入植してからの「六代目」を自称していたのだから、それくらいなんだろう。)『発掘の世紀』以前の世界的な都市化計画の際に、「打ち捨てられた大陸」と呼ばれていたユリゼン大陸へは、多くの開拓者がやってきていた。ウリュウ一族もまた、遅れてやってきた開拓者だった。最終的には、『発掘の世紀』に沸いてアーソナ大陸が歩みを止めている間に、ユリゼン大陸はようやく現代技術の恩恵をかろうじて受けるまでになった。

 母親は、父さんと家族の契りを交わすことでウリュウの名を捨てたけど、姉さんの名前として遺した。それがよくわからなかった。母さんが自分の血について、どう思っていたかは今となっては知ることはできない。ただ、そのことは、姉さんが僕とは比べものにならない重みを背負わされている証にほかならなかった。今はもう、民族や人種といった、政略的に失われた(つまり、事実上未だ存在している)概念を語ることは時代遅れのナンセンスでしかないし、神話のように遠い過去に生じたディアスポラの形而上的な血脈を守ることに砂粒ほどの価値がないとしても、なお。

 


 だから、自分が受け取った手紙の内容について話したかったし、姉さんの手紙の内容を知りたかった。姉さんの手紙には、僕とはまったく違うことが書かれているのだろう。

 黙りこんでいる僕に苛立ったように、姉さんは早口で言う。


「トキツグ。もう帰ろう。ジムが待ってる」


 返事も待たずに歩いていってしまった。姉さんは人が変わったようだった。でも、それは僕も同じだ。


 車では、ジャームッシュが沈痛な面持ちで待ち受けていた。彼は他人に対して深い共感を覚える人で、とても優しい人だ。彼はこの件が起きてから、ほとんどずっと姉さんのそばにいた。彼は文句や愚痴一つこぼさなくて、周りにいる人を心地よくさせるまったく素敵な人だ。

 彼が腕を広げると、姉さんは黙ってそのなかにおさまる。ジャームッシュは大きな手のひらで、姉さんの背中やら肩やらを優しくなでている。彼女の髪や、常にあらわな額だとかに鼻をすりつけ、まるで猫を愛撫しているようだ。後部座席に座った僕は、どうしたらいいのか、どこをみたらいいのかわからなくて下を向く。

 そのさまを、落ち込んでいると解釈したのだろう。ジャームッシュは僕にも手を伸ばして、姉さんと一緒くたにして抱き込んだ。兵士の体は逞しくて、ちょっとのことじゃびくともしない。やめてほしい、気持ち悪いと感じて冷め切っているかたわら、大きな体に安心してもいた。

 母さんにも父さんにも、親であることをやめてほしくなかった。もっと正確にいえば、親である前にただの人間であるということを、まだ見せつけないでほしかった。このとき初めて、「大人」がどうしてこの世に必要なのか、自分が納得できる答えを見つけることができた。

 それが正しいものなのだとしたら、僕は死ぬまで大人になんてなれないと思う。父さんが死ぬまで子どもだったように。母親がこんな選択をしたことで、僕はあらゆる責任から逃れたいし、あらゆる重みから逃げたいと思うようになっていた。そのためなら、誰を傷つけても僕の心が痛むことはないし、反対に、誰に棄てられてもかまわない。

 この願いは、何かを追い続けることで叶えられるのだろう。僕の場合、その「何か」とは、眠り姫のいた『旧世界』だった。ほんとうにあるかどうかは関係なくて、ただ追い続けること。土の下の、失われた時だけを思って生きること。無邪気で情熱的だった父が教えてくれた、たったひとつの幸せな生き方だ。そうでなければ、僕は母のように、この砂漠に一生縛り付けられたままだろう。死んでから初めて旅に出ることができるなんて、そんなばかな話があるか。


「愛しいレイ。可哀想なレイ。心配するな。僕がいるから」


 彼は僕と姉さんを解放して、やさしい微笑で言った。


「僕と一緒に暮らそう、レイ。みんな一緒に。トキツグも、アンナも一緒に。僕らは家族だ」

「ジム……ありがとう」


 姉さんは涙を流した。姉さんは愛することを知っている。


「ジャームッシュ、帰りに、ガタカ発掘所に寄ってほしいんだ」


 彼は嬉しそうにうなずく。


「もちろん、構わない」

「駄目」涙が止まらないままに、姉さんはジャームッシュを睨みつける。「アンナをスモーキンタウン先生に預けてるんだから。早く帰らなくちゃ」

「許してあげてくれ、レイ。トキツグは発掘所が好きなんだ。好きなものに癒されたり、休息が必要なんだよ」

「ジム。甘やかさないで」

「姉さん、ジャームッシュ。付き合ってくれなくていいよ。一人になりたいんだ。U・R(ユリゼンライン)で帰れるし、途中で降ろしてくれるだけでいい」

「……いいわ。でも、遅くならないで。あんたも明日からは学校でしょう」

「わかってる。ちゃんとする」

「よし、決まりだな。さあ、我が家へ帰ろう」


 ジャームッシュはエンジンをふかした。砂埃が舞い上がり、サキョウ・オリンピア・ラッツェルと、ナタナエル・ホフマン・ラッツェルの広大な墓場は、黄色の煙の向こうに消えた。















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