(4)
「んぁもう限界! あっちぃ!」
暑さも限界に達し、スカートで扇ぐ程度では満足いかなくなった柚希は再び勢い良く寝転んだ。
ゴロゴロと屋上の緑色の地面の上を転がったあげく、再び起き上がった柚希は制服のシャツのボタンに手をつけた。
北山学園の夏用制服は、薄いピンクに赤のスカーフリボンでセーラー服型。
このセーラー服は横チャックではなく、前に小さなボタンがついているのだ。制服のデザインは生徒の間でも賛否両論だったが、生憎柚希みたいなアニメ顔にはとてもよく似合う制服だった。
……誰もいねえよな?
柚希は横断歩道を渡る小学生のように慎重に左右を確認した。
右よーし! 左よーし! 人の気配……なーし!
無事、誰もいないことを確認すると一番上のボタンから外し始めた。
「誰もいねえんだ。ちょっとぐらい脱いだって平気だよな」
この暑苦しい女物の制服を脱げるかと思うと、それだけで心が踊るというもの。
「よし、今がチャーンス!」
柚希は無駄に気合入れる。
「なにがチャンスなんですか?」
「ふふふ、それはだな……」
自分しかいないはずの屋上から自分以外の声がし、
「…………え?」
柚希ははっとなって、思わず石化する。
い、今……後ろから声がしたよな? いやいやいや、さっき左右確認したはずだ。暑さの幻聴に違いねえ!
前後は確認していないわけだが、柚希はそう自分に言い聞かせた。
「俺はなにも聞いていない。そうだ、なにも聞こえなかった。よし!」
そして二番目のボタンに手をつけたところで、
「あのぅ……」
いきなり目の前に綺麗な顔が現れ、
「うわっ!」
柚希は勢いよく後ろに驚き倒れた。後頭部を思いっきり打ち、目の前に星が飛び散ったかと思ったら、次に自分を覗き込む陽菜の姿が現れる。
「ちょ、ちょ、ちょっ! いきなりなんなんだよ!」
後頭部を撫でながら起き上がると咄嗟に胸元を隠した。
「あ、ごめんなさいっ。お着替え中だった?」
「いやいや! んな、暑い所で着替える変態はいねえだろ!」
それでは自分を変態だと言っているのと同じである。
そそくさとボタンをつける柚希を眺めながら、右手を口元に添えて申し訳なさそうに立っている陽菜。反対の手には小さなバックが握られていた。おそらく弁当用のバックだろう。
「あのっ、お昼一緒に食べちゃ駄目ですか? 一緒に食べる子がいなくて……」
座っていいものか、やはり立ち去るべきなのか。迷いが表情に出ている陽菜は俯いたままで、まともに柚希の目を見れずにいる。
「ん? ああ、別に構わないけど」
柚希は腰を浮かせて横に少し移動した。陽菜は柚希と向かい合わせになるようにして座り込む。
「編入生、だっけ?」
「はいっ」
陽菜はお弁当の包みを開けながら返事する。
何か深い事情があるかもしれない、と柚希はそれ以上は突っ込んで訊かなかった。
編入早々、あんな揉め事起こしたら誰も寄りつかねえよな。
柚希は弁当の蓋を開けようとしている陽菜をチラチラ見ながらパンにかぶりつく。
そこには無言の空間が広がった。
鳥か何かの鳴き声が聞こえるが、そんなことはどうでもよかった。
き、気まずい……。
その空間に耐えられなくなった柚希は適当な話題を探した。
「あのさ、言いたくなかったら言わなくていいんだけど……なんであいつらに目つけられてんの?」
もっと明るい話題はなかったんだろうか。自分のボキャブラリィの無さを怨んだ。
しかし返事はすぐ返ってくる。
「私にもよく分からなくて……彼氏をとったとかなんとか言ってました。でも私、本当に知らないんです」
段々と声が小さくなり、最後にはしゅんとしてしまった陽菜を見て、柚希はこの話題を出したことに罪悪感を抱いた。
「そ、そっか。んまっ、人違いってこともあるかもしんねえしよ」
綺麗な顔立ちで男は腐るほど寄ってきそうだが……なんて思いながら、柚希は小さな口にご飯を運んでいる陽菜を一瞥する。
尻軽そうには見えねえもんなぁ。嘘言ってるようにも見えないし。
陽菜は食があまり進まないのか、箸を置いた。
いや、実は純情そうに見えてすげえビッチってことも考えられる。女ってなに食わぬ顔してこえー生き物だからな。おーこわ!
柚希は高校生とは思えぬ険しい顔をして陽菜をじっと見た。
「あ、あのっ、私も一つ聞いていいですか?」
「え!? あ、ああっ! どーぞどーぞ!」
浮かび上がった思案を一時強制終了させると、手元の牛乳パックを手にとった。口をつけ、勢いよく喉を鳴らして飲みだす。
既に生ぬるくなっている牛乳はさぞ不味いことだろう。それでも身長の為だ、と柚希は飲み続ける。
「なんで……」
陽菜は質問を言いかけて、間をあけた。
「?」
柚希は飲み続けながら陽菜を見る。
「なんで、そんなに男の子みたいなんですか?」
「ぶっっっっっ!」
口に含んだ牛乳はホースの先を摘んで発射される水のように、物凄い勢いで柚希の口から発射された。
色が色なだけにグロイ。発射寸前に顔を横に逸らし、陽菜に掛からず済んだことが幸いである。
「大丈夫ですか!?」
「だ、大丈夫……なんとか」
柚希はワイルドに口元の牛乳を腕で拭った。驚きのあまり肩で呼吸し、息切れしているように見える。
もしかしてバレて……!?
目の前の温和な笑顔が急に悪魔の笑顔に見えてきた柚希である。
「やだぁ。男の子みたいだなんてひどいよぅっ。そんなに男の子っぽいぃ?」
語尾を女の子口調にし、少女漫画顔負けのキラキラスマイルを向けてみるが今更である。
相手側からはさわやかな笑顔で、
「はいっ!」
即答で返事が返ってきた。
「とっても可愛いのに男言葉だったり、仕草だったり、そのギャップが凄くいいなぁって」
「あはは……ギャップか。さっきもクラスの子に似たようなこと言われたよ」
柚希は棒読みで言う。
「男らしい女の子ってかっこいいです」
陽菜は照れくさそうに、しかし笑顔で言う。
男らしい女の子……。
弓矢が一気に10本ほど胸を貫いた気分だった。体が一瞬ふらつき、目眩が襲う。
所詮は“男の子っぽい女の子”であって、男にはなりきれないのかと思うと柚希のショックはでかい。バレてはいけない、しかしバレないのも悲しいものである。
「お、男らしい女の子っておかしいかなぁっ?」
女口調で無意味な猿芝居を続ける柚希。
「いえっ、全然! むしろ私はそっちの方が……」
「そっちの方が?」
柚希が問うと陽菜は顔を真っ赤にして俯き、
「……す、好きです」
呟くように言う。
愛の告白を思わせるような言い方だ。その紅潮した頬が余計にそれらしく見せる。
呟くように言った台詞はしっかり柚希まで届いており、柚希は瞬きすら忘れて硬直していた。
「は、はい?」
金縛りにあったかのように硬くなった両手をスローモーションで動かし、自分の頬をパチンと叩く。
こいつマジで言ってんのか? (見た目は)女相手だぜ? なんなんだよ、その反応! もしやこれが属に言う“百合”なのか?
そんなことを考えながら柚希は必死に顔を取り繕う。
「あ、あはははは……そっか! あんたの前ではこのままでいようかしらぁ?」
なんて言いながらも、口調はしっかり女口調だ。
もう笑うしかねえだろ。どうリアクションとれっつーんだよ……。
痛々しいその作り笑顔は見るからに顔の筋肉が疲れそうである。
一方の陽菜は熟した林檎のように真っ赤な頬に愛らしい笑顔を浮かべていた。
まあ、悪い子じゃなさそうだけど。
そんな笑顔を見せられてはなにも言えない。
警戒心は必要かもしれない。しかし柚希にはあからさまに陽菜を避けることは出来そうになかった。陽菜の人の良さそうな笑みが柚希の良心を刺激する。
ほんっとーに俺が男だって疑ってねえよな?
そんな疑惑を残したまま、青空の下、二人は昼休みを過ごし終えたのだった。
予鈴のチャイムが鳴り出すと柚希は、よっこらせ、とオッサンくさい声を出して立ち上がり、大きなあくびをする。
「うーん。さーて、戻るとするか」
そして唸りながら背伸びした。同時に制服のシャツとスカートの間からへそが見える。
柚希は視線を感じ、陽菜を見ると、
「あ、いえ……そ、そうですね。戻りましょうっ」
あからさまに柚希から目を逸らし、今度は林檎どころか熟しきったトマトのような顔をしていた。さっきまでとは比べものにならない顔の色をしている。
最初は照れか何かだと思っていた柚希だったが、さすがに林檎色からトマト色に変わってしまっては違和感を抱かずにはいられない。
尋常じゃない顔の赤みを見て、
「おい、すっげー顔赤いけど大丈夫か? 熱でもあるんじゃねえのか? この暑さだからな」
目の前で屈み込んで陽菜の頬に手を添えた。
「あちっ! やっぱ熱あるんじゃねえの?」
案の定、頬は熱い。
「だだだ、だっ、大丈夫ですっ!」
陽菜は顔を左右に振って否定し、目をぎゅっと瞑った。
そんなに力んで言わなくても、と思った柚希だったがあえて突っ込まなかった。
「そーかぁ? ならいいけど。それじゃまたな」
柚希は再び立ち上がり、頭の後ろで手を組んで後頭部に添え、首のストレッチをしながら屋上の出入り口に向かう。
そんな柚希の後姿を見つめる陽菜は何か思い立ったように立ち上がり、
「あのっ!」
柚希を引き止めた。
「ん?」
陽菜の声に引き止められた柚希はゆっくり振り返る。振り返って、そういえば、と思い出した柚希は、
「あ。言い忘れたけど、俺は花月柚希。よろしく」
今更ながら自己紹介をした。
「わ、わ、わっ……!」
陽菜はさっきより大分赤みのひいた顔だったが落ち着きがなく、目が泳いでいる。
「ああ、あんたは朝日陽菜っつーんだろ? さっき教科書で見たぜ」
なんとなく陽菜が言おうとしていることに感づいていた柚希は代弁してやった。
陽菜は返事の変わりに微笑んで返す。
そして踵を返した柚希は歩きながら後ろで佇んでいる陽菜に手を振り、自分の教室に帰っていった。
その後、その場に陽菜がへたりこんだことなど知るよしもなく。




