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HOPE!  作者: NATSU
第一章 『女血一家の長男』
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(3)

「あの、だから、その……違うんです! 本当に、ちが……」

 静まり返った廊下に透き通った高い女の声が弱々しく響き渡った。今にも泣きそうな、いや泣いているかもしれない声。

「はぁ? 人の男とっておいてなんなワケ? いい加減にしなよ、あんた。しらじらしいんだよ!」

 黒く塗りたくり、ひじきのような睫をした乙美が荒声を立てる。

 やっと柚希にもその姿が見え、それを見て頭に血が上った。一人を五人で囲んでいる、なんとも卑劣な光景がそこにあったのだ。

 ここは男として助けてやるべきだろう。しかし相手は女。手出しは出来ない上、面倒極まりない。いきなり関係のない自分が首を突っ込んでどうなるのか。

 やはりすぐに踏み出せない理由はそこにあった。

 面倒なことはごめんだ。でも放っておくわけには……。

 男として“助けてやりたい”という正義感と、柚希として“女は面倒だ”という本音が葛藤する。

 柚希はしげしげと光景を見てあることに気づいた。囲まれ、追い込まれている、編入生らしき女子生徒。

「ああっ! おまえは今朝の!」

 柚希は思わず、指を差して声をあげる。

 乙美達の標的にされていたのは、なんと今朝曲がり角でぶつかった女の子だったのだ。

 同じ学年だったのか、と柚希は目を丸くした。いきなり指を差された女の子も柚希同様に目を丸くする。

 邂逅するさまは衝撃的だった。

「あっ! あ、あなたは、今朝のパン……」「わーわーわーわーわー!」

 柚希は両手を振り、大声を出して女の子の声を遮る。

「パン?」

 乙美の傍らにいる宝塚メイクの女子生徒が顔をしかめた。

「い! いやっ! ほらっ! その……アンパンマンと食パンマンはどっちが好きです?」

 いきなり意味不明なことをはりきって問う。

「……はぁ?」

 乙美達は揃って顔を引きつらせた。パンから連想して、咄嗟に思いついたのは某子供向け番組だったらしい。

「ってゆーか、あんたなに?」

 いきなり部外者に入られ、気分を害した乙美はあからさまに不機嫌な声色で言った。

 この時、ようやく柚希は自分の置かれている状況に気がつく。同時に狼狽の色を隠せないでいた。

 助けよう、とは思った。助けるつもりだった。

 だが何も考えず先に行動してしまった柚希に、この後の展開をどういう流れに持っていけばいいかなんて分かるはずがない。飛び出す勇気はあっても、守る力と知能がない柚希である。

 やっべーどうしよ……。

 柚希は守るようにして女の子の前に立ちはだかり、とりあえず笑った。しかし笑ってごまかせる相手ではない。

 神様、仏様、キリスト様、南無阿弥陀仏ぅぅぅぅぅ!

 こうなったら困ったときの神頼み。何度と心中で叫んでみた。しかし何も起こりやしない。

 神さえも見放した。天は自分を見放すのか、と柚希は怨んだ。帰ったらお守りは全部燃やしてやろうと決意する。

 ギャル五人の視線が突き刺さって痛い。ギャルの黒々した目からレーザー光線でも放たれてるんじゃないか、と柚希は思った。

 相手が男だったらな、と小さく拳を握る。自分が無力に感じて仕方がなかった。

 もうこうなればやけくそで、分厚い化粧に文句でもつけてから逃走しようと思った、その時だ。

 予鈴のチャイムが鳴り――異様な緊迫感に包まれた、その場の空気が浄化される。

「あーチャイム鳴ったし。行こ、行こ」

「こいつどうすんの?」

「また今度でよくね?」

 タイミングを逃した乙美達はだるそうに言い放った。そして柚希の後ろに隠れている女の子を睨みつける。

「こいつはぁ?」

「ほっとけよ、そんなの」

 そんなのってなんだよ! そんなのって!

 喧嘩を売られたら売られたで面倒だと思っていた柚希だが、対象にすらされていないとなるとプライドに深い傷がつく。

 乙美を先頭にギャル五人集はその場を去っていった。彼女達が歩くと自然と廊下にいる生徒達は道をあける。

 何様だよ、と思いながら柚希は去っていく彼女達の後姿を厳しい目で見ていた。

 ……ま、いっか。これで引き下がるようには思えねえが。

 柚希は額を伝う、嫌な汗を拭った。

 外野にいた野次馬生徒達もあっという間に散らばって、何もなかったようにそれぞれの教室に戻っていく。

 ほっとした柚希も教室に戻ろうとして、

「あああ、あのっ……!」

 俯き加減の女の子に呼び止められた。

「ん?」

 柚希が目を合わせると女の子は口をつぐんで一拍置き、

「あ、あ、あ! ありっ……」

 意味不明な言葉を発し、黙り込んだ。

「?」

 柚希は首を傾げる。

 改めて近くで見るその女の子は一際目立つ綺麗な顔立ちでありながら、自信に満ちた嫌味なオーラが全くなかった。もじもじと恥ずかしがりながら、柚希に深く頭を下げる。

「んなっ、急に何だよ」

「あ、ありがとうございましたっ!」

「ああ、いや……別に。俺、役に立ってないし」

「でも……」

「いや、ほんっとに!」

 柚希は頭を掻きながら恐縮する。

 苦笑いする柚希を見て、

「……それでも嬉しかったです」

 女の子は天使と形容するに相応しい、煌びやかな笑顔を柚希に向けた。

 さっきまで弱弱しいオーラを放っていた彼女は、笑顔になるだけでガラリと印象が変わった。本当にそう思って言っているのが伝わってくる。素直な性格が感じられる笑顔だった。

「え、えーっと……」

 柚希は反応に困り、苦笑いを維持する。

「一応、あいつらには気をつけろよ」

「はいっ」

 女の子は柚希の手を両手で掴み、握り締めた。自分を助けてくれたヒーローとの握手、といったところか。

 しかし女の子は握り締めたまま、なかなか離そうとしない。姉達に手を引っ張りまわされることはあっても、女の子に優しく包み込まれるように手を握られたことのない柚希は、無償に恥ずかしくなって頬を染めた。

「も、もういいかな?」

 柚希は顔を逸らして、当たり障りないようにゆっくり手を引っ込ませる。

「あ、あっ! ごめんなさいっ!」

「いや、そんな謝らなくてもいいけどよ」

 しかし柚希以上に女の子は、頬を、顔を、真っ赤にさせて俯いた。

 おいおい。なんなんだよ、その新鮮な反応は……ここは女子校だぜ?

 林檎のように熟した女の子の頬を眺めながら、柚希は嫌な予感を感じずにはいられなかった。

 まさか俺が男だって気付いてんじゃ……。

 さっきまで淡い桃色だった顔は一瞬にして真っ青になってしまう。柚希はどういう対応をすればいいか分からず、頭を掻きむしった。

 そして、その時、その瞬間、ようやく本来の目的を思い出した。

「や……やっべえええええ! 教科書! 教科書の事すっかり忘れてた! あのさ、あんた、数学の教科書持ってない!?」

「えっ、あ、あの、持ってますけど……」

「ラッキー貸して、貸して!」

「は、はいっ」

 いきなり柚希に両肩を掴まれて、体を前後に揺さぶられた女の子は慌てて教室に戻る。運良く彼女は隣のクラスだった。

「さんきゅー! ぜってえ後で返すから!」

 教科書を受け取った柚希は、丁度鳴り出した授業開始チャイムが鳴り終わる前に席へ着くべく、急ぎ足で戻っていった。



 名も知らぬ編入生に数学の教科書を借りた柚希は、無事数学を乗り切る事が出来ていた。教科書様々で無事平和に授業終了のチャイムを聞くと、大きく背伸びする。

「んーぅ! ったく、数学ほど眠い授業はねえな」

 どの授業も寝てるくせによく言ったものだ。カバにも劣らない大きな口であくびをすると首をポキポキ鳴らす。

「おっと、教科書返しに行かねえと」

 柚希は独り言を言いながら教科書片手に重い腰を持ち上げた。

「あ、いっけねえ」

 寝起きのせいか足元がふらつき、手にした教科書を床に落とす。真新しいその教科書は丁度裏側が上向きになっていた。

朝日陽菜あさひひな?」

 教科書を拾い上げる際に裏側に書かれていた女の子の名前を目にする。

「あの子、陽菜っつーのか」

 穏やかそうな雰囲気にあった名前だな、なんてどうでもいいことを考える。

 柚希は再びあくびし、虚ろな瞳で教室を見回すと教室内はお弁当を出したり席をくっつけたり、昼休みの光景に突入している。

 借りた教科書と昼食片手に柚希は隣の教室へ向かった。

 到着すると入り口から顔を覗かせ、目を凝らして教室内を見渡す。

「いたいた」

 多くの女子生徒の中から陽菜の姿を見つけた喜びに目を輝かせ、スキップ交じりで陽菜の席に駆け寄った。

「よう! 助かったぜ。さんきゅー」

 桜満開の笑みで言うと、馴れ馴れしく陽菜の肩を叩く。

「あ、いえっ」

 陽菜は教科書を受け取り、目の前に立っている柚希を何か言いたげな表情で見上げる。

「もしまた忘れた時は借りにくるからよ。そん時はよろしく。んじゃな」

「はいっ。え、あの、ちょっと……!」

 待ちに待った昼休みに浮かれているのか、柚希は一方的に喋るばかりで彼女が呼び止めようとしていることに気づいていなかった。昼食の入ったビニールを振り回しながら教室を出て、浮かれ足でいつもの場所へ向かう。

 柚希が向かった“いつもの場所”には、いつも柚希以外の生徒はおらず、もはや柚希専用と言っても過言ではなかった。

 その“いつもの場所”に辿りつくと大きく背伸びして上を見上げる。

 その先には壮大に広がる、真っ青な空。永遠と広がる青色の上に浮かび上がる、綿菓子のような真っ白な雲。ふわふわと夏の風に揺られ、そのペースを乱すことなく、動いていく。手を伸ばせば掴めてしまいそうだ。

 柚希は思わず眩さに目を細める。

 下からはキーキー声や騒がしい声が聞こえるが、この場所にいれば少しばかりその声が遠く感じられるのだ。小さな幸せさえ感じる。絶好の息抜き場所だ。

 昼食のパンと牛乳パックの入ったビニール片手に急いで向かった先は誰もいない屋上だった。そこが柚希の“いつもの場所”である。

 柚希は屋上の陰に寝そべって、パンにかぶりつきながら呆然とただ空を見つめていた。

「やっぱ、さすがに夏は陰でもあっちーな」

 上半身を起こして牛乳を飲む。この腐りやすい季節であっても牛乳を毎日欠かさず飲むことが柚希の日課である。身長を少しでも伸ばしたい、という儚い願いを込めて。

 しかし女子生徒達にはその貧相な胸を膨らませたい為の努力、だと解釈されていた。

 柚希はスカートのひだをヒラヒラと捲って風通しをよくしたが、もちろんそれでは暑さは凌げない。ヒラヒラと捲るたびに中から女用の短パン見え隠れした。それを見た日には百年の恋も冷めてしまうだろう。

 自分は男だからいいものの、こんな仕草を女がやっていたらいかがなものか。しかしながらそんなことを当たり前のようにやっているのが女子高の女子生徒達なのである。

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