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HOPE!  作者: NATSU
第五章 『忘れられない日』
32/35

(1)

 今日に限っては、長ったらしい校長の話も柚希には有難く感じるだろう。十分な居眠り時間を与えてくれるからだ。

 柚希は体育座りすると抱えた膝に顔をうずめる。

 前からのアングルは絶景に違いない。例えスカートの中から見えるものが短パンだとしても。男の、短パンだとしても。真実に気づくものはいない。

 柚希は現実逃避という名の旅行へ出かけていた。行き先は夢の中だ。

 眠りにつく、数分前のことである。

 優に引っ張られ、無理矢理体育館に連れて来られた柚希はギリギリ合同集会に間に合った。いつものように自分のクラスの列に並んで座って、すぐ膝に顔をうずめる。

 そしてさっきまでのことを思い返し、深い自己嫌悪に陥っていた。

 自分は陽菜に一体何をしようとしていたのか。何故、そんな気になったのか。

 年頃の男が生身の女の子を前にして、それが当然の反応で、正常だといえばそうなのかもしれない。でも今までそんな盛ったことなんてなかった。

 もちろん接触して照れることはある。恥ずかしくなることもある。だから何だというのだ。それ以上の感情にはならない。

 まして、触れたい、なんて思ったことがなかった。愛しく思うことなんてあるわけがなかった。

 膝を抱えた柚希の手は微かに震えている。

 夢と現実は違う。熱を持った生身である。触った感触はすぐには消えなかった。

 うずめた顔を少し上げ、震えた手をちら見すると、手をぎゅっと握り締めた。感触を思い出して顔を赤らめる。そしてまた膝に顔をうずめた。

 柚希は不思議に思ったことがあった。夢と現実のある共通点。

 夢の浴衣を着た陽菜も、現実の制服を着た陽菜も、同じぐらい胸がでかかった。それはもう片手では足りないぐらい。

 もしかしたら自分は自分が気づいていなかっただけで、普段からそういう目で見ていたんだろうか。だから夢の陽菜も、現実同様に大きかったんだろうか。

 いやいやいやいやいや!

 柚希は顔をうずめたまま左右に振った。いくらなんでもそれは考えすぎだろう。夢は所詮夢なのだから。

 そんなことを考えているうちに柚希は眠りについてしまった。普段使わない脳味噌を使いすぎたのだろう。

 全に対して一でしかない柚希が眠っていようと、集会は予定通りに進んでいく。校長の長くつまらない話が終わると今までの眠たい雰囲気が一変した。

 これから学園生活を共にする予定の男子生徒達が入場してきたのだ。

 白い半袖シャツに青チェックのネクタイ。南山学園の制服はブレザーである。その南山学園の制服を身に纏った男子高校生達が二列に並んで体育館へ入ってきた。

 女子生徒達は黄色い声の混じったありったけの拍手喝采で男子生徒を迎える。

 さっきまでとは大違いだ。それだけで合同集会は賑わった。これからが本番といった雰囲気である。

 しかし眠っている柚希にとってそれは雑音でしかなく、

「んぅ……」

 寝苦しそうに眉間にしわを寄せた。それでも起きない彼の睡眠欲はたいしたものである。

 男子生徒の入場が終わると南山学園の生徒が一人代表してステージへ上がっていく。

「それでは次に、新生徒会代表の挨拶」

 合併後、男女になっての新生徒会・生徒会長になる人物らしかった。

 さらさらの髪と清潔感あるさわやかな顔立ちをしている。眼鏡が似合いそうな好少年だ。姿勢もいい。

 第二ボタンまで開けてネクタイをだらしなくしている生徒と違って、ボタンもネクタイもきっちりしている。それがまた似合っていて魅力的だった。

 女子生徒達は絵に描いたような生徒会長に熱っぽい視線を送った。

 もちろん眠っている柚希はそんな状況を知るよしもない。すーすーと寝息を立て、だらしなく開いた口の端からは涎を垂らしている。

「ねえねえ、かっこよくない?」

「うんうん、かっこいいわ」

 女子生徒達はステージに上がった生徒会長を見るなり、にやけ顔でこそこそ会話している。

 柚希の前の女子生徒、前子まえこと柚希の隣の女子生徒、隣子りんこ)》もそうだった。集会の時はクラスで二列に並ぶようになっている。なので決まって柚希の前には、前子。隣には隣子だった。

「柚希ちゃんもそう思わない?」

「あの生徒会長、かっこよくない?」

 前子と隣子が柚希に話題を振るが、柚希からの返事はなし。前子と隣子は無言で顔を見合わせると、

「もう! ちょっと!」

「聞いてんの!」

 こともあろうことか二人して柚希の頭上を拳でぶん殴った。手加減なしで。

「んが! あだ! うわ! ちょっと、なに! いきなり、なに!?」

 せめて起こし方というものがある。眠りを強制終了された柚希は、何がなんだか分からないまま現実世界に引き戻されてしまった。

 わかるのは頭上がえらく痛むということだけだ。

 ねぼけまなこの柚希の視界はぼやけていた。手でごしごし擦って、まず事態を確認しようとする。

「女たるもの、男の前で居眠りなんてよくないわ」

「そうよ、柚希ちゃん。下品だわ」

「はぁ? 男? 下品? なんの話だよ」

 柚希は、またこいつらか、と思った。体から力が抜ける。

 勘弁してくれよ……。

 集会の時、近くになるせいかやたら絡んでくる厄介な二人組みなのだ。顔が似ているわけでもない、双子でもない。しかし息がぴったりあった二人である。

 自分達の世界で勝手に会話を進めるという特徴があった。一言でいうと、痛い。そして居眠りしている柚希を毎回容赦なく叩き起こすのだ。

「今日は一体なんすか」

 柚希はだるそうに尋ねる。彼女達の場合、気の済むまで話に付き合ってあげないと終わらないからだ。

「あれを見るのよ、柚希ちゃん!」

「乙女たるもの見ないと損だわ!」

 前子と隣子は揃ってステージで話している人物を指差した。柚希はめんどくさそうに目を細めてステージを見た。

「もっと目開いて!」

「瞳孔まで開くの!」

「わーった! わーったから落ち着けって!」

 柚希は前と隣から目を無理矢理こじ開けられそうになり、両手を振り回して必死に抵抗した。

 ステージ、マイク前。そこには見覚えのある人物の姿――その眩いまでの白い歯が脳裏にしつこく焼きついている。白い歯を見せてさわやかに微笑む、生徒会長。

「お、おい。あれって……」

「もうなに言ってんの。生徒会長じゃない」

「南山学園の生徒会長で、合併後の生徒会長でもあるのよ」

「…………」

 柚希は絶句した。ステージでスマイルを振舞っている、楓を見て絶句した。

 な、なんで気づかなかったんだよ俺!

 掲示板の張り紙を見た時、南山学園との合併と知った時、何故気づかなかったのか。

 南山学園、つまり合コンした二人がいるのだ。奏斗が『また逢うことになるだろうけど』と言っていたのを思い出す。そういう意味だったのかよ!

 柚希は頭を掻きむしって小さく喚く。

「喚くほど好みなのね」

「負けられないわよ、前子」

「分かってるわ、隣子」

 それほど楓が好みなのだ、と二人は解釈していた。二人はライバル心を燃やし、手を握り合って柚希を睨みつけている。

「ちくしょう。なんであいつらが……」

 柚希が低い声で呟いたのを二人は聞き逃さなかった。

「あいつら?」

「柚希ちゃん、もしかして知り合いなの?」

「え」

 柚希は、まずい、と思った。顔にもまずいと書いてある。

「知り合いなのね、生徒会長と」

 前子が怒気を含んだ声で言う。女の嫉妬ほど恐ろしいものはない。

「可愛い顔を武器に、きっと誘惑したんだわ」

 前子に続いて、隣子が狂気顔で言い放つ。

「か、勝手なことを言うな!」

 なんて言ったところで二人は全く聞いていない。

「誘惑ってどうやって誘惑したのかしら」

「こうじゃないかしら」

 前子と隣子は二人揃って、

「バカ! や、辞め、しゅ、集会中だろーが! あ、こら、だ、だめだってばあああああ!」

 容赦なく柚希のスカートを全開に捲り上げる。柚希は必死に両手で抑えた。

「「この雌豚があああああッ!」」

 前子と隣子の声が綺麗にハモる。

 男子生徒達は好機の視線を送ったが、その中身が短パンだったことにため息を漏らしていた。

 それでも頬を染めて必死に抵抗している柚希に込み上げる萌えを抱いた、可愛いと思った、男子生徒は数え切れなかった。なんせ柚希は見た目がいい。

「いい加減にしやがれ―――――!」



 合同集会は無事終了した。

 女子校と男子校が合併し、共学になることはどちらの生徒にとっても都合がよい。集会が終わり、休憩時間になると生徒達は早速男女の交流を始める。廊下はいつも以上に賑わっていた。

 いつものようにドスのきいた声はしない。股を開いている生徒もいない。ジャージや短パンでうろついている生徒もいない。

 いつもより気合い入れてスカートが短くなっている生徒はいる。声が半音上がっている生徒はいる。大半がそうだった。

 柚希はというと集会中に大声で騒いだことを職員室でこっ酷く叱られていた。

「全くあなたは! 何度言えば分かるんですか!」

 怒っているのは担任ではなく、独身ヒステリックの国語教師である。怒鳴るたびに声が裏返っていた。それをごまかすように眼鏡のズレを整える。

「どーも、すいやせんでした……」

 被害者である自分が叱られていることに納得がいかない柚希だった。前子と隣子は上手く逃げ切っている。口達者な彼女達が捕まることもないだろうが。

 怒られ疲れ、げんなりしている柚希を見て周囲の教師達が、なんだなんだ、と視線を浴びせていた。

「ま、まあ。これぐらいにしといてあげます。今後、気をつけるように」

 そう言って、国語教師は席を立つ。柚希は肩を落としたまま職員室を後にした。

「ったく、勘弁してくれよな」

 廊下に出ると男子生徒の姿が視界に入ってきた。余計に疲れが押し寄せてくる。胃がキシキシと痛む。痛む上腹部を優しく撫でながら、のたのたと足を引きずって歩いた。

「いいよなぁ、おまえらは」

 視界に入ってきた男子生徒をじっと見た。何を勘違いしたのか、男子生徒は顔を赤くして見つめ返している。

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