(2)
柚希は母が外出したのをいいことに、縁側で詩織達の宿題まで望に手伝ってもらった。
望がスムーズに書き進めていくのを見て、子供ながらに頭もいいんだ……と小さな敗北感を抱いたりなんかする。
「大丈夫かな、そんな作戦で」
「なに言ってるんだ。俺に出来ないことはない」
宿題を解きながらも作戦会議は進められている。望は意思が強そうな瞳で傍らの柚希を睨むと麦茶を一気に飲み干した。
早い話、作戦という作戦はなかった。部外者である望が柚希の親友として、柚希の母や姉達に掛け合うというものだった。
何でも相手が女なら楽勝だという。相手が女だからこそ難易度が高いと思う柚希だったが、そこはあえて突っ込まなかった。望は自分の為を思ってしてくれている。それだけで単純に嬉しかったからだ。
そしてなにより彼の根拠のない自信があれば、本当にどうにかなってしまいそうな気さえしてくる。
「そろそろだな」
「なにが?」
意味深な笑みを浮かべた望が麦茶のコップをおぼんにのせた時だった。柚希は急に人の気配を感じ、振り返ると、
「ちょっと、柚希」
「柚希ちゃんっ」
同じ顔のえらい美人なお姉さん方がそこにいた。しかも浴衣姿で。
「……だ、誰、ですか!?」
見知らぬお姉さんが自分の家に忍び込んでいた。十分驚くべき展開だ。なのに恐怖より恥ずかしさが増す……のは何故?
「なに他人行儀なこと言ってんの」
「そうだよ、柚希ちゃん。柚希ちゃんの為に二人で浴衣着てきたんだよっ?」
右に淡い桃色の浴衣を着た、陽菜。左に青色の浴衣を着た、羽菜。同じ顔をしていても性格や雰囲気に加えて、髪型と浴衣で全くの別人だ。世の男が見たら指を咥えて羨むだろう。その両手に花のシチュエーションを。
柚希は二人に両腕を掴まれて、頭が真っ白になっていた。顔は真っ赤になっている。
「あーもう! 離しなさいよ、陽菜!」
「どうして? 羽菜ちゃんが離せばいいと思うっ!」
陽菜は小さく短い腕では満足いかないのか、羽菜から奪い取るようにして小柄な柚希を抱きしめた。
――と、同時にどこの高級なクッションよりも心地良く弾力のある二つの膨らみが柚希の顔を挟み込む。
「ああっ! なにすんのよ! いくら私が胸がないからってぇ……」
「どうして急に胸の話になるの?」
「ったく、あんたのその天然さがむかつくのよ!」
陽菜と羽菜の言い合いを柚希は艶かしいバストに顔を埋めたまま聞いていた。
あれ、俺この人たち知ってる……?
一人で庭以外への外出が許されていない五歳児の自分に、こんな大人の友人なんているはずがない。なのに何故か知っている気がする。
柚希は頭の片隅にある記憶を必死に探った。
「じゃあな。あとはごゆっくり」
望は笑いながら柚希に手を振り、門に向かい出す。助ける気なんて毛頭ないらしい。むしろ他人の修羅場を楽しんでいるようだ。
「ちょっと……あ、おわっ!」
帰ろうとする望を引きとめようと顔を離したら再び抱き寄せられた。今度のは弾力がない。おちょこ分の柔らかさ? 気持ちなんか付いてます程度?
柚希は見上げた。今度は羽菜が柚希を抱きしめている。
「じ、じろじろ見ないで」
そう言って、羽菜は柚希の目を片手で覆い隠した。急に目の前が真っ暗になる。
五歳児相手になに照れて……って、あれ? 五歳児?
柚希は何とも言えない違和感を感じた。自分の体は五歳児である。しかし五歳児じゃない。
そして目の前にいる、この双子は――
「陽菜? 羽菜? っつーか、なんでおまえら人んちに浴衣で……って、うわ!」
片隅にあった記憶の扉が開いたところで、二人の浴衣美人に押し倒された。見た目は五歳児でも中身は思春期真っ只中。知識ぐらい当然ある。
陽菜の胸元から覗かせている、谷間の線がいやらしく誘っている。羽菜には覗かせたくても覗かせるものがないようだが。
柚希は押し倒された拍子に床で後頭部を打った。鈍い痛みが広がる。
「んぁーもう! いってえな、二人してなにしやがる!」
柚希は両手をじたばたさせて抵抗を試みた。
……その相手は陽菜と羽菜ではなく、枕だったが。
「あり?」
見慣れた時計が逆さまに見える。柚希自体が逆さまになっていた。
寝ぼけまなこでベットに戻って座り込む。鈍く痛む後頭部はどうやらベットから落ちた時に打ったものらしい。
「なんだ、夢か」
浴衣姿の陽菜や羽菜はもちろんそこにはいない。自分の体も五歳児サイズではなかった。
「!」
おいおい、なんだってなんだ。なにちょっとばっかしガッカリしてんだよ、俺!
柚希は自分の頬に自分でパンチをくらわす。
「ったく、俺はなんっつー夢見てんだよ。欲求不満かってんだ」
前半部分はよかった。昔、望と出会った頃そのものの夢だった。望は本当に母と姉達に掛けあってくれて、柚希は外で遊ぶことが許されたのだ。
しかしそれは望の容姿の端麗さに惚れ込んだ母や姉達が“望の要求だから”飲み込んでくれただけであって、柚希の立場は何も変わらなかったが。
相手が女なら楽勝だ、という意味は後で知った。そして根拠のない自信と自意識過剰が望の特徴だということも後で知った。
なにはともあれ、望むがいい奴には違いない。自分の初めての友達で、親友にも違いなかった。
顔が良すぎる分、それぐらいの欠点がある方が人間らしいとも思う柚希である。
希望が見えたのはそれからだった。小さな抵抗を覚え、なんとか上手く花月家で生活している。そんなきっかけを作ってくれたのは望だった。
「望の奴、夢に出てくる暇があんなら連絡の一つぐらいよこせっつーの」
相変わらず望からは電話も手紙もない。
「うわ、やべっ。そろそろ着替えねえと。んぁ、でも……もうちょっとだけぇ……」
再度、時計を確認にするとそのままベットに寝転がった。枕をぎゅっと抱きしめる。深く長い夢を見ていたせいか、眠気と気だるさが抜けず、頭でわかっていても行動に移せない。
柚希は再び目を閉じる。それだけで熟睡してしまいそうだった。
「んんぅ。なんかもぞもぞする……」
柚希は眉間にしわを寄せ、寝返りを打った。下半身に違和感を感じる。もぞもぞする。
「こら、バカ。どこ触って……ふざけん……むにゃむにゃ」
夢の続きを見てしまう柚希はある意味凄い。しかし続きは続きでも自分の姿は五歳児ではなかった。
乱れた浴衣姿の陽菜と羽菜が自分の至るところを弄んでいる。もちろん抵抗を試みたが、気持ちがいいものは気持ちがいい。
理性より本能が勝ってしまい、段々とどうでもよくなってきた。柚希も体は本能に忠実なる男である。
女の子も悪くない、なんて思ってしまった。
そうだ、黙っていれば女って生き物もなかなか悪くはないのかもしれない。自分が女を支配してしまえば、自分が乱暴な扱いを受けることもない。
色っぽい陽菜と羽菜は、柚希の今までの女に対する考えを覆す威力を持っていた。
陽菜と羽菜、なんで二人が? そんなことは考えない。夢なのだから。
女の子の肌がこんなにもカサカサしてるなんて……ん? カサカサ? なんだ、この皮っぽい感触は……。
柚希は陽菜と羽菜に抱きしめられているところで、ぱちくりと目を開けた。
またとんでもない夢を見ていたことに、しかもその夢に溶け込んでいたことに、激しく自己嫌悪。しかし自己嫌悪に浸る間もなく、
「ギャ―――――!」
抱き締めていたはずの枕が謎の生命体になっていることに気づき、家中に響き渡る程の悲鳴をあげた。
「そんなに喜ばれても困るんじゃけのぅ」
生命体は柚希に頬擦りする。柚希はというとあまりのショックに石化したのち、こっぱ微塵になった。
悲鳴を聞きつけた香織と伊織がノックもせずに柚希の部屋へ入ってくる。
「お祖母さん、探したんですよ。ここにいらしたんですか」
香織は嘆息交じりで柚希に抱きついている小さな干物に言った。
「久々じゃけのぅ。孫の成長を見てみよう思うたんよ。ほら、見てみい? 成長しとる、成長しとる」
干物はヒヒヒと不気味な笑い声をもらして嬉しそうに柚希の下半身を指差す。さっき見ていた夢のせいか、健全なる柚希の分身は朝から元気を象徴していた。
「それは、夢精。生産過剰になった精子、あるいは一時的な疾病によって受精能力の低下した不良品の精子を体外へ放出しようとする自然の働き。簡単に言うと生理の男バージョン。つまり、健全に発育している証拠」
「相変わらず、おまえは冗談が通じんな……」
伊織は分厚い本に目を落としたまま、早口で答えた。顔色一つ変えない。彼女は常に大真面目なのである。
「いい加減、目覚まさんかい」
干物は白目剥いて泡吹いている柚希の尻を両手で、ぎゅぅ、と握った。
「んぎゃぁああああ!」
と、同時と柚希には黒目が戻って飛び上がる。
「てめえ、どこ揉んでんだよ! その変態癖は相変わらずだなあっ、ババァ!」
「ふん。揉んだんじゃないもん。揉み解したんだもん」
「どっちも一緒だろーが! この干物! 乾物! クソババァ!」
干物は尻フェチなのだ。もちろん若い男限定である。ぷいっと顔を逸らす干物を歯噛みして睨む柚希。
「誰がババァか。おねーさんとお呼び」
「いやいやいやいやいや、それは冗談でも無理」
さすがにお姉さん扱い出来るほど、柚希は嘘が得意ではなかった。手と首を激しく振って否定する。
「なんでか? どっからどう見てもピチピチイケイケじゃろが」
干物はキラキラした少女の瞳でポーズを決めた。
「いや、言葉使いからしてもう……」
顔面蒼白で具合悪そうに見る柚希。それが気に入らなかった干物は拗ねた顔をする。
「こんな見目麗しい年上女性抱き締めて、おっ勃てとったくせにぃ。欲情しとったんやろが」
「どわぁれが欲情するか!」
「じゃあ、その元気なもんはなんじゃ!」
「んぁ?」
柚希は干物の視線を辿り、
「…………あ」
顔を真っ赤にして枕でそれを隠した。その場にいる女性軍の視線が一斉に下半身へと突き刺さる。
間違いなく夢のせいだ。見たくて見た夢ではない。勝手にあいつらが夢に出てきたんだ。そう、柚希は自分に言い聞かせる。
「ほれほれぇ。それはどう説明すんじゃ? 説明してみい」
「だからそれは夢精という……」
「伊織、辞めてちょうだい。説明はもういいわ」
また真顔で解説しようとした伊織を頭を抱えた香織が止めた。
「説明出けんってことは、やっぱあたしの大人の美貌に欲情したってことやな。キャー不潔な孫じゃ!」
「だから違うっつってんだろーが! 誰がそんな干乾びたもんで興奮するか!」
「はぁん。じゃあ、説明してみい」
「いや、だから、これは変な夢のせいで……」
「あたしとおまえの?」
「ちっが―――う! 同い年の女相手のだ!」
柚希が大声で告げると、しんと静まり返る。部屋には蝉の鳴き声と登校中らしき小学生の声だけが聞こえた。
あ、あれ、俺なんか変なこと言った?
香織は少し驚いているようだった。伊織は無表情だったが、本のページを捲るのを0.01秒ぐらい躊躇った。その静寂はもちろん干物が破る。
「なんじゃいな、おまえも一丁前に芽生えとったんか」
干物は柚希の背中をバシバシ叩く。
「はぁ? 芽生えた? なにが?」
「柚希のくせに女をそういう対象で見れるようになったってことですね」
香織が冷静に言う。
「柚希のくせに、ってなんだよ。くせにって」
「柚希は昔から女に対して、恐怖心及び嫌悪感を抱いていた」
伊織は早口で言うと静かに本を閉じた。
「そら、誰のせいだと思ってやがる」
言うまでもなく、姉達含んだこの家のせいである。
「昔はあたしに懐いて可愛かったんじゃがのぅ。いつの間にか大人になりおって」
なんて涙を流しながら、感動的な台詞を言う干物の目線は下半身だ。
「どこ見て言ってんだよ。この変態」
「ああもう、大きくなってぇ」
「だーかーらーどこ見てやがる!」
柚希は自分にすがり寄る干物を蹴っ飛ばして、踏み潰し、ベットから降りた。
「辞めなさい、柚希。あなたのような外れ者を育てて下さったのはお祖母さんでしょう」
干物を乱暴に扱う柚希に香織が口を挟む。
「まあ、それはそうだけど」
育児放棄した母の代わりに、育て、面倒をみてくれたのはこの祖母ことスミレだった。
「コレクション」
「? コレク……ああっ!」
伊織が独り言のように放った単語に、思い当たるふしがある柚希はどんよりして壁に手をついた。
「あたしに逆らわんこっちゃな」
干物は反省ポーズをしている柚希の尻を撫でまわす。




