(5)
「妖精さんみたいだよね」
「…………は?」
楓がいきなり頓珍漢なことを言い出した。一応常人の感覚を持つ柚希にとって、その台詞は理解不能だった。ぽろっと口からストローを落とす。
もしかしてこれは合コン専門用語か何かか?“妖精”とは何かを表す隠語なのかもしれない。妖精のように小さいという嫌味か? それとも妖精のように小さく虫みたいだという嫌味か? いや、さっきからしつこいまでに送ってくる視線から予測するに、こいつは自分に気があるようにも思える。だとしたら、妖精とは褒め言葉か?
馬鹿なりに空っぽの脳みそで必死に考える。その結果ますます“合コン”を誤解していくばかり。
柚希は知らない語句の意味を深く考えながら険しい表情をしていた。楓はそんな柚希の気も露知らず、にこにこ楽しそうに柚希を眺めている。周囲に音符を撒き散らし、鼻歌でも聞こえてきそうなぐらい一人幸せそうだった。
「ねえねえっ、そろそろペアにわかれるってのはどう?」
そこで言い出したのは奏斗だ。そろそろ次へと進むつもりなのだろう。段々話も盛り上がって……いるのは、男二人だけのようだったが。
奏斗は椅子から腰を浮かし、机に両手をついて三人に提案する。
「二人っきりってどうやって?」
羽菜が率直に問う。この一室の中に別室まで用意されているようには到底思えない。
「あっちだよ、あーっちっ」
奏斗は羽菜の背後を指差した。そこにはカーテンで仕切られている……、
「ベットじゃねえかよ」
病人の休養に使う、お決まりのベットが三つ横に並んでいた。
羽菜と同時に後ろを見た柚希は羽菜に脛を蹴られる。柚希は驚かされた鳥のような、小さな悲鳴を吐く。唇を噛み締めて必死に傷みを堪えた。
「言葉遣い」
羽菜は横目で見るなり、それだけ呟いた。棒読み口調が恐怖を煽る。
そんな二人のやり取りに気づいていない奏斗は、
「カーテンで仕切れるし、一対一ずつにわれてみるってーのはどうかなん。ゆっくり話せるし! ねっ?」
勝手に話を進めていく。もちろん楓は、高速でうんうん頷きながら奏斗に同意していた。
「一対一って……」
そういえば詩織が合コンで二人きりになるのは特別な展開だとか何とか言っていたのを柚希は思い出した。そしてそれは合コンのクライマックスを意味するものだ、と。
それを確か……なんっつーんだっけ、お持ち帰りっつーんだっけ?
合コン初体験者、柚希の合コン知識はごちゃごちゃだった。裏覚えな上に詩織の体験談と愚痴によって組み込まれている。
生物学上、柚希は男だ。男と女で一対一になるということがどういうことかぐらい理解している。ましてやベットなんて論外だ。
「ねっ、俺は羽菜ちゃんがいいんだけどなーぁ」
奏斗は座って頬杖をつくと羽菜を眺めながら甘えた声で言う。ホストが女を落とす瞬間を柚希は見ている気分だった。
おいおい、こいつが一対一で相手なんかすると思うか? 殴られてノックアウトがおまえの最後だぜ……。
柚希はフフフと怪しげな笑みを浮かべる。奏斗がどうなろうと柚希にとっては知ったことではない。むしろ羽菜の鉄拳によって、どうにかなって欲しいと思うぐらいだ。ざまぁ、という気持ちで胸がいっぱいである。
柚希は羽菜が承諾はしないだろうと思っていた。確信していたのだ。だから何も問題はないと……。
「いいわ。じゃあ、奏斗と私はこっちね」
だから余計にその発言を聞いて驚く。それはもう思わず目玉が飛び出るぐらいに。
「はっ!? お、おまえ……!」
「あんた達はそっち」
羽菜は立ち上がると自分達が入ろうとしているベットの横を指差す。そしてるんるん気分の奏斗と共にカーテンの中へ入っていった。
「……しょ、正気かよ」
それとも本当はああいう脳みそスカスカそうな男が好みなんだろうか。もしかしたら元からこういう展開が目的だったのか? どちらにせよ、自分に止める権利はない。関係もない。
もう勝手にすればいいと思っていた柚希は、次の一声で自分の立場を再確認する。
「じゃあ、俺達はこっちに入ろっか?」
「え?」
柚希は声の主を二度見した。楓は柚希の返事を聞かず、カーテンを開ける。
「ななな、なに?」
「なにって? ベットだよ?」
「んなもん、見りゃわかるます!」
焦ったせいで言葉使いが乱れてしまう柚希。楓はそんな柚希の手首を掴み、引き寄せて、
「俺は最初から柚希ちゃん狙いだったんだ」
背景にお花畑を背負っているような笑顔で、とんでもなことを言い出す。下心満々だ。見え透いている。少女漫画のヒロインかよ、おまえは!
「じょ、冗談だろ? おい、ちょっと、待てってば!」
「さあさあ、早く!」
楓は柚希の背中を押して、押し込むようにカーテンの中に入れ込み、真っ白なカーテンを閉め切った。
あの……これは深くて長い悪夢ですか?
残念ながら現実である。柚希は夢なら覚めて欲しい、と切に願いながらベットの上に正座していた。
何が悲しくて男と二人でベットの上に……。
泣きたい、叫びたい、帰りたい。今、柚希の心中では三拍子揃っている。
羽菜が奏斗とカーテンの中に入った時点で気づくべきだった。その場に残されたのは自分と100円スマイル野郎。流れ的にもテイクアウトされるのがオチだ。
「柚希ちゃん?」
目の前に座っている楓はすっかり萎えきっている柚希の名前を心配そうに呼ぶ。男同士でベットの上に二人きり……とは言っても、相手は自分のことを女だと思っているのだ。間違いが起きてからでは取り返しがつかない。
柚希はまず一番の不安を打ち明けることにした。
「あのさ、これって……」
柚希は目線を斜めに落とす。
「ベットに二人きりって……」
「ああっ! 大丈夫だよ。ここは如何わしい行為は絶対禁止だから」
このどうしようもない状況に失望している柚希が、楓には二人きりになって照れているようにしか見えていない。楓はそんな乙女(に見えている)柚希を安心させるように優しい口調で言った。
「ほら、ね?」
それでも尚、疑いの目をしている柚希に監視カメラの位置を指して教える。カーテンの囲いの中を捉えるように天井の数箇所に付いている。
「監視カメラ!」
柚希は監視カメラを確認すると少しばかり表情が和らぐ。ついでに羽菜の方にも監視カメラがついているか確認した。
ったく、二人でなーにやってんだか……。
柚希は隣のベットをじと目で睨む。話し声をはっきりと聞き取ることは出来なかったが、体と体の交流会は始まっていないらしい。ギシギシ……なんて不快な音はしていない。
内心ほっとしている自分がいた……って、おい、なにほっとしてんだよ。俺には関係ねーっつーの! 残された俺の身にもなれ、俺の身にも。
自分の目の前にはいつ襲ってくるか分からない猛獣が笑顔で座っているのだ。 口では安心させるようなことを言っていても、男なんて生き物は狩猟本能いっぱいである。
それに何よりそんな展開になってしまったら性別がバレてしまう。柚希は監視カメラがあるとはいえ、絶対に安心だとは思えなかった。気が気じゃない。だからといってこのまま黙っていては相手のペースに飲み込まれてしまう。
「あのさぁ、二人きりになってどうするわけぇ? 私はあんたと話すことなんて、なぁーんもないんですけどぉ」
柚希はあえて強気な態度に出ることにした。隣から枕がぶっ飛んできても困るので、きちんと女口調で言い放つ。
柚希は楓に背を向け、あぐらをかき、最悪な態度で相手をする。その気がないことを全面的にアピールする作戦だ。
「うーん、そう言われると……困るなぁ」
柚希の完全拒否な態度にさすがの楓も困って唸り出す。
俺はてめえの相手なんぞするつもりねえんだからよ!
柚希は首を後ろに回し、悩む楓を確認する。
おー悩め、悩め。大いに悩みやがれ。
楓は少しでも柚希をその気にさせようと会話のネタを探しているようだった。
「そうだッ!」
会話のネタが浮かんだのか、楓は声を上げる。柚希はスルーするつもりだった。それを聞くまでは。
「柚希ちゃん、夏限定のオプション試してみない?」
「夏限定のオプション?」
意思より好奇心が先に反応してしまった。体ごと楓の方を向いてしまう。柚希はあっとした顔をして、咄嗟に口を閉じる……が、遅かった。食いついてしまったものは仕様がない。
目の前の楓は瞳を輝かせて柚希に暑苦しい眼差しを送っている。
「んだよ、そのオプションってのは」
柚希は唇を突き出して訊く。オプション内容が気になるのが本心だ。
「それはねえ、ほら、あれだよ。つまり……」
「早く言ってもらえるかしらぁん?」
柚希はにやにやするだけでなかなか先を言わない楓の胸倉を掴んだ。すっきりしなくて胸糞が悪い。
「コスプレのことなんだ」
「はい?」
「色んな衣装があるらしくってさあっ。それ自由に使えるっていうんだもんっ」
「はぃい?」
急にきゃぴきゃぴし出す楓の言葉を理解するには結構な時間を要した。そして考えた末、柚希の出た結論は、
やっぱ、ここはコンセプト系のカラオケ? それともラブホ?
それ以外思いつきもしなかった。合コンとコスプレの関係性はいかに。合コンとは謎が多すぎる、と思う柚希だった。
「な、なんで合コンでコスプレ、なの?」
「え? そんなの常識だよ?」
「いやいやいや! どこの常識だよ! つーか、あんたってそーゆー趣味なの?」
「趣味っていうか日常かな」
楓は眩いまでに白い歯を見せて笑う。
柚希は誠実なサラリーマンが実はド変態でした、なんて結末を見ている気分だった。いいとこ務めのサラリーマンの裏のプライベートを垣間見ているような、そんな感じだ。こういう奴が痴漢で捕まるんでしょう?
「柚希ちゃんなら、ぜっっったい似合うと思うんだけどなあ」
「な、何が?」
「だからぁ、コスプレだよ」
「マ、マジで言ってるのかなぁっ?」
「もちろん!」
柚希は直感する。こいつは危ない、自分の身も危ない、と。柚希は下手に刺激しないよう、愛想笑いを続ける。
「じょ、じょーだんでしょぉ。そんなコスプレなんてぇ」
死んでもしたくねえ! 冗談じゃねえぞ! 姉貴共にだってその領域だけはまだ犯されてないんだよ!
そんな訴えも虚しく、楓は全く聞いていない。早速、自分の世界に溶け込んでいた。
「やっぱりまずは定番のメイド服かなぁ」
「まずは、ってなんだよ! まずは、って!」
何回させるつもりなんだよ、てめえ!
楓は柚希を舐めるように見ながら妄想を膨らませる。
「いやいやいやいや、巫女も捨てがたい!」
巫女だと? おまえをお払いしろってか?
「セーラー服にブルマもいいなぁ」
そりゃただのAVじゃねえか!
彼は完全に趣味の世界に浸っていた。本気で嫌悪感を抱き、焦っている柚希の気持ちなんて知るはずもなく、ただただ何を着せようか真剣に吟味していたのである。




