(4)
しかし手渡されたプロフィール用紙に魂ごと奪われている楓にその声は届かない。
「ったくぅ。髪が長くて気が強そうな方が朝日羽菜ちゃんで、そっちの可愛い系のが花月柚希ちゃんだよ」
無言でプロフィール用紙に見入っている楓に奏斗が横から解説を入れる。
楓は急に真剣な表情で唸りだし、紙と睨めっこを始めた。ぶつぶつと呪詛のような声を漏らしている。
それは何も知らない人が見れば難問を必死に解こうとしている頭脳明晰そうな優等生。その実態は、
「俺はニ人ともツンデレだと思う」
ただのオタクだった。
拳を握り締め、大真面目な顔で言うのだから笑えない。奏斗に熱く訴えかけるが、奏斗はもちろん軽やかにスルー。
「柚希ちゃんって子、楓ちゃんのど真ん中じゃなーい? オタク受けよさそうな可愛い顔立ちっていうか」
「…………」
「あれっ? 楓ちゃん?」
急に沈黙が訪れ、奏斗は楓の顔の前で掌を左右に振る。途端、ンフフフと変態的異様な笑みを漏らし、
「これは次元を超えた出会いだよ! もう運命としか思えない!」
楓は目からハートを飛び散らして薄っぺらい紙を抱きしめた。そして廊下を蝶のように舞う。彼の優等生フェイスは崩れ、鼻の下が伸びきっていた。
「あはは、とりあえず羽菜ちゃんは俺が狙うから邪魔しないでねーぇ」
そんないつもの楓の暴走を生暖かく見守る奏斗。
「でもさぁ、奏斗。何で急に合コンなの? こんなとこ利用しなくても別に奏斗は女の子に困ってないじゃん」
楓は紙を丁寧に折り曲げて大事そうにポケットにしまう。持ち帰る気だ。
「それはね、楓ちゃん。刺激の問題だよ。わっかるーぅ?」
「刺激?」
「そっ。普通の合コンなんてつまんないじゃーん。面白ければいーの! 何でも楽しくなくっちゃーぁ!」
ニ人は保健室前に並び立つと奏斗がドアを開けた。
時はやってきた。丁度柚希が机から降りて、羽菜の傍らに立った時だった。
「どーも初めましてーぇ」
保健室に入ってくる、いかにも頭の中身も軽そうな男とスマイルを売りにしていそうな爽やか優等生男。ニ人は揃って柚希と羽菜に笑顔を向ける。
「俺らが南山学園の生徒。俺が悠木奏斗で、こっちか水無月楓ちゃんねっ」
奏斗は楓を親指で差しながら言う。
悪戯っ子な笑みを浮かべる奏斗、そして神々しいまでに眩しくてさわやかな笑みを浮かべる楓。じっと二人を見るなり羽菜は小さく頷いた。
「見た目はまあまあじゃない?」
「俺に聞くな!」
羽菜は小声で柚希に同意を求めるが、柚希にとって男の容姿なんてどうでもよかった。不細工でも美形でも柚希にとっては全然面白くないのだ。男の相手をして喜ぶ趣味を持ち合わせていない柚希にとっては、ただイライラが募るだけである。
「こっちが奏斗で、そっちが楓?」
「そうだよん」
羽菜は座ったまま偉そうに指差す。初対面の相手にとる態度ではない。まして合コンなのだ。そんなどでかい態度の羽菜にちょっとはブリッコしなくていいのか、と余計な心配をしてしまう柚希。
女として合コンに参加したことがない柚希は、もちろん男としても参加したことはない。合コン初心者だ。しかし初心者な柚希にでもわかることがある。
それは女は男の前では多少なりと変化する生き物だ、ということ。あれは女特有のなせる技なのだろうか? 体から骨を引っこ抜いたようにくねくねした仕草。ねっちょりした甘い声。まさに妖怪変化。
そうか、こいつは元から妖怪だから変化する必要ねえってわけか……。
そんな呑気なことを考える余裕はまだあるらしい。柚希は一人で声を押し殺してくすくす笑った。
一人で笑う不気味な柚希を放置して、羽菜は勝手に自己紹介をする。
「私は羽菜で、これは柚希」
これって言うな! これって!
さすが奴隷は人間扱いされないらしい。
柚希は喧嘩でも売るような目付きでニ人の男子高校生を改めてしかと見る。
「よろしくね、柚希ちゃん」
スマイル100円で売ってそうな方と目が合ってしまった。
「えっ、あ……はい」
適当に返事しながらも努めて愛想のいい笑顔を見せた。さっさと円満に事を終わらせたいが為である。
楓はその笑顔に応えるように、さわやかな笑顔を柚希に向けた。白い歯があまりに眩しすぎる。
女はこーゆー笑顔に騙されんだよな。せっかくなら世の女みんな騙してどうにかしてくれたらいいのに、なんてアホなことを考える。
しかし楓は世の女よりある一人の女もどきに夢中なようで。
「!」
柚希は言葉にし難い、嫌なものを第六感で感じとった。そしてそれは危機を告げている。
自分にしつこく熱い視線を送る楓に気づいた柚希は、ぞわーっと全身に鳥肌が立った。ついでに寒気まで襲ってきて二重苦である。
おいおい、マジかよ。勘弁してくれ……!
柚希は両腕を擦りながら顔を逸らした。
「それじゃーぁ、自己紹介も終わったところで始めますかっ」
頭の軽そうな方が机を運びながら言う。不登校生徒用(の設定)で置かれてある机を楓と共に四つ、二つずつ向かい合わせにくっつける。
「よし。どーぞ、座って座って」
レディ-ファーストは常識だよ、なんて言い出しそうな紳士な笑顔で楓が柚希と羽菜に先に座るよう手で示した。
柚希はこめかみに指をやって、その光景を必死に理解しようとするが理解出来ない。
なんだなんだ? これから給食でも食おーってのか?
机を四つくっつけ、小学校の給食や話し合いの時にする班のような光景だ。二人は言われるがまま向かい合わせに座った。柚希の前には楓。羽菜の前には奏斗が座っている。
「あ、まずは何か飲み物頼まなきゃだよね」
楓が隣の奏斗に問いかけるように言うと、そのことを忘れていたらしい奏斗が机の中からメニューを取り出す。柚希は仰天顔でそれを見ていた。
保健室で飲み物を注文だと? 一体どうなってんだよ……!?
しかし驚いているのは柚希だけで、他の三人は当然のようにメニューから飲み物を選んでいる。おかしいのはこいつらだ。そう思っていた柚希も三対一となれば驚いている自分がおかしいように思えてくる。
「ワンオーダー制なのよ」
一人だけ乗り遅れている柚希に羽菜が嘆息交じりで仕方なく助け舟を出してやった。
ワンオーダー制って、ここはカラオケかよ!
そう突っ込んでやりたい気持ちを堪え、柚希は周囲に合わせてメニューに目を落とす。合コンで下手に自分だけ目立つと後になって揉める、と詩織が愚痴っていたのを思い出したのだ。一人だけ違う行動をとって目立ってはいけない。羽菜より目立ってはいけない。あくまで自分は付き添いである。何より男である。
柚希はそう自分に言い聞かせて、周りに合わせることにした。初体験の合コンには謎がいっぱいだ。気が抜けない。
「俺、コーラでいいやっ」
「私はミルクティー」
自分本位な二人は勝手に注文を口にして、いかにも楓に注文させるように流れを作る。しかし楓も嫌がらず、頷いて二人からメニューを受け取った。
本性を除いて見た目同様の生徒会長気質である楓は、まとめ役を自らかって出ている。
「柚希ちゃんはどうする?」
「ひえっ!?」
楓にいきなり声をかけられて声が裏返った。気を抜いてはいけない。「合コンは戦争だ! 命がけだ!」と言っていた詩織の言葉を思い出す。
「わ、私はぁ、そうだなぁ、みるくで」
たかが牛乳を“みるく”だなんて可愛らしく表示している、この喫茶はどうかしている。そう思いながらも結局みるくを頼む柚希。
「みるく? みるくでいいの?」
「え?」
二人には聞き返さなかったのに柚希にはメニューを聞き返す。
柚希は、しまった、と思った。自分は何かおかしな発言をしてしまったのか。もしかして“みるく”は禁止ワードだったのか。待っているのは罰ゲームか?
どきまぎしながら横目で羽菜を確認するが、羽菜は特に怒っている感じはしない。ツンとした顔つきは元からだ。となれば、別に禁止ワードでも発言がおかしいわけでもない、はずだ。
「私、みるくが好きなんだよねえっ」
苦し紛れの笑顔で言う。
なんだよ。所詮はドリンクの注文。俺は何も間違っちゃいねえ……と思う。多分。
どんな嘘でもすべて見抜いてしまうような、真剣な眼差しと圧力。柚希は負けじと楓の目を見つめ返した。
「そんなにみるくが好きなら言ってくれればよかったのに」
「へ?」
実家は牧場なんだよ、とでも言い出す気か?
柚希はきな臭い顔で裏があるそうなにっこり笑顔の楓を見る。
誰がスイッチを入れたのか。急に、フフフン、と鼻歌でも歌いだしそうなテンションになった楓は立ち上がってベルトに手をつけるなり、
「だったら注文しなくたって、新鮮なみるくがココに……んぐあ!」
奏斗によって強制終了された。立ち上がった奏斗が自分の座ってた椅子で楓の頭上を思いっきり殴ったのだ。
躊躇いなく友人をぶん殴る、しかも椅子で。二人は本当に友達同士なのか、と柚希は疑念を抱いた。しかしながら助かったのでよしとする。
柚希は床に倒れこんだ、楓を興味深そうに見下ろした。
い、生きてる。どんだけタフなんだ……。
武器として使用された、椅子の角についている赤いものは紛れもなく血痕だ。
奏斗は股を開いて椅子に座り、股の間に両手を置いて楓を見下ろすと子供のように無邪気な顔で、
「生徒会長ともあろー御方が、全くぅ! 下品な発言はひかよろーう、だよ。ねっ、楓ちゃん?」
脅しにしか聞こえなかったのは自分だけだろうか。段々合コンが本気で怖くなってきた柚希である。
「楓、生徒会長なの?」
聞き逃していなかった羽菜が突っ込む。血痕と楓の生死について考えていた柚希はすっかり聞き流していた。
「そーだよ、うちの生徒会長さん。見た目のまんまっしょ?」
確かに見た目のままだ。さっきの発言を除けばな、と柚希は言わずに飲み込んでおいた。
ドリンクの注文は実に奇妙だった。保健室をモチーフにしてある、この部屋には冷蔵庫も置いてある。冷蔵庫の中には打撲した時に冷やす氷や、熱の時に使うアイス枕が入ってあった。しかしそれはすべて偽物。冷蔵庫の中に冷気は漂っておらず、隠し電話がついていて、その内線で注文が出来るようになっているのだ。
カラオケか、ここは。ラブホテルか、ここは。
柚希はあらゆる疑問に突っ込みたくて仕様がなかった。しかし突っ込んだところで場の空気を乱すだけなので辞めておく。
柚希は上の空で届いたみるくをストローで吸っていた。羽菜は楓と奏斗の話に「ふーん」だとか「へえ」だとか適当な相槌を打っている。
合コン来る意味あんのか? こいつ……。
つくづく面倒なことに巻き込まれた、と柚希は肩をがっくり落とす。なで肩が余計に滑らかに見えてしまう。
コンビニで買えば200ミリリットルで70円程度の牛乳に何故300円も払わねばならないのか。値段だけが喫茶らしいと思う柚希である。
「柚希ちゃんはさ」
「んぁ?」
呆然と300円もするみるくを堪能していた柚希は、いきなり楓に声をかけられて気の抜けた声を出す。




