(2)
果たして、それを喫茶と呼ぶか否……。
柚希は若者版の結婚相談所みたいなものを勝手に想像していた。だから余計に弱みを握られているからとはいえ、ついて来たことに後悔の念が込み上げてくるのだ。
「おいおい、冗談だろ? 俺は別に彼女が欲しいなんて思っちゃいねえ」
「彼女? なに言ってんのよ。それを言うなら“彼氏”でしょ」
「……は?」
「同性同士でしか入店出来ないのよ? あんたは女として行くに決まってんじゃない」
「ぬわぁんだって―――!?」
やっと話を理解したらしい柚希は、天から雨ではなく槍でも降ってきたのかと思った。それぐらいダメージは大きく、心臓がキシキシと痛む。今一寸の勇気でもあれば、すぐにでも遁走したい思いだった。
「おまえなぁ、俺が男って知っといて……なんっで男と合コンしなきゃなんねえんだよ! んなの、女友達と行けばいいじゃねえか! ふざけんな!」
もっともなことを羽菜に聞こえる程度の音量で言った。叫んでやりたい気持ちをぐっと堪える。
柚希は目を血眼にして羽菜を責めた。男だったらとっくにぶん殴っている。
いくらなんでも男と合コンは酷くな話だ。何が悲しくて時間外まで女のフリをしなくてはならないのか。本当なら唯一男になれる自宅の自室で今頃寝転んでいる時間なのだ。それなのに、それなのに……!
柚希のプライドは砕け散り、涙さえも枯れてしまっていた。羽菜は表情一つ変えておらず、それがまた憎たらしく思う柚希だったが、一瞬だけ、一瞬だけ表情が曇ったのを見逃さなかった。
羽菜は傘で顔を隠し、故意的に隣の柚希から横顔が見えないようにする。
「仕方ないでしょ。女友達……いないんだから」
声は震えてはいない。しかしその声からはあのいつもの傲慢なオーラを感じなかった。
「え、あ、その……」
二の句が告げず、意味不明な言葉ばかりが勝手に口から飛び出る。本来ならば自分を脅して奴隷なんかにしている女に同情の余地はない。それでも柚希は罪悪感を抱かずにはいられなかった。
我侭で傲慢で自己中で(以下省略)な彼女に、友達がいないのは納得出来てしまうからである。
乙美達が絡んだ、陽菜の件もある。編入してきた二人が難なく受け入れられて平穏な学園生活を送っている、とはあまり思えなかった。
「ほ、ほらっ! 陽菜と行けばいいじゃねえか! 美人姉妹なんっつって、男が集るんじゃね?」
柚希はわざと浮かれた口調でフォローする。ただでさえ陰気くさい天気をしているのに、この場の空気まで重苦しくするわけにはいかないのだ。女が喜びそうな“美人”という語句を入れ込んでおいた。この場は何とか取り持てるだろう、なんて安易な発想だった。とても柚希らしい。
「陽菜が男との合コンに来ると思う?」
しかめっ面も怖いが、無表情も怖い羽菜だった。
「……来ないですよね」
尻尾が垂れ下がった犬のようにしゅんとする柚希。
そりゃ確信ついた俺が悪かったけどさ、そんな怖い顔しなくたっていいじゃんかよ……。
出来ないフォローをするぐらいなら、苦言のひとつでも呈するべきだったのかもしれない。
羽菜はまた柚希をおいて先に歩いていく。怒っているからか、そのストロベリー☆ハウスとやらに時間制限があるからか、柚希は前者しかないと思っていた。
「着いたわ。ここよ、こーこ!」
無表情から笑顔に戻った羽菜の指す先には、学校のようで学校ではない摩訶不思議な建物があった。
「もしかして……ここ、なんて言わねえよな?」
「言うわよ。ここだもの」
柚希は目の前の建物を下から上まで、ゆっくりと見上げていく。背筋が反った。
見た目は学校となんら変わりない建物だった。建物の色を除いては、だが。
誰の趣味かはわからない。しかしかなり悪趣味なのは一目瞭然である。ピンク色の校舎とは何事か。
門がある、玄関がある、校庭はないが屋上はあるようで、機能としては見た感じ学校と大差はなさそうだった。門にはちゃんと学校名も書かれている。
――桃色学園。
柚希は瞬時に『十八歳未満の方はお断り』の文字を探しに探した。または深夜番組で見たことないグラビアがギリギリのラインで色々やらかす番組かと思った。
「なにやってんの。ほら、いくわよ」
早速、羽菜は傘を閉じている。
「おい、待てコラ。ど―――見たって喫茶店じゃねえし、怪しいじゃねえか!」
「怪しいと思うから怪しく見えるのよ。見た目で判断しないの」
「んな無茶苦茶な!」
「ほら、早く! もうっ!」
柚希は無理矢理腕を引っ張られ、よろめきながら玄関に向かう。
目がチカチカするほどのドピンクの建物を見ると、どっと疲れが押し寄せてきた。覚束ない足取りで中へ入り込むと柚希は度肝を抜かれた。
「すげえ。本格的だな」
内装も学校に忠実に作られており、玄関には生徒用の下駄箱が並んでいる。そこでシューズに履き替えるシステムらしい。
柚希は羽菜を真似てシューズに履き替え、後に続く。
下駄箱からすぐの所に廊下があり、長々と続いていた。結構な広さだ。相当金をかけているに違いない。
喫茶というより、もはやアトラクションである。
柚希は思わず優が雑誌を見ながら“萌え”について激しく語っていたのを思い出した。今時こういうのが流行るんだろうか、と若人のくせに思う。
「いい? 合コンなんだからちゃんと女の子らしくしなさいよ」
小声で念を押す羽菜。少しは気を使っているのだろう。いや、今男だとバレたら自分にとっても不都合だからか。
「わーってるって」
柚希はやる気のない返事をする。ここまでくると相手の男がどういう奴らか気になってきた。
場所は本格的。これで相手が不細工だったら蹴っ飛ばして帰ろう、なんてふざけたことを考える。相手が美少年の方が憤怒の念を覚えるだろうが。
「おまえも一応女だったんだなぁ。こーんなとこまで来て出会い求めるなんてよ」
嫌味の一つぐらい言っても罰は当たらないだろう。その代わり拳が飛んで来るかもしれないので、柚希はあえて独り言を装って呟いた。
「別に出会いは求めてないけど」
「んじゃ、なんでこんな怪しい所利用してんだよ」
黙っていれば美人なのだ。黙っていれば。わざわざこんな所を利用しなくても男から寄ってくるだろうに。
「流行は一度試してみたいじゃない」
それが今時女子高生の志向なのか。見た目は女子高生でありながら、そんな志向は知りもしない、知りたくもない柚希は平返事する。もうどうでもよかった。
ニ人は肩を並べて歩き、職員室と書かれた部屋を通り過ぎると校長室の前で立ち止まった。
「校長室?」
「ここが受付になってるのよ」
柚希は新入生のように校内もどきを見渡し、見慣れない校長室の扉をまじまじと見た。
「ちょっと。時間ないって言ったでしょ!」
「うわっ、いきなり引っ張るなっつーの」
羽菜は柚希の首根っこを掴んだまま校長室の扉を開ける。
扉の向こうは校長室をモチーフに作られた部屋だった。高そうなふかふかソファーにトロフィーや賞状なんて作り物まで飾ってある。
二人は高そうな皮製の椅子に座っている丸い人影と対面した。
「ようこそ、新入生」
そこにいたのは校長らしき太めのハゲ散らかしたおじさんだった。人の三倍は汗を掻きそうなおじさんが柚希達を快く迎える。
おじさんはぎしぃ……と音を立てて椅子から立ち上がった。
「丸い……」
あまりの丸さに、柚希は思わず釘付けになっていた。
思っていることが顔に出てしまっている柚希を見兼ねた羽菜は、
「店長が校長っていう設定なのよ」
耳打ちする。
「なるほど」
流行にのって儲かってる分、脂肪もついたんだろう、と柚希は校長の腹を見た。三段腹なんてレベルではなかった。軽く五つ子を身篭っていそうである。
「君達はここの校則はご存知かね?」
喋ると三重顎のせいできつそうである。
「まあ、一通りはね」
羽菜は態度も口調もそのままだ。さすがといえばさすがで、やっぱりといえばやっぱりである。
「校則? なんだよ、それ」
柚希がいつもの口調で問うと羽菜は目で殺す勢いで睨み、足を思いっきり踏んづけた。しかも踏んづけたのは爪先だからタチが悪い。
「ひいっ!」
痛がる柚希を尻目、羽菜は髪を嫌味に靡かせた。
「わわわ、私は校則を知らないんですけど」
柚希は引きつった笑みを浮かべ、女口調に変えて再度問う。
ちくしょう、なんで俺がこんな目に……!
それでも黙って従う柚希には元からその素質があるのかもしれない。
「では、説明しましょう」
ふとましいおじさんは体をたっぷんたっぷんさせ、地を揺るがし、ソファーに座った。
もしあのソファーが人間だったら……さぞ辛いことだろう。乗ってきたのは重い上におじさんの尻。死に急ぎたくなる。
ソファーはプシュゥゥゥと悲鳴をあげて、おじさんの尻を受け入れた。やけにその部分だけへこんでいる。おじさんは自分と向かい側に座るよう、二人に手で示した。
「校則はすなわちここのシステムの事。ここにいる限り、そのシステムに従ってもらう」
あの腹すげえなほんと……こいつ今まで一体何食って生きてんだ?
柚希は自分で聞いておきながら全く上の空だった。揺れる腹に目を奪われている。あまりに真剣な表情で腹を見つめるので、一見話を聞いている風に見えた。そのせいもあって、おじさんも解説を続けている。
「後ほど、選んでもらおうと思っていたんだが」
そう言うとおじさんは、ふんっと鼻息を荒くして立ち上がる。
その後姿は三頭身。巨体のおじさんにとって、きっと立ち座りは相当な体力を消耗するだろう。気合が必要だ。
今、ぜってえ腹が波打ったぞ。あれトイレする時どうしてんだ?
そんなどうでもいいことばかり考える柚希だった。
おじさんは校長机からいくつかファイルを取り出し、ソファーに舞い戻る。クーラーがガンガンきいているというのに、ハンカチで何度も汗を拭うおじさん。
ここで諦めたらダイエット終了だよ……その肉汁は無駄にはならないはずだ! なんて、物凄くどうでもいいことを幾度となく考える柚希。
普段の授業でさえ真面目に聞いたことのない柚希にとって、人の話を集中して聞くなんて出来やしないだろう。
おじさんは肉汁を拭き取りながら、いくつかの学生名簿をソファー前のテーブルに置いた。
「こんなにいるの?」
羽菜は置かれた学生名簿を眺めて思わず口を挟む。




