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HOPE!  作者: NATSU
第三章 『危ない放課後』
15/35

(1)

「うわ、すげえ雨降ってるじゃねえか。やっぱり傘持ってくるんだったなぁ」

 柚希は玄関の屋根の下で、黒く染まった空を見上げていた。

 天から突き刺さるように降る雨は激しく地面を叩きつけている。いつ雷が鳴ってもおかしくなさそうだ。こんな中、傘も持たずに出歩いたら風邪が更に悪化してしまうだろう。

 さて、どうしたものか。

「なに、あんた傘持ってきてないの?」

 柚希が水溜りを眺めている、その時だった。背後から羽菜が現れる。長々待たせるつもりかと思いきや意外に早く来たのは助かった、と柚希は苦笑した。

 今から何をする気かは聞かされていない柚希である。

 とにかく、何でも、どうでもいいから、早く帰りたい。今はそれだけが、柚希の切実な願いであった。

 羽菜は柚希の傍らに立つ。

 横目で身長差を再確認する柚希。自分より5センチ? いや4センチほど高い気がする。柚希は無償に腹が立った。

「天気予報も見なかったわけ?」

 羽菜は傘を差しながら、しれっと言う。つくづく嫌味な女である。

 「私の傘でよかったら入って」なんて言えねえのかよ! って、言えねえよな……ごめん、俺が悪かった。そんなありえねえ妄想しちまって。女からそんな優しい言葉が出るわけねえよな。

 そんなベタな展開は少女漫画だけである。

「朝は雨なんか降ってなかったんだよ」

 それに傘は陽菜に貸したまま……って、そういえばあいつ俺の傘どうしたんだ? 今日その傘を返してくれていれば、こんな雨ぐらい凌げたわけで。

 しかし彼女を責めるようなことは何故か出来そうにない、柚希である。

 また自然とため息が出る。ため息をつくと幸せが逃げる、とはよく言ったものだが、不幸がくるとは聞いたことがない。今日はため息の分だけ、不幸が降りかかっている気がする柚希だった。

 この雨の中、傘なしでどうしろっつーんだ……。

 まだ真っ直ぐ自宅へ帰れるならよかった。これから見知らぬ場所へ、この我侭女に拉致られるのだから困るわけだ。

 彼女が傘に入れてくれるだろうか? さすがにこの大雨だ。見捨てるなんてそんなひどいこと!

 ……当たり前にやってのけるだろう。彼女なら。

 柚希は傘を差した羽菜を羨ましそうに見て、

「ああっ!」

 傘を指差して叫んだ。激しい雨音の中でも、はっきり聞こえるほどの大きな声で。

 何故か、どうしてか、何が起こったのか。柚希は不思議な光景を目の当たりにして、無意識に声がでかくなる。

「その傘! 俺のじゃねえか!」

 なんと羽菜が差したのは、見覚えのある、愛着のある、青色の大きめの傘だった。どこからどう見ても柚希の傘である。

 柚希には少し大きめの傘だった。女向けの可愛らしいキャラクターの傘なんかを差すなんて論外。ちゃんと男らしい傘にしたくて買った傘だ。

 予想外の展開に柚希は口を開けたまま、今にも涎が出てきそうな崩れた顔をしている。

「あーこの傘あんたのだったんだ。家にあったの、家に」

 羽菜はとぼけた感じに言う。

「昨日、陽菜に貸したんだ。あいつ、傘持ってきてなかったからよ」

 だから分かったならさっさと返しやがれ!

 柚希は催促するように右手を差し出した。よくよく見れば何故か羽菜はビニール傘も所持している。

 白の半透明の安っぽい、しかし実は見た目より結構な値段のする、ビニール傘。恐らく購買部のものだろう。ならば傘を奪い取ったって問題ないはずだ、と柚希は更に右手を前に出す。

 傘がないっつーんだったら、まあ、可哀想だし? 一応女の子だし? 一応、だけどな。んまっ、傘に入れてやってもよかったけどよ。

 貸しを作ることによって自分の立場を上に出来る、といった幼稚な考えからだった。

 ちなみに柚希の右手は宙に浮いたままである。

「なにしてんの、行くわよ」

「…………え?」

 思案を巡らせている間、横にいたはずの羽菜はいなくなっていた。その羽菜はというと既に傘を差して玄関の屋根の外に出ている。

 ……柚希の傘を差して。

 その場に残された自分の右手が異様に寂しく見えた。手を繋ごう、と誘って断られた男のようだ。

「おい」

「いい? 時間ないんだから急いでよね」

 柚希は傘を持っていない。それは羽菜も今の時点で知っていることである。

 柚希は右手を差し出した。これはもしかしたら気づいていなかったのかもしれない。

 だがしかし、こんな夜を思わせる真っ暗で大雨の中、傘を持たない病人に二本所持しているにも関わらず貸さないなんて気が狂っているとしか思えない。しかも一本は紛れもなく柚希のである。

 そうか! 嫌がらせか!

 そう考えれば理由がなくとも成立した。

「おーい」

「早くしないとおいてくからね」

 先にすたすた歩き出す羽菜の後ろ姿を見て、冗談ではないことを察した柚希。

「ちょっと待ちやがれッ!」

 殺気立って言うと、さすがの羽菜も足を止めて振り返った。

「なによ?」

「なによじゃねえ! その傘は俺のだろーが! 返しやがれ!」

「キャンキャンうるさいわね。男なら傘ぐらいでグチグチ言わないの!」

 柚希は目を白黒させて周囲を見回す。幸いそこに他の女子生徒の姿は見当たらず、禁止ワードを聞かれずに済んだ。安心すると動悸と眩暈が一緒にやってくる。

「いや、だからぁ、その傘は俺のだろ? なんでおまえが使うんだ? おまえビニール傘も持ってんじゃねえか」

「そんなこともわかんないなんてバッカじゃないの?」

 柚希はカチンときた。しかし大きく深呼吸して心を無理矢理落ち着かせる。敵を刺激してはいけない。敵はとても気難しい女王様なのだから。

「ああ、それはもう! 俺はバカだからわからないんです。是非理由を教えて頂きたいです」

「大きい傘の方が濡れないで済むじゃない」

 ナンダッテ?

 言葉を失った柚希は、あまりのびっくり発言に酸素を体内に取り入れるのを忘れるところだった。

「……俺が傘持ってないのわかってる?」

「だからなによ」

 彼が雨に濡れようと雑草が雨に打たれる程度にしか思っていないのかもしれない。自己中もここまでくると尊敬の域である。清々しい、ああ清々しい。

「いや、もういいです……」

 何を言っても無駄だと悟った柚希は、とりあえず鞄で雨を凌ぐことにした。鞄を頭上に乗せる。

 せめて頭だけでも守っておこう。当然、頭を守ったところで風邪が悪化しない保証はない。むしろ悪化するに違いない。

 なんっで俺がこんな目に合わなきゃなんねえんだよ!

 すべては保健室での失態のせいだ。柚希は己を呪う。

 そんなマイナス思考に脳内を占拠されていたせいか“それ”に一瞬遅れて気付いた。

「こ、こっちなら貸してやってもいいけど」

 羽菜が、あの羽菜が、わざわざ柚希の元まで舞い戻って、ビニール傘を差し出しているのだ。雨もひどくなって当然だ。これから嵐が吹き荒れるかもしれない。

 柚希は一瞬何が起こっているのか分からず、呆然とビニール傘を眺めた。

「い、いらないんだったら貸さないからねっ!」

 ないよりマシだと思った柚希は、有難くビニール傘を受け取った。

「どーも」

 それでもてめえが俺の傘を差すのかよ……。

 複雑ながらやはりビニール傘でもないよりはマシだった。

「あんた風邪引いてんでしょ。最初っから素直に借りればいいのに」

 おまえがそれを言うか!? 最初っから素直に俺の傘を返せばいいんだろーが!

 そう、言えるものなら言いたい柚希であった。

 もちろん彼女のことだ。見覚えのない傘が家にあり、それは男物の傘で、なんと男嫌いの陽菜が持って帰ってきたものだった。それだけで十分、傘は柚希のものだと予測出来る。ついでに女は勘がいい。

 柚希の傘だと勘付いた羽菜はそれを持って登校し、柚希に見せ付けるつもりだったのだろう。返さない前提で。嫌がらせ、として。

 柚希はそんな勝手なシナリオを予想し、また出そうなため息を止めて吐き出さず、飲み込んでおいた。これ以上、幸せが逃げて不幸がきても困るからである。

 あれ? だったら、このビニール傘はなんだ?

 大雨から免れることが出来た柚希にとって、そんな細かいことはどうでもよかった。

 柚希は自分をおいて早歩きで先を歩いていく羽菜の背中を追った。


「で。どこ行くんだよ?」

 柚希は半ば苛立ちながら言う。

「もうすぐ着くわ」

 羽菜は背後に柚希を従え、今だ行き先も言わず淡々と進んでいく。

 いつもならまだ明るい夕方だというのに、外は雨のせいで夜のようだった。

 繁華街に出ると店の明かりが一層煌びやかに見える。繁華街は電車に乗らずとも徒歩で行ける距離にあり、普段は学生も多く、賑わっていた。

 さすがに今日みたいな大雨の日は、部活帰りに用事を済まそうなんていう学生や、帰宅中の学生ばかりが目につく。

 文句を言っても無駄だと分かっている柚希は、黙って羽菜についていった。

「そろそろ行き先ぐらい、教えてくれてもいいんじゃねえの?」

 心の準備というものがある。何処に連れて行かれるのか、実は不安で仕様がない柚希だった。

「ストロベリー☆ハウスに向かってんの」

 聞いたことのない、いかにも危なそうな名称だった。日本語で苺の家。十分おかしい。

 羽菜は歩くペースを落とし、柚希の隣に並んで傘から綺麗な顔を覗かせる。

「なんだ、その胡散臭そうな名前は」

「あんた、ほんっとなにも知らないのね」

「知るかよ」

 柚希は口を尖らせアヒルのような口で、羽菜がいる方とは反対側の店に目を向ける。羽菜を見ずとも、呆れてバカにした顔をしているのは既に分かりきったことだ。付き合いは短いが、もう何年も一緒にいるように行動パターンが目に見えている。

 羽菜は柚希の予想を裏切らず、ため息を零すとご丁寧に説明した。

「バッカじゃないの。ストロベリー☆ハウスってのは、今流行りの高校生限定の合コン喫茶だよ」

「ご、合コン?」

 衝撃のあまり、柚希は傘を放り投げた。

「ちょっとなにしてんの! 濡れるでしょ!」

 その声で自分を取り戻した柚希は傘を拾い上げる。

 おいおい、合コン喫茶って……。

 もはや出会い系と同じ臭いしかしない。違法じゃないのか?

「なんなんだよ、その合コン喫茶って」

「同性同士のペア以上で入店可能。そこで他校の生徒と合コン出来るシステムってわけ」

 時代はそこまで進んでいたのか、と柚希は若干感心した。

「もちろん表向きはオフ会なんだけどね。いちいちセッティングもしなくて済むし、色んな高校と出会えるし。今、かなり人気の喫茶店なのよ。ほんっとあんたなにも知らないのね」

 そんな若者中の若者だけが楽しみそうなものを、毎日を必死で生きている柚希が知るはずがなかった。

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