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HOPE!  作者: NATSU
第二章 『重なる甘い誘惑』
12/35

(4)

 ぐずついた天気が続くでしょう、といった天気予報は見事に当たっていた。朝から曇ってはいたものの雨は降っていない。

 だから傘はいらないだろうと判断していた柚希は、ぽつぽつと降り出した雨を眺めてため息を漏らす。

 あれから――保健室で休むどころか疲れ果てた柚希は速やかに教室に戻って授業を受けていた。自分の席がもっとも安全に感じる。

 あーあ、購買部でビニール傘買っとくべきだったなぁ。

 窓の外を眺めながらそんなことを考えていたが、ただでさえ競争率が激しいのだ。きっと今更行っても売り切れだろう。

 あの自己中女のせいでパン買うのもすっかり忘れてたしよ。

 弱みを握られ、めでたく奴隷に任命されてしまった柚希に昼食のことまで考える余裕などなかった。

 あーあ、昼食どうすっかなぁ……。

 柚希はシャープペンをくるくるっと指先で回転させる。その時、教壇に立っている教師のザマス眼鏡がキラリと鈍く光った。

「…………月さん」

 でも今日はパンっつーより米って気分なんだよな。

「……花月さん!」

 どっちにしろ買いに行くのめんどくせえなぁ。

 柚希は昼食をパンにするか米にするか、真剣に悩んでいた。だから全くその呼び声に気付かなかったのだ。

「か・げ・つ・さんっ!」

「はいッ!」

 ザマス眼鏡の中に潜む、鋭い目が柚希を捕らえた。

「今、私が言いたいことが何か分かりますね?」

 国語教師は今日も機嫌がよろしくない。今日の国語教師は右手に指示棒を持っており、それで左の掌をペシペシ叩いている。あの指示棒は武器だろうか。

「あなたは授業中に何を考えてるんですか!」

 指示棒で柚希を差した。授業中、常に上の空である柚希を鬼の血相で睨みつけている。

 英語教師同様に独身女性はなぜ短気なのだろう、と柚希は思った。赤鬼のように顔を赤くしてすぐに角を生やす。

 怒られ慣れている柚希だったが、こうも明らかに標的にされては虫が好かない。

「えっとぉ……パンかご飯、どっち食べようか考えてました」

 嫌味含め、馬鹿正直に答える。

「…………」

 呆れ果てて言葉を失った国語教師に、

「先生はどっちがいいと思います?」

 挑戦的な質問をする。もちろん答えない国語教師を見て、柚希は拳で掌をポンと叩き、

「あ! 先生も、きび団子の方が……」

 悪ふざけがすぎた柚希の言葉は教室に落ちた雷に遮られたのであった。



「おーいってえ。今だにヒリヒリしやがる」

 柚希は廊下の自動販売機で買った牛乳を飲みながら屋上へ向かっていた。

「教科書であんなおもいっきり叩くことねえのによ」

 さっき落とされた雷のせいで頭上が痛む。自業自得とはいえ、教科書が折れ曲がるぐらい叩くことはないだろう、と心底思う柚希である。

 独身は攻撃的、と失礼すぎるイメージが柚希の脳にインプットされていた。

 柚希はぶつぶつ不満を呟きながらも階段を軽快に駆け上がっていく。

 晴れの日でもそんなに人気の無い、その階段。なるべく人と遭遇しないように、といつも人気の無い階段を選んで屋上へ向かっていた。今日は雨だというのもあって一段と人気がない。

 と、いうよりなさ過ぎて奇妙である。校内が暗いせいだろうか。不気味にさえ感じられる蛍光灯の光を頼りに階段を上った。その足音が鈍く響いて怖気を呼ぶ。

「なんかすっげえ不気味……」

 薄暗い廊下の踊り場に佇むと、チカチカと点滅する蛍光灯を見上げた。

「ひぇー何か出そうな勢いじゃねえか。俺、こーゆーの苦手なんだけど」

 柚希の足取りは心臓の音と共に速まるばかりで、あっという間に屋上のドアへ辿りついた。ゆっくりとドアを押し開ける。

 ――ギュィィィィィ。

 湿気のせいかドアは耳につく音を立てて開いた。余計に気味が悪い。

「お、よかった。やっぱり陰の所は濡れてなかったな」

 大きな声で独り言を言うのは気を紛らせる為である。

 いつも柚希が昼食をとっている屋上の陰の部分は屋根があり、雨に濡れていなかった。もちろん柚希は屋根があるのを計算に入れて、屋上へやってきたのだが。

 台風でもこない限り、昼食は屋上で過ごすと決めている。唯一の安らぎ空間なのだから。

 夜と錯覚させるほどに暗い屋上に、足を踏み入れた柚希は何か違和感を感じて立ち止まった。

 するはずのない、人の気配。屋上を見回すが、特に何も見当たらない。

 しかし右を向いて、それを見て、急に息が苦しくなる。

 屋根の下、右側に浮かぶ、一つの人影。

 だ、誰かいる……!? 誰だ? いつもここには誰もいねえ。まして雨の日に一体誰が……。

 柚希は気配を消して、ゆっくり、その人影に近づいていった。

 相手がもし校内に忍び込んだ凶悪犯だったら? 武器といったら右手に握っている牛乳パックだけである。

 しかし霊よりマシだ、と思う柚希だった。

 段々と見えてくる、その姿。後姿だろうか? 我ながら好奇心は強い方だと思う、柚希である。怖いくせに近づいていく。

 しかしこれは好奇心だけではない。自分の縄張りを守る為でもある。近づくと人影がはっきりしだした。女子生徒には違いない。何故ここに一人で?

 不気味な実感が湧いてきた。

「う……」

 柚希に気づいた人影はスローモーションで振り返る。雨の音がBGMになって不気味さを際立たせた。

 揺れる真っ黒なロングヘアーが日本人形のようで……柚希は叫ばずにはいられなかった。

「うわあああああッ!」

 柚希は狂ったように叫ぶと腰を抜かした。牛乳パックが放物線をかいて宙を舞う。

 おそらく誰もが思うはずだ。人影よりも叫ぶ柚希の顔の方が怖い、と。可愛い顔が台無しである。

「……希ちゃん?」

 その人影は自ら柚希に近づいていった。

「あーごめんなさい、ごめんなさい! 授業中いつも寝てる俺が悪いんです! 教科書も忘れてすいません! 女なんか下品で凶暴なだけ、なんて思ってませんとも! だからお助けをぉおおおお!」

 柚希は必死に土下座で謝る。その本気ぶりといったら、おでこを地面に擦り付けるぐらいだ。

 きっとこの学園にとりついている女子高生の霊に違いない、と確認もせず、柚希は勝手な解釈で助けを懇願していた。女ですら怖いのに女の霊だなんて……柚希は泣きたい気分だった。天にすがったって助けてくれないことは前回で学んでいる。

「……柚希ちゃん?」

 聞き覚えのある、おっとりした声。

「え?」

 柚希ははっとなって顔をあげた。

「大丈夫?」

 その顔を見て柚希はようやく冷静さを取り戻した。そこには髪をとかしている陽菜の姿があった。

「ひ、陽菜かよ」

 全身から力が抜け切った柚希は、その場にぐったりと死体のように倒れこんだ。

 人影が陽菜でよかったようなよくないような。結果助かったが、あんな情けない姿を晒したことが納得いかない。ささやかな男のプライドだ。

「ったく、驚かせんなよな。こんな所で真っ黒な長い髪の毛とかしてたら、こえーだろ」

 正体が分かると強気な態度に出る。

「ごめんねっ。湿気で髪の毛が絡まっちゃって」

 陽菜は絡まっている部分をくしでとかす。見ると毛先が絡まっているようで、そこに陽菜は苦戦していたらしい。

「だったら切っちゃえば?」

 柚希はあっさり言う。

「えっ?」

「長いより短い方が絶対いいよ」

 それは自分の想いであった。男なのに髪を伸ばすことを義務付けられている柚希は、髪を洗うにも時間がかかり面倒で仕様がない。朝もとかして結ぶ暇があったら睡眠時間に費やしたいと常に思っていたのだった。

「短い方がいい、かな?」

 陽菜は髪を握ったまま、何故か頬を染めて問う。

「え? うん」

 柚希はまたもやあっさりと答えた。短い方が楽だし、しかも夏場は涼しいに決まっている、と思う柚希である。

 陽菜は何かを決心したように小さく頷き、髪の絡まりをとるのを諦めた。

「?」

 柚希は首を傾げると、無残にも地面に放り投げられている牛乳パックを見た。

「ギャ―――――!」

 そして叫び、立ったまま気絶寸前になる。口から白い魂が抜けていた。

「俺の昼食がぁ……」

 誰かさんのせいで昼食を買いそびれた柚希は、牛乳だけが本日の貴重な食料だったのだ。しかしその貴重な食料は地面に白い液体を放って、転がっている。柚希は四つんばいになって項垂れた。

「あのぅ……」

 陽菜は恐る恐る柚希に声をかけた。

「ん? ああ、まだいたのか。っつーか、何でおまえここにいるわけ?」

 陽菜の存在をすっかり忘れていた柚希は、その場であぐらをかく。

 自分に微笑みかけている陽菜を見ると、何を言い出すのか少し怖くなった。自分に気がある、そうはっきり分かると接しにくい。

「あのっ。一緒にお弁当食べようと思ってっ。それとぉ……」

 陽菜は慌てた素振りで、小さなバックから何かを取り出した。

「よかったら……あっ、お口に合わないかもしれないけどっ。昨日、傘貸してくれたお礼、です」

 ピンクの綺麗な布に包まれた弁当箱を両手で差し出す陽菜。

 今日は俯かず、柚希に微笑みかけている。その笑顔に偽りはない。ナチュラルで可愛らしい笑顔だった。

「え? 俺に?」

 目の前の包みをきょとんと見る。パンを買いそびれて食料のない今、柚希は弁当を前にして気を抜いたら涎が溢れ出しそうだった。

 弁当といってもコンビニの弁当にしか縁のない柚希にとって、手作りの弁当なんて拝みたくても拝めない品物である。

 柚希はごくりと唾を飲んで、弁当に心を奪われていた。

「はいっ。あのぅ……実は……昨日借りたはずの傘が朝から見当たらなくて。お父さんが間違って持ってちゃったのかもしれないです、それで、そのぉ……」

 弁当を手渡し、言い出しにくいせいか陽菜はもごもごしだすが、

「うわっ! マジで!? やーりぃ!」

 両手をあげて盛大に喜んでいる柚希は、弁当に夢中で全く話を聞いていない。早速、弁当を開けて食べ出す始末である。

 子供のように無邪気に喜んで食べ始める柚希を見て、陽菜は微弱な笑みを浮かべた。

「うん、美味い! 俺、いっつもパンなんだ。手作りの弁当とかすっげー久々」

 リスのように頬張る柚希を見ながら陽菜も自分の弁当箱を開けた。柚希の弁当箱より小ぶりの弁当箱である。

 がつがつと男らしく食べる柚希を見て、陽菜は小さく声を漏らして笑った。

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