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HOPE!  作者: NATSU
第二章 『重なる甘い誘惑』
11/35

(3)

「ねえ、あんた。やけに貧乳じゃない?」

 おまえに言われたかねえよ! と全力でつっこみたかったがそこはぐっと堪える柚希。どう見ても羽菜の胸元も男の自分と同等レベルに貧しい。膨らみが見当たらず、制服の胸元には山も谷もない。

 柚希は羽菜の手を掴んだまま、

「いきなり人の胸触るなんてどーゆー神経してんだよ」

 もっともなことを言った。

 同じベットの上にニ人で乗っかり、胸を触られる。そんな現場を誰かに見られでもしたら、明日には変な噂が広がっているに違いない。

「はぁ? あんたの胸なんてどうでもいいの! 心臓の音を確かめようとしただけじゃない。なんでそんなに怒ってるわけ?」

 羽菜もまたもっともなことを言い、柚希の手を払いのけた。

 柚希は胃がきりきり痛くなる思いでため息をつく。もう保健室で休むのは諦めて早く教室に帰ろう、と思い始めていた。

 一方納得のいかない羽菜は腕を組んで口をへの字にしている。

「ねえ、あんたなんかおかしくない? 私さあ、昨日からなーんか変だと思ってたんだけど」

「あ? なにがだよ?」

 変なのはおまえだろう、と言ってやりたい気持ちを柚希は押し殺した。

 羽菜はそのままの姿勢で柚希の目を凝視する。すべてを見透かしてしまいそうな、その真っ黒で大きな瞳で。

 柚希は嫌な予感を察知し、お尻を少し浮かせて後ろに下がり、羽菜から離れようとした。しかし同じベットの上、逃げれる距離なんてたかが知れている。

 その瞬間、

「んなっ!? いでっ!」

 瞬く間に押し倒され、ゴンッと鈍い音を立ててベットの頭柵で後頭部を打ち、

「……まさかの、まさかだわ」

 次に目を開いた時には、受け入れがたい現実がそこに存在した。

「!?」

 自分の制服のシャツと下着は綺麗にたくしあげられ、男の胸元があらわになっていたのだ。

「マ、マジかよ……」

 柚希は脱力する。

 と、その光景に目を奪われている拍子に、


 ――パシャリ。


 今ではレトロにさえ感じられるシャッター音が聞こえた。

「…………え?」

 一瞬の出来事に抵抗する間もなく、考える余裕もなかった。そのシャッター音だけが、確実に、現実を知らしめる。

「証拠ゲット、と」

 柚希は自分を押し倒した張本人を見た。不適な笑みに満ちている、彼女を。

「おい……おまえ、それ……」

「なに、あんた携帯も知らないの?」

「そうじゃなくて!」

「あーこれ? 私、タッチパネルってどうも嫌なのよね。だから未だにガラケー使ってるのよ」

「だからそうじゃなくて!」

 羽菜の右手にはストーンで派手にデコってあるピンク色の携帯が握られていた。

「おまえ……今、なにしやがった?」

 柚希の顔色はみるみる絶望的な顔色に変化していく。

「写メ撮っただけだけど。あんたまさか写メも知らないの?」

「ちっが―――――う!」

 受験に失敗して人生どん底みたいな顔をしている柚希を、羽菜は勝ち誇った顔で見た。

「まさかのまさかだとと思ったけど……あんた、やっぱり男だったのね」

 予想が当たった羽菜はやけに嬉しそうだ。

「昨日もおかしいとは思ったのよ。これはレズか男かどっちかだと思ったわ。まさか本当に男だとは思わなかったけど」

 もう何も耳に入らなかった。柚希はお経を聞いている気分でいる。

「ま、陽菜には言わないから安心していいわよ。言ったら面白くないものね」

 自分主義な喋り方をする羽菜の会話は解読し難かった。疑問符を飛び散らしている柚希を見て、羽菜はため息をつき、

「陽菜は男がすっごい苦手なのよ。でも私知ってるのよね。あれ、決して男が嫌いなわけじゃないの。だから男らしい女の子に興味を持つっていうか、擬似恋愛しちゃわけ」

 そんなこともわからないの、的に言った。

 男に興味がないわけではなく、苦手ゆえに接することが出来ない、とのことだった。ゆえに男らしい女の子に対して擬似恋愛してしまうという。

 つーことは、やっぱり俺の自意識過剰じゃなかったってわけか……。

 柚希は思わず半笑いした。

 ん? 待てよ。つーことは、あいつは俺が男だってことに気づいてない!?

 一縷の希望の光が見え、思わず顔を緩める柚希である。

「あんたが男だって知れ渡ったら、どうなるか見物だわ」

 羽菜はニヤリと笑って言う。人の不幸は蜜の味、といわんばかりの顔で。

 見えた希望の光は羽菜によってすぐに閉ざされ、強制終了されてしまった。下手に刺激しないよう、柚希は無言で耳を傾ける。

「あんたみたいな可愛い系の男を好む女は多いわ。いろーんな意味でね。こんな飢えた女子校にいちゃ、例え男でもどうなるかわかんないわよ」

 嬉しそうに、楽しそうに、にやけて言う姿が憎らしくて仕方がない。柚希は怒りを必死に抑えて歯を食いしばった。

 しかし羽菜が言うことにも一理ある。複数の女相手に勝つ自信はない。変態の称号をもらうのも嫌だが、襲われるのも嫌だと柚希は深く思う。

「で?」

「で? って?」

 柚希は土色に染まった顔で、

「俺の弱み握ってどうするつもりなんだよ」

 一番重要なことを問う。

 バラされては困る。母親や四姉妹の逆鱗に触れることはもちろん、この学園、地元での自分の立場もどうなることか。

しかし相手は話して分かってくれる相手でもないだろう。わざわざ写メまで撮るぐらいだ。

 柚希はなかなか返答しない羽菜を眺めながら、どぎまぎしていた。

「そうねえ……」

 何処の女王様だ、と突っ込みたくなるような態度で下す命令を考えている羽菜。二つ折りの携帯を開いたまま、ちらつかせて楽しげだ。

 そんな羽菜とは裏腹に柚希は冷や汗が一向に止まらない。テンションは急降下していくばかり。

「決めた!」

 いきなり声をあげた羽菜を柚希は冷めた目で見た。

「よし、あんた私の奴隷になりなさい!」

「…………は?」

 即答。

 何を言い出すかと思えば、奇人発言だった。

 こいつ頭大丈夫か? と、心底心配してやる、柚希である。

「こういうの、流行ってるんでしょ? 執事とかシークレットサービスとか奴隷とか主従関係的な」

「いやいやいやいや、執事とシークレットサービスに対して奴隷は全く別ものだろ!?」

「一緒よ。なんでも私の命令をきく。同じじゃないの」

 めんどくさそうに言う羽菜を柚希は唖然として見た。呆れ果てて、口が開きっぱなしである。

「つまり私の忠実なる犬ね、犬。わんわん」

「ふざけるなあああああッ!」

 男だったら殴り飛ばしていた。間違いなく速攻でぶん殴っていた。柚希は構えた拳をそっと隠す。

「よし、じゃあパトラッシュね」

「おまえはネロか!」

「あーもう、いちいちうるさい。キャンキャン吠えるの辞めてくれる? 奴隷と下僕と犬は同じなのよ? 知ってた?」

 さすがの柚希も頭にくる。

「おまえ友達いねえだろ」

 その返答だけは、なかった。何故か一気に空気が重くなる。図星だったのか、柚希は触れてはいけない話題に触れてしまったようだ。その反応に少しの罪悪感と疑問を抱く。

「……も、もう決めたんだからねっ」

 短い静寂を羽菜が破り、柚希はこのたび奴隷に任命されてしまった。奴隷のような私生活を送っているのに、まさか学校に来てまで同じ扱いを受けなければいけないとは……。

 柚希は羽菜がちらつかせている携帯に目をやった。証拠隠滅を目論んだのだ。写メを消して、その後のことは後で考えよう、などと適当な思案をめぐらす。

 鼻歌でも歌いだしそうな雰囲気の羽菜は、ご機嫌に携帯をチェックしだした。その好機を逃すまいと、柚希は、

「それ! よこしやがれ!」

 携帯目掛けて飛び掛った。険しい表情で飛び掛る柚希の目は本気だ。

「きゃあっ!」

 羽菜の両手首を掴み取り、動きを封じたまではよかった。携帯もそのまま難なく奪えるだろう。

 しかし問題は違うところにあった。

「さっさと携帯をよこし……」

 言葉が途切れた。言葉を続けることが出来なかった。

 自分の下にいる、羽菜。

 今度は自分が彼女に覆いかぶさっているのだ。

「えっ……あ、その……」

 柚希は半開きになっていた口をきゅっと結ぶ。

 目前にある顔を見下ろすと、顔を真っ赤にして唇を震わせていた。何か言いたげで、しかし言えないようで。

 かすかに潤んだ瞳で見上げられ、自分の中で沸いたことのない感情が湧き上がる。これを人は本能と呼ぶのだろうか。

「……うわ! ご、ごめっ!」

 柚希は飛び上がるようにして、羽菜から体を離した。

「…………」

 なにすんのよ! この変態! と罵られるのを覚悟していた柚希だったが、羽菜は無言で起き上がった。

 なっ、なんなんだよ。その女みてえな反応は。男ってわかってすぐ、そんな意識されても困るっての。

 柚希は頭をわしゃわしゃと掻いた。

 羽菜は視線を彷徨わせて、柚希に視線を戻して言う。

「……今から一眠りすることにするから」

 さっきの出来事に関しては触れなかった。よかったような、よくなかったような、柚希は煮え切らない気分だった。結局、証拠は彼女の手の内にあるままなのだ。

 今、力尽くで奪うことは安易だ。しかしそれは男としてやってはいけないこと、だと柚希は感じた。どんなに憎くても、どんなに腹が立っても、あの反応を見てしまっては、彼女を女の子と認めざるを得ないのである。

「そ、そうか」

「ちょっと。人の話聞いてた? 私は今から寝るって言ってるのよ?」

 元の強気な口調に戻ったかと思えば、また何もしていないのに何故か怒られている自分がいた。そのどでかい態度にも段々慣れてきた柚希である。

「寝りゃーいいだろ、寝りゃ」

 強気に言い返した柚希だったが、すぐに後悔した。言わなきゃよかった、と。

 その台詞を聞いた羽菜は突然ベットの上に立ち、右足を上げる。

「お、おい。なにすん……!」

 すると、こともあろうことか柚希を足蹴りにしベットから蹴り落としたのだ。

 どっすん、と鈍い音がして柚希は再び尻と腰の傷みに悲鳴をあげるはめになった。

「いってええええええ! てめえ! いきなりなにしやがんだ!」

 突然ベットから蹴り落とされた柚希は苦痛に顔を歪ませ、床で芋虫のようにくねる。

「だから私は今から寝るって言ってるの! なのになんであんたもベットにいるのよ」

 羽菜は言いたいことだけ勝手に言ってのけ、素早くカーテンを締め切った。そのベットで最初に寝ていたのは紛れもなく柚希である。

 あまりの自己中心的な発言に柚希は呆気にとられていた。開いたままの口が彼を余計にアホ面に見せる。

「あ、言い忘れたけど」

 再びカーテンが顔一つ分開き、そこから顔を出した羽菜が怒気を含んだ声で言う。

「あんたはさっさと教室に戻りなさいよね。寝てる間になにされるかわかったもんじゃないわ」

 いいわね、パトラッシュ! と語尾についていた。奴隷任命はどうやら撤回されていないらしい。

 この瞬間、時が止まったようで。

 柚希は思考回路が停止していた。頭上では呑気にピヨピヨとヒヨコでが飛んでいる。

 まぬけ面のまま静止していた柚希はやっとこさ思考回路が修復され、

「なんて勝手な女なんだ!」

 既に寝息を立てている、自称ご主人様に言ってやった。すぴーすぴー鼻を鳴らしながら、気持ち良さそうに眠る彼女にその本音は届きやしない。それ以前に奴隷の叫びなど聞き入れるわけもないが。

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