変化 3
「田中くん、今日帰り、例のところに付き合って」
重い荷物を手提げ袋に入れ、息も絶え絶え登校しながら、あたしは校内でたまたま出会った田中くんにそう言った。あたし、決めたから!
「あ、うん。いいけど……」
田中くんはあたしの形相とその荷物の多さに、若干引き気味だった。
「絶対、間違ってるの思うの!」
田中くんがあたしの荷物(手提げの紙袋)をどん、と祠の前に置いた時、あたしは言った。
文字通り、肩からの重荷を下ろしてホッとした様子の彼は、あたしの勢いにビクッとした。
「え? 何が? 置く場所ここじゃないの?」
「そうじゃなくて!」
「あ、ごめん、じゃどこ?」
「そういう意味じゃなくて!」
思わず地団駄を踏んでしまうあたし。えいっえいっ。
田中くんは、あたしの様子に唖然としていた。
「じゃ、どういう意味?」
「学校! この状態! 絶対、間違ってると思うの」
途端に彼の顔色が変わった。すっと不安げな真顔になる。
「……」
「でもそれがわかるのって、あたし達だけだと思うの」
「……僕達だけ?」
「佐々木先生が苛められ始めたの、二学期に入ってからだよ? あたし達が夏休みに、アレを見てからだよ?」
「……」
「なんかあると思わない?」
「……アレが、関係してるってこと?」
「わかんない」
あたしがそう言うと、田中くんは耐えきれなくなったのか、顔を反らした。
荒れてしまった桑原くん。
泣きそうな田中くん。
無表情なかず君。
イライラしながらも、ビクついているあたし。
あたし達は、そろそろ、あの秘密に耐えきれなくなっている。
学校のこんな状態が、あたし達に更なるストレスを与えている。
「それにしても重かったね。今日は何を持ってきたの?」
わかりやすく、話題を反らされた。ぎく、あ、見られた。
「……マンガ?」
そう。いわゆる……ティーンズラブ、と言うやつです。エッチ系です。題名だけじゃ、分かんないけどね。一話に必ず1エッチシーン、基本です。
「最近お母さんが、あたしの部屋を勝手に掃除する事が多くなってきて……」
そう言いながら、あたしはさり気なさを装った。早くその手を袋から離してー。間違っても、一冊取ってペラペラめくったりしないでお願い。
「それで、ここに? もったいない、誰かにあげればいいのに」
「……いえ……」
それは恥ずかしいもの……。田中くんが紙袋を閉じてくれたので、ホッとする。
そうじゃなくて!
あたしは再び彼にかみついた。
「誰かが裏サイトに、先生の悪口を書いたからなんだって。誰が何でそんな事をしたんだろう?」
「知らないよ、そんな事僕に聞かれても」
田中くんの返答に、わずかな苛立ちが混じる。あたしは無視して続けた。
「耳って、平手打ちされると聞こえなくなったりするんだって。テレビで見た事ある」
「え?」
「佐々木先生の右耳が悪いって知ってた?」
「……あ」
顔色が変わる彼。
「それで2組のコ達にバカにされてる、って知ってた?」
追い打ちをかけるあたし。
「……」
「田中くんは、なんとかしたいって思わないの?」
しばらくの沈黙ののち、彼が顔を上げた。その瞳にいつもの穏やかさは無く、怒りがはっきりと見て取れた。
「何で僕が?」
祠を背にあたしに向き直り、目を吊り上げて強い口調で言った。
「菅野さんはどうなの? なんとかしたいの? 佐々木先生を助けたいの?」
「……」
あたしも思わず、言葉に詰まる。だって、
「僕にはあんま、そういう風には見えなかったけど」
「だってあの時はまだ知らなかったし、状況とか、でも最近ぐっと変わったじゃんっ」
「変わったからって、僕達がどうするのさ?」
「そんなの分かんないよ! でも明らかにおかしいじゃない、なんか変じゃない、あたし達がアレを見てから……」
「それは夏休みの事だろ? ずっと前じゃんか! でも2組で先生をいじめる様になったのは最近で、そこに何の関係があるんだよ? それともアノ時他にも誰か見ていて、それで嫌がらせをしてるってこと?」
「だから分からないよ。でも先生の耳が悪くて、それで2組の人達にバカにされているのは事実なんだよ? それだけでも、」
「佐々木先生の耳が悪いのは野瀬先生に殴られたせいです、僕達見てました、ってそう言うの? そうすれば先生へのいじめが止むわけ? それで解決すんの?」
「そうじゃないけど、」
「佐々木先生は野瀬先生にも意地悪されてるんです、だからみんなでいじめるのはやめましょう、とかって? そしたら先生は次の日から、元気に学校に来れる様になったり? ほんとにそう思ってんの?」
「……っ」
あたしはひゅっ、と息を飲んだ。
ナニ、あれ?!
「だいだい先生がいじめられてるのって、サイトに書き込まれていたせいだろう? それと野瀬先生と、何の関係があるのさ? それにあの二人は付き合ってるみたいだし、だから……」
「たっ、田中くん、うしろ……っ」
益々エキサイトする田中くんの後ろを、あたしはがくがくと指さした。
口が金魚みたいにパクパクってなっちゃう。
い、い、息が……出来ない……
し、信じられないっ!!
ん? となった田中くんが、訝しげに後ろを振り返った。
そして、固まった。
祠の扉が開き、そこから、白い手が出ていた。ニョキっと、ふわっと、長い手が。
それは、ずるずるずる……と、あたしのお供え物……紙袋に入ったマンガとお菓子、を引きずっていった。
そして祠の中に取り込むと、パタン、と扉が閉まった。
その手は、透けていた。
うん、透けていた。
あたし達二人は、固まったままだった。それは一秒だったかもしれないし、一分だったかもしれない。
「……逃げろっ!!」
と、多分、田中くんはそう言ったんだと思う。
とにかく半端ない勢いで、それはもう、前回とは比べ物にならないくらいの全速力で、あたしは彼に引きずられ、転がるようにして雑木林から出た(事実、何度か転がった)。
あっという間、でもやっとの思いで、あたし達は林の外についた。
学校前の通りに出た途端、田中くんは座り込んだまま、動かなくなった。本当に、言葉が出ないらしい。
あたしもあまりのスピードと長距離に(あれだけのスピードを維持したら、どんな距離も長く感じる)、しばらく息継ぎしか出来なかった。
「信じらんない……お化けって……お化けって……」
田中くんは体育座りをしたまま、頭を抱え込んだ。
「……少女マンガを、読むんだ」
「そこっ?」
いや、さすがに突っ込むでしょここは。あたししかいないもん。
「だって見たでしょ?! ……まさか菅野さん、見たの初めてじゃないとか?? だいだらぼっち!」
あ、ソレあたしが言ったヤツ? マズイ、刷り込んじゃった?
「おっきくなかったじゃん。手だけだったでしょ」
「だから余計怖いんじゃんっ! わーっ」
耳を塞いで顔を足の間に埋める。背の高い田中くんが、ちっちゃくなっちゃった。
そんな彼を見ながらも、あたしは徐々に、胸が高鳴ってきた。
顔が火照ってきて、両手で頬を抑える。
「どうしよう、あたし、興奮してきた」
「え?」
「やっぱり本当に、おきゃくさんはいたんだぁ……」
ついに、ついに、ついに見たあたし! やっと見れたあたし! 信じてよかった!!
ポカンと口を開けた田中くんは、しばらく動かなかった。やがて顔色真っ青なまま立ち上がると、あたしの両肩をガシっと掴んで、覗きこむようにして言ってきた。
「いい? ねぇ、もう絶対、一人で行っちゃダメだよ?」
「うん、わかった。絶対、田中くんを誘うね!」
「……そっ……そう」
そんなぁ、といった目で情けなく、彼はおずおずと頷いた。
でも大丈夫。心配しないで。きっと絶対、いいことあるから。
あたしは笑いが止まらなかった。
どうしよう、なんか急にテンション上がってきた。ウキウキするよっ。