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変化 2

 それから数日経った12月の頭、あたしはネックウォーマーに手袋をしてダウンジャケットを着て、少しきつくなったランドセルを背負って、いつも通り登校した。

 冬の空は朝からどんよりと曇っていて、灰色がかった校舎がそんな空模様と同化して……いない。


 校舎が、カラフル?


 校庭は沢山の児童で、人だかりの山が出来ていた。みんな大騒ぎ。校舎の壁を指さして、興奮している。

 背伸びをして校舎を見たあたしも、絶句した。


 灰色の校舎にカラースプレーで、大きく落書きがされていたのだ。

 それらは全て、佐々木先生の悪口だった。

 「ササキは男好き」とか「キモイ」とか「ササキしね」とか、他にも色々と、とてもカラフルな色で書かれている。見た目明るいのに内容暗い、みたいな。あたしの後から来た児童も、あまりの事に唖然としている。

 ……うわぁ……これは強烈ぅ……。

 あたしは開いた口が塞がらなかった。


「みんな教室に入れ! 入りなさい! 早く!」


 先生達が大声を上げている。もちろん、それくらいでは誰も動き出さない。興奮と期待で、みんな目がキラキラしている。次は何が起こるんだろう、っていう期待。

 あたしもドキドキしてきたけど、それは何とも嫌な気持ちだった。


 なにこれ、ついていけない。この学校では、一体何が起こっているの?

 佐々木先生は、どうしてここまで嫌われたの?


 気がつくと桑原くんが、あたしの隣に立って、ぼーっと落書きを見ていた。

 あたしがギクッとすると、桑原くんもあたしに気付きギクッとした。

 けど次には、疲れたような表情でまた前を見た。


「書いた奴、ヒマだな」


 ぼそっとあたしに言う。

 驚いて彼を見つめていると、再び彼と目が合った。桑原くんの目つきは相変わらずきつかったけど、その瞳は何の感情もうつしていない。あたしはただただ、びっくりした。

 桑原くんが、こんな顔で、あたしに話しかけるなんて。

 彼があたしに話かける事なんて、今までなかった。そして常に、敵意に満ちた瞳であたしを見ていた。

 そんな彼が、こんな表情であたしに話しかけるなんて。


 彼はよっぽど、何かに追い詰められているのでは?

 あたしは咄嗟に思った。

 ガラス割りも校舎の落書きも、やっぱり絶対、桑原くんじゃない。


「入るんだ! 授業が始まるぞ、早くしろっ!」


 怖い事で有名な男の先生が、声を荒げた。他の先生達も四方八方からあたし達を急き立てる。皆ようやく、渋々と動き出した。

 だけどその中で一人、背の高い男の子が立ちすくんでいる。田中くんだった。

 田中くんは、校舎の落書きを見たまま固まっていた。

 その顔はものすごく傷ついた表情をしていて、今にも泣きだしそうだった。


 何で田中くんが泣きそうなの?

 

 驚いてあたしは彼を見つめた。瞳がゆらゆらと揺れている田中くん。こんな表情、前にも見た。

 次の瞬間、あたしは閃いた。もしや!


 一度そう思うと誰かに確かめたくなって、いてもたってもいられなくなって、あたしは昇降口に向かって走り出した。

 そこは皆がいっぺんに入ったから、とても混雑している。あたしはその混雑の波をかき分けて、2組の靴箱の前に行った。お目当ての桑原くんは上履きに履き替え、階段に向かうところだった。

「桑原くん!」

 あたしが声をかけると、桑原くんが驚いた様に振り向いた。ビビってます、って顔。そうでしょう、そうでしょうとも。あたしだってあなたに話しかけられた時、ビビったもん。

 慌てて彼の側に寄っていくあたしを、桑原くんは、信じられないものを見るように眺めていた。


「ね、田中くんって……」

「は?」


 唐突な話題に、桑原くんの眉間にしわが寄る。あたしは他の人に話を聞かれないよう、なるべく彼の顔に近寄った。あ、この人、ちょっと背が伸びた?

「……佐々木先生が、好きなのかな?」


 桑原くんは、顔を離すと、唖然としたようにあたしを見た。あたしはそんな様子に構わず、じっと彼の目を見る。田中くんと桑原くんは大の仲良しだろうから、彼に聞くのが一番だと思ったのだ。

 しばらくすると彼は、いつもの見慣れた、敵意たっぷりの目であたしを睨んだ。


「……そうだよ? だとしたら、何?」


 あたしは驚いた、だってまさか、こんなにあっさり肯定されるとは。桑原くん、何考えてるの? いや、聞いたのはあたしなんだけどさ。

 そっか、でもやっぱり、そうだったんだ。だから田中くんはいつも、佐々木先生を見る時は悲しそうな顔をしてたんだ。


 ……そっかぁ……。アレを見た時は、田中くん、ショックだったろうなぁ……。吐きそうな顔、するわけだ。


 すると桑原くんが、ギリっと歯ぎしりをした。そう、歯ぎしりをしたの。あたしを思いっきり睨みつけながら。

「お前が気付くの、そんだけ?」

「は?」


 今度はあたしが聞き返した。何、その態度。舌打ちの次は、歯ぎしりですか? どうしてあたしはそんなに嫌われなきゃいけないの?

 怒りたいのに、人に嫌われた恐怖が先立つ。それと戸惑い。

 どういう意味?

 

 桑原くんは、怒りを込めて言った。


「役に立たねぇ奴だな。もっとしっかり見ろよ」

「……」


 全然意味、わかんない。


 あたしが呆然とすると、桑原くんはプイっと行ってしまった。

 その後ろ姿を、ただただ見送る。

 何? どういう事?






 その日一日、先生達は、校舎の壁を洗う事に時間を取られて大変そうだった。壁は中々綺麗にならない。

 児童の話題は、翌日もこの話でもちきりだった。


「そうそう、先生が苛められるようになったのって、裏サイトに悪口書かれるようになったからだって。昨日、PTAで言われたらしいよ」

「裏サイト? うちの学校に、裏サイトなんてあるの?」

 あたしはびっくりして、クラスの女子に聞き返した。

「あるらしい。こはるちゃんが携帯持ってるから、確認したって。誰が開設したのか、学校とPTAで突き止めて、そして閉鎖させるってママが言ってた」


 言われたこはるちゃんが、あたしにウィンクをする。こはるちゃんは他にも色々と「いいもの」を持っている子で、皆に羨ましがられている。

 お母さんがPTA役員の女子が、話を続けた。


「やっぱり若い先生はダメなのかしらね、ってママ言ってたよ。指導力が無くって、クラスの男の子に負けちゃったのねって。桑原くんとかスゴかったもんね、荒れちゃってさ」

「裏サイトに書き込んだのって、桑原くんなのかな?」


 やっぱり皆、そう考えるんだ。

 あたしの事を精一杯嫌っている彼だけど、でも、濡れ衣を着せられる所を見るのは、好きではない。


「するかな、あの人が」

 あたしは控えめに言ったけど、あっさりスルーされた。

「わかんないよー、そんなの。誰が書いたか、わかんないじゃん」

「こわいよねー」

「ねー。早くなくなっちゃえばいいのに、そんなサイト」

「なんかさ、佐々木先生、耳がよく聞こえないらしいよ。だから皆の言ってる事とかよく聞こえなくって、だから授業中とか、誰かが発言しても気づかなかったり、聞き返されたりで、みんな結構早くから頭きてたらしいよ。だから授業中とかおしゃべりしていても、先生が見てなきゃ、気付かないの」

「あー、それ、あたしも聞いた事がある。2組のコが言ってた。なんか、右の耳が全然聞こえないんでしょ?」

「あ、耳になんか付けてる。最近でしょ?」

「補聴器なんじゃない?」

「へー」


 ……右の耳……。

 あたしは、息を飲んだ。

 アノ時、先生は、野瀬先生に、右頬を力いっぱい殴られていた。野瀬先生は左利きだから。

 

 まさか、それで?


 あたしは緊張して、呼吸が浅くなった。どうしよう、まさか、どうしよう、何を?

 あたし、この事を誰かに言った方がいいの? 誰に? 何て?

 だって佐々木先生は大人で、あたしは子供だよ? だったら先生が、自分で何とかすればいいじゃん!


 話題はいつの間にかPTAに移っていた。


「でね、昨日のPTAで、佐々木先生、保護者にすごく怒られたらしいの。学校の雰囲気を乱したって、吊るしあげられたんだって。でもその時、上手く保護者のみんなをまとめて、上手に佐々木先生を守った人がいるって。誰だと思う?」

「え? 誰誰?」

「あ……野瀬先生?」

「正解!」

「さっすがぁ! さすがだね、野瀬先生!」

「どこまでもかっこいいねー」

「やー、うちら良かったねー。佐々木先生が担任じゃなくって、野瀬先生でさ!」


 話に夢中になっている友達を、あたしはただただ見つめていた。


 何かが間違っている。

 何かがおかしい。


 あたしは帰りに、かず君と話そうと決めた。だって彼は佐々木先生のクラスだもん。何をどう話せばいいのか、自分でもわからないけれど。




 2組の入り口でかず君と目が合うと、彼はにこっと笑いながら歩いてきた。

「今日、塾?」

「うん」


 中肉中背の彼は、何をやっても割と、目立たない。だからあたしと話していても、割と誰からも注目されない。

 あたし達はなんとなく、一緒に昇降口に向かって降りて行った。

 それとなく、さりげなく、話題を振ってみる。


「2組、大変だね」

「そう? でもおかげで、クラスのいじめは無くなったよ」

「え?」


 あたしが思わず聞き返すと、かず君は小さく笑いながら言った。


「皆が一致団結して先生いじめるからさ、クラス内でのいじめは無くなったんだ。みんな仲良くなっちゃって」


 それを聞いたあたしは唖然とする。

 かず君はこっちを見て、しょうがないでしょ、というように肩をすくめて苦笑いをした。


「6年の最初に、先生が言った通り。仲のいいクラスになっちゃった。結構上手くいってるよ」


 訳もなく、ゾクっとする。

「……そうなんだ……」


 他に何とも返しようが無くって、あたしはぼそっと呟いた。

 それでも小さく口が開いたままのあたしを見て、かず君はへらっと笑った。

 かず君、どう思っているんだろう? 相変わらず、彼の考えは読めない。

 でも何だか怖い。

 気を取り直して、あたしは再び口を開いた。


「聞いた? 昨日のPTA。野瀬先生が、佐々木先生をかばったって」

「うん。らしいね」


 かず君は、小さめの綺麗な目をあたしに向けて、こう言った。



「これで、この学校で佐々木先生の味方は、野瀬先生だけだね」



 あたしはびっくりして、彼を見つめた。

 彼は無表情で、あたしを見ている。そしてまた、へらっと笑った。

 再び、ゾクっとした。


 だけどあたしは、あの無表情の瞳を、前にも見た事がある。あの夏、暗い教室でだ。

「そんでみーちゃんはどうすんの?」って目だ。


 あたし? あたしはどうするの?


 何かが、おかしい。

 何かが、間違っている。

 あたしは自問自答した。

 これでいいの?

 だって、



 何かが、狂ってる。





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