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変化 1

 11月も半ば近くなり、校庭のフェンス越しに見える雑木林には、あの小さな白い花が多く見えるようになってきた。そして吐く息も白くなるくらい冷え込んだある朝、その事件がおきた。それは、後から考えるとちょっとした事件だったけど、その時は大事件として学校中に広まった。先生達の隠し事というものは必ず、大事件としてすぐに広まる。

  

「佐々木先生の車の窓ガラスが、学校で誰かに割られたらしい」

 これは、噂に疎いあたしの耳にも、給食が始まる前には入ってきた。

「フロントガラスらしいよ」

「石で割られたらしいよ」

「粉々だったらしいよ」

「2時間目と3時間目の間の休み時間らしいよ」

「違うよ、それじゃ誰かに見られちゃうじゃん。授業中らしいよ」

「それなら音が聞こえるんじゃない?」



「かわいそうに、先生、泣いてたぞ」


 あたし達のクラス担任の野瀬先生がついに口を割ったのは、帰りの会でだった。


「お金を貯めてな、車を買うっていうのは、すっごく大変な事なんだ。買ったばかりで、嬉しかっただろうにさ。職員室で涙流していたぞ」

 そういって、ハンサムな顔を曇らせる。

 今まで色々と噂を撒き散らしていた女子たちも、そんな野瀬先生を見るとしゅんとなった。

 可愛い佐々木先生が職員室で涙を流していたと聞いて、男子達もしゅんとなった。


 誰がそんな事をしたんだろう……まさか、桑原くん?

 あたしは自分で思って、自分でドキッとした。だって彼は10日程前、皆の前で佐々木先生に向かって「触んな、気色悪い!」と叫んでいた。でもまさか彼が。


 桑原くんの言いたいことも、わかる。「触んな気色悪い」ぐらい、あたしでも思う。

 可愛い可愛い、アイドルみたいな佐々木先生の体は、実は指の先まで汚れている。あのぬるぬると光った汚れが、たとえ体を洗ったとしても、強烈な臭いを放ってきそうだ。

 でも何よりあたしが腹立つのは、あの時、先生が泣いていた事。

 先生は野瀬先生にされるがまま、「やめて、お願い、ごめんなさい」と言って泣いていた。

 泣いて泣いて、泣き続けて、でもその場から離れようとしなかった。


 なんで? なんで逃げないの? なんで抵抗しないの? なんで泣くだけなの? だって大人でしょ? 大人は、力も知恵も、あるはずでしょ?

 なんで、めそめそするだけなのよ。


 そんな先生が、腹ただしい。とにかく、イラつく。


 でもそれを知っているのは、アレを見たのは、あたし達4人だけのハズ。

 他の人達に、佐々木先生を嫌う理由なんて無いハズ。

 一体誰がやったのだろう?


 今回の車事件を聞いた時、あたしも皆と同じに、正直、純粋に、佐々木先生がかわいそうだなぁと思った。

 自分が先生に無礼な態度を取る分には何とも感じないし、それによって先生の心が多少傷ついても、むしろ嬉しいくらいだけど、

 車、傷つけられて悲しかっただろうなぁ、と思った。



 そっと、野瀬先生の様子を観察する。

 冗談を交えながら連絡事項を話している先生は、とてもかっこいい。ハンサムで親しみやすく、何でも相談できる皆の兄貴。だけど頼もしく統率力もあり、締める所は締める、譲らないものは譲らない、といった力強さもある。女の子はみんな憧れている。ううん、女子だけではない。男子からも慕われている。

 あたしだって、この間までは憧れていた。


 あたしの佐々木先生への態度が、攻撃的ともいえる積極的な無視、と言えるなら、あたしの野瀬先生への態度は、防御を目的とした消極的無視、だろう。あたしは二学期になってとにかく、野瀬先生と目を合わさないように気をつけていた。

 佐々木先生に対して感じるのがイラつきなら、野瀬先生に対しては恐怖、だから。

 あたしは野瀬先生に、恐怖を感じている。

 人当たりの良い太陽の様な笑顔の下に隠れている、黒いものに。

 そしてその恐怖を、野瀬先生に知られてはいけない。あたしの本能がそう言っている。何故だかは分からない。だけど、知られてはいけない。

 だから、目を合わせてはいけない。

 合わせたら、知られてしまうから。


 二学期に入って田中くんも、前より少しおとなしくなっていた。



 そしてこの車事件が、佐々木先生のクラス……6年2組の、学級崩壊の引き金を引いてしまった。



 佐々木先生の授業を聞かない人達が増え、佐々木先生の指示を聞かない人が増え、掃除も給食も、急に滅茶苦茶になった。それはあっという間だった。

 教頭先生や学年主任の先生が、よく助っ人として2組の教室に行くようになった。もう、佐々木先生一人では、コントロールが効かなくなってきたからだ。

 体育や行事等で集合する事があると、2組はあまりにもまとまりが無く、傍目から見ても明らかに浮くようになった。

 本当にあっという間、一週間で2組は崩壊してしまった。


 そんなある日、全校集会が体育館で行われた時の事だった。

 2組はやっぱりまとまらず、特に女子の態度が酷い。あたし達はそれを周りからなんとなく、でも興味津々で眺めていた。

 そこへ期待通り、佐々木先生がやってきた。既に顔を強張らせており、緊張感たっぷりだ。何かを注意した。でも、彼女達は聞かない。先生は再び、注意した。やっぱり聞かない。重ねて、注意した。すると女子達の中の一人、比較的体格の良いショートカットの女子が、顔を上げて先生を睨み、一言放った。

 「うるせぇよバカ。ウザっ」


 その時、佐々木先生の心が、ビクッと縮んだのが、見えた。

 あたしにはわかる。強がっているけど、怒ってみせているけど、泣いているあの顔があたしにはダブって見えた。

 桑原くんは他の男子と楽しそうに喋っていて、そちらを見ようともしなかった。

 かず君は列に並んでいて、無表情にチラと一瞥しただけだった。



 見えない緊張。

 今日、帰りにあの祠へお供えをしよう。あたしは思った。

 給食のデザート、確かゼリーだったはず。






「あれ? それって昨日の給食のゼリー?」

「うんそうだよ。せっかくお供え用に残したんだもん、もったいないでしょ? でもほら、家からもちゃんと、新しいおやつを持ってきた。これならおきゃくさんも怒らないよ」

「……そっかぁ」


 田中くんと二人で再び祠を訪れた時、時刻はまだ3時台なのに、辺りはもう夕焼けだった。日はすっかり短い。

 昨日田中くんを誘ったら、すごく申し訳なさそうに断られた。明日なら、塾に行く途中に、と言われて今日二人で来ている。


「僕もお祈りしようかな」

「すればすれば」


 あたし達はしばらく、無言で祠に手を合わせた。

 あたしはチラ、と横目で田中くんを観察する。彼の横顔は、少し疲れているみたい。

 本当は昨日誘った時、拒否られると思っていた。あんなに怖がっていたんだし、そもそもあたし達、そんなに仲がい言って訳でもないし。

 ところが彼は、あたしの祠参拝(?)に付いて行くのは彼の義務とでも思っているのか、今、当たり前のようにあたしの隣に立っている。


 あたしが彼を誘ったのは、なんとなく、だ。

 


「……ねぇ、これ何?」


 目を開けた田中くんが、少し不思議そうに、おやつの隣に置いてある折り畳んだ紙に気付いた。ぎく。


「……国語のテストじゃん。何でこんなものまで?」

「……」

「成績が上がるようにって、おまじない? ……じゃ、どっかにくくりつけた方がよくない?」

 おみくじじゃないし。


 そのテストの点数は85点。田中くんは何点だった? って聞いたら92点、と言われてちょっと凹んだ。菅野さんにしては珍しいね、と慰められた。田中くんも随分成績が上がったねと言ったら、うんまあ、とあいまいな返事が返ってきた。塾の効果なのね、羨ましい。

 あたしは思い切って口を開いた。自分の事情を他人に話すのは、ちょっと勇気がいる。


「……うち、お母さんね、百点以外はあり得ない人なの」

「……だから、神様に、このテスト百点に変えてもらうの?」


 田中くんが、目を丸くしてあたしに聞いてきた。

 あたしも目が丸くなった。


「……今のはさすがに、ボケだよね?」

「え?」


 田中くんの目はまんまるのまま。

 ……深入りするのは、やめておこう。


「おきゃくさんはね、お願いすればイヤなものも持ってってくれるんだよ。コンビニのおばあさんがそう言ってた。だからあたし、冬になるとちょくちょくココに来て、嫌な事を話したり、親にバレたら困るものとかを持ってきてココに置いたんだ」

「……え? ……うそぉ」

 彼の顔色が変わる。ふふふ、怖がっている。


「本当だよ。お供え物も、置いてったものも、白い花が咲いている時はちゃんと無くなるけど、花が無い時は無くならないの。だから花が咲いていれば、おきゃくさんが持ってってくれるのよ。無くしてくれるんだよ」

「……それ、やっぱヤバいよ」


 田中くんがゴクっと喉を鳴らし、緊張した面持ちで言った。


「今までここに、誰と来てたの?」

 え?

「誰と? 一人だけど」

「危ないじゃん! こんな場所、変な人が来たらどうすんの!」


 え、そこ? そこが気になるの?


「だって去年までは5時間授業があったから、こんなに遅くならなかったもの」

 あたしが言うと、田中くんは何故か困ったように肩を下げた。

「えー、そういう事じゃないでしょ? 何で一志を誘わなかったんだよ?」

「何で森川くんを誘うの?」

「付き合ってんでしょ?」

「付き合ってないって!」


 あたしは笑ってしまった。

 まだランドセルを背負っているあたし達が、付き合うとか付き合わないとか、滑稽すぎる。


「森川くんと、そんなに話してないし」

「……ふーん」

 田中くんはまだ、腑に落ちない様な妙な表情で言った。


「今度またここに来る時は、僕を呼んでね。一人じゃ危なすぎるよ」


 ずっと後になって、田中くんに言われた。あたしのお供え物やその他諸々が消えたのは、誰かが持ち去っていたからで、その誰かは変態オヤジしかないって思ったって。あたしが信じ込んでいるものを頭から否定するのも悪いから、頃合いを見計らって、止めるよう説得するつもりだったって。

 田中くんは田中くんで、あたしの行動が突っ込みどころ満載に見えていたらしい。

 あたしも田中くんの行動には、よく心の中で突っ込んじゃうけどね。

 人の感性って、人それぞれだ。




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