決行 3
最後に、良くないシーンが出てきます。
気分を害されるかもしれません。ご注意ください。
16時7分。
かず君は飼育委員だから、一度家でお昼を食べてから学校に戻ってきていた。動物の世話をする為なのだけど、それが今日である必要があるのかしら。
きっと彼の事だから、裏で手をまわしたのだろう……本当に小学生?
飼育小屋に現れたあたしを見て、かず君は目配せをした。校舎の陰に隠れて待つと、すぐに後からやってきた。
計画の変更を話す。かず君は一瞬考え込み、そして顔を上げた。
「行こう。野瀬先生を探すんだ」
のんびりと見えるかず君が意外に策略家である事は、この数日で分かっていた。どんな口実を先生に言うのだろう?
二人で足早に校舎に向かいながら、彼が小さく呟いた。
「佐々木先生がいたら嫌だな。見つかったら声をかけられそう」
「……あたし、佐々木先生を遠くにやったの」
「え?」
驚いたように彼が振り返る。かず君のほっぺは、綺麗な丸いカーブを描いている。
「多分、成功したと思う。……どれだけ時間を稼げるかは、分からないけど」
あたしは再び憂鬱になる気持ちを懸命に抑え込みながら、佐々木先生にかけた電話の内容を話した。
するとかず君は目を見開いて、唖然とした。丸いほっぺがもっと丸く見えた。
「……すごい度胸だ。実は君って、メチャクチャ機転がきくんだね。しかもそれ、もう後が無くない?」
ぐっ。後が無いなんて容赦無いっ。
「言わないで……」
「飛び込んじゃったねぇ。収拾つけるのが大変そ」
しみじみと追い打ちかけてる……。かず君って見かけによらずキツイよね? 昔からこんなだったけ?
「……言っちゃいけない嘘をついたって、わかってます……」
しょぼんと俯いて、呟いてみせる。
すると彼がポンポン、とあたしの肩を叩いた。
「よくやったよ。頑張ったね」
「……」
いつものふにゃっとした笑顔。
あたしは面食らったけど、急に落ち着いた。そっか。これで良かったんだ。まじまじとかず君の顔を見てしまう。彼はどこかいたずらっぽくふふふ、と笑う。
そういえば彼が呑気に笑うおかげで、あたし達は大変な事をしているという、恐怖や悲壮感がいつも薄れていた。
……それっていい事なのかしら?
「先生の靴箱の前で待ってよう。それが手っ取り早い」
職員昇降口に来た。
「来なかったら?」
「来るよ。見ててごらん」
人差し指を口の前で立てて、意味あり気にあたしを見る。見慣れて安心できる、笑いを含んだいつもの目だ。ほらまた誤魔化された。
しばらくして、廊下から小走りな足音が聞こえてきた。
野瀬先生が、来た。
「僕の話に合わせてね」
あたしは生唾を飲み込んだ。ここが本当の正念場だ。
かず君が、先生に近づく。先生はあたし達に気がつくと、軽く片手を上げて、忙しそうに靴を脱ぎ始めた。
「先生、帰るんですか?」
「おう。ちょっと急ぎでさ」
「田中くんと桑原くんの事で、話があるんですけど」
「田中と桑原? 悪ぃ、急いでるんだ。えっと、なんだろう? それだったら佐々木先生に……」
「駄目です。もう帰ったそうです」
「…帰った?」
野瀬先生が初めて動きを止めて、あたし達を見た。
その大きめの目は驚きで見開かれていたけど、小さなイラつきにも似た、怒りが見えた。あたしがそう言う目でみているからなのかも知れない。
先生はすぐに、取り繕ったように明るく笑った。
「そっか。ついさっきまで職員室にいたんだけどな。ごめん、俺も急いでるんだ。明日じゃ無理か?」
「明日じゃ、手遅れだと思います」
かず君が間髪入れずに言う。先生は今度こそ、イラっとした眼の光を見せた。
早く帰りたいのに足止めをくらって、佐々木先生が勝手に行動をして、先生は確実にイラついている。
「何?」
「田中くん、ひょっとしたらとんでもない事をしたのかも知れないんです」
「だから、何?」
「復讐」
「……は?」
先生はポカンとした。
かず君は落ち着いて続ける。
「田中くんと桑原くん、数日前から何かを計画していたみたいで、復讐がなんとか。ね、菅野さん」
わあ、いきなり私にふったっ。
「う、うん」
「それで今日、どこかの家の窓ガラスを割って、パソコンを盗み出したらしいんです」
「……何だって?!」
先生は驚愕した。
「窓ガラスを割って……パソコンを盗んだ?!」
「はい」
「何で?!」
「だから復讐です。相手に恨みを持ってるんです。ガラスを割って部屋に侵入したら、パソコンを見つけたんで盗ってきたんです。だよね?」
見たことも無い先生の様子に固まっていると、かず君が肘であたしを小突いた。ビクッとして振り返ると、「どんなパソコンか言って」と耳打ちをされる。
あたしは弾かれるように、先生に向き直って言った。
「あ、はい。薄い黒色のノート型パソコンで、表面にDELLって文字が書いてありました」
徐々に先生の目が見開かれていく。
先生の頭の中で、自分の出来事とあたし達の話が結びついていくのが、見て取れた。
あたしは緊張で、呼吸が浅くなる。ヘマをしちゃダメ、落ち着いて。
先生が噛み付くように聞いてきた。
「それは、どこの家から?!」
「わかりません。でも、すごく恨んでいるみたいです。わざわざ電車に乗ってまで行った様ですから。確か隣駅? そうだよね、菅野さん」
わあっ、またいきなりっ。
「あ、うん」
「僕、最近田中と桑原が何か企んでるみたいで、あんまりいい感じがしなかったんです。そうしたらこの間、桑原が逆切れして僕に殴りかかってきて……」
「田中はそのパソコンを盗み出して、どうするつもりなんだ?」
かず君の台詞を遮るように、先生が聞いてくる。
「わかりません。でも多分、『復讐』に使うつもりなんだと思います。それか誰かに売るとか」
「あいつは今、どこにいる?」
「多分、桑原といつもの溜まり場です。学校前の、雑木林の、小さな祠があるところ」
先生はまるで呼吸まで止めたかのように、固まった。大きな目であたし達を凝視している。
その場がシン、となった。
「……」
「先生、田中くんを止められますか?」
かず君が探るように言った。その言い方はどこか、先生を試すようでもあった。
そのせいなのか、先生は弾かれた様に言った。
「そりゃお前、止めなくちゃ。当たり前だろ」
「じゃ、雑木林に行ってくれるんですね」
かず君が、上目づかいに先生を見据える。
先生は考え込むように、右手の人差し指で唇をこすり始めた。いつもの癖だ。
やがて、静かな声で言った。
「……菅野さん。田中と桑原から、パソコンをもらってきてくれないか?」
「……え?」
何を言われたのか理解が出来ず、聞き返した。
「あたしが、ですか?」
「そう。僕が行くよりも、君が行った方が向こうも応じるだろう。森川は桑原と大喧嘩したばかりだし、でも菅野さんは、随分田中に信用されているみたいだしな。田中の為だ、なんとか頑張って、パソコンを取り返して僕に渡してくれ。後の事は任せて。二人に悪い様にはしない。僕と佐々木先生とで上手くやるよ」
予想外の方向に話が進んでいく。かず君も驚いている。
あたしは言葉が出なかった。
嘘でしょ?
「……そんな、」
「この大事な時期、田中も受験を控えていて、出来る事なら表沙汰にはしたくないんだ。わかるだろう? あいつを潰したくない」
「……」
先生は真剣な眼差しであたしを見つめる。傍から見れば、生徒を本気で思いやっている担任教師としか映らないだろう。
愕然とした。
田中くんの為に、あたしが動けと言う。田中くんの為に、先生は祠に行かないって言う!
「君ならきっと出来るよ。さ、早く。あいつらが動き出さないうちに捕まえてくれ」
時間が無い。もう後数分で日没が始まる。時間が無い、何とかしなきゃ!
「佐々木先生もいます!」
「は?」
気付いたらあたしは叫んでいた。
「実は、佐々木先生も、田中くんと一緒にいるんです。田中くんと佐々木先生、同じ人に恨みを持っているみたいなんです。本当は田中くん、佐々木先生の為にあんな事をやっちゃったんです!」
「みーちゃん……?」
「田中くんは暴走してます。あたしの言う事なんか聞きません。だって彼は佐々木先生の事が好きなんだもん! 先生も……」
信じられないものを見る様に、息を止めてあたしを見つめる野瀬先生。
あたしも呼吸が止まりそう。でも行け!
「口では否定しているけど、田中くんの事が好きなんだと思います。だから佐々木先生も田中くんを止められません」
あたしは必死な思いを込めて、言った。
「野瀬先生しか止められません」
何でこんなに必死なのか、先生は見破れるだろうか? この思いが、先生を上手く動かせるだろうか?
かず君は何も言わない。きっと後から「みーちゃんは悪知恵の天才だ」とか褒められるんだろう。そうよあたしは最低よっ。
先生はあたし達を睨みつけていた。その瞳は、明らかに怒りに満ちていた。
「来なさい」
有無を言わさぬ強い口調だ。
「田中の所に、僕を連れて行きなさい。今君はとんでもない事を言ったんだ。本当かどうか確かめる。違ったら、」
そこで先生は言葉を止めた。思っている事が口から出そうになって、慌てて止めた、と言う感じだった。その様子にあたしはゾッとなる。違ったら、何? 何をされるの、あたし?
先生は燃える怒りのまま、かず君に言った。
「森川は来るな。そして誰にも喋るなよ。言えば菅野が困るぞ。田中とグルだって見られるんだからな。わかったか」
かず君は驚き、そして僅かに先生を睨みつけ、すぐにあの、無表情な目になった。何を考えているのか分からない、かず君のもう一つの顔だ。そのまま黙って頷いた。
「早くしろ!」
先生はあたしを上履きのまま、ぐいぐいと引っ張って外に連れて行く。あたしはかず君と言葉を交わす暇さえなかった。
でも大丈夫。ここまで来た。もう大丈夫。
あとは祠に行くだけ。よかった、間に合うんだ。
あとはおきゃくさんが、全てをやってくれる。
緊張の中にも少し安心したあたしは、五年前を、再び思い出していた。
小学一年生の時、あたしはあの雑木林に連れ込まれた。合計三日、連続して連れ込まれた。相手は制服を着た中学生か高校生の男子で、それは寒い日の朝だった。張り切って朝早くに登校したのがいけなかった。
だから三日目は、朝は遅めに登校した。そしたらその日は、帰りに待ち伏せされたのだ。
初めて会った時、優しい笑顔で道を聞かれ、そのまま連れ込まれた。それから三日間、彼はずっと優しい顔をしていた。
あたしは自分の身に何が起こっているのか、信じられなかった。恐ろしい事が起こっているなんて、認めたくなかった。軽く混乱して、お母さんにも話せなかった。こんな事が起こるから危ないよ、なんて誰も教えてくれなかった。
雑木林の中で二人っきりになると、毎回あたしは、下着を脱がされた。ランドセルを背負ったまま。そして彼は愛おしそうに、興味深そうに、まるで研究をするように、あたしの肌を何度も撫でた。あたしは信じられなくて、声も出せずにいつも涙を流し続けた。
そしてその後、彼は自分のズボンのベルトを外し、チャックを下げ、中身を出すのだ。
それを咥えろ、とあたしに言うのだ。
一日目。あたしは怖くて更に泣きだした。彼はそれを引っ込めた。
二日目。あたしは涙を流して顔を背けた。彼はそれをあたしの顔に近づけた後、引っ込めた。
三日目の夕方。あたしはイヤイヤと顔を左右に振り続けた。彼はそれを少しずつ、あたしの顔に近づけてきた。あたしは両目をギュッと瞑った。イヤ、やめて、イヤ、やめて。そんな汚いものを咥えられない。どんどん臭いが近付いてくる。吐きそう。耐えられない。そんな汚いものを、あたしの口に入れないで。変なところを触らないで。パンツを履かせて。近づかないで。ヤメテヤメテヤメテ。
うわっと言う声が聞こえた。何か緊迫した声と、聞きなれない音が聞こえた。それでもあたしは目を瞑り続けた。瞑っていれば、何もかもが上手くやり過ごせるような気がしたからだ。ずっとずっと、瞑り続けた。
それは、あたしの口につけられなかった。
どれくらいか経って、あたしはそっと目を開けた。
目の前には、誰もいなかった。
ただ彼が立っていた場所から、今まで気付かなかった小さな祠まで、何かを引きずったような跡が続いていた。彼はどこにもいない。辺りを見回しても、目に入るのは季節外れの小さな白い花畑だけ。
日が沈んですっかり暗くなっているのに、その花達はまるで浮き出る様に輝いて見える。まるで「瑞希ちゃんをまもったよ」と言っているみたいに揺れている。
それ以来、あたしは時々そこに行って、何かをお供えするようになった。恐怖はなく、感謝と親しみの気持ちしかなかった。三年生の社会科学習でこの祠の歴史を選択したのも、その為だ。話を聞いて更に確信した。おきゃくさんはいい人で、あたしをまもってくれた。
あれ以来、彼は姿を現さなくなった。どこかで学生が行方不明や死んだという話も聞かない。そもそもそんな情報力、あたしにはない。
そして今、あたしは再び、おきゃくさんに大きな事を頼もうとしている。そしてそれは上手くいくに違いない。だってあたしは、おきゃくさんが好きだもの。
絶対上手くいく。
……少女マンガに、怒ってない限りね。
引っ張られる腕に痛みを感じながら、あたしは祈った。
すみません、今度は絶対ケーキを買ってきますから。お約束します。
だから今から、どうかよろしくお願い致します。