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決行 2

「遅かったじゃない。心配したよ……パソコン??」


 15時25分。40分以上も経って、やっと出てきた二人を見て、あたしは安心する前にギョッとした。桑原くんが緊張した面持ちで、、薄いノート型パソコンを抱えている。まさか二人が、そんなに高価なものを盗んで来るとは思ってもみなかったのだ。

 部屋を荒らすだけだと思っていた。秘密を探ると言ったって、子供のあたし達が短時間で無理だ、と思っていた。


 桑原くんはニヤッと笑ったけど、無理しているように見えた。

「おびき出すには十分だろ。いかにも秘密を隠してますって、臭いがプンプン」

「……まあ、確かに……」

 パソコンなら確かに、個人情報が山程入っている様な気がする。それこそ秘密も沢山あって、先生が顔色を変えそうなものもあるに違いない。さすがK、素質があるわ。

 ふと気がつくと、彼の後ろに立っている田中くんは顔が青ざめていた。俯く彼が手に持っているものは、5、6枚の書き込み式DVDだった。

「DVD? 何で持ってるの? 何か映ってるの?」

「……」

 田中くんは青ざめたまま答えない。

 代わりに桑原くんが言った。

「主に、佐々木とか、佐々木とか、佐々木とか。たまに、違う奴とか」

 はい?

 一瞬理解できなくて、あたしは聞いてしまった。

「ええ? 佐々木先生の何が映ってるの?」

「見たらお前、また吐くよ」

 桑原くんの目が細まる。

 それであたしはすぐにわかった。あれだ。


 あれが沢山、入ってるんだ。

 うわ、野瀬先生、なんて変態。


 あたしは田中くんを見た。彼は目を閉じて、僅かに歯を食いしばっていた。

 ほんの少し、ひそめらた眉。その横顔はびっくりするほど、大人っぽかった。


 きっと二人は、先生の部屋でDVDを再生したのだろう。中身を見てしまった田中くんは、それを黙って置いてくる事が出来なかったに違いない。

 そんなに先生の事が好きなんだ。本当は、そんなに先生の事を守りたかったんだ。

 なのに野瀬先生の事が怖くて、怯えて、行動に移せなかったんだね。それがずっと、辛かったんだね。

 田中くんのせつなさが痛いほど伝わってきて、あたしは胸がすごく痛んで、


 何故だかすごく、文句を言いたくなった。

「……それを、持ってきたの?」

「……」

 田中くんは目を開いたけど、あたしじゃなくて空中を睨みつけている。いつもの明るい瞳じゃなくて、何かの決意を含んだ、怒りの目だ。

 それがすごく近寄り難い雰囲気を持っていて、あたしはもっと悲しくなった。

「そしたら、佐々木先生も巻き込まれちゃうんじゃないの? それか疑われるとか。だってこんなものまで無いって野瀬先生が知ったら、疑われるのは佐々木先生じゃない? ほこらどころじゃないでしょ?」

「……ごめん」

 苦しそうに、悔しそうに彼は言ったけど、ちっとも悪びれていない。

 だからあたしも、それ以上は言えなかった。

 桑原くんはあたし達二人をじっと見たまま、何も言わない。盗ってきたパソコンを、自分のショルダーバックの中に入れていた。

 物陰に潜んで立っているあたし達に、沈黙が訪れる。時間は刻々と過ぎて行く。


 ふいにこちらを見た田中くんが、きっぱりと言った。

「計画は変更する。野瀬先生には、部屋に戻らず直接祠に来てもらう。俺がパソコンを盗み出した事を先生に言うんだ」

 あたしと桑原くんは驚いた。え、言う? 何で?

 数秒遅れて理解した。佐々木先生を守る為だ。先生が映ったDVDが無い事を、知られない為にだ。

「上手くいくか? そんな事」

 桑原くんが不安そうに言う。

 田中くんはあたし達を見据えた。その眼はいつものように丸くて、いつもよりも力強かった。

「窓ガラスに石を投げて、予定通り管理会社に通報する。その連絡が先生に届いたのを見計らって、一志かずしに伝えてもらうよ。そしたら先生も信じるだろ。関係のない大人からの連絡が入るんだから」

 彼の言葉には、根拠のない説得力がある。

 あの言いがかりが得意な桑原くんも、その力強さに呑まれた様だった。

「……まあ、な。難しそうだけど、一志大丈夫かな……? パソコンを取れたのはラッキーだし、きっと野瀬も、知ったら焦るだろうけど……でも、佐々木はどうする? 部屋に戻られでもしたら、菅野の言うとおりになるかもよ?」


 あたしは生唾を飲み込んだ。とんでもない事を思いついたからだ。

 要は、野瀬先生が、佐々木先生を手を出せなきゃいいのでしょう? 


「あたしに、考えがある。とりあえずここは進めよう」

 すると田中くんは少し驚いたようにあたしを見た。けれどやがて、ゆっくりと頷いた。

「うん、わかった」

 あたしを信頼している。そういう目をしている。

 それで充分。今は同志だ。



「圭太さ」

 田中くんが再びマンションの敷地内に向かっている時、物陰にいるあたしの隣で、桑原くんが口を開いた。

 いつものつっかかり感がない、落ち着いた口調だ。田中くんの事を話そうとしている。

「うん」

「親父にすごくぶたれていた時、それを助けてくれたのが佐々木なんだ」

「……そう」

「担任だった佐々木が身を張って、親父を止めておばさんを説得した。で、あの家を救ったんだ。すごかったらしい。だから圭太にとって、佐々木は特別なんだよ」

「……そうだったの」


 あたしは自分でも驚くくらい、落ち着いて話を受け止める事が出来た。初めて聞いた話だけれど、もう知っている話のような感じもした。

 田中くんにとって佐々木先生がどれほど特別か、そんな事、この数十分間たっぷりと見せつけられている。充分すぎるくらい。

 自分を暴力から救ってくれた先生が、自分と同じ暴力に屈してしまった。その姿を田中くんは目の当たりにしたんだ。

「じゃあ、ショックだったろうし、辛かっただろうね。佐々木先生があんな目に合っているのを、見るのは」

 あたしは静かに言った。すると桑原くんが、少しイラついた声で言った。

「佐々木ももっとしっかりしてりゃいいんだ。昔は、もっとマシな先生だったんだ」

 その口調に、行き場のない憤りを感じる。

 あたしはそっと、桑原くんを盗み見た。この人も、思いのほか色々と抱えているよね。

「……桑原くんは、佐々木先生に、もっとしっかりしてもらいたかったんだね。だからあんなに……」

「関係ねぇよ。ムカつくからだよ」

 桑原くんが遮るように言ってフン、と顔を背けた。その時、ガシャン、とガラスが割れた音が聞こえてきた。


 ドキッとする。

 物を、壊した。これで正真正銘、後戻りできなくなった。

 咄嗟に時計を確認する。15時40分。


 少し気持ちが高ぶっている様子の田中くんが、あたし達のもとに戻ってきた。

「割れなかったけどヒビは入ったよ。僕とだいちゃんは祠へ、菅野さんはカズの所へ行って知らせて。カズに言ってもらうんだ。僕が、先生のパソコンを持って祠にいる事」

「うん」

「じゃ、通報しよう」

「それあたしがやる。二人は先に行ってて」

「どうして?」

「やる事があるの」

「何?」


 驚く二人を前に、あたしは思い切って息を吸った。

「あたしが、佐々木先生をまもってあげる。だから安心して」

「え?」

「どうすんだ?」

「電話して、呼び出すの、遠くに」


 二人があたしを凝視する。やがて桑原くんが不服そうに言った。

「……意味がわかんねぇ」

「だから先に行ってて」

 その台詞に、二人が考え込むのが分かる。しばらくして田中くんが言った。

「俺は菅野さんといる」

 え?


 決心した様な真っ直ぐな物言いに、あたしはちょっと息を飲み、ちょっとドキドキした。桑原くんはちぇっと言った。

「なんだよ、俺一人か。分かったよ、先に行ってる。それ貸せ」

 乱暴に田中くんからDVDの束を取り上げる。それをパソコンが入っているナイキのショルダーバックに、無造作に詰め込んだ。鞄の口を閉じながら不服そうに言う。

「絶対後から来いよ。俺一人じゃ野瀬あいつに勝ち目はないからな。一緒に妖怪に引きずり込まれるなんて、絶対嫌だ」

「大丈夫だよ、すぐ行く。当たり前だろ」



 桑原くんが駅へ消えて行くのを見た後、あたしは再び深呼吸をした。

「あたし、今から人生で最悪の嘘をつく」

「……」

 あまりに酷くて、田中くんの顔が見れない。最低だ、あたし。でもやらなくちゃ。

 あたしの決意を感じ取った彼は何も言わない。じっとこっちを見ている。あたしは一つしかない電話ボックスに入った。

 自分のバックから紙を取り出す。冬休み中の緊急連絡先。学校と、担任の先生、そして同じ学年の他のクラスの先生の電話番号が書いてある。あたしはボタンを押した。

「もしもし、佐々木先生? あの、黙って何も言わないで聞いて下さい。あたし、菅野です。3組の菅野瑞希」

 後ろで田中くんが息を飲んでいる。

「先生に助けてほしいんです、でも誰にも知られたくないんです。周りに誰かいたら、他に移動してください。絶対、誰にも知られたくないんです」

 瞬時に緊張が走った。携帯電話特有の雑音が入る。やがて、ちょっと待ってね、と言われた。ほっとする。電話ボックス内の空気も、痛いほど張りつめている。

 いいわよ、何があったの? という先生の真剣な声。 

「あたし、今、A市にいるんです。その……塾の帰りに知りあった、男の子達と……中学生なんですけど……」

 緊張と恥で、あたしの声は震えてた。それはいい具合に、電話の相手にも伝わったに違いない。何ですって? という緊迫した声が返ってきた。

 あたしは泣きたくなった。それは実際、泣き声として口から出てきた。

「先生、助けて下さい! あたし怖くて、カラオケボックスなんです、逃げられないんです!」

 何て事を言ってるの? 何て事を言ってるの、あたし。

 佐々木先生の、パニックになりかかった声が聞こえてくる。どこのカラオケなの、一人なの、何をされたの、怪我はあるの?

「一人じゃありません、塾の友達も一緒です。だけどあの……その子は、どこにいったのか……」

 これは咄嗟の返答だった。一人で知らない男の人達にのこのこついて行く程、あたしは馬鹿には見えない筈だ。そこは不自然すぎる。

 そして嫌悪感をもよおしてきた。自分のしている事が情けなくって涙が出るのに、それでも冷静に計算して演技を続ける自分がいる。もう嫌だ、嫌だ、嫌だ……っ。


「野瀬先生には知らせないで! 他の先生にも知らせないで! あたし、あたし……他の人には、知られたくないんです。佐々木先生じゃなきゃヤダ! 先生来て!」


 先生は感じ取っただろうか。女のあたしが、何を叫んだか。

 あたしは、5年前を思い出しながら叫んだ。そしてあの夏の、先生の姿を思い出しながら叫んだ。

 あたし達は同類なんだよ、先生。同じなの。



 前に家族と言った事がある適当なカラオケボックス名を言って、あたしは電話を切った。

 この後自分の身に降りかかる騒動を想像すると、恐ろしすぎて気が遠くなる。何と言って誤魔化そう。上手く逃げれたとでも言おうか。それとも、先生苛めの延長だったとでも言おうか。

 最低な事をしてしまった。

 先生と同じ被害者側の人間なのに、自分をも傷つけるような加害者側にまわってしまった。

「あたし、もう一生許してもらえない。多分二度と、信用されないね」

 放心状態でポツンと言った。電話ボックスから出る事も出来ない。

「菅野さん……」

「でもこうすれば、佐々木先生は、きっと、野瀬先生から、遠くに離れるから……野瀬先生よりも、あたしを選んでくれたら、それが先生の、勇気だから……きっと……」

 今の佐々木先生に欠けているのは、勇気。あたしはそれの、背中を押した。そしてなにより、先生をまもった。

 そうでも思わないと。そうでもして、自分を正当化しないと。

 ごめんなさい、先生。ごめんなさいごめんなさい、本当にごめんなさい。


「大丈夫。菅野さんは、……瑞希ちゃんは、最高で、いい人だよ。誰よりも最高で、勇気があって、信頼できる」

 気がつくとあたしは、ボロボロと涙を零していた。

 田中くんはそれを、まるで自分が泣いているみたいな顔をして見ていた。必死であたしを慰めようとしている。

 あたしは俯いて、涙を拭いながら言った。

「酷い嘘をついちゃった」

「大丈夫。絶対、大丈夫。あの佐々木先生なら、分かってくれる。僕が保証するよ。絶対に……僕が……まもってあげるから」

「違うよ。あたしが田中くんをまもってあげたんだよ」

 ここまでしたのは、他の誰でもない、あなたの為なんだよ。

 あなたの心を、まもりたかったからなんだよ。

 あたしが顔を上げると、田中くんは少し驚いたようにあたしを見つめていた。

 そして泣きそうな、でも大きな笑顔を見せた。

「そうだね。瑞希ちゃんが僕をまもってくれたんだね」

 こんな時ですら、彼の笑顔はどこか底抜けに明るい。瑞希ちゃん、だし。意外と図々しい。

 すると彼の両腕が、すうっと伸びてきた。

「一回だけ、こうさせて」

 そう言われたあたしは、彼の意外と広い空間に、すっぽりと包まれた。

 意外とどころか、かなり図々しいじゃん、この人。将来のプレイボーイ認定だわ。

 でも今だけは、許してあげる。


「よし。通報だ。そして祠へ行こう」

 腕を解くのと同時に田中くんは言った。もう真面目な顔に戻ってる。

 あたしも、再び覚悟を決めて、頷いた。とりあえず日没までの勝負だから、やるしかない。


 15時58分。日没開始まで、あと25分。




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