反撃 2
12月22日。終業式。ついにその日がやってきた。
今日は冬至。
朝、教室に着いてあたしは席に座っていた。緊張で、呼吸が浅くなる。今回の計画を立てて以来、夜は不思議と眠れるようになった。昼間も落ち着いて行動が出来た。それまでのストレスが全部、すぅっと消えた感じだった。その消えたストレスが今、まとめて塊になって、あたしに襲いかかっている。
その時、こはるちゃんがやってきた。いつもは溌剌としている彼女が、表情を曇らせている。瑞希ちゃん、と小さく言って、あたしの隣の椅子に座った。
「言おうかどうか、ずっと迷っていたんだけど」
「……何?」
なんとなく嫌な予感がして、身構える。
彼女は声をひそめて、言った。
「瑞希ちゃんね、ここ最近、裏サイトに悪口を書かれていたよ」
あたしは呼吸が止まった。
自分の耳を疑った。
「……嘘」
世界が真っ暗になった。
やっとの思いで絞り出した言葉は、自分の声ではないみたいだった。
こはるちゃんは声をひそめたまま、眉もひそめて首を傾げた。
「それがね、不思議なんだ。書かれてもすぐ……数時間で、消えちゃうの。多分、書いた本人が消してるんだと思うのだけど。なんでそんな事をするのかなぁって」
不思議そうに言う。不思議なんだ、と。
なんでそんな事をするのかというのは、あたしの悪口を書く事なのか、それともそれを消す事なのか。
あたしは携帯をもっていない。こはるちゃんは持っている。裏サイトは、皆携帯で見ているらしい。ただその皆と言うのが、何人の事なのかは分からないけれど。携帯自体は、多分クラスの半分以上が持っている。そのほとんどが、女子。
「……何て書いて、あったの?」
恐怖と絶望と、でもそれをねじ伏せてあたしは尋ねた。あの自由帳の表紙が、まぶたにちらつく。死ね、ウザい、消えろ。
誰かがあたしを嫌っている。
誰かがあたしに目をつけている。
誰かがあたしの悪口を、世界に垂れ流している。
「うーん……」
こはるちゃんは困ったように苦笑いをした。その様子から、聞くに堪えない言葉を書かれてしまったんだと想像がつく。世界はもっと暗くなり、あたしの心臓は、胸を突き破りそうだった。
「でも大丈夫だよ。あんなにすぐ消えるんじゃ、ほとんどの人が見ていないだろうから。それに消えるって言うのはなんというか……いい事でしょ?」
「……」
消えると言うのは、いい事。あたしは肌が粟立った。
なんというタイミング。あたし達は今日、とんでもない物を消そうとしている。まるで神様がどこかであたしを見ていて、「全てを知っているぞ」と、こはるちゃんの口を通して言ったみたいだ。
背筋が、凍る。
もう、何が原因で怖いのか分からない。
「多分、田中くんの事だと思う」
突然の台詞に、あたしは不意打ちをくらった。
「田中くん?」
するとこはるちゃんは、更に声を低くして言った。
「田中くんの事を好きな人が、書き込んだんじゃないかな。気をつけた方がいいよ。このクラス、あの人の事を好きなコ達って結構いるから。目、つけられるよ」
あたしは絶句した。というよりも、度肝を抜かれた。晴天の霹靂とも言うのかもしれない。
予想だにしていなかったとは、まさにこの事。
「……あたし、別に田中くんとは……」
何ともない。そう言おうとして、二の句が継げなくなった。
どうして田中くん? 誰がどうして、あたしと彼とを結びつけるの?
あたし達は塾こそ同じだけれど、あの夏の日まで、話した事はほとんどなかった。二学期になってからも、あの事があたし達の心にのしかかり、つい最近までお互い目も合わせていなかったくらいなのに。それが何で。
そこでハッとした。
誰かが、見たのかもしれない。あたしと田中くんが、あの雑木林に入っていくのを。
そういえば何回か、一緒に入っていった。そして一緒に出てきて、一緒に塾へ行った。
迂闊だった、気付けばよかった。もっと用心していればよかったのに。
あの自由帳の言葉には、そういう意味があったのね。
どうしよう、裏サイトにまで書かれてしまった。もう駄目かもしれない。あたしも、佐々木先生みたいな目に合うのだろうか。どうしよう、どうしよう。
あたしは現状を、再認識した。
野瀬先生が消えた所で、あたしの問題は解決する訳ではないんだ。
佐々木先生の問題が、解決する訳でもない。
一番すっきりするのは……多分、田中くんと桑原くんだけだ。
かず君に至っては、多分何も背負っちゃいない。
体育館での全校終業式も、上の空になった。にこにこと笑いかけてくる友達も恐ろしい。目を合わせてくれないクラスメイトは、もっと恐ろしい。誰もがあたしを、攻撃してくるように見える。空からは神様が、全てを見張っている。あたしを見張っている。
校長先生が冬休みの過ごし方について語っている時、館内に音が響いた。
携帯の、バイブレーションの音だ。あたしはそれで、我に返った。
しっかりして、あたし。しっかりするの、あたし。その為の、今日の計画でしょ? 弱い自分を変えるのよ。
事態はもう、進んでいる。
携帯の主は野瀬先生。皆の注目を浴びている。うちの学校は建前上、携帯の持ち込みは禁止だから。なのに校長先生のお話の途中に鳴ったりしたら、いくらマナーモードでもマズイよね。もちろんそれを狙ってかけたんだけど。
案の定、先生は居心地悪そうに何度か頭を下げた。隣に立っている年配の学年主任が、不愉快極まりない表情で先生を睨む。あれはもう、携帯をどこかに置いてくるしかない。職員室か、教室か。先生は頭を下げながら、体育館を出て行った。校舎のどこかで、野瀬先生に間違い電話をかけた「具合の悪い」かず君が、それを見ているはず。
そして先生が携帯をどこかに置いて体育館に戻った時、彼は動くハズ。
万事は計画通りに。
『当日僕は、先生の携帯を使えないようにしておくよ。連絡手段は絶っておいた方が、安心だろ?』
『使えないようにって……どうやるの?』
『その時考えるよ』
『手が滑って、水ん中落とすってのはどうだ? 例えばトイレとか』
『それじゃマズイよ。あくまで、携帯の調子が悪いって程度にしておかないと。身に覚えのない無くし方でもプロデュースしちゃってさ、変に警戒されても困るでしょ?』
『カズは悪知恵が働くね! 頼もしいよ!』
『ありがとう、頑張るよ』
『手を握り合って言う事か……。どうやんの、お前』
『とりあえず僕に任せて。携帯いじるの、得意なんだ』
『ああ、しょっちゅう壊してたもんな』
計画の大筋を練ったのは田中くんだけど、細かくアレンジしたのはかず君だった。
大丈夫、上手くいく。上手くいく。
絶対に、上手くいく。
野瀬先生の後ろ姿を見ながら、あたしは決意を固めた。
終業式が終わり、帰りの準備で皆がうろうろしている頃、あたしは人気のない階段の踊り場にいた。
教室に向かおうと階段を昇り始めたら、上からかず君が下りてきた。
あたしを見つけると、彼はいきなり話しかけてきた。
「あ、ねぇ。今日の夕方も、またあそこに行くの?」
「……は?」
「みーちゃんと田中くんが、本当はあそこで何をやっているのか、僕知ってる」
威圧感たっぷりに、上から見下ろして言う。その台詞の内容に、あたしは飛び上がらんばかりに驚いた。
「な、な、何を……っ」
「やめた方がいいよ」
見下ろすかず君の視線は、ドキッとするほど冷たい。
その今まで見た事のない雰囲気に、あたしは気圧されて、怖くなった。
かず君は冷たく言い放つ。
「大体あいつ、桑原と仲いいし。あいつらとはあんま関わらない方がいいって、僕は思うよ。僕がこの間どういう目にあったのか、見たからわかるだろ? 変わっちゃったんだよ、圭くんも大ちゃんも。関わらない方がいいぜ」
「……何でそんな事をあたしに言うの?」
恐る恐る言い返す。かず君は、息もしていないみたいに能面だった。
「別に。忠告しただけ」
言うだけ言うと、去っていく彼。
取り残されたあたし。
階下から気配を感じて、あたしは慌てて階段を駆け上がった。
心臓が、ドクドクいってる。耳まで赤い自分がいる。
階段を上って廊下を曲がると、皆に混じって田中くんが立っていた。あたしと目が会う。その後すぐに、あたしの後ろにいる人とも目を合わせていた。
あたしは何でもない装いを保って、廊下にある自分の荷物場に向かう。
田中くんが隣にやってきた。
「成功?」
「わかんない。多分」
素早く小声で返す。
その時、あたしの後ろにいた先生が廊下を歩いてきて、あたし達の後ろを通り、教室に入っていった。「おーい、みんな早く支度しろー」と言いながら。それをあたしと田中くんは、恐る恐る目で窺う。
あたしとかず君の会話、聞こえたかしら?
それにしてもあの台詞、今朝こはるちゃんに言われた事ほぼ、まんまだった。なんてタイムリーな発言なんだろう、偶然かしら? かず君、アドリブ効かせすぎじゃない?
あたしは緊張したまま、田中くんを見上げた。
「ねぇ、鍵は出来た?」
「うん大丈夫」
彼は一言返すと、やはり緊張した表情で教室へ戻っていった。
12月22日。ついにその日がやってきた。
今日は冬至。