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反撃 1

 終業式を一週間後に控えたその日、5時間目は体育だった。

 5時間目が体育というのは、案外楽だ。だって給食が終わった後に二時間も勉強する方が、よっぽど疲れる。その点、5時間目が体育なら眠くならずに済むし、給食の後には昼休みと掃除があるので、お腹もこなれて、食後の運動にも支障は無い。6時間目も体操服やジャージで過ごして、そのまま下校する、というのがウチのクラスのパターンだった。

 その体育が終わりみんなが教室に戻ってきた時、6年2組の男子が数人、顔色を変えてウチのクラスの入り口にやってきた。

「野瀬先生、来て下さい!」


 もうチャイムも鳴って、6時間目は始まっている。けれども廊下から聞こえてくるざわめきは大きくなる一方で、それは2組から出ているようだった。

「どうした?」

 体育を切り上げるのが少し遅れた為、あたし達はまだ次の授業の用意が出来ていない。野瀬先生は教壇の隣の、窓際にある自分専用の大きな机の前に立って、授業の準備をしている最中だった。

 2組の男子の一人が遠慮しながら、だけど少し興奮した様子で、おずおずと先生に言った。

「あの……桑原くんが、暴れちゃって……」

「桑原が?」

 野瀬先生が、形の良い眉毛をひそめた。またあいつか、という感じ。ウチのクラスのみんなも、興味津々で彼らに注目する。別の男子が、やっぱり少し興奮気味に言った。

「森川くんと喧嘩してるんです」

「森川と喧嘩?」

 先生はポカン、とした。

 クラスのみんなも、ポカンとした。

 あたしも、ポカンとした。

 次の瞬間、皆が一斉に教室を出ようと出入り口に殺到した。先生はそんな皆をかき分け、足早に2組の教室へ行った。


 あたしは、はやる鼓動を抑えながら先生の机に近づいた。みんなの後ろ姿から、目は外せない。皆が廊下に出たり2組を覗いている今、教室に残って窓際にいるのはあたしと田中くんだけ。見つかったら目立つ筈だ。だから、さり気無さを装いつつも、事は早くに終わらせなければならない。早く、目立たず、確実に。

 田中くんは既に、作業に取り掛かっていた。机の下にある先生の黒い鞄、A4サイズのショルダーバックの中を手であさっている。手はせわしなく動いているのに、顔は上げたまま。あの澄んだ丸い目が、まるで瞳孔が開いているように空中の一点を見つめて動かず、だから緊張しているのがよくわかる。

 でもあたしもすごく緊張していて、とても不安で、皆を警戒しつつも、田中くんに小声で話さずにはいられなかった。


「かず君が先生を呼びに来るんじゃなかったの?」

 田中くんはこちらを見ず、表情も変えずに小さく答える。

「その筈だったけど」

「それが何で桑原くんと喧嘩?」

「さあ?」

「何かあったのかな?」

「さあ?」

「計画が変更とか?」

「さあ?」

「さあって!」

 思わず田中くんを振り返る。すると彼に、少し厳しめに言われた。

「今さら後には戻れないだろ? それよりちゃんと見張っててよ」

「あ、うん」

 はっと息を飲み、慌てて再び教室の出入り口を見る。皆は2組の騒動に釘付けだった。


 かず君の言葉がよみがえる。


『チャンスは体育の後だ。先生はいつも持ち歩いている物を、体育の時間は自分の鞄の中に入れている。そこが狙い目だよ。圭くんのクラス、5時間目が体育じゃなかったっけ? 6時間目までジャージで過ごす事が多いよね? 先生も』

 そこへ、桑原くんが騒ぎを起こす。佐々木先生の手がつけられないくらい。そしてかず君が、野瀬先生に助けを求める。先生が、教室を離れる。その間に、あたし達が事を済ませる。そういう計画だった。


「ない……ない……くそっ」


 田中くんの、焦りに満ちた呟きが聞こえる。それがあたしの焦燥感を増幅させる。廊下の向こうの2組では、かず君が桑原くんと大喧嘩をしている。よくわからないけど、事態は既に大きく進んでしまった。やめる事は出来ない。クラスの皆は、いつこっちを振り向くか分からない。緊張のあまり涙が出そう。もうイヤだ。


「どっかに……違う……ない……あったっ」

「あった?」


 ホッとして、顎がガクガクと震えそうになった。途端に入り口にいたクラスの男子の一人が、こちらを振り返って大声を出した。

「おい圭太! 大翔だいとがすごいぞ!」

「あ、うん、ちょっと待って!」


 あたしが声も出せずに恐怖で固まった横で、田中くんはいつもと変わらない返事を返した。手は鞄からキーケースを出し、スナップを外し、中の鍵を素早く専用の粘土に押しつけている。三つもある。教室の隅、先生の机の影で座り込んでの作業のため、彼らからはよく見えない筈だ。

 だけど。だけど。

 男子連中は、田中くんに疑問を抱いた様子も無く、興奮しながら2組の様子を伺っている。中には廊下を行ったり来たりして、逐一実況中継している男子までいる。

「うわすっげ。何キレてんだ、あいつ? つか何で森川と?」

「最近荒れてるもんなー。圭太も止めろよー」

「や、ちょっと俺、小銭落としちゃって」

 普段の口調で応えながら、田中くんは三つある鍵を全て型取っていった。

 あたしは震えながらも、田中くんの台詞に合わせるべく床を探すような仕草をして、皆の様子を伺った。

 マズイ、女子がちらほらと帰ってくる。いやあね、とか言いながら教室に戻ってきた。彼女達はすぐにあたし達に興味を持つ筈。だって田中くんは人気者だし、桑原くんと仲がいいし、そんな彼が教室に何故残っているのかって、しかもあたしと。


 早くして田中くん、早くして!

「出来た」


 田中くんの緊張した小声が聞こえた。

「あたし戻す」

 あたしは素早く彼から、先生のキーケースをもぎ取った。田中くんは何事も無い様に立ちあがると、パーカのポケットに型取りした粘土ケースを滑り込ませ、同時に明るい笑顔で「よかった、見つかったー。なになに、どうなってんの?」と言いながら彼女達に近づいて行った。女の子達が少し嬉しそうに、やっぱり興奮しながら、田中くんに説明をする。あたしはその間にキーケースを先生の鞄の中に押し込み、さり気なくチャックを閉めた。「え、マジ?」と少し声色を変えた田中くんが、慌ただしく廊下に向かう。あっという間に男子集団に混じって行った。

 あたしもぎこちない笑顔で、そっと廊下を覗きに行く。

 するとほぼ同時に、かず君が数人の男子に抱えられるようにして、廊下に出てきた。


 かず君。


 かなり驚いた。だってあんなに怒ったかず君の顔を見たのは、初めてだったんだもの。攻撃的な瞳と、興奮で少し赤くなった顔は、普段は体温が低いかず君としては珍しい姿だった。

 男子達が彼を支えているのは、激怒しているかず君を抑える為なのかしら?

 一瞬そう思った時、2組から大声が聞こえて、それは違う事を知った。

「ふざけんなバカヤロウ!!」

「おい桑原!」


 野瀬先生の呼び声と共に教室から飛び出してきた桑原くんは、それはもうかず君の比ではないくらい、まるで、小さいけど真っ赤な台風が飛び出してきたみたいに、しかもその台風は刃物を沢山飛ばしている、みたいな勢いで出て来た。

 かず君を支えていた彼らは、実はかず君を守っていたんだ、ってすぐに分かった。そしてとても納得した。あんなにキレててヤバそうな人、何するか分かんないもんね。取り返しのつかない事、されそうだもんね。刺されちゃいそうだもんね、怖いよね。


 ところが納得いかない事に、桑原台風は見えない刃物を撒き散らしたまま、一人で廊下を、どこかに行ってしまったのだ。あれ? 拗ねちゃったの?


 まだ怒りに満ちた目で桑原くんが消えた方向を見つめているかず君に、野瀬先生が近付いてきた。

 いつものあの、困り眉に、唇を撫でる人差し指。

「何があったんだ森川?」

 落ち着いた、理解のある、頼れる兄貴分。困った時の救い主。それを体全体で表している野瀬先生。きっと教室の中では、佐々木先生が震えているのだろう。皆が想像しているのとは少し違った意味で。


「いや、僕が……休み時間に、桑原くんの席に座っていただけなんです」

 憮然ぶぜんとしたように、だけど落ち着きを取り戻して、かず君は話し始めた。それを野瀬先生が黙って聞いている。かず君は説明しながらも周りの男子に「ありがとう」と言って少し顔を傾け、言われた彼らはちょっと安心したように離れていった。

 そんな様子を、田中くんは皆と一緒に見ていたけど、先ほど先生の鞄をあさっていた時とは一変して、少し不安そうだった。やっぱり、計画に無かった事が起きて彼も心配なんだ。


 そう思った時、向こうから桑原くんが戻ってきた。

 手に、バケツを持っている。……バケツ?

 先生が、ポカンとした。

 皆が、ポカンとした。

 あたしも、ポカンとした。

 一拍遅れでかず君が、ハッとしたように身構えてその場を離れた。その瞬間。


 バサっ!!


 皆の目の前で、桑原くんは、バケツの中身をかけた。

 野瀬先生と、かず君、が立っていた所に。

 野瀬先生は、ビショビショになった。

 牛乳で。

 ……牛乳?! 嘘でしょ?! え、牛乳?! あのバケツの中身、牛乳なの?? どんだけあるの? と言うかどうやって?? と言うか何故牛乳??


 ガランガラン!! と派手な音をたてて、桑原くんはバケツを廊下に放り投げると、間一髪で要領良く教室内に逃げ込んだかず君に、大声で言った。

「おい森川っ! 逃げんなよっ!!」

「いや逃げるでしょ普通!!」

 かず君の珍しい即答&大声。


 一瞬シーンとなった廊下は、直後に蜂の巣をつついたような大騒ぎになった。

 野瀬先生はまだ、信じられないように突っ立っている。どう怒っていいかも分からないらしい。だって桑原くんが牛乳をかける時、確かに先生と目が合っていた。あれは明らかに、先生を狙っていた。 

 佐々木先生の動転した声が飛んでくる。どうやら雑巾を探しているらしい。雑巾で拭くんだ、野瀬先生を? 教室の? 掃除用の雑巾で? うわぁ、いいかも。


 ふと気がつくと、あたしの近くに田中くんが立っていた。

 茫然として、口がポカンと開いていた。

「……あいつ、やり過ぎだっての……」


 その、あどけなさが残る彼の顔を、見上げた。田中くんの瞳は、本当に表情がよく変わる。見ていて飽きない。ずっと、見ていたい。

 多分、桑原くんは、あなたの仇を取りたかったんじゃないかなぁ……ううん絶対。

 おきゃくさんなんか未だに信じていない彼は、自分で何かをしなきゃ気が済まなかったんだよ。だから牛乳をぶっかけたの。うん、納得。


 彼は、田中くんを守れなかった自分に、今一番怒っているのかもしれない。

 かず君は、そんな桑原くんを爆発させてあげたのかもしれない。

 あたしはふと、そう思った。


 それにしてもすごい騒ぎだわ……。やる事派手過ぎよ。

 男の子って……。



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