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決意

 下校の時間になって、あたしは足早に教室を後にした。泣きたい気持ちを抑えて、誰にも見つからないように俯いて歩く。教室の出口で田中くんとすれ違った。何か言いたそうにこちらを見たような気がするけど、あたしは振り返る事なく進んでいった。

 あそこに行かなきゃ、あそこに行かなきゃ。それしか考えていなかった。

 助けて助けて、助けて。

 ダウンジャケットの下には、あのノートを隠している。


 ほこらの前に来ると、ジャケットの下からノートを取り出し、そこに置いた。

 嫌でも目に入ってくる、黒々とした文字。文字なんてただの形なのに、なんて心に突き刺さるんだろう。マーカーの毒々しい光沢が、ドロッとした悪意を放っている。

 あたしは祠に手を合わせた。

 お願いします。これを消して下さい。こんな事、消して下さい。無かったことにして下さい。そしてあたしを助けて下さい。

 パニックになっている自分が分かる。それでも止まらない。心が、頭が、感情が支配される。これしか考えれれない。もう居場所が無い。あのクラスから、学校から、あの先生から、

「……助けて……っ、下さい……」

 声を絞り出して呟いたら、涙が滲み出てきた。それはあっという間に溢れだして、止まらなくなった。


 怖い。負けたくない。悲しい。泣きたくない。

 逃げ出したい。でも、こんなに打たれ弱い自分は嫌だ。


「女の子が一人で来ちゃいけない、って言わなかった?」


 急に後ろから声がした。

 振り向くと田中くんが、唇を突き出して、少し怒ったような顔をして立っていた。けれども目は、何故だかとても辛そうだった。

「……さっき野瀬先生に呼ばれて、出て行ったのを見たから……大丈夫?」

 そう言って、怒った顔のまま見つめられる。

 あたしは涙の洪水のまま、田中くんを睨みつけた。

 先に目を反らしたのは田中くんだった。彼は自分まで泣きそうな顔になって、地面を見つめた。

「朝は、ごめん」

 田中くんの見つめる先には、沢山の白い花が群をなして咲き誇っている。

 あたしは涙声で彼をなじった。

「だって田中くんは、何にもしない。怖がってばっかり。みんな何にもしない。怖がって、文句いってばかり。誰も頼りにならない。誰も……あたしも……」

「ごめんね」

 負けたくない。負けたくないのに。

 俯いて声を押し殺していると、頭をそっと触られた。

 ドキッとしてそのまま固まっていると、その手は、こわごわと小さく、あたしの頭を撫でた。

 田中くんの声が、頭上から降ってくる。穏やかで、優しくて、低くて強い声。

「ごめんね。菅野さんの言うとおりだ。何とかしなくちゃ駄目だ。このままじゃ、駄目だ」

 その声は、まるで自分に言い聞かすようでもあった。

「……田中くん?」

「あと少しで卒業するから、それまで我慢してればいいって思ってたんだけど」

「違うよ」


 顔をあげると、田中くんとモロに目が合った。それはとても素直で、綺麗な目だった。

 不意打ちだ。ズルイ。これなの、欲しかったのは。

「今動かないと、あたし達一生後悔するよ」

「……そうだね」

「……だからといって、どうすればいいかなんて分かんないんだけど……」

 彼の澄んだ瞳を見つめながら、あたしが言い淀んだ時。


 背後で気配がした。

 それは音とか光とか具体的なものではなく、まさしく気配。例えて言うなら、ぶわぁとしたもの。

 あたしの目の前で、田中くんが目を見開いた。あたしは本能的に振り返った。


 祠からのびた手は、カサカサカサカサと音を立てながら、あたしのノートを引きずっている。「死ね」「ウザい」の文字が、あたし達の前を横切っている。

 その手は、前より長く見えた。

 その手は、前より濃く見えた。

 その手には、今度は胴体らしきものも透けて見えた。前より実体が、あった。


 育ってる。


 それはあたし達に注意を払わず、カサカサカサカサと動き続ける。地面を這いながら移動する手とノート、という光景は、見ようによっては滑稽だった。恐怖と笑いは紙一重なのかも知れない。まるで木の葉を引きずっている蟻みたい。手だけのハズなのに(透き通った胴体をぶら下げているけど)、その動きははっきりと意思をもっている。その意思とは、あたしのノートを取り込む事、ただそれだけ。そう言えば昆虫だって、脳はないのに意思はある。

 丁度日が沈んだ時刻で、薄暗さが、その手の白さを際立たせていた。その白さが、冬の寒気を増幅させていた。


 あたしはさすがに身動きが取れず、総毛立った。だってあれは、やっぱり虫じゃない。手だ。

 喉が詰まって後ずさる。グッと田中くんに両肩を支えられた。

 その手は祠の中に戻ると、パタン、と扉が閉じた。


 あたしと田中くんは、しばらく立ちすくんでいた。


 気がつくと、湿った冷たさが急に晴れた。周りはいつもの乾いた空気で、日が沈んでいるのに明るささえ感じる。

 ……おきゃくさん、持ってっちゃったぁ……。お菓子、無くてもいいんだ?

 振り向くと田中くんは、意外にも、扉を鋭い目つきで睨みつけていた。その瞳はどこか、キラキラした光を宿している。

 その顔に、男の子を感じてあたしはドキッとした。え、かっこいい? 今ここで?

 なんでそんな顔をしているの? お化けが怖いんじゃなかったの?


「……僕に、考えがある」


 そう言う彼の眼の光は、興奮と、決意と、どこか危ないものを感じさせて、あたしは更にドキッとした。

 するとふいにあたしを見る。わ、近い近い。

「ねぇ、とりあえずここ、逃げない?」

 ……泣きそうだし。やっぱ怖いんじゃん。

 二回のドキ、を返してほしい。この人って一体何なんだろう?




 田中くんはあたしの手首を掴んだまま、ぐいぐいと歩いて、ある場所へ向かった。

 そこは、あのコンビニ。彼は店に入るとわき目も振らずにレジへ行って、ここに住んでいるオーナーのおばあさんを出してほしい、とアルバイトのお姉さんに言った。お姉さんは、ランドセルを背負って手をつないだ小学生の男の子と女の子を見て、目を丸くしていた。

「教えて下さい」

 田中くんは出てきたおばさんに……あたしにおきゃくさんの事を教えてくれたおばあさんに、面と向かってはっきりと言った。


「おきゃくさんって、人を無くす事も出来ますか?」


 あたしはびっくりして、彼を凝視した。





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