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第4話 王宮庭師への一歩

「ひ、広すぎる……」


 目の前に広がる光景に、ミモザは思わず声を漏らす。

 朝一番でワートル家の領地を出て、馬車で進むこと半日。着いた先は王宮。

 王族の住まう政の中心だ。大きいのは当然――だが、いざ目の前にすると、その広大さに驚嘆してしまう。


 王宮には、十年ほど前に一度だけ訪れたことがある。

 庭園の素晴らしさを聞き、父の仕事について行かせてもらったのだ。

 城の広さと庭の美しさに、あの時も心を奪われた。

 普段お目にかかれない様々な植物を前に、花に誘われる蜜蜂のように引き寄せられていると、気がつけば迷子になっていたっけ。

 まさか、あの場所で自分が働く日が来るなんて。

 

 住み込みで働く以上は、あくまで下働きとして。

 個室を与えてもらえるそうだが、ベッドと机だけで部屋が埋まるほど狭いという。

 それでもよければという条件を、ミモザは快諾した。

 正直、馬小屋で寝ても構わない。

 雨風さえ凌げれば、どこででも眠れる自信がある。


 ただ一つ。悲しいことに、マーガレットとはお別れになった。

 もちろん連れて行く気などは無かったけれど、いざ離ればなれになると思うとやはり少し物寂しい。

 物心ついた時からずっと一緒なのだ。


 出発直前、涙の別れになるかと思いきや、マーガレットはあっさりしたものだった。

「ミモザ様。お元気で。それでは私、本日より、炊事場担当ですので、この辺で」

 最後まで鉄仮面だった。鉄の女、マーガレットここにあり。

 目の縁まで出かかっていた涙は、瞬く間に引っ込んだ。けれどそれがかえって、ミモザの背中を押してくれた。


 そういうわけで、王宮では本当に一人でのスタートなのだ。

 知り合いも、頼れる人もいない。

 少しの心細さと、大きな期待を胸に、ミモザは王宮の門をくぐった。

 

 馬車を降りると、中庭に案内される。

 ここで待つようにと言われ、あたりを見回して、思わず頬が緩む。

 さすが王宮の中庭。

 そこには息を呑むほどに美しい緑が広がっていた。

 切り揃えられた芝生。冬の間寒さに耐え抜き、春の息吹とともに萌え出た木々の新芽。

 空気いっぱいに息を吸うと、昨日の雨のせいですこし湿った土の匂いとともに、花々の優雅な香りが鼻腔に充満する。


 思わず踊り出したくなる衝動をグッと堪える。

 今は人と待ち合わせをしているのだ。初対面で踊っているところを見られるのは、いくら何でも少し恥ずかしい。

 あぁ、でも踊りたい。嬉しい気持ちを表現したい。

 わずかな葛藤の後、少しだけなら、と軽くステップを踏もうと足を一歩出した時。

 突然背中越しに名前を呼ばれた。


「ミモザ様……で、いらっしゃいますか?」

「はいっ!」

 驚きのあまり、思いがけず活気のある声が漏れる。

 声と同時に振り返ると、ミモザのすぐ後ろに男が立っていた。


 目の前の、新月の夜のような漆黒の髪色をした男は、顔の中心にある黒縁眼鏡を中指の腹であげると、恭しくお辞儀をした。

「お待たせしてしまい申し訳ございません。わたくし、第三王子の従者、ベイルと申します」

 眉間に寄せられた皺に、一瞬怒っているのかと思ったが、口元に薄ら笑みを浮かべようとしている様を見て、頑張って笑顔を作ろうとしているのだと悟る。

 どうやら笑顔が苦手らしい。かえって、不気味に見える。

 ふと、マーガレットのことを思い出した。なんだかこの人とは仲良くなれそうな気がする。


「ベイル様、お初にお目にかかります。わたくし、ワートル侯爵家長女のミモザと申します」

 スカートの裾を軽く持ち上げて、できるだけ華麗に挨拶をする。こう見えて、礼儀(マナー)は完璧なのだ。


 けれど、ミモザの言葉に、ベイルは瞬間で顔を顰めた。

 何か粗相をしてしまっただろうか。

 貴族としての基本的なマナーは叩き込まれているが、ここは王宮。何か特別なマナーがあるのかもしれない。

 どこがダメだったのだろうかと、頭を捻って悩ませていると、ベイルが仏頂面で口を開いた。


「ベイル〝様〟だなんて辞めてください。私のことは呼び捨てで結構でございます」

「……へ?」

 ミモザの拍子抜けした間抜けな声が中庭に響く。


「いくら使用人として働くといえど、ミモザ様は貴族であられます。ですから呼び捨てで構いません」

 強い口調に、思わず押されそうになりながらも、ミモザは首を横に振った。

「いえ、それは出来ません。ここで働かせていただく以上、爵位のことは忘れて、いち使用人として働く所存です。ここではベイル様のほうが先輩ですので、わたくしのことは、ミモザと呼んでくださいませ」

 ここに来る前に、侯爵令嬢としての過去は置いてきたつもりだ。

 

 ミモザの頑とした口調にベイルは目を瞠った。

「いえ、さすがにそれはできません」

「いえ、そうしていただかないと困ります」

「いえ」「いえ」

 互いに一歩も譲らず、「いえ」のラリーだけが続く。


「「……」」

 全く折れる気配のないミモザに痺れを切らし、ベイルはついに口を閉じた。ミモザもそれに合わせて押し黙る。

 目の前のあからさまに不機嫌そうな顔に、思わず笑いそうになる。

 きっと感情が顔に出やすい(たち)なのだろう。みなまで言わずとも何を言いたいかが手に取るようにわかる。


 ベイルは小さく息を吐いた。眉間に寄せられた皺は先ほどよりも深い。

「それでは間をとって、互いに『さん付け』に致しましょう。……ではミモザさん、着いてきてください」

 本当は『さん』もいらないのだけれど、あまりしつこくしてもと思い、ミモザはそれ以上、何も言わなかった。

 

 庭を突っ切り、どんどん歩みを進める。

 途中まで来たところで、ベイルはミモザに目を向けることなく、

「ミモザさんの業務内容に関してですが――」

 と、不意に話を始めた。


「温室専任の庭師として働いていただければと思っております」

「温室……ですか」

 その言葉の響きに胸が躍る。

 ワートル家にも十平米ほどの小さな温室がある。

 ガラス張りの小さなそれには、寒さに弱い植物が植えられており、実母ヘリアが亡き後は、ミモザがお世話をしている。

 王宮の温室はそれよりは大きいだろうけれど、やることは同じはずだし、きっと大丈夫。

 庭師の話がきてから、わずかに胸をかすめていた不安が、すっと消えていく。


「温室は第三王子、ローワン様の管轄でございます。なので、ミモザさんはローワン様直属の庭師ということになります」

 そういえば、ベイルもローワン王子の従者といっていたな、とミモザは最前の挨拶を思い出す。

 一体、どんな人なのだろう。まぁでも、植物好きに悪い人はいないし、きっと良い人に違いない。

 まだ見ぬ主人に期待を膨らませていると、ベイルが少しの沈黙の後に、口を開いた。


「その……ミモザ様は、ローワン様のお噂をご存知です……よね?」

 少し言い淀むベイルの言葉に、噂とはなんだろうと思いながら、ミモザははっきりと答える。


「いえ、知りません」

「やっぱりそうですよね、ご存知ですよ……え?」

 そこまで言うと、ベイルは先ほどまでの早足をぴたりと止めた。

「はぶっふ」

 後ろからついて行ったため、思わずその背中にぶつかり、言葉にならない声が漏れる。

 いきなり止まらないでほしい。

 鼻を手で押さえながら、どうしたのだろうと窺うと、ベイルは勢いよくこちらを振り返った。

 そして右手の中指で、少しずれた黒縁の眼鏡をくいっとあげて、ミモザをまっすぐに捉えた。

「ローワン様のお噂を、ご存知……ない?」

「え? あ、はい」

「少しも、ですか?」

「 ……はい」

 ミモザの返事に、ベイルは一層目を縦に大きく開いた。

 あまりに驚かれるので、どんどん不安が膨らんでいく。

 もしや、非常識だと思われているだろうか。

 ふと、父バルトスの言葉を思い出す。

 そう言えば、父も『あの第三王子』と含みのある言い方をしていた。


「えっと、その……、ローワン様のお噂は、知らないとダメだったりしますか?」

 直属で働く以上、知っておかなければいけないのだろうかと、意を決して訊ねる。

「え? いえ、そう言うわけではないのですが、その……珍しいな、と……。きっと、国中の者が知っていると、そう思ってましたので」

 ベイルの目がミモザから逸らされ、地面に落ちた。

 それを見て、もしかしたらあまり良い噂ではないのかもしれないと悟る。


 ミモザは少しだけ考えてから、ゆっくりと口を開いた。

「実は私、噂は信じないようにしておりまして。もし耳にしても、すぐに忘れます」

 ミモザの告白に、ベイルは、はて?と首を僅かに傾けた。

「忘れる……ですか?」

「はい。だって、噂は噂でしかないから。噂を鵜呑みにして、本当のその人を知れないのは、勿体無いですから」


 ミモザは知っている。噂とは、面白おかしく人が作り上げた嘘が紛れてるということを。

 なぜならミモザ自身がそうだから。


 ギリシャ神話のベルセポネさながら、浮気相手を雑草にしたとか、植物を調合した毒薬を元旦那に飲ませ、性不能にしたなんてまことしやかに囁かれているが、もちろんどれも出鱈目だ。

 それでも噂に人は踊らされる。なぜならその方が面白いから。

 噂をされた人がどんな気持ちかなど知る由もなく。

 「だからこそ私は、自分の目で見て、耳で聞いて、肌で感じたものしか信じないようにしてます」

 しっかりとした口調で、微笑みながら告げると、ベイルは目を瞬いた。


そして、ポツリと声を漏らした。

「……あの方には、こういう人が必要なのかもしれないな」

 あまりに小さく呟かれたその言葉は、小鳥の囀りに阻まれて、ミモザの耳には届かなかった。

 ミモザは「ん?」と首を傾げたが、ベイルは微笑んで「いえ、なんでも」と首を振った。


「参りましょう」

 そう言って再び歩き始めたベイルの背中を見ながら、

――あらあら。ちゃんと素敵に笑うことができるのね。

 そう思って、思わず笑った。

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