第三話 挨拶
【資料2-A】映像記録書き起こし────
撮影者:花村園子
日時:2025年8月22日 9:32〜9:45
場所:灯之村入口
(車載カメラの映像。山道を進んでいる)
花村:県道を降りてから、もう三十分以上走っています。携帯の電波は圏外。まさに秘境ですね。
(「灯之村へようこそ」の看板が映る)
花村:あ、着きました! 灯之村です。
(駐車場に車を停める。軽トラックが一台停まっている)
花村:思ったより涼しい。標高が高いからでしょうか。
(車から降りる。五十代くらいの女性が近づいてくる。紺色の事務服、名札には「灯之村観光課」と書かれている)
女性:SONOKO様ですね。お待ちしておりました。
花村:初めまして。花村です。
女性:観光課の田中です。今日はよろしくお願いします。
(田中、両手を前に差し出す。掌を上に向けて、まるで何かを差し出すような仕草)
花村:あ、握手……?
(花村が右手を伸ばすと、田中はさっと両手を引っ込める)
田中:あ、これが私たちの挨拶なんです。お客様にはこうやってご挨拶するのが村の習わしで。
(田中、再び両手を差し出す。花村は動かずに見ている)
田中:……はい、ありがとうございます。
(田中、満足そうに手を下ろす)
花村:変わった挨拶ですね。
田中:そうでしょう? でも村の人同士は普通に会釈するだけなんですよ。お客様だけ特別なんです。
花村:どうして……
田中:(遮るように)さあ、まずは村長にご挨拶を。その後、診療所や学校を回りましょう。
(田中、先に歩き始める。花村、カメラを持って後を追う)
花村(小声で、カメラに向かって):……何だろう、あの挨拶。
【資料2-B】映像記録書き起こし────
撮影者:花村園子
日時:2025年8月22日 10:15〜10:48
場所:村長宅
(古民家の縁側。白髪の老人が座っている)
田中:村長、SONOKO様をお連れしました。
村長:ようこそ灯之村へ。村長の山田です。
(村長、立ち上がって両手を差し出す。皺だらけの掌を上に向けている)
花村:また、あの挨拶だ。
(花村、動かずに見ている。数秒後、村長は満足げに頷く)
村長:良い気をお持ちですな。
花村:……ありがとうございます。
(村長、縁側に座り直す)
村長:さて、何からお話ししましょうか。
花村:まず、村の歴史を教えていただけますか。
村長:当村は江戸時代中期に開かれました。山間の隠れ里として始まったと伝わっています。水が清らかで、土地が肥沃だったため、自給自足の生活が成り立ちました。
花村:長寿の秘密は何だと思われますか。
村長:(少し考えて)特別なものは何もありませんよ。水、空気、そして助け合いの精神。それだけです。
花村:先ほどの挨拶も、助け合いの精神の表れですか?
村長:……ええ、まあ、そんなところです。
花村:あの挨拶には、何か意味があるのでしょうか。
村長:……。
田中:(割り込んで)村長、診療所の時間が……。
村長:ああ、そうだったね。SONOKO様、どうぞ村をゆっくりご覧になってください。
(村長、話を切り上げる)
【資料2-C】映像記録書き起こし────
撮影者:花村園子
日時:2025年8月22日 11:00〜15:30
場所:村内各所
【診療所にて 11:00】
(白衣の医師がデータを見せている)
医師:確かに住民の健康状態は良好です。生活習慣病の罹患率も全国平均を大きく下回っています。
花村:食生活に秘密があるのでしょうか。
医師:それが不思議なんです。特別な食材があるわけでもない。普通の和食中心の食事です。
花村:では、何が……。
医師:正直なところ、私にもわかりません。十年以上ここで診療していますが、説明のつかないことが多いんです。
(診療所を出る。看護師が両手を差し出して挨拶)
花村:白い制服の袖から伸びた腕が、宙に浮いているように見える。掌には何も乗っていない。
【棚田にて 12:30】
(黄金色に輝く稲穂。農作業中の男性が手を止める)
男性:いい天気ですな。
(男性、泥だらけの両手を差し出す)
花村:土の匂いがかすかに漂ってきた。
【神社境内にて 13:45】
(老人たちが日向ぼっこをしている。花村の姿を見つけると、全員が立ち上がる)
花村:一列に並んで、順番に両手を差し出してくる。まるで儀式のようだった。
(五人、六人と挨拶が続く)
花村(小声で):彼らは何かを差し出しているのか、それとも受け取っているのか……。
【小学校にて 14:30】
(校庭で遊ぶ子どもたち。花村を見つけて駆け寄ってくる)
子ども:お客さんだ!
(子どもたちが小さな手を差し出す)
子ども:先生が言ってた。お客さんにはこうするんだって。
花村:無邪気な笑顔だが、その仕草は大人たちと寸分違わない。掌を上に向けて、じっと差し出す。私が何もしないでいると、満足そうに手を下ろした。
【資料2-D】映像記録書き起こし────
撮影者:花村園子
日時:2025年8月22日 11:23
場所:村内(田中との会話)
(花村が村人と同じ挨拶を試みる場面)
花村:(両手を差し出しながら)こうですか?
村人:えっ……。
田中:駄目です!
花村:どうしてですか?
田中:そういう決まりなんです。見ていただくだけで。外の人たちは駄目なんですよ、あの挨拶をしてもらっては。
花村:理由を教えていただけませんか。
田中:……私らもよくわからないんですよ、実は。昔からそういう決まりで。
花村:村長もご存じないんですか。
田中:たぶん……。ほら、風習って、そういうものでしょう? 理由なんて誰も覚えていない。でも続いている。そういうものなんです。
花村:……わかりました。
田中:(微笑んで)さあ、次は神社に行きましょう。
【資料2-E】映像記録書き起こし────
撮影者:花村園子
日時:2025年8月22日 20:30頃
場所:民宿「やまびこ」客室
(花村、一人でカメラに向かって話している)
花村:今日だけで、何度あの挨拶を受けただろう。数えるのも馬鹿らしくなってきた。
(ため息)
花村:温泉は最高だった。無色透明で、かすかに硫黄の香りがして。肌がつるつるになるような、とろみのあるお湯。夕食も美味しかった。山菜の天ぷら、川魚の塩焼き、自家製の漬物。どれも素朴だけど、味わい深い。
(少し間を置いて)
花村:でも、あの挨拶の意味がどうしてもわからない。何かを渡しているようで、何も渡していない。何かを受け取っているようで、何も受け取っていない。
(窓の外を見る)
花村:女将さんに聞いてみたんだ。「あの挨拶は、いつから始まったんですか」って。そしたら、「さあ、いつからでしょう。私が生まれたときにはもう、そういう決まりでしたから」って。
(カメラに向き直る)
花村:風習って、確かにそういうものかもしれない。理由なんて誰も覚えていない。でも続いている。……でも、何かが引っかかる。
(首を振る)
花村:考えすぎかな。明日は早いから、もう寝よう。
(カメラに手を伸ばす)
花村:おやすみなさい。
【映像終了】




