終話
【死料α】行政文書────
文書名:灯之村関連健康被害に係る経過報告(第七報)
作成者:○○県健康福祉課
日付:2026年2月15日
分類:内部資料(情報公開請求により入手)
1.報告件数の推移(2月14日現在)
・灯之村訪問者からの発熱報告:累計487件
・訪問歴なし・接触者からの発熱報告:累計38件(新規)
・死亡報告:累計11件(訪問者10件、接触者1件)
2.新たな事態について
本報告において特記すべきは、灯之村への訪問歴がない者からの発熱報告が確認された点である。
38件の内訳は以下の通り。
・訪問者の同居家族:22件
・訪問者の職場同僚:8件
・訪問者の友人・知人:5件
・接触経路不明:3件
いずれも灯之村訪問者との接触後、1〜5日で発症している。症状は訪問者の発熱報告と同一(37.5〜38.5度の発熱、強い倦怠感、3〜7日で軽快)。
3.検討事項
本件が感染症であれば、接触者への拡大は想定される事態である。しかしながら、これまでの検査で病原体は特定されておらず、感染症として扱うことには疑義がある。
一方、「非感染性の何か」が人から人へ伝播するという事態は、医学的に説明が困難である。
4.当面の対応
・情報収集の継続
・接触者の追跡調査
・本報告書の取り扱いは厳重注意とする
【死料β】行政文書────
文書名:広域健康被害に関する緊急対策会議 議事録
作成者:○○県健康福祉課
日付:2026年2月22日
分類:内部資料(情報公開請求により入手)
【出席者】
・県健康福祉課長
・県感染症対策室長
・○○保健所長
・△△保健所長
・□□大学医学部教授(感染症専門)
【議事】
(課長)本日は緊急招集にご参加いただきありがとうございます。灯之村関連の発熱報告が、村訪問者以外にも広がっている件について協議したいと思います。
(感染症対策室長)現状を報告します。二月二十日現在、県内での発熱報告は約三百件。うち、灯之村訪問歴なしが約八十件です。訪問歴なしの患者のうち、九割以上が「訪問者との接触歴あり」と回答しています。
(□□大学教授)検査結果はいかがでしょうか。
(感染症対策室長)既知の感染症は全て陰性です。ウイルス分離も試みましたが、病原体の特定には至っていません。
(○○保健所長)私どもの調査でも同様です。環境要因、食中毒、化学物質への曝露、いずれも否定的です。
(△△保健所長)一点、気になることがあります。発熱患者の分布を地図上にプロットしたところ、灯之村を中心に同心円状に広がっていることがわかりました。
(課長)同心円状?
(△△保健所長)はい。最初は村を訪問した人が各地に散らばり、その人を中心にまた小さな円が広がる。感染症というより、まるで波紋のような広がり方です。
(□□大学教授)感染症としては極めて異例のパターンですね。通常、感染症は人口密集地で爆発的に広がりますが、これは違う。
(感染症対策室長)接触感染の一種と考えることはできないでしょうか。
(□□大学教授)接触感染であれば、病原体が検出されるはずです。それがない以上、既存の感染症モデルでは説明できません。
(○○保健所長)では、何が広がっているのでしょうか。
(□□大学教授)……わかりません。
(沈黙)
(課長)……本会議の内容は、当面非公開とします。議事録の取り扱いには十分ご注意ください。
【死料γ】行政文書────
文書名:灯之村関連健康被害に係る経過報告(第十二報)
作成者:○○県健康福祉課
日付:2026年3月1日
分類:内部資料(情報公開請求により入手)
1.報告件数の推移(2月28日現在)
・灯之村訪問者からの発熱報告:累計523件
・接触者(一次)からの発熱報告:累計187件
・接触者(二次)からの発熱報告:累計31件(新規)
・死亡報告:累計18件(訪問者12件、一次接触者5件、二次接触者1件)
2.二次接触者について
「二次接触者」とは、灯之村訪問者と直接の接触歴がなく、一次接触者(訪問者と接触した者)との接触により発症したと推定される者を指す。
31件の内訳は以下の通り。
・一次接触者の同居家族:18件
・一次接触者の職場同僚:7件
・一次接触者の友人・知人:4件
・医療従事者(一次接触者を診察):2件
3.重大事案
二次接触者から初の死亡報告があった。
・患者:68歳女性、△△市在住
・基礎疾患:糖尿病、高血圧
・経緯:娘(42歳)が灯之村を訪問し発熱。看病中に本人も発症。発症から6日目に死亡。
・死因:多臓器不全
・備考:本人は灯之村を訪問していない
4.考察
「何か」が訪問者から接触者へ、さらに二次接触者へと伝播していることは、もはや否定できない。しかし、その「何か」の正体は依然として不明である。感染症対策の観点からは、接触者の隔離が検討されるべきである。しかし、感染症と断定できない状況で強制的な隔離措置を講じることは、法的にも倫理的にも困難である。
5. 県外への波及
隣接する△△県、□□県から、同様の発熱報告が寄せられ始めている。いずれも○○県在住者との接触歴がある。
【死料δ】行政文書────
文書名:関係省庁連絡会議 議事概要
作成者:厚生労働省健康局
日付:2026年3月8日
分類:内部資料(情報公開請求により入手。一部黒塗り)
【出席者】
・厚生労働省健康局長
・厚生労働省感染症対策課長
・○○県健康福祉部長
・△△県健康福祉課長
・□□県健康福祉課長
・国立感染症研究所センター長
・【黒塗り】
【議事概要】
(健康局長)本日は○○県灯之村を起点とする原因不明の発熱報告について、関係者にお集まりいただきました。まず、現状の報告をお願いします。
(○○県)三月七日現在、県内での発熱報告は累計約八百件、死亡報告は二十三件です。隣接県への波及も確認されています。
(△△県)当県では約五十件の報告があります。いずれも○○県在住者との接触歴があります。
(□□県)当県でも約三十件です。同様に接触歴があります。
(感染症研究所)検体の分析結果を報告します。ウイルス、細菌、真菌、寄生虫、いずれも検出されませんでした。毒素、化学物質も陰性です。原因物質は特定できていません。
(感染症対策課長)感染症でないものが、感染症のように広がっている。これをどう理解すればよいのでしょうか。
(感染症研究所)……科学的には説明できません。
(【黒塗り】)発言してもよろしいでしょうか。
(健康局長)どうぞ。
(【黒塗り】)【以下、約二百字分が黒塗り】
(健康局長)……それは、科学的な対策会議で議論すべき内容でしょうか。
(【黒塗り】)【約百字分が黒塗り】……少なくとも、検討の余地はあるかと。
(長い沈黙)
(健康局長)……本件は、引き続き情報収集を行いつつ、慎重に対応することとします。現時点では、特定の感染症の流行とは認定しません。
(○○県)注意喚起は行わないのですか。
(健康局長)原因不明の状態で注意喚起を行えば、社会的混乱を招きます。【黒塗り】との関連付けは、なおさら避けるべきです。
(議事終了)
【死料ε】行政文書────
文書名:灯之村関連健康被害に係る経過報告(第二十報)
作成者:○○県健康福祉課
日付:2026年3月20日
分類:内部資料(情報公開請求により入手)
1.報告件数の推移(3月19日現在)
【○○県】
・訪問者からの発熱報告:累計589件
・一次接触者からの発熱報告:累計412件
・二次接触者からの発熱報告:累計156件
・三次接触者からの発熱報告:累計34件(新規)
・死亡報告:累計31件
【県外】
・△△県:累計127件(死亡4件)
・□□県:累計89件(死亡2件)
・◇◇県:累計43件(死亡1件)
・東京都:累計28件(死亡0件)
・その他11府県:累計67件(死亡3件)
【全国合計】
・発熱報告:累計1,545件
・死亡報告:累計41件
2.三次接触者について
「三次接触者」とは、二次接触者との接触により発症したと推定される者を指す。
34件の発生は、伝播の連鎖が三段階目に達したことを意味する。このペースで拡大が続けば、四次、五次と連鎖は続き、やがて追跡不能となる。
3.医療機関における院内発症
複数の医療機関において、発熱患者を診察・看護した医療従事者が発症する事例が報告されている。
・○○県内:7医療機関で計23名
・△△県内:3医療機関で計8名
・□□県内:2医療機関で計5名
これにより、一部の医療機関では発熱患者の受け入れを制限する動きが出ている。
4.社会的影響
・灯之村への観光客:ほぼゼロ
・○○県への観光客:前年同月比67%減
・SNS上での風評:拡大中
・一部報道機関による取材:対応中
5.今後の見通し
現時点で拡大を止める有効な手段は見出せていない。
国は依然として「感染症の流行」とは認定しておらず、強制力を伴う措置は講じられていない。
このまま推移すれば、今後数週間で報告件数は数千件規模に達する可能性がある。
【死料ζ】行政文書
文書名:灯之村関連事案 週報(第三号)
作成者:○○県健康福祉課
日付:2026年4月15日
分類:内部資料
1.全国の状況(4月14日現在)
・発熱報告:累計8,234件(前週比+2,156件)
・死亡報告:累計87件(前週比+14件)
・報告のあった都道府県:38都道府県
2.追跡状況
接触経路の追跡が事実上不可能になりつつある。五次以上の接触者からの発症が確認されているが、正確な接触段階を特定できない事例が大半を占める。
「誰から伝播したかわからない」発症者が増加しており、もはや灯之村を起点とする連鎖の追跡は困難である。
3.灯之村の状況
村民からの発熱報告:0件
村民からの死亡報告:0件
村民の健康状態は依然として良好である。この事実をどう解釈すべきか、対策本部内でも議論が分かれている。
4.本部長コメント
「原因が特定できない以上、対策の打ちようがない。我々にできるのは、状況を見守り、記録することだけだ」
【死料η】行政文書
文書名:灯之村関連事案 最終報告
作成者:○○県健康福祉課
日付:2026年5月31日
分類:公開資料
1.事案の概要
令和七年八月下旬より、○○県灯之村を訪問した者から原因不明の発熱報告が相次いだ。その後、訪問者との接触者、さらにその接触者へと発熱報告は拡大し、令和八年五月末現在、全国で累計約一万五千件の発熱報告、百二十三件の死亡報告が確認されている。
2.原因
特定されていない。
各種検査において、感染症、環境要因、中毒等の既知の原因は否定された。「何か」が人から人へ伝播していることは状況証拠から推認されるが、その正体は不明である。
3.灯之村の風習との関連
灯之村には来訪者に対して両手を差し出す独自の挨拶の風習がある。この挨拶と発熱報告の関連を指摘する声があるが、科学的な因果関係は証明されていない。
なお、灯之村村民からの発熱報告は、本事案を通じて一件も確認されていない。
4.対策本部の解散
発熱報告は令和八年四月下旬をピークに減少傾向に転じ、五月中旬以降は新規報告が大幅に減少した。これを受け、対策本部は五月三十一日をもって解散する。
なお、減少の理由は不明である。
5.結語
本事案は、原因不明のまま収束を迎えることとなった。
今後、同様の事態が発生した場合に備え、本報告書を記録として残す。
以上
【死料θ】雑誌記事
出典:月刊「幽々奇談」2026年7月号
見出し:「呪いとは何か──灯之村事件に寄せて」
インタビュー:遠国勝彦(作家)
聞き手:編集部
──灯之村事件について、先生のご見解を伺いたいのですが。
遠国:見解ですか。私は小説家ですよ。科学者でも医者でもない。見解などと大層なものはありません。
──しかし、先生は長年「呪い」や「怪異」をテーマに執筆されてきました。今回の事件についても、何かお考えがあるのではないかと。
遠国:なるほど。では、小説家として、物語を語る者として、少しお話ししましょうか。
──お願いします。
遠国:まず確認しておきたい。あなたは「呪い」が存在すると思いますか?
──……科学的には存在しないと思います。
遠国:科学的には、ね。では、私の考えを述べましょう。呪いは存在します。
──存在する、と。
遠国:ええ。ただし、超自然的なものではない。霊だの怨念だのが空中を飛んで人に取り憑く、などということはありません。そんなものは存在しない。呪いとは、「認識」の問題なんですよ。
──認識、ですか。
遠国:人間の脳が作り出すものです。外部から飛んでくるものではない。あなた自身の内側から湧き出るものです。認識し、受容した瞬間から、呪いは始まる。
──しかし、灯之村の事件では、実際に発熱者や死亡者が出ています。
遠国:ええ、出ています。それが認識の恐ろしいところなんですよ。脳が「何かを渡された」と認識すれば、身体はそれに応答する。これは私の思いつきではありません。医学的に実証されている現象です。
──具体的には?
遠国:ノセボ効果という言葉をご存知ですか。プラセボの逆で、「害がある」と信じることで実際に害が生じる現象です。二〇〇七年にファブリツィオ・ベネデッティらがまとめた総説論文があります。『ノセボ効果とその神経生物学的メカニズム』というものでしてね。被験者に「この薬には頭痛を引き起こす副作用がある」と説明して偽薬を投与すると、実際に頭痛が発生する。しかも、脳内では痛みに関連する神経伝達物質が実際に増加しているんです。思い込みではなく、身体が本当に反応している。
──それは……。
遠国:さらに興味深い研究があります。一九四二年、ハーバード大学の生理学者ウォルター・キャノンが発表した論文です。「ブードゥー・デス」という題名でね。
──呪いによる死、ですか。
遠国:ええ。キャノンは、オーストラリアの先住民やアフリカ、南米の部族社会で報告された「呪いによる死」の事例を収集し、分析しました。呪術師に「お前は死ぬ」と宣告された人間が、実際に数日のうちに死亡する。外傷も毒物もない。しかし死ぬ。キャノンはこれを迷信として片付けず、科学的に説明しようとしました。
──説明できたのですか。
遠国:彼の仮説は「極度の恐怖による交感神経の持続的興奮」です。恐怖が続くと、アドレナリンが過剰分泌され、血管が収縮し、血圧が急上昇する。それが長時間続けば、心臓や腎臓に負荷がかかり、最終的には多臓器不全で死に至る。現代医学では「心因性死」や「ストレス心筋症」として知られる現象ですね。日本では「たこつぼ型心筋症」とも呼ばれます。
──つまり、呪いで人が死ぬことは、医学的にあり得ると。
遠国:あり得るどころか、記録されています。ただし、繰り返しますが、超自然的な力が働いているわけではない。すべては脳と身体の相互作用です。「自分は呪われた」と脳が判断すれば、身体はその判断に従って死に向かう。
──……。
遠国:二〇〇九年のクリフトン・ミーダーの論文も紹介しましょうか。ある末期癌患者の事例です。医師から「あなたの癌は全身に転移している、余命は数ヶ月だ」と告げられた患者が、その通りに数ヶ月で亡くなった。ところが死後の解剖で、癌はほとんど進行しておらず、死因として説明がつかなかった。ミーダーはこれを「ノセボ効果による死」として報告しています。医師の宣告が、患者を殺したのです。
──医師の言葉が呪いになったと?
遠国:そういうことです。呪いに必要なのは、呪術師でも霊でもない。「権威ある言葉」と「受け手の信頼」があれば十分なんです。灯之村の場合は、「古くからの風習」という権威があり、「わざわざ両手を差し出す」という儀式的な行為があった。それで十分なんですよ。
──では、あの「挨拶」には何の実体もなかったと?
遠国:実体? 実体がなくても呪いは機能します。むしろ、実体がないからこそ機能する。村人たちが本当に「厄」を渡していたかどうかは、どうでもいいことなんです。重要なのは、受け手が「何かを渡された」と認識するかどうか。認識さえすれば、脳は勝手に物語を紡ぎ、身体はその物語に従う。
──……。
遠国:さらに言えば、村人たち自身が「厄を渡している」と信じていたかどうかすら、実はどうでもいい。形式があればいいんです。儀式があればいい。「何か意味ありげなこと」が行われれば、受け手の脳は勝手に意味を見出す。これは人間の認知の特性です。我々の脳は、パターンを見出し、因果関係を推測するようにできている。雲の形に顔を見出すように、無関係な事象に因果関係を見出す。
──しかし、この事件のことを知って、呪いを信じた人だけが発熱したわけではないのでは。「呪いなど馬鹿馬鹿しい」と思っていた人も発熱しています。
遠国:いい質問です。ここが呪いの厄介なところなんですよ。意識的に信じる必要はないんです。重要なのは、「可能性として認識したかどうか」です。
──可能性として?
遠国:ええ。「馬鹿馬鹿しい」と思うためには、まず「そういう話がある」と認識する必要があるでしょう? 否定するためには、まず命題を理解しなければならない。「灯之村には呪いがある」という命題を理解した時点で、あなたの脳にはその命題が刻み込まれる。否定しようが肯定しようが、脳は一度認識した情報を完全に消去することはできないんです。
──……。
遠国:心理学では「皮肉過程理論」と呼ばれています。ダニエル・ウェグナーの研究ですね。「シロクマのことを考えるな」と言われると、逆にシロクマのことが頭から離れなくなる。「呪いなど馬鹿馬鹿しい」と思おうとすればするほど、呪いのことを考えてしまう。そして、考えれば考えるほど、脳はその情報に重みづけをする。
──つまり、知ってしまった時点で……。
遠国:もう遅いんです。たとえ理性の大半が否定していても、脳のどこかに「もしかしたら」という可能性が残る。その「もしかしたら」が種なんです。私はそれを「ノロイの種」と呼んでいます。
──種、ですか。
遠国:ええ。いったん種が蒔かれると、それは脳の中で勝手に芽を出し、根を張り、育っていく。水をやる必要はありません。あなたが「もしかしたら」と思うたびに、種は少しずつ大きくなる。
──怖い話ですね。
遠国:怖いですか? でも、これは誰の脳でも起こることですよ。あなただって例外ではない。
──私も……?
遠国:この事件のことを取材している。記事を書いている。資料を読み、証言を聞いている。そうやって「灯之村の呪い」について知れば知るほど、あなたの脳にも種は蒔かれていく。
──でも、私は灯之村には行っていませんし、発熱者との接触もありません。
遠国:関係ありません。物理的な接触は必要ないんです。知識として知る。情報として受け取る。それだけで種は蒔かれる。
──では、この記事を読んだ読者にも……?
遠国:そうです。この記事を読んだ人間にも、種は蒔かれるでしょう。あなたが書いた文章を通じて、私の言葉を通じて。
──それは……。
遠国:そして、ここからが重要なのですが。
──はい。
遠国:たとえ呪いの根源がでまかせであっても、同じことなんですよ。
──でまかせ?
遠国:ええ。灯之村が実在するかどうか。「厄渡し」の風習が本当にあったかどうか。発熱者や死亡者が実際にいたかどうか。それらがすべて創作、フィクション、作り話だったとしても呪いは機能する。そうですね、例えばこの話が実のところすべて創作で、どこぞの小説投稿サイトに書かれたものであったとしても、です。
──……なぜですか。
遠国:脳は情報のソースを区別しないからです。ニュースで見た映像も小説で読んだ描写も、友人から聞いた噂話も、脳にとっては等しく「情報」なんですよ。もちろん意識のレベルでは区別できます。「これはフィクションだ」「これは作り話だ」と理解できる。しかし無意識のレベルではその区別は曖昧になる。
──無意識のレベルで?
遠国:ええ。ホラー映画を観て心臓がドキドキするでしょう? あれはフィクションだと分かっていても、身体は反応する。小説を読んで涙を流すでしょう? 作り話だと分かっていても、感情は動く。脳は、フィクションに対しても、現実と同じように反応するんです。これも神経科学で実証されています。脳画像研究によれば、物語を読んでいるときと実際に体験しているときで、活性化する脳領域はかなり重なっている。
──つまり……。
遠国:つまりこの記事がすべて創作だったとしても、あなたの脳には「灯之村の呪い」という情報が刻み込まれている。「厄渡し」という概念が、「挨拶を受けると発熱する」というパターンが、記憶されている。そして一度記憶された情報は完全には消えない。
──……。
遠国:さらに言えば、「これはフィクションだ」と知っていることが、むしろ油断を生むこともある。
──油断?
遠国:「作り話だから大丈夫」と意識的に思っている人ほど、無意識の警戒が緩む。すると、情報が深層に浸透しやすくなる。小説や映画が人の心に残るのは、そういう仕組みです。「どうせフィクションだ」と思っているからこそ、防御なく受け入れてしまう。
──では、私たちはどうすれば……。
遠国:どうもしようがありませんよ。この記事を最後まで読んだ人間の脳には、もう種が蒔かれています。「灯之村には呪いがあるかもしれない」「自分も影響を受けるかもしれない」──そう思った瞬間に、種は蒔かれた。たとえこの記事がすべて創作だと分かっていても、たとえ灯之村という村が実在しないと分かっていても、関係ない。
──……。
遠国:頭の片隅で「でも、もしかしたら」と思った時点で、もう遅いんです。「世界のどこかには、本当にこういう呪いがあるのかもしれない」──そう思ってしまったなら、種は芽を出す準備を始めている。
──……先生、それはこの記事を読んでいる人たちを脅しているのですか?
遠国:脅し? いいえ。私は事実を述べているだけです。呪いとはそういうものだ、という事実を。
──しかし、先生のお話が正しいなら、この記事を公開すること自体が、読者に呪いをかけることになるのでは。
遠国:(少し笑って)面白いことを言いますね。では、こう考えてみてください。私が今この場で語っていることも、一種の「儀式」なのかもしれない。雑誌という媒体を通じて、活字という形式を通じて、読者の脳に何かを「渡している」のかもしれない。灯之村の村人たちがしていたことと、本質的には同じことを。
──……。
遠国:もっとも、私が「渡している」のは厄ではなく、知識ですがね。呪いとは何か、という知識を。ただ、その知識自体が呪いの種になり得る、というのは皮肉なことです。
──……。
遠国:さて、そろそろ時間ですね。最後に一つだけ、読者の皆さんにお伝えしておきましょう。
──何でしょうか。
遠国:この記事を読み終わったら、体温計を手に取らないことです。
──なぜですか?
遠国:測れば、気になる数字が出るかもしれない。人間の体温は一日の中で変動しますからね。運動後、食事後、夕方、入浴後……三十七度台になることは珍しくない。でも、この記事を読んだ直後にその数字を見れば、あなたの脳は余計なことを考え始めるでしょう。「もしかして」と。
──……。
遠国:そうなれば、種は芽を出してしまいますから。
……もっとも、私がこう言ったことで、あなたは逆に測りたくなっているかもしれませんね。「測るな」と言われると測りたくなる。それも人間の認知の特性です。皮肉過程理論の実例ですね。
──……先生、最後に一つだけ。先生ご自身は、呪いを信じていらっしゃるのですか?
遠国:(長い沈黙の後)私は物語を書く人間です。呪いについて書き、怪異について書き、人の死について書いてきた。私の脳には、数え切れないほどの「種」が蒔かれていますよ。
──それでも、発熱したことは?
遠国:さあ、どうでしょうね。ただ、私はここ最近、一つだけ心がけていることがあります。
──何ですか。
遠国:熱を測らない様にしています。あなたもそうするといい。念のため、ね。
(了)
【参考文献】
本インタビュー内で言及された主要な学術文献を以下に記す。
Benedetti, F. Lanotte, M. Lopiano, L. & Colloca, L. (2007). When words are painful: Unraveling the mechanisms of the nocebo effect. Neuroscience, 147(2), 260-271.
※ノセボ効果の神経生物学的メカニズムを解明した総説論文。否定的な予期が実際の身体反応を引き起こすことを、神経伝達物質レベルで実証している。
Cannon, W. B. (1942). "Voodoo" death. American Anthropologist, 44(2), 169-181.
※ハーバード大学の生理学者ウォルター・B・キャノンによる古典的論文。世界各地の「呪いによる死」の事例を収集・分析し、極度の恐怖が交感神経系の過剰興奮を通じて実際の死を引き起こしうることを提唱した。
Meador, C. K. (1992). Hex death: Voodoo magic or persuasion? Southern Medical Journal, 85(3), 244-247.
※医師の診断や予後宣告が患者の死を早める可能性を論じた症例報告。「言葉が殺す」メカニズムについての臨床的考察。
Wegner, D. M. (1994). Ironic processes of mental control. Psychological Review, 101(1), 34-52.
※ダニエル・ウェグナーによる「皮肉過程理論」の提唱論文。ある思考を抑制しようとすると、逆にその思考が意識に浮かびやすくなる現象を実験的に実証した。
Wegner, D. M. Schneider, D. J. Carter, S. R. & White, T. L. (1987). Paradoxical effects of thought suppression. Journal of Personality and Social Psychology, 53(1), 5-13.
※「シロクマ実験」として知られる研究。被験者に「シロクマのことを考えないでください」と指示すると、逆にシロクマについての思考が増加することを示した。
Spanos, N. P. (1996). Multiple Identities and False Memories: A Sociocognitive Perspective. American Psychological Association.
※暗示や社会的文脈が人間の認知・記憶・身体反応に与える影響を包括的に論じた著作。
Mar, R. A. & Oatley, K. (2008). The function of fiction is the abstraction and simulation of social experience. Perspectives on Psychological Science, 3(3), 173-192.
※フィクションを読む際、脳が現実の体験と類似した反応を示すことを論じた論文。物語が読者の認知・感情に与える影響についての神経科学的知見をまとめている。
※編集部注:本インタビューはあくまで遠国氏個人の見解であり、上記論文の著者らの主張を代弁するものではありません




