13.魔力と魔術
「じゃあまず、魔力について。昨日教えた事は覚えてる?」
「ああ、僕らの体内を循環する“流れ”の事だろ?」
エルスは焚火から少し視線を外し、自分の内側へ意識を向けた。
目に見えるものではない。それでも、確かにそこに在る。血の流れとも、呼吸とも違う、もう一つの律動のようなもの。
同時に、向かいに座るリュミアからも、それを感じ取る。自分のものよりも遥かに大きく、太く、迷いのない流れだった。
「魔力を持つ者は、生まれつき魔力器官という物理的な臓器を持っているわ」
リュミアはそう言って、自分の腹部を軽く指で叩いた。
「へその奥にね。この器官が生成した魔力が、体中に循環する。だから魔力持ちっていうのは才能や精神論じゃなくて、体質なの。身体の構造そのものが違う」
エルスは無意識のうちに、自分の腹部に手をかざしていた。
意識を向けると、確かにその辺りを中心に、流れが広がっていく感覚がある。
今まで当たり前すぎて、考えたこともなかった場所だった。
「で、この魔力器官を失えば、もう魔力を生成できないの。止まった心臓が二度と動かないのと一緒。魔術師としての死を意味するわ。だから魔術師は腹部だけは何が何でも守るの」
リュミアの声音は淡々としていたが、その言葉の内容は重かった。
焚火の薪が崩れ、小さく火の粉が舞う。
エルスは、自分の腹部に置いた手をそのままに、思わず息を詰める。
「あの帝国兵があんたのお腹を狙ったのはそういう事よ。運よく斬られてなかったみたいだけど」
一瞬、あの時の光景が脳裏をよぎる。
振り下ろされた剣、腹部を走った衝撃、そして――次の瞬間には消えていた痛み。
エルスは何も言えず、ただ小さく頷いた。
「ていうか、そもそも魔力を持たない人間に魔力を知覚することは出来ないの! つまりあんたがあいつの目の前で火ぃ出したりしなければバレなかったのよ! 分かる!?」
リュミアが声を張り上げ、エルスの胸を指で突く。感情が前に出たその声が、焚火の音を押しのけた。
「わ、分かった。気を付ける」
「はぁ、まあいいわ」
リュミアは大きく息を吐き、肩の力を抜く。
叱責というより、心配が先に立っていたことが、ようやく分かる調子だった。
「それで、魔力は代謝のように日々生成され続けて、飽和状態になると魔力中毒の症状を引き起こすの。精神障害、臓器不全、身体の部分的変異……。人によって症状や進行速度は様々だけど、最終的には死に至るわ」
「じゃあ……僕らはいずれ、魔力中毒で死ぬのか?」
「いいえ、対処は簡単よ。飽和状態になる前に消費すればいいの」
言い終えると、リュミアの手元に幾何学模様が浮かび上がった。
淡い光を帯びた線が空中に描かれ、次の瞬間、球状の水の塊が静かに出現する。
同時に、エルスの中で、過去の記憶が繋がった。
施設での慣習。定期的に集められ、幾何学模様が記された羊皮紙に魔力を通していた時間。意味も分からぬまま繰り返していた行為が、今になってようやく輪郭を持つ。
「術式や触媒を用いて、魔力を特定の現象に変換する。これが“魔術“よ」
空中の水は、その形を保ったまま、ゆっくりと高度を下げていった。
焚火の熱に触れ、表面がわずかに揺れる。その動きは生き物の呼吸に似ていて、エルスは思わず目で追った。
「あんたも手を洗いなさい。そもそもあんたの微々たる魔力量じゃ、症状が現れるのは大分先だけど……。ここで魔力の消費がてら、適性を見ておくわ」
言われるがまま、エルスは水の塊に手を突っ込んだ。
冷たさはあるが、川の水とは違う。指先を包む感触は均一で、抵抗がない。
洗い終えると、水は形を崩し、地面に吸い込まれるように消えた。
それからリュミアは、手にしていた分厚い本を開き、数枚ページを捲ると、エルスの前へ差し出す。
「魔術の中でも、魔力を通せば誰でも扱えるレベルまで体系化されたものを汎用魔術と呼ぶの。あんたが持ってる手袋の魔法陣もそれよ。現代では汎用魔術は8種類あるから、とりあえず全部試して自分の適性を知っておきなさい」
差し出されたページには、淡く光る魔法陣が浮かんでいる。
幾何学的な線の組み合わせは、施設の羊皮紙に描かれていたものと酷似している。
「まずは火。現象は発火よ。手袋は外したままで、魔力を通してみて」
エルスはページの上に手をかざし、腹の底から流れをくみ上げ、指先に集中させる。何度も施設でやった動作だ。
――ぽっ。
魔法陣の中心に、小さな火が灯った。揺らめきは弱く、焚火に比べれば心許ない。
理由は分からないが、施設にいた頃のような大きな火は、今はもう生まれなかった。
「とりあえずこれを基準にしましょう。次は水。現象は放水よ。さっきと同じ量の魔力を通して」
リュミアがページを捲る。描かれている魔法陣は似ているが、線の配置が微妙に違っていた。
同じように魔力を流す。
すると、魔法陣の中央から、ぽたり、と微量の水が滲み出る。それは紙の表面を濡らしだけで、すぐに止まった。
「水系統は才能ナシね。さっさと次に行きましょう」
それから、リュミアに促されるまま、次々と魔法陣に魔力を通していく。
風系統。現象は突風――と呼ぶには心許ない、空気の揺れ。
「火に比べればマシだけど、ゴミね」
氷系統。現象は氷結――だが、表面がうっすら白くなるだけだ。
「まごうこと無きゴミね」
……電気系統。現象は発電。
パチ、と微かな音がして、指先にかすかな痺れが走った。
「え、うっそでしょ。今なんかした? まさかこの静電気が?」
心無い言葉の数々に、エルスの心は今にも折れそうだった。
けれど、そんな事は意にも介さず、リュミアは淡々とページを捲った。
「五属性で多少まともなのは風系統だけね。後の三つは汎用魔術の中でも特殊な部類だけど……まあ、物は試しね。次は無色。魔力をあるべき形で実体化する系統よ」
魔法陣に魔力を通す。一見、何も起きていないように見えたが、よく目を凝らすと、魔法陣の上に何かが“在った”。
透明で、輪郭が曖昧な、薄い膜のようなもの。ひらひらと揺れ、空気の流れを受けている。
次の瞬間、リュミアは杖を手に取り、それへ向かって振り下ろした。
鈍い音。続いて、乾いた破裂音。透明なそれは砕け、霧のように霧散した。
「悪くないわね。今までじゃ一番」
「僕の一番、今しがた君に粉々にされたんだけど」
「当然じゃない。所詮は汎用魔術の術式だもの」
リュミアは肩をすくめ、本を捲りながらエルスに向き直る。
「さ、次を最後にしましょ。あんたの魔力量的にもう一つの系統は扱えないから」
そう言いながら、彼女の指先が、最後のページに触れた。
そこに描かれた魔法陣は、これまでのものよりも線が少なく、どこか簡素だった。
だが、その分、力の向かう先がはっきりしているようにも見える。
「活性系統。身体機能の活性化や、転じて治療などにも派生するわ。やってみて」
本に右手を置き、魔力を通す。先の無色系統と同様に、目に見える変化はない。
けれどその右手には、力が満ち満ちていた。筋肉の一本一本が目を覚まし、骨の内側から支えられているような感覚。今なら大樹にだって拳一つで穴をあけられそうな、不思議な万能感が芽生えている。
「なんだか、今なら何でも握りつぶせそうだ。リュミア、その杖を貸してくれ」
「ばっ……! 駄目に決まってんでしょ! この杖にどれだけの価値があると思ってんのよ!」
リュミアは反射的に杖を抱き寄せ、一歩下がる。
焚火の火が揺れ、その影が地面に跳ねた。
「はは、冗談だよ」
「はぁ……。あんた、意外と根に持つタイプだったのね……」
そう言いながらも、リュミアの口元には、わずかに気の抜けた笑みが残っていた。
張り詰めていた空気は、焚火の熱に溶けるように、ほんの少しだけ和らぐ。
「でもまあ、適性は見ないといけないわねぇ」
そう言って、リュミアは同じ魔法陣に、エルスと同じように右手をかざした。魔力を籠める指先に迷いはなく、口元には、からかうような色が差している。
「言っとくけど、活性は私が一番苦手な系統だから」
そう前置きしてからリュミアはエルスの方に右手を差し出した。
力比べ、という事だろう。
彼女の言葉とは裏腹に、その視線には試す様な自信が宿っている。
エルスがその手を握ると、次の瞬間、強い力が返ってきた。
思わず息を詰めるほどの握力だった。驚きのあとに、痛みが遅れてやってくる。
顔を歪めたエルスを見て、リュミアは小さく鼻を鳴らした。
自分より背丈は低く、肩幅も細い。
だが――なるほど、相手に遠慮をする必要はなさそうだった。
エルスは握った手に、さらに力を籠める。
すると今度は、リュミアの表情が変わった。眉を寄せ、歯を食いしばり、耐えるように踏みとどまる。
しかし、それも長くは続かない。
「痛い痛い痛い! もう無理!」
叫ぶようにして手を放し、リュミアは右手を引き寄せた。
指をさすりながら、涙の滲んだ目でエルスを睨みつける。
「ごめん、少しやり過ぎたか」
「……ふん、そもそもあんたと私じゃ土台になる筋力が違うんだから、フェアじゃないのよ」
リュミアは痛みを確かめるように指を動かし、やがて小さく息を吐いた。悔しさと納得が、同時に胸の内で折り合ったような表情だった。
「まあ、とりあえず、現時点でのあんたの適性は無色、活性、……おまけで風ね。魔術師を志すなら、この三つの系統を軸にすればいいわ。ただ……」
リュミアはそこで言葉を区切り、真剣な眼差しをエルスに向ける。
焚火の炎が、その瞳の奥で静かに揺れた。
「はっきり言うけど、その少ない魔力量で魔術師として大成するのは難しいわ。現場が駄目ならばと研究の道に進み、魔術理論を大きく発展させた偉人も過去にはいたけれど……。あんたはその分野でも既に大きく出遅れてる」
言葉は容赦なかったが、声の調子は落ち着いている。
慰めでも突き放しでもなく、ただ事実を並べているだけだった。
「魔力を持って生まれることは、必ずしも幸福な事じゃないの。生まれながらに、魔力中毒で苦しむか、魔術師になるかの二択を強いられる。それに魔力持ちは、帝国から迫害、粛清の対象とされる。あんたも身をもって知ったはずよ」
エルスの脳裏に、北方で遭遇した帝国兵の姿がよぎる。
剣の切っ先、敵意の籠もった視線。それらは既に過去の出来事でありながら、身体のどこかにまだ残っていた。寒さとは違う、身体を締め付ける感覚として。
「魔術師になるか、魔力中毒で死ぬか……」
「そう。でも私は、あんたに三つ目の選択肢を提示してあげる」
リュミアは一拍置き、焚火から視線を外してエルスを見据えた。
その顔から、先ほどまでの軽さは完全に消えている。
「それは――魔力を放棄する道よ。あんたが望むなら、今この場であんたの魔力器官を破壊してあげる。そうすればもう、魔力中毒に苛まれることも、帝国兵に襲われることも無いわ」
リュミアが、静かに杖を構える。焚火の火は変わらず燃えているのに、その場の空気だけが、ひやりと冷えた。
それは脅しではない。選択肢を示す者の、真剣な覚悟だけがそこにあった。
エルスはすぐには答えなかった。
視線を落とし、焚火の中で崩れていく薪を見つめる。赤くなった木の表面が、やがて灰へと変わっていく。胸の奥に沈めていた記憶が、静かに浮かび上がってくる。
「火を、灯したかった」
「……火?」
声は低く、独り言のようだった。
リュミアは口を挟まず、ただ耳を傾ける。
「凍えるあの子の体を温める、大きな火を」
雪と闇に閉ざされた洞窟の記憶。冷え切った指先、白くなった唇。
どれだけ願っても、あの時の自分には、ただ抱き寄せることしかできなかった。
「僕は……守られてばっかりだ。だから、力が欲しい。自分を、誰かを、守れるだけの力が」
「……さっき言ったように、あんたは魔術師として大成しないわ。その道に進んでも、帝国の脅威と魔力中毒の危険に晒され続けるだけで、富も名声も得られないのよ」
「それでもいい。そんなものはいらないんだ」
エルスは顔を上げる。
揺れていた瞳は、いつの間にか定まっていた。
「僕はただ……、世界の全てを見たい」
夢半ばで散った友の、夢の先を。
彼女が美しいと信じた世界を――。
「だからリュミア、僕に魔術を教えてくれ」
その言葉を聞いたリュミアは、ゆっくりと杖を下ろした。
張り詰めていた肩の力が抜け、口元に小さな笑みが浮かぶ。
「……本当に、面倒な拾い物ね」
それでも、その声に拒絶はなかった。
「任せなさい。あんたにはこの天才が付いてるんだから」
焚火が、ひときわ大きく音を立てる。
夜は深く、森は静かだった。
だが、その静けさの中で、燃え盛る炎がエルスの道を照らしているようだった。




