12.野営
新年を迎えるごとに覚えの無い親戚が増えていきます。
今回も見知らぬキッズ達にお年玉とかいう合法的カツアゲを食らいました。
更新遅れてごめんなさい。強く生きます。
風が梢を揺らし、遠くで鳥が鳴く。
その中に、かすかな足音が混じった。枯葉を踏む、軽い音。
エルスは草場に隠れ、ただじっと目を向ける。
小さな獣が、慎重に歩いてくる。鼻先を地面に近づけ、匂いを確かめながら、獣道を辿っている。
次の瞬間、枝が跳ねた。
短い悲鳴と共に獣の脚が吊り上げられ、身体が宙に浮く。
エルスはすぐに立ち上がり、距離を詰めて剣を抜く。刃は光を反射し、鈍い輝きを帯びていた。
剣を振るうと、獣の身体が力を失った。温度が、刃を通して手に伝わる。血の匂いが、湿った森の空気に混じった。
深く息を吐き、剣を納め、心の中で安堵する。
これで今日は、あの無味無臭の固形物を食べずに済むだろう。
――リュミアと出会ってから、もう数日が過ぎていた。
夜ごとに焚火を囲み、朝になるとテントを畳み、昼まで歩き進んだ先で、またテントを設営する。目的地は分からないが、そうして北方の大地を渡っていた。
テントを張り終えると、リュミアは決まってどこかに出掛けた。森と荒野が続くこんな場所で何をしているのか分からないが、いつも帰ってくるのは日が落ちる頃だった。
これまでの道中、口にしてきたのは、村から持ってきた干し肉と、リュミアが国から携えてきたという白い固形食だけだった。
腹は満たされるが、そこに味わいはない。匂いもなく、噛めばただ形を失うだけで、食事に伴う楽しさや余韻を、限りなく削ぎ落としたような代物だった。
一度だけ、エルスはそれについて口にしたことがある。
北方の厳しい大地を旅しているのだから仕方がない、という前提は重々承知の上で、それでも、もう少し別のものを口にしてもいいのではないか、と。
『はぁー? 何が不満なのよ』
『狩りの危険も、処理の手間も無い。合理的じゃない』
『そんなに言うなら、自分で用意してみなさいよ』
――というわけで、今夜の食事を調達しに森へ入ることになった。
獣を担ぎ上げると、思っていたよりも軽い。筋肉の重みよりも、骨の存在が先に伝わってくる。それでも、二人で食べるには十分だろうと、エルスは判断した。
テントへ戻り、獣の解体作業に取りかかっていると、やがてリュミアが帰ってきた。
西の空が赤く染まり、東の空にぽつぽつと星が浮かび始める頃合いだった。
「あんた、ホントにやったの?」
開口一番、やや呆れた調子でリュミアが言う。
「今の持ち物じゃ大した罠は作れなかったけど、運が良かった」
エルスは手を止めず、作業を続ける。
血を抜き、皮を剝ぎ、内臓を取り除く。どれも、村での暮らしの中で自然と身についた手順だった。
「へー、器用なもんね」
リュミアは少し離れた場所に腰を下ろし、しばらく黙ってその様子を眺めている。
内臓を取り出すあたりでは、ほんのわずかに顔が引きつったが、目は逸らさなかった。
嫌悪よりも、興味の方が勝っているらしい。
「で、どうするわけ? 言っとくけど私、調理器具とか持ってないわよ」
「鍋も無いしね。吊るして焼こうか」
「なら火を起こしてあげる」
そう言って、リュミアは焚火の準備に取りかかる。
同行して数日、エルスは彼女の人となりを少しずつ理解し始めていた。
兵士よりも遥かに強く、自分より多くのことを知っている。たった一人で大陸を渡る、自立した少女――そう思っていたのだが、生活に関する手際は、どうやら得意ではないようだ。
「木の組み方、それだと空気の循環が悪い」
「む……うるさいわね。やってあげてるんだから感謝しなさいよ」
リュミアは一瞬だけ唇を噛み、もう一度、薪に手を伸ばす。
その動きは慎重というより、意地に近かった。
木の位置を組み替えながら、ちらりとエルスへ視線を送り、無言で意見を求めている。
「うん、良くなった」
「ふん、消えたらまた点ければいいだけじゃない」
リュミアは不服そうに口を尖らせながら掌をかざす。次の瞬間、薪の隙間に淡い火が宿った。火打ち石も、摩擦熱も必要ない。ただ、火だけがそこに現れた。
それからエルスは、塊肉を焚火の上に吊るす。
闇が森に降りるにつれ、焚火の明かりは輪郭を強めていく。
炎が揺れるたび、二人の影が地面に伸び、重なり、また離れた。
夜風が梢を鳴らし、冷えた空気が頬を撫でる。その中で、火の温もりだけが確かなもとして残っていた。
やがて、吊るした肉から脂が落ち、小さな音を立てて弾け始める。
「ほら、君の分もあるよ」
「……別に、頼んでないけど」
「いいから、ほら」
リュミアはしばらく塊肉を見つめ、持ち方を変え、少し困ったように眉を寄せた。
だが、エルスが迷いなくかぶりつくのを見て、短く息を吸い、同じように歯を立てた。
香辛料もなく、味付けは塩だけだった。それでも、肉の繊維がほどけ、熱と脂が口に広がる。無味無臭の固形物とは、比べるまでもない。
エルスは、腹の奥に落ちていく確かな満足感を覚えながら、リュミアの様子を窺った。
「どう?」
「手が汚れたわ。口元も」
「いや、そうじゃなくて……」
リュミアは一度、口を閉じて咀嚼を続けた。
その間、焚火がぱちりと音を立て、夜風が煙を揺らす。ほんの僅か、眉の力が抜けたように見えた。
「ふん、まぁまぁね」
素直じゃないリュミアの性格も、エルスは段々と理解し始めていた。ふと、ルカを思い出して、懐かしさが胸に広がる。
「……何笑ってんのよ。言っとくけど、私の意見は変わらないからね。食材の調達、調理の手間を排除して効率的に栄養を摂れるこの『行動食β』が旅路の食事としては合理的よ」
リュミアは手元の箱から白い固形食を取り出して、エルスに放り投げる。
「あげるわ。借りを作るのは嫌いなの」
「え、いらな……」
「はぁ?」
「ああ、いや、なんでもないです。ありがとう」
受け取った固形食は、やはり食べ物というよりも道具に近い佇まいだった。
「あんたねぇ、これは国外での任務に臨む国家魔術師にのみ支給される、ウチの国じゃ貴重で由緒ある代物なのよ? これを持っている事自体が権威と立場の証明になるの。分かったらありがたく受け取りなさい」
リュミアは言い切るように顎を上げ、その視線を焚火の向こうへ投げた。
炎が揺れるたび、彼女の横顔に影が落ち、また消える。その姿は誇示というより、背負っている役割を確かめるようにも見えた。
「リュミアの国って?」
「……あんたはどうせ知らないだろうけど」
そう前置きすると、リュミアは懐から銀色の懐中時計を取り出す。よく見ると、厳かな紋章が刻まれていた。
「大陸最大の魔術文明を誇る東方の大国、アウレリア魔術国家。そこで12の若さで国家魔術師となった天才、リュミア・フェルナールとは私の事よ!」
胸を張り、誇り高く名乗りを上げる。焚火の光を受けて、銀時計の紋章が鈍く輝いた。
「へえ……すごいんだな」
「あんたが今思ってる百倍はね。はぁ……調子狂うわ、ほんと」
リュミアはため息交じりに銀時計を懐に仕舞い、空中に手をかざす。幾何学模様が浮かび上がり、そこから出た水で手を洗い口を漱ぐ。
国家魔術師という存在がどのようなものかエルスには分からなかったが、少なくともリュミアが今まで出会った誰よりも“魔術”に長けているのは確かだった。
「東方から、どうしてこんな辺境まで?」
「国家任務よ。国外での単独の長期任務。……失敗は許されないわ」
少し、リュミアの声が震える。その言葉は自分に言い聞かせているようだった
「任務って?」
「言うわけないでしょ。国家機密なんだから。心配しなくてもあんたには関係ないわ」
二人の間に、短い沈黙が落ちる。焚火は静かに燃え続け、森の闇はそれ以上、踏み込んでこなかった。
それからリュミアは一度テントに戻り、鞄から分厚い本を取り出して戻ってくる。
「じゃあ、今日も始めましょうか」
夕食後に焚火を囲むこの時間、リュミアから“講義”を受けるのが慣習になりつつあった。
扱うのは”魔力”。それから”魔術”についてだった。




