表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
異世界釣行  作者: マリ
1/1

湖畔にて、異世界の朝に目覚める

 視界が白く滲んでいた。

 耳の奥で微かに風の音がする。

 三菱デリカD5の車内で眠っていた高木颯真たかぎそうまは、ぼんやりとした意識のまま顔を上げた。

 見慣れたはずの車内が、どこか違って見えた。

 運転席の隣では、黒柴のクロが丸くなって寝息を立てている。

 いつも釣りに連れていく相棒だ。

 釣り場でも吠えず、ただ静かに主人のそばにいる。

 そのクロが、鼻をひくつかせてムクりと顔を上げた。

 外の匂いを感じ取ったのか、窓の方を見つめて小さく「くぅん」と鳴く。

 颯真もつられるように視線を向ける。

 窓の外に広がっているのは平原と湖。

 舗装路も、建物も、電柱もない。

 ただ、広い空と、淡く揺れる水面だけがあった。

 「、、、何処だ、ここ」

 昨夜は港で夜釣りをしていたはず。

 だが、今目にしているのは海でも港でもない湖の畔だ。

 エンジンは掛かっているのにカーナビは暗転したまま、

スマホを取り出し確認するが圏外。

 自分が何処にいるのか分からなくなってしまった。

 焦る気持ちを抑えつつ、高木はドアを開けて外に出た。

 クロも後をついてくる。

 風が頬を撫で、空気がやけに澄んでいる。

 クロは鼻を地面に近づけ、周囲を警戒するように匂いを嗅いでいた。

 遠くを見渡すと森らしきものと、空高くに浮いている巨大な岩塊から水が垂れ流しになっている。

 「夢でも、、、見てるのか?俺は」

 頬を抓るが痛い。

 スマホで姉の電話番号に掛けてみるが、無機質な音声アナウンスが流れるだけだった。

 「夢じゃないのか、、、」

 ボンネットに片手をつき、もう片方の手で頭を抱える。

 その足元では、クロが高木の足に左前足を載せて、首を傾げこちらを見上げていた。

 「そうだ、、こんなところでクヨクヨしてる場合じゃねぇ、、車ごとって言うなら、、

当然道具だって」

 リアハッチを開けると、そこにはちゃんと高木の愛用している釣具やアウトドアグッズ達が所狭しと積まれていた。

 クロが荷物の隙間を覗き込み、尻尾を振る。

 「良かった、、、」

 全て昨日のまま。

 少なくとも、手ぶらで放り出された訳じゃない。

 その事実が、少しだけ安堵できた。

 その瞬間、ぐぅっと腹の虫がなった。

 「、、、あ」

 完全に忘れていた。

 夜釣りを終えた帰りに、朝飯はハンバーガーショップのドライブスルーで買うつもりだったが、

、その向かってる最中に、こんな場所へ飛ばされてきたのだ。

 空腹に悲鳴をあげる腹を摩りつつ、車内を見回す。

 ペットボトルは空。

 コンビニ袋の中も空っぽ。

 非常食どころか、スナック菓子の一つもない。

 「、、、まじかよ、、、食料ゼロか」

 ため息がこぼれた。

 胃がギュッと縮む。

 その場に座り込み、地面を見つめながらどうするか考えるが何も思いつかない。

 クロが心配そうに寄ってきて、手の甲を舐めた。

 「、、大丈夫だクロ。なんとかする」

 その時だった。

 草の間から見える土に細長く赤い生き物が蠢いているのが見えた。

 「これはもしや、、、やはり」

 高木はその細長く赤い生き物を摘まみ上げるとそれはミミズのような虫だった。

 パッと見てもミミズにそっくりで、違う部分があるとすれば明らかな口があり、鋭い牙が並んでいる事だろう。

 「こいつは、、何て種類のミミズなんだ?、、まぁいいや、、こいつはきっと使える」

 高木は空のペットボトルにミミズのような生物を入れ、釣りの準備を始める。

 愛用のがまかつ製の渓流延べ竿を取り出し、手慣れた手つきでラインを結びつけた。

 12号のトラウト用の針を付けながら、少しだけ心拍数が上がる。

 クロは湖の方をじっと見つめ、耳をピクリと立てていた。

 「行くかクロ!」

 高木は延べ竿を肩に担ぎ、クロを連れて湖へ歩き出した。

 「まさか異世界でも釣りが出来るとは」

 湖の岸辺に立つと、空気が澄んで冷たい。

 透き通った綺麗な湖は神秘的だった。

 見知らぬ世界で、見知らぬ魚を狙う。

 それが今日、最初の仕事だ。

 「さて、魚が居ればいいんだが」

 クロが尻尾を振ってお座りしている隣で、針にミミズらしき虫を付ける。

 口から遠し身体に針が刺さった瞬間、出て来た黄色の血液から強烈な匂いが放たれた。

 生臭さもあるが、それに加えて金属を焦がしたような、鉄と硫黄の中間のような匂い。

 「っう、、何だこの匂い、、、強烈すぎるだろ」

 眉をひそめながらも、何とか抜けないように刺せた。

 後はポイントを見つけて仕掛けを投入するだけである。

 高木は立ち上がると針の上部を持ち、竿を少ししならせる。

 そして、竿の反発力を利用して仕掛けをポイントへ投入した。

 着水したウキと餌によって波紋がいくつも広がり、やがて消えていく。

 「よし、、後は来るのを待つだけだ」

 高木は腰を下ろし、クロの頭を軽く撫でる。

 すると、嬉しかったのか尻尾を振る速さが上がった。

 数分、ウキを見つめ続けるが何の反応もない。

 ただ、風が草を揺らし、何処か遠くで水鳥の声がした。

 「本当に魚、いるのか?」

 自嘲気味に呟いたその瞬間、ウキが小さく震えた。

 「、、、ん?」

 波ではない。

 もう一度小刻みに揺れ、水中へと引き込まれた。

 竿を立ててると、ブルっと何かが引っ張る感触が竿越しに伝わる。

 「よし来た!!」

 延べ竿がしなり、魚は逃れようと下へ潜ろうと必死に抵抗している。

 「おぉ、、こいつは中々いい引き、、、大きいんじゃないか?」

 竿を立てて、魚を岸へと引き寄せる。

 やがて、陽光を反射して、青白く光る魚体が姿を現した。

 「なんだこれ?」

 タモで陸地に挙げた魚は、背中から体側にかけて深い青色のグラデーションで、腹部は銀色になっている。

 光の角度によって銀色の色が増えたり、逆に青色が濃くなったように見える変わった魚だ。

 釣り上げた個体の体長は40㎝丁度の大きさで、外見は地球上で見るトラウトに似ているが、

身がほんのりと青く透けている。

 高木はスマホを取り出し、記録の為に写真を撮った。

 「名前も分からねぇけど、、、お前食えるよな?」

 針を外し、持ち上げながら呟くと、クロが尻尾を振り軽く吠えた。

 デリカを停めている場所に戻る早速調理に準備に取り掛かる。

 石を集めて小さな囲いを作る。

 デリカの中からティッシュとライターを取り出し、囲いの中に組んだ枝に火をつけた。

 小さな枝に火を付けると、太めの枝を載せ軽く空気を送り火を作り上げていく。

 火が付いた所で、高木は魚を捌き内臓を取り出して串に刺すと、

焚火の上に掲げた。

 脂が滴り、炎が小さく跳ねた。

 香ばしい匂いが風に乗り、腹の虫がまた鳴く。

 「良い匂いだ」

 思わず漏らした声に、クロが首を傾げる。

 20分程焼いたところで手に取り、軽く息を吹きかけて一口齧る。

 身はほぐれるように柔らかく、口に入れた瞬間、淡い旨味がふわりと広がった。

 何処か上品で、淡雪のように舌の上で溶けていく。

 「、、旨い。

 クロも食べるから塩は一切振っていないが、ちゃんと味がある」

 クロが尻尾を揺らし、早くくれっと言わんばかりに高木の腕に前足を載せる。

 「分かった分かった、、、今やるから、落ち着け」

 高木は銀のプレートに身を小さくほぐし、少し冷ましてからクロの前に置いた。

 「よし、いいぞ」

 高木の号令にクロは鼻を突っ込み舌で舐めとるように身を食べ始めた。

 陽も傾きはじめ、暗くなり始めている。

 「旨いか?クロ」

 美味しそうに身を食べているクロに微笑みを浮かべ、空を見上げた。

 陽も落ち、二つの月が顔を覗かせている。

 「ここは本当に異世界なのか、、、明日はどうするかな」

 高木は月を見つめながらこの世界でどう生きていくかを、ゆっくり考えはじめた。

 異世界の夜は静かだった。

 風が草を揺らし、遠くで水の音が微かに響く。

 そして、焚火の赤い光の中で二つの影が寄り添うように揺れていた。


 焚火の火が小さくなり、灰が静かに舞い上がる。

 高木は膝を抱えて炎を見つめていた。

 腹は満たされたが、これから先の事を考えると、

、胸の奥が妙にざわつく。

 「、、、この先どうすりゃいいんだろうな」

 燃え残った枝を突きながら、ぼんやりと呟く。

 仕事も家も、もう無い。

 この世界でどう生きるかなんて、見当もつかない。

 それでも、ひとつだけ心に浮かぶものがあった。

 ーー釣りは続けたい。

 食うためでも、気を紛らわせるためでもない。

 ただ、釣った魚を料理して食べる事が好きだった。

 その瞬間が、嫌な事も一時的とは言え忘れさせてくれる幸福感は

この世界で生きる活力になってくれる。

 そんな気がしたのだ。

 クロが欠伸をして、焚火の傍で丸くなる。

 高木は微笑み、立ち上がると火を砂で覆い消した。

 「、、明日また考えよう」

 クロを抱き上げ、デリカのスライドドアを開ける。

 シートを倒し、寝袋を広げると、クロを隣に寝かせた。

 外は満天の星と二つの月。

 焚火の名残が煙となって、静かに夜空へ溶けていく。

 「おやすみクロ」

 エンジンのかかっていない車内は少し冷えていたが、

不思議と眠気がすぐに訪れた。

 世界が違っても、空腹と釣りの疲れは同じらしい。

 

 翌朝。

 朝霧が薄く漂う湖畔で、鳥の鳴き声が響いていた。

 高木は軽く伸びをし、クロに水を飲ませてから車の外に出た。

 空気は冷たく澄んでいて、吐く息が白い。

 湖面には朝日が差し込み、淡い金色の光が波間に揺れている。

 「さて、、これからどうするかな、、」

 高木は湖面を見つめながら、小さく呟いた。

 「まずは、元の世界に帰る方法を探さないとな」

 そう言いながら、心のどこかでは分かっていた。

 今この瞬間に出来る事は限られている。

 見知らぬ土地で、誰も居ない。

 食料も情報も無い。

 焦っても答えは出ない。

 クロが足元に寄ってきて、鼻を鳴らした。

 その仕草に、少しだけ緊張が解れる。

 「まぁ、生きてりゃどうにかなるか」

 自嘲気味に笑いながらも、高木の視線は再び湖へ向いた。

 水面には風が描く細い波紋が広がり、魚の影がきらりと光った気がした。

 「帰る方法を探すにしても、腹が減っちゃ、話にならん。

 それに、、釣りは生き甲斐だしな」

 そう呟いた高木の表情は、ほんの少しだけ穏やかだった。

 釣りは生活の一部であり、心の安定である。

 どんな世界にいようと、竿を握る限り自分を保てる。

 クロが「ワン!」と鳴いた。

 まるで”それでいいじゃないか”と言うように。

 「クロも分かってくれるか~、よし今日の夜に備えて枝でも集めないとな、、クロ森へいくぞ」

 高木はそういうとデリカのドアを開けた。

 クロがそそくさと飛び乗り助手席に腰を下ろす。

 高木も続いて運転席に座りエンジンを掛けた。

 ディーゼルの低い唸りが、静かな湖畔に響く。

 「よし、行くか」

 デリカはゆっくりと砂利を踏みしめ、湖畔を離れていく。

 クロは助手席で外を眺め、尻尾を揺らしている。

 高木はハンドルを握りながら、視線を前へ向けた。 

 「帰る方法を探さないといけない、決して簡単な話じゃないだろう、

まぁ、それはそれとして、せっかくだし、この世界でどんな魚が釣れるか、楽しませてもらおうじゃないの」

 誰に言うでもなく呟き、アクセルを軽く踏み込む。

 デリカのタイヤが泥を弾き、遥か遠くに見えている森へ向けて進んで行った。

 高木とクロの異世界での旅が始まったのである。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ