散る花々
洛鈴は横目に、楊蓮妃の姿を見ていた。
アヒルの子のように後をついて、この紫煙宮まで連れてこられてしまった。その道中、楊蓮妃の姿を見るや、宮女や宦官たちはコソコソと逃げ出していく。
その姿を見る度に不安が募る。
本当に、名前もわからないあの首輪の方への罰はないのだろうか——。
そんな洛鈴の不安などどこ吹く風と、楊蓮妃は軽やかに歩いていた。
そして、立ち止まる。
「ほう。殊勝じゃないか、首輪付き。我が帰りを待っていたのか」
「あれ……あの方は何を……」
強く暖かい春の風が吹く中、紫煙宮の門前に首輪付きが仁王立ちしていた。門番のように、堂々と。
「首輪付き。良かったな。貴様を庇ってくれるような友ができたようではないか」
強く吹いた風に乗って、淡い紫の花びらたちが舞い踊る。
訝しげに思った洛鈴がその一切れを拾って——。
驚愕の眼差しで首輪付きを見た。
花びらではない。
布だ。
「戒めを」
楊蓮のたった一言で、あの堂々としていた首輪付きが途端に首を抑えて苦しみ出した。
肌に脂汗が浮かぶ。
顔が死人のように青ざめていく。
「誰かに庇われるのが、そんなに嫌だったか。首輪付き」
「何故……こんなことを」
洛鈴の困惑の声を前に彼は答えない。否、答えられない。言葉を発せぬ彼に、答える術はないのだから。
だが——彼の行動が、その答えを明確に語っていた。
美しい紫の布切れが、落ち葉のようにまばらにちぎられ、散らばっている。彼が洗濯していた楊蓮妃の服の数々だ。
どれも職人が色染めを行い、丹精込めて織り上げた逸品。庶民には縁のない、素晴らしいもの。
それを破り、投げ捨てた。
見知らぬ誰かになど、助けられてたまるか——彼の行いは、そう語っていた。
「どうするべきか」
楊蓮の声が、愉しげに響く。
「貴様の罪は問わないと言った手前、罰を与えるのも憚られるな」
彼女は振り返った。獲物を追い詰めた狩人のような、嗜虐的な笑みを湛えて。
「なあ、どうするべきだと思う」
洛鈴は即座に膝まづいた。
「どうか、もう一度お慈悲を……先の貴方の言葉に殉じた裁きを」
この状況では、洛鈴にできることは懇願しかない。上級妃の気紛れで、言葉などいくらでも覆る。
それでもまだ勝機はあるかもしれない。洛鈴はそう思うようにしていた。
彼女の表情からは、怒りや不快の色は見えない。それどころか酷く楽しそうだ。それが怒りを通り越して笑っているのでなければ……。
「状況は大きく変わったように思うがな」
「それでも、どうか」
「よかろう」
楊蓮は小さく笑った。
「だが貴様の罰は追加とする。内容はおって話そう。まずはそこの大馬鹿者に肩を貸してやるといい」
洛鈴は急いで駆け寄った。
首輪付きは声にもならない呻き声をあげながら、必死に息を吸おうと喉を動かしている。
「大丈夫です。私が助けて見せますから。どうか今は頼ってください」
支えようとした腕が——弾かれた。
そんなものは必要ない、というように。
それでも洛鈴は食い下がる。
「私が勝手なことをしたから、不安だったのですよね。申し訳ありません。もっと貴方に誠実な対応をすべきでした」
息を吸う。
「ですが今は、今だけはお願いします。貴方のためにも——私のためにも」
首輪付きの眼差しが、変わった。
童のように不安定に目線を揺らして、恐ろしい怪物を見たような恐れに慄いていた。
彼女の言葉に、真心しか感じられなかった。「私のため」などという言葉すら、自分に負い目を感じさせないための気遣いでしかないと理解してしまった。
だからこそ首輪付きは恐れを抱いた。
そんな人間こそが、彼の命を脅かす毒になるのだから。
もう振り払うこともできず、彼は大人しく彼女に支えられながら紫煙宮に入っていく。
その様子を見て、楊蓮は目を細めた。
「くくっ……呆れ返るほど情深い」
小さく、誰にも届かぬ声量で呟く。
「良い拾い物をしたものだ」
紫煙宮の扉が、音もなく閉じられた。




