婚約破棄ですか、なるほど! ではまず正当な理由の有無についてお聞きしますね。
魔法学園の食堂にて、多くの生徒がにぎわい食事を終えて談笑を楽しんでいる最中、こんな声が響いた。
「お前とは婚約破棄だ! 学園では一切付きまとわないでもらおう」
「そうよ。アンタみたいなのに付きまとわれてフィランダー様だって迷惑してるのよ? それが私みたいな可愛い女ならまだしも、アンタみたいな……ねぇ?」
その言葉を聞いて、エノーラはいつも持ち運んでいる鞄から急いで生徒会の仕事で使う名簿帳を取り出して、座っている彼らに詰め寄るように寄りながら言った。
「婚約破棄ですか、なるほどではまず正当な理由の有無についてお聞きしますね」
食堂のテーブルセットに座り、適当なメモ用紙とペンを取り出して彼らの事情についてペンを走らせる。
婚約に関する話はとても重要な事であるのできちんとまとめる必要があるだろう。
エノーラはそう思って、ニコッと笑みを浮かべたのだが、彼らはそろって顔を見合わせてそれからキョトンとしていた。
……何をそれほど驚いているのでしょうか? 婚約破棄なんて口に出しただけで出来るものではないでしょう。
特に、貴族同士の婚約については、王族が管理している事項です。簡単な事ではありませんよ。
それなのに最近の若者と来たら、学園内でもブームであるかのように婚約破棄宣言が行われ、エノーラはほとほと困り果てているのだ。
「何ですか、正当な理由、無いのですか?」
「え? ……あ、その……あ、あるよなマーガレット」
「そ、そうよ! もちろんあるわ!」
「はい、ではお聞きしますね」
フィランダーとマーガレットは確認し合うようにそう言って、エノーラは良かったと思う。
きちんとそれについて考えてあるのなら安心だ。
貴族同士の契約に口をはさむ王族だって鬼ではない。夫婦として生活をしていくことに不適格だと判断が下されれば、一方的な婚約破棄を受け入れることもある。
「まず、性格が悪いことだろ?」
「具体的にはどういった様子で?」
「だから、覚えてんだろ! 私がこの間のクラスの集まりでマーガレットと楽しく過ごしていたら、恨めしそうにこちらを見つめてきやがって。婚約者だからってふんぞり返ってな、うらやましいなら自分からもっと媚びるぐらいやって見せろよ」
「そうよ! この間だって変な噂を流したでしょ! 私が、誰でも身分が高い人間なら粉をかけて玉の輿を狙ってるって! 本当に最低!」
「……媚びる態度を見せずに、妙な噂を流したからと」
さらさらとペンを走らせて、エノーラはついでに名簿帳を開いて彼らの個人情報をさらう。
玉の輿を狙っていると噂されているマーガレットの方には婚約者はいない様子だった。
……それでも正当な理由となるかと言われると……。
考えて彼らに伝えようと考えると「まだある!」とフィランダーが先に口を開き、エノーラは聞き役に徹することにした。
「寡黙ぶってるんだか何だか知らないが、大勢の前に立つといつも口を閉じて、ほかの令嬢を見てみろよ、お前が黙っている間に友人を作って学園生活も華やかに過ごしてるのにな。そんなお前が私に釣り合うか?」
「まったくよね、本当にアンタみたいな陰気な女が婚約者でフィランダー様が可哀想。それに比べて私は、友人も多いしフィランダー様に尽くしてあげてる。だからもう付きまとうのはやめてよね!」
「……釣り合わない上に、新しい相手がいるからと……」
語気を強めて、威圧的に婚約破棄を呑ませようとしている彼らにエノーラは平然と返す。
すると二人は拍子抜けするように微妙な顔をして、目線だけで会話をしている様子だった。
何か作戦でも立てているのだろうか、しかしこの状況になってから立てる作戦などなんの意味も価値もないだろう。
エノーラは、彼らが別の作戦を考えて、面倒なことを口にする前に書き記した婚約破棄の理由について大きく上からバツをつけて、裁判官みたいなつもりで言った。
「なるほど。事情はわかりました。ただ、それらの理由では婚約破棄の正当な理由として認められません、断言できます」
きっぱりと言い切ると彼らは気分を悪くしたのか、苦々しい表情になる。
「別に、正当だと認められなくたっていいんだ、婚約破棄さえ出来れば俺たちは愛し合っているし!」
「そうよ! とにかくアンタみたいなのが付きまとわなくなればいいのよ! せっかく楽しい学園生活なのに台無しになっちゃうじゃない!」
「魔法学園での生活は、楽しむことも大切ですが、それだけが重要なことではありません。従者を廃して身分別の階級なく生活をしているととても開放的な気持ちになり自由な恋愛や、選択が許されているように感じるのはわかります」
エノーラの言葉に強く言い返してくる彼らに、エノーラは平静をよそおいながらも言葉数を多くしてまくしたてた。
「けれどそれぞれに抱えるものがあり、国の事情、家の事情、様々です。それらを鑑みてなされた婚約を当人同士だけで精査して、あまつさえこんな場所で婚約破棄を宣言し、納得させようとするなんて自信の立場や身分を見誤ってはいませんか?」
「っ、何なんだよ! 知ったようなことばかり言いやがって」
「事情は聞きました。それにこのように、あなたたち生徒の情報を私は誰より理解していますよ」
そう言って彼らに、名簿帳をばらばらとめくって見せる。
これはエノーラが書いた写本であるが、そのページにはびっしりと注釈が書かれ細かな情報が載っている。
それを鑑みたとしても、今回の婚約破棄について非があるのはフィランダーの方だと判断できる。
性格の不一致については、どうあっても正当とは認められないものなので割愛するとして、マーガレットが玉の輿を狙って多くの男に声をかけているという噂は、ただの真実であるとエノーラは考えている。
……なんせ、こういう騒動をほかにも起こしていますから。
その時には厄介な生徒がいると生徒会長のシルヴェスターが頭をなやませていた。
そして大勢の前に立つと黙ったり、友人がいないというのももちろん正当な理由にはならない……それにその点については、むしろフィランダーの過失ともいえる。
「そのうえで言っているんです。正当な理由がない状態での婚約破棄など受け入れられるには相応の慰謝料の支払が原則です。どんなに悪い所をあげつらおうともそれは変わりません……ですから」
エノーラは隣に座って顔を真っ赤にして息を殺して泣いている少女、アイリーンの背に手を添えて、優しげな声で言った。
「大勢の前で辱められたとしても、引く必要はありません。泣き寝入りなどしてはいけないのです。大丈夫ですよ、必ず正しい知識をもってあなたを見る人間はいます」
「っ…………はぃ、っ」
「彼らの浮気に正当性はありません、きちんと主張して、慰謝料なりそれ以外でも正当に頂いてお別れをするべきですよ」
アイリーンの名簿には、生徒会の一年生から仕入れられた情報が載っていた。
彼女は昔、婚約者のフィランダーが主催した同年代のパーティーで、ひどい失態をやらかしたらしい。
その時のことがトラウマになったのか、大勢の前にさらされると途端に顔を赤くして黙り込む癖がついたのだとか。
そのせいで友人はおろか、学園でも話し相手になる人間は一人もおらず、クラスでも浮いているんだとか。
しかし、情報を持ってきた一年生はこうも言っていた。
そのパーティーまで、アイリーンはまったくそんな失態をやらかすような子ではなかったし、むしろしっかりとしている方で、同年代の男の子たちの悪戯を窘める様な真面目な子だったのだと。
そんな子を男の子たちが……主に婚約者のフィランダーがどう思っていたかは想像に難くない。そして何が起こってどういう真相なのかをエノーラは知らない。
けれども、この婚約破棄については言えることがある。
「それに、こんなに大勢の前で宣言したのですから証拠はばっちりです。私も証人になりましょう」
「っ、な、なんなんだ! 突然割り込んできたと思ったら、くだらない! 慰謝料だと! 払うかそんなもの!」
「そうよ! そもそも、アイリーンがそんなだからいけないのでしょ!」
「では、こんなふうになった原因も一から十まですべて調べますか? それに、マーガレットあなたにも過去に何か過失がなかったか公にする必要がありますね……」
「え?! は、あ、まっ」
名簿帳をパラリと開いて確認するそぶりを見せると、マーガレットは自分の過去の行動が頭を駆け巡った様子でしどろもどろになって、どもりつつも止めようとしてくる。
周りで見ていた野次馬たちがざわついて、きっとマーガレットが何をしたのか気になっていることだろうと、エノーラは自信満々に続けようとした。
しかしぐっと肩を掴まれて真上から声が降ってきてエノーラは思わずびくっと反応してしまう。
「コラッ! また妙なことに首を突っ込んで! 一年生たちがいそいで俺に知らせに来たんだぞ!」
「…………」
「聞いてるのかエノーラ。他人の事情に口をはさむな! そもそも生徒会所有の帳簿を持ち出して個人で利用するのは違反行為だろ! 何度も言い聞かせているのに!」
「…………だって」
「だってじゃない! 君はいつもそう屁理屈で俺に対抗しようとするが、俺は何も問答無用で怒ってるわけじゃない、手順を踏んでくれと言ってるんだぞ」
「…………でも」
上から叱りつけられてエノーラは悪いことをしたネコのように固まって、瞬きをしながらシルヴェスターを見上げた。
彼はとにもかくにもエノーラのことを叱るつもりらしい。
でも仕方がないじゃないか、目の前で婚約破棄だ! なんて始まってしまえば、エノーラはぐるりと頭を回転させてその場を正当に収めようとするに決まっているだろう。
学園の規律と平和を守る生徒会書記のエノーラとしては、すべての情報をもってして当たるしかないのだ!
「目の前で起こったから……」
「そうか。言い訳の続きは生徒会室で聞いてやるから、来い。今日という今日は反省文を百枚書かせるまで帰さないぞ」
そうして怒ってシルヴェスターはエノーラの襟首をひっつかんで鬼のような形相で連れていこうとする。
同じテーブルについていた彼らは皆、生徒会長の登場に唖然としていて、つい先ほどまで自分たちを追い詰めていたエノーラが、悪戯好きの子供の用に扱われる様はとてもあどけない。
これならシルヴェスターに取り入ってエノーラの発言を撤回させることができるのではないか、そう考えてマーガレットは薄ら笑みを浮かべて口を開く。
「ほら、荷物を纏めろ」
「はぁい」
「せ、生徒会長様、会員の面倒はきちんと見てくださいよ! この人のせいで、まるで私たちが悪者みたいに周りの人になったじゃないの」
マーガレットの言葉に荷物を纏めているエノーラを見守っていたシルヴェスターはその鋭い視線をあげて、とても冷たい瞳で言った。
「すまない。エノーラが無関係であるのに口をはさんで事態を混乱させたのは事実だろう。謝罪する……だが、貴族ならば時と場所をわきまえるべきだ。こんな公の場で痴話げんかなど、見苦しい。君はそう思わないか?」
ばさりと切り捨てるような発言と、一見、優しげに見えるシルヴェスターから履き出された言葉に、マーガレットはぞっとして無言でこくこくと頷いた。
それから、エノーラが鞄を持つとシルヴェスターは逃がさないように手をがっしりとつかんで生徒会室へと去ろうとした。
しかし、その背に小さくとも必死な声が届いた。
「あのっ……」
エノーラが彼女もこうして声をかけてくれたし、ちょっと待ってほしいと媚びるような目線をおくると、シルヴェスターは仕方ないと少しため息をついてそれからぱっと手をはなす。
「ありがとう、ございます……! エノーラ様…………が、がんばります!」
「はい。後で生徒会室に来てください。慰謝料請求の申し立て、お手伝いしますよ」
「は、はいっ……」
エノーラはニコッと笑って彼女にそう声をかける。
アイリーンの表情は婚約破棄を切り出された時とは違って、希望を見出したようなキラリと輝くものに変わっていたのだった。
後日、丁寧にお礼の品をもってアイリーンはやってきた。彼女は相変わらず言葉少なな令嬢ではあるが、以前よりもスッキリとした様子ではきはきと話をする。
婚約破棄の問題については、慰謝料を請求されるならと婚約破棄をしなかったフィランダーに対して、あの食堂での出来事で不貞行為の事実を認めさせ婚約を解消することに成功した。
もちろん責はあちらにあるので、慰謝料や婚約解消にかかった費用もろとも彼に背負わせ、実家から呼び戻されたフィランダーは魔法学園から去ることになった。
マーガレットの方については、フィランダーに取り入ってアイリーンの後釜に座るつもりだったらしいが、そううまくいくはずもない。
魔法学園を退学する羽目になったフィランダーは跡取りの地位から下ろされ、爵位継承権者ではないフィランダーにマーガレットも興味を失ってまたあらたな男を探した。
しかし、すでに狭い学園内には食堂の一件があってマーガレットのうわさは知らないものがいないほどだ。
アイリーンを友人が一人もいないと罵っていたが自分が、その立場になりつつある事実に、彼女は耐えられずに寮に引きこもっている。
と、あまり手を回す必要もなく二人は自滅していったので、後はアイリーンが同じ学年の人間とどううまくやるかが問題だが、そこからは彼女の問題でエノーラが口を出すことじゃないだろう。
ほっと一息つきつつも、喋るのが苦手なアイリーンが書いてくれた後日談の手紙を丁寧に折ってエノーラは、さて、と両手を合わせてニコニコした。
「貰い物はその日のうちに食べるのが一番ですからね」
そう口にしてエノーラは紙袋からお菓子を取り出してペロリと舌なめずりをした。
膝の上に箱を置いていざ開こうとそっと手を添える。
「……生徒会室は、飲食禁止だぞ」
しかし、ジトッとした声で自分の机について書き物をしていたシルヴェスターが言って、エノーラはまたいたずらが見つかった猫のように目を丸くしてじっとシルヴェスターを見た。
「…………」
「寮で食べればいいだろ。なんだその顔」
「…………」
「エノーラ、いくらほかの生徒会員がいないからって、じっと見るな」
「…………ちょっとだけです、シルヴェスター」
「…………」
彼の名前を呼んでエノーラはどうしても今食べたいと念を込めて彼を見る。
すると彼は苦々しい表情をして、しばらく二人はどちらも引かずに見つめ合った。
それからシルヴェスターは眉間にしわを寄せたまま目をつむって、ふらりと立ち上がる。
貴重な資料が入っている本棚の間にあるキャビネットを開いて、魔法具の茶器を使ってコーヒーを淹れた。
飲食禁止なのに、茶器があるのは彼が誰もいない間にこっそりコーヒーを飲んでいるからである。
その間にエノーラは箱を開いて個包装になっているマドレーヌを二つ開けて食べやすいようにした。
「内緒だぞ。ただでさえ君は俺の婚約者で、甘やかしているって言われているんだから」
言いながら彼は、マグカップをエノーラに一つ渡して、エノーラもマドレーヌを一つ彼に渡す。
そうして片手にコーヒー、片手にマグカップをもって、エノーラのことを割と大切にしてくれる婚約者を見上げて食べながら返事をした。
「はぁい」
「その間延びした返事もどうにかしないとな」
「嫌ですよ」
「なんで、君はそう頑ななんだ。まったく……なんでも首を突っ込むのはもうこの際いいとして、心配はかけないでくれ。男が逆上したらどうするんだ」
「そうしたら、たくさん慰謝料を取れますね」
「そういう問題じゃない」
「ふふっ、そうですか? 魔法もあるので大丈夫ですよ」
「君のことだ信用ならない」
喋りながら彼もマドレーヌを口に運ぶ。こってりとしたバターの風味にふわりと香るレモンの清涼感がマッチしていて甘さが心地いい。
「ン、うまいな。これ」
「はい、明日当たりお礼を言いに行かなければなりません」
「そうしてくれ。ごちそうさん」
彼は包装紙を小さくたたんでマグカップと一緒にもった後、エノーラの頭を少し撫でてそれからコーヒーを持ったまま机に戻っていく。
まだまだ仕事が終わらないのだろう。
働き者で心配性で、優しくて、怒ることも多いがそれはエノーラのせいなので仕方ない。
これを送ってくれたアイリーンにもきっといつか、シルヴェスターのような良い婚約者が見つかればいいなとエノーラは思うのだった。
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