第82話 「エニにえっちの意味聞かれたんだが!?」
本日もよろしくお願いします。
その日、私はぼーっと空を見上げていた。雲の色がどこか重たくて、夕方なのに妙に暗い。
……明日、天気崩れそうだなぁ。
宿の部屋に戻ると、エニがベッドの上でごろんとしていた。毛布の上に寝転がって、しっぽだけがぴこぴこ揺れてる。
「ただいまー。……って、あれ、エニ寝てる?」
「……寝てない」
「おお、起きてた」
私は笑いながら荷物をベッドの脇に置いて、エニのとなりに腰を下ろす。
「どうしたの? お昼あんなに元気だったのに」
エマちゃんの家から帰ってきたエニは朝ごはんを食べたあと、ユイカの髪の毛をいじったり、私の髪をいじったりして遊んでいたのを思い出す。
エニはしばらく無言だった。だけど、しばらくすると、ぽつりと呟いた。
「……とーこ」
「ん?」
「えっちって、どういう意味?」
「ぶっ!!」
盛大に吹いた。
「ちょ、え、な、なに急に!? どこで覚えたのその単語!?!?」
心臓がびくんと跳ねる。思わず立ち上がりそうになるのをぐっとこらえる。
エニは相変わらず真顔で、じーっとこっちを見てる。
「昨日……エマの家で。お風呂のとき、おっぱい突っついたら言われた」
「…………へ?」
私と出会った時も胸大きくていいなって言われた記憶があるな。エニは大きいおっぱいが好きなんかな。
「ねえ、とーこ。あたし、何かいけないことしちゃったかな?」
……やめて、そんな不安そうな声で言わないで。
「ち、ちがう……と思う」
「じゃあ、なんでえっちって言われたの……? えっちってどういう意味?」
言えない。
ぜったい言えない。
彼女の無垢な目を見て説明できる言葉が見つからない。
エニはもう16歳だから知っておくべきなのか? 私が16歳の時はどうだったっけ?
「もしかして、えっちって、すごく悪いこと……?」
「わ、わるくない!! でも、あの……ええと……!! 場合による!?!?」
「???」
完全に頭にハテナを浮かべたエニの横から、
「きゅんっ♪」
ユイカがころころ転がるように近づいてきた。私に聞いても無理だと思ったのか、エニは今度はユイカに話しかけた。
「ユイカは、えっちって言われたことある?」
「きゅんっ」
「意味、わかる?」
「きゅーん」
どんな会話をしてるかまるで分からない。
「……だめだ。通訳お願い」
私は諦めて、エニに視線を向ける。
「……えっとね、『とーこ様、顔が真っ赤でおもしろい』って言ってる」
「ユイカはずっとそのままでいてくれ」
「きゅふっ♪」
ユイカがぴょんと私の膝に乗って、鼻先をすり寄せてくる。
「えっちって……とーこが真っ赤になることなの?」
「……ん〜、なんとも言えない」
私は限界だった。
このままだと、いろいろと精神的に危ない。
「エニっ、とりあえず、えっちは……その……! ちょっと大人っぽい意味なんだよ!」
どう説明したらいいんだ。この子の純粋さを壊したくないし、でも年齢的にはもう知っておくべきことなのかもしれない。
「おとなっぽい……?」
「う、うん! こう……好きな人にしかやらないことっていうか……ちょっとどきどきってしちゃうような……」
「どきどき?」
ずいずいとエニが近づいてくる。圧がすごい圧が。
「おっぱい触るとどきどきするの?」
「ちょっと待って!」
私は転げ落ちるようにベッドから逃げ出した。
エニは何が悪いのかわからず、ただぽかんと私を見送っている。
「……とーこ、変」
「変じゃないの! 変じゃないけど、説明できないのっ!!」
「ふーん……」
エニがつまらなそうに唇を尖らせる。
その隣で、ユイカがまた「きゅんっ」と鳴いた。
「またなんか言ってる……?」
「『ユイカも気になります』……だって」
「やめろーっ!! ユイカにはまだ早い!!」
ユイカはまだ子供だけど、エニの影響でいろんなことに興味を持ち始めてる。この子にも、いつかこういう話をしなきゃいけない日が来るのかな。考えただけで頭が痛い。
私は枕を抱えてベッドに顔を埋めた。
……数分後。
私はようやく落ち着いて、上体を起こす。
「……つまり、えっちは……さわるとどきどきするやつ?」
エニの追撃。
「……まあ、だいたいそんな感じ……かな……」
「じゃあ……」
エニが、私の隣にちょこんと座った。
「とーこに、抱きつくのはえっち?」
「へっ!?」
「あと、おふろで背中流すのは? 手を繋ぐのは?」
やばい、この子本格的に気になってる。私たちがやってることが「えっち」なのかどうか、真剣に知りたがってる。でも、そんな風に考えられると、今度から意識しちゃうじゃん!
「ちょ、ちょ、ちょっと待って!!」
質問が! 詰めすぎ!!
「とーこ、どきどきしてた?」
「してないしてない!」
「……ほんと?」
じーっと、エニが私の目を見てくる。
その視線に、私の心臓がびくんと跳ねた。
「ちょっとは……したかも……」
「ふーん……」
そのとき。
エニが、ふにゃっと笑った。
なんだろう、それは今まで見たことのない顔だった。
にやにやでもなく、照れでもなく――ちょっと得意そうな、でもどこか恥ずかしそうな笑顔。
「……じゃあ、とーこもえっちだ」
そう言って、エニはふふって小さく笑った。
私はもう、何も言えなかった。
その夜。布団に入ってからも、私はなかなか眠れなかった。エニは、ごろんとしながらユイカを抱え、私の隣で寝息を立てている。
エニに思春期が来たのか……?
そのうち好きな男の子ができたとか言ってくるようになっちゃうのかな……?
エニに好きな男とかできたらどうしよう……! 私は……私は……絶対に渡さないからな!!
なんなんだこの気持ちは! 保護者的な愛情? それとも……。とにかく、エニを他の誰かに取られるなんて、絶対に嫌だ。
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