第75話 「エニ成分、欠乏中」
本日もよろしくお願いします。
宿の近くの通りを抜けたところに、小さな食堂があった。
店先には「ごはん・スープ・お肉料理・お魚料理」みたいな簡単な札がぶら下がっていて、木の扉を開けると香ばしいスパイスの匂いがふわりと鼻をくすぐった。
夜のにぎわいには少し早い時間帯。まだ空席も多く、私たちは窓際の席に案内された。
いつもならエニがどの席にするか遠慮がちに希望を言って、ユイカが窓の近くを指差して、私が意見をまとめるんだけど、今日は違う。小さなことだけど、エニがいないって実感する。
「いい匂いです……!」
ユイカが席に着くなり、きゅるるる……とお腹を鳴らした。
「ふふ、さっき歩きまわったしね」
私はユイカの隣に座って二人でひとつのメニューをめくる。ユイカはメニューに書いてあるイラストを眺めて目をキラキラさせている。
「ユイカは何が食べたい?」
「とーこ様と同じの!」
「ん〜、お肉にしようかな。お魚にしようかな」
お肉と言った時にユイカのしっぽがふわりと揺れる。
すごいわかりやすい。
(……エニと一緒にご飯食べる時もしっぽの動きを見て料理注文してたなあ)
「お肉にしよっか!」
「はい!」
私は店員さんを呼んで料理を注文する。
スープ、肉のプレート、サラダ。
料理が届くまでの間、ユイカはくるくると頭を動かして、店の内装や他のお客さんを観察していた。
耳がぴこぴこ、しっぽがぱたぱた。落ち着きがなくて、でも愛らしい。
「とーこ様! あれエニ様みたいです!」
ユイカは嬉しそうに店の棚の上に置いてある木彫りの置物を指さしていた。
「ほんとだ、狼かな?」
「お耳そっくりです!」
ユイカはにぱあと笑った。
その様子があまりに可愛くて、思わず私は口元をほころばせる。
――なんだか、懐かしい。
そう思った瞬間、ふと心の奥に浮かんできたのは、エニと出会ったばかりのころの記憶だった。
あのときも、こんな感じだった。
見慣れないものに目を輝かせて、無邪気に笑って、食べ物を頬張って――。
でも、あの頃のエニは、もっと怯えてた。私の顔色をうかがって、遠慮して、小さくなって。
今のユイカみたいに、こんなに自由に笑えるようになるまで、どれくらい時間がかかったっけ。
エニの成長を思うと、今日の友達との時間も、きっと意味があるんだろうな。
「……エニ、今頃なにしてるかな」
ぽつりと、口に出してしまっていた。
ユイカが、きょとんと首をかしげる。
「エニ様、さっきのお友達と一緒です。美味しいもの食べてるといいですね?」
「……うん、そうだね」
そう言いながら、胸の奥に広がる感情に私はそっと目を伏せる。
あの子がいないだけで、こんなにも、寂しい。
私が何かを見て笑うとき、隣で一緒に笑ってくれるエニがいない。
言葉に詰まったとき、何気ないツッコミを入れてくれるエニがいない。
ふざけたことをしても、「とーこ、なにやってんの」って呆れながら笑ってくれる、あの優しい声が、そばにない。
私がメニューを選ぶ時も、しっぽ振って「何にするの?」耳をピコピコしてるし、ユイカが騒いでても「ユイカ、静かに」って注意してくれる。そういう、何気ない日常の一コマ一コマに、エニがいるのが当たり前になってたんだ。
まるで、長年一緒に旅をしてきた相棒が、いなくなったみたいな。
たった数時間離れただけなのに、心にぽっかりと穴が開いたみたいな、そんな感覚がじんわりと広がっていく。
ユイカが目の前で運ばれてきたスープを飲んで、「はふっ」「ふぅ〜」と口をすぼめている。
湯気に包まれながら、「おいしいですぅ……!」と、とろけた顔をして、また笑っている。
その無邪気な姿に、私はふっと笑った。
……エニがいなくても、私はちゃんと楽しい。
でも、やっぱり一番はエニと一緒に笑ってるときなんだなって、思った。
「とーこ様、とーこ様っ!」
ユイカが身を乗り出して、小さく囁いた。
「今来たお肉、すごく美味しそうです! とーこ様も食べましょ!」
お肉を手掴みでいってるユイカを慌てて止めて、ナイフとフォークで1口サイズに切ってユイカの口元へ運ぶ。
「ほら、ユイカ。あーん」
「はいっ! あーんです!」
ぱくっと頬張ったユイカが、耳をぴくぴくさせて幸せそうに目を細める。その仕草に、胸の奥のぽっかりが少し埋まっていくのを感じた。
「……明日は、また3人で食べられるといいね」
「もちろんです! あしたはエニ様も一緒ですから!」
そう言って笑うユイカに、私もつられて笑った。
エニが帰ってきたら、今日のことをたくさん聞かせてもらおう。新しい友達のこと、美味しかった食べ物のこと、楽しかった話のこと。そして、私たちも今日のことを話そう。3人でいる時間が、どれだけ大切かを改めて感じた一日だった。
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