第74話 「行っておいで、でも帰ってきてね」
本日もよろしくお願いします。
夕暮れの気配が、学園都市の空にじんわりと広がっていた。
オレンジ色に染まり始めた石畳の道を、私たちはゆっくり歩いていた。
お昼からずっと続けていた商店街のパトロール依頼。
魔物と戦うような緊張感はまるでなかったけど、歩いて話してときどき立ち止まって店先を眺めて……気づけば、スイーツの食べ歩きやウィンドウ越しに一緒に笑う瞬間が増えていて、ちょっとした街歩きデートみたいになっていた。
エニは最初こそ「お仕事だから!」って真面目にキリッとしてたけど、途中からスイーツの屋台を見つけて目が輝き、お店のおばあちゃんに「かわいいわねえ」と褒められて照れ、最後にはユイカと並んで猫の置物の前でしっぽを揺らして遊んでいた。
――うん、可愛すぎる。これで依頼達成って、ギルドに申し訳ないレベル。
「報酬ももらったし、そろそろ宿に戻ろっか。私もけっこう歩き疲れちゃったし」
「あっ!」
突然の声に、ふと顔を上げる。
視線の先には、見覚えのあるポニーテールの少女――エマちゃんがいた。
元気な笑顔を浮かべて、こっちに小走りで近づいてくる。その走り方は、夕暮れの中でもひときわ目立つくらい、まっすぐで、まぶしかった。
その後ろには、昨日も見かけた女子グループの姿があった。
「エニちゃん!」
名前を呼ばれて、エニがびくっと肩を跳ねさせた。
「今って、何してたの?」
エマちゃんが柔らかく声をかける。
エニは、ちょっと迷いながら答えた。
「……仕事、終わったところ」
「そっか。じゃあさ――よかったら、いっしょにごはん行かない?」
「え、あ、ええと……」
視線がくるくると、私と、エマちゃんの間を行ったり来たりする。耳がぴくぴく、しっぽがふわふわ揺れて、戸惑っているのが一目でわかる。
かわいすぎる。
エニは、きゅっと唇を結んだ。
迷ってる。
けど──
私は、エニの頭をそっと撫でた。
私はふふっと微笑んで、さっきギルドでもらった報酬袋の中から、お金をちょっと取り出して、エニの手にそっと握らせた。
「いいんじゃない? 行っておいで。何かあったら、すぐガラケーで連絡してね」
エニは、しばらくじっと私を見上げて――やがて、ゆっくりと、こくんと頷いた。
「……いってきます」
エニが少しだけ私の服の裾を握った。きっと、まだ不安なんだろう。でも、それでも行こうとしてる。その勇気が、私にはとても眩しく見えた。
小さな声だったけど。
その声は、ちゃんと自分の意志で紡いだものだった。
すると、エマちゃんがその様子を見てニコニコしながら、今度はユイカに視線を向けた。
「そっちの子は? 一緒にどう?」
ユイカは、ほんの一瞬だけ私の顔を見たあと、ぴしっと姿勢を正してから、はっきり言った。
「ユイカは、とーこ様と一緒にいます!」
うん、知ってた。でもその言い方はズルい。
「そっか〜、じゃあ……ユイカちゃんはまた今度ね!」
エマちゃんがにやっと笑って、両手を腰にあてた。
ユイカは「こいつなんで私の名前を……!?」みたいな顔をしてる。自分で名前言ったんだよ。
「じゃあ、ママさん。エニちゃん借りていきますね〜!」
「ママ!?」
ママって――確かに、二人の面倒見てるけど、そんな風に見えてるの? でも、悪い気はしないな。
言い返す間もなく、エマちゃんはエニの手を引いて、女子グループの方へ戻っていく。
「エマー! 誰〜!?」
「うわ可愛い! もふもふ耳!」
「エニちゃんって言うんだ? いい名前!!」
楽しげな声が、夕暮れの街に響く。エニは途中で何度も後ろを振り返って、最後には片手をひらひらと振った。
私は、にこっと笑って、手を振り返した。
ユイカも、「いってらっしゃいませっ」とぺこりと頭を下げた。
ユイカも、なんとなく空気を読んでくれたみたい。この子なりに、エニが大切な時間を過ごしてるって理解してるのかな。
エニの背中が、少しずつ小さくなっていく。
ユイカと二人きりの時間なんて、始めてだ。いつもエニがいるから、三人でいることに慣れてしまってた。これまでの旅を振り返ると、エニがどれだけ私たちの真ん中にいたかがわかる。
私は、その背中を見送りながら、胸の奥に、あたたかくて、でもちょっとだけ苦いものが広がっていくのを感じていた。
――嬉しい。
エニが、友達を作ろうとしてる。
ちゃんと、自分から、踏み出そうとしてる。
でも。
――さびしい。
こんな気持ち、転生前にはなかった気がする。誰かを大切に思うって、こんなにも複雑なものなんだ。手放したくないけど、縛り付けてもいけない。
これまで、私だけを頼って、私だけにしっぽを揺らして、私だけに甘えてくれていた子が少しずつ私の手の届かないところへ行こうとしている。
私は、そっと胸に手を当てた。
そうだよね。
エニは、エニの世界を広げていかなきゃいけない。
私の手の中に、閉じ込めちゃいけない。
寂しさを、そっと押し込める。
――それが、私にできる、たったひとつのこと。
私は、もう一度、エニが消えていった道を見た。
「行っておいで、エニ」
静かに呟いてから、ユイカと並んで歩き出した。
寂しさを抱えながらも。
それでも、笑って。
エニが、あの向こうで、ちゃんと、笑っていますようにって。
夕焼けに染まった通りが、いつもより広く見える。
ユイカが、そっと私の手を握ってくれた。「とーこ様、大丈夫ですか?」って心配そうな顔で見上げてくる。この子も、私の気持ちを察してくれてるんだ。ほんと優しい子。
「ありがとう。大丈夫だよ。さ、私たちもご飯食べに行こうか!」
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