第58話 「エニってばネーミングセンスないのね」
本日もよろしくお願いします。
森の外れに、野営の準備をした。
もともと人通りの少ない山道とはいえ、夜になれば危険も増す。けれど今は、そんなことよりも……この子の体を休ませてあげたかった。
焚き火の火は、少しずつ静かになっていた。
パチ、パチ……と、乾いた枝のはぜる音だけが、夜の空気に溶け込んでいく。
その明かりを囲むように、私たちは1枚の毛布にくるまりながら、そっと腰を下ろし、少しでも暖かくなるように身を寄せ合っている。
いつもの夜。
でも、いつもと違う夜。
この子がいる。
九本のしっぽを持つ、小さな狐。
赤と金が混ざり合ったような毛並みは、火の光に照らされるたびに、煌めいて見えた。
怯えはまだ残っている。
けれど今は、おとなしくエニの足元に丸くなって、干し肉を口元でゆっくり噛んでいた。
「……わあ、食べた……!」
エニが、目を輝かせて声を漏らす。
嬉しそうに体を揺らしたその瞬間――子狐のしっぽが、ふわふわ、ぶんぶん。
「しっぽ、ふってる……」
「ほんとだ……わかりやすい子だね」
「かわいい……っ」
エニのしっぽも嬉しそうに揺れている。こっちも分かりやすくて可愛い。
エニの笑顔は、火の光を受けていつもよりやさしく見える。
火が落ち着いてきたころ、私たちは寝床を整えた。
リュックで風よけを作って、毛布を並べて敷く。
私が先に見張りをすることにして、エニを先に毛布の中へ送り出した。
「とーこ……ちゃんと交代してね」
「うん。エニがぐっすり寝てたら、起こさないかもしれないけど」
「……む」
「ふふ、冗談。ちゃんと声かけるよ」
ふたりで小狐を見つめていたその時。ふと思い出した。
「そういえばさ」
私は、脇に置いていた自分の荷物をごそごそと探って、一冊の薄い本を取り出した。
「魔物図鑑、持ってたんだった」
そう言うと、エニが顔を寄せてくる。
ふわっと毛布が揺れて、自然と肩が触れ合った。
エニの体温が、ほんのり伝わってくる。
「……見せて?」
「うん。これ」
指先でページをめくり――あった。
焔幻の尾。
しっぽは九本、毛並みは赤と金の混ざったような色。
幻影魔法と、炎の魔法を使いこなす高位の魔物。
人を惑わし、燃やし、姿をくらます。
その名を聞くだけで恐れられる魔物――とある。
「うん……やっぱり、すごい子なんだなあ」
焔幻の尾の子供なんて、普通に考えたら、とんでもない存在。でも今は、その子が私たちの前で、安心したようにちいさく丸まってる。
エニがぽつりと言った。
「……名前、ないのかな」
「考えよっか。名前」
エニがちょこんと座り直して、うーん、と唸る。
「うーん、しっぽが九本だから……きゅーちゃん?」
「まあ、普通すぎるけど、悪くは……」
「メラしっぽ!」
「強そうだけどちょっとセンスが……」
「もふメラちゃん!」
「……“ちゃん”つけたら許されると思ってない?」
くすくす笑いながら、ふたりで火を見つめる。
「夜ゆっくり考えようか」
私は小さく伸びをして、あたりを見張りながら、焚き火に薪を焚べる。
ふと、小さな音がして、私は振り返る。
毛布にくるまったエニの身体が、もぞもぞと揺れている。
その胸元――小さな狐の影が、
毛布の隙間から、器用にすりすりと潜り込んでいった。
赤と金のしっぽがぴょこっと出ていて、それをエニが無意識に抱きしめる。
そして、小さく鳴いた。
「……きゅん」
エニがうすく目を開けて、眠そうな声で、ぽそっと。
「……どういたしまして」
そのまま、安心したように目を閉じる。
私は、静かに息を吐いた。
小さな火を守るように、リュックの位置をもう少しだけずらしてやった。
私は、なんてことのない夜の空を見上げる。
星がひとつ、またひとつ。
その下で、またひとつ“守りたいもの”を増えた。
……ああ、こういう夜が続けばいい。
そう思ったのは、きっと私だけじゃなかったはずだ。
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