第57話 「この子、連れていきます」
本日もよろしくお願いします。
「おわっ!」
狐の子が、私の胸元に飛び込むようにしてぶつかってきた。
そのすぐあと、地響きとともに追いかけてきたのは、灰色の毛に覆われた──山犬のような魔物。体格は大人の熊ほどもあり、赤い目をぎらつかせて、吠えるように咆哮した。
「赤い目……!」
エニが一歩、前に出た。
「……させない」
狐の子をかばうようにして、ぴたりと足を止める。
ふだんはふにゃっとしているエニの顔が、ぎゅっと引き締まっていた。
魔物は、吠えた。
その音にびくりと肩を揺らしながら、それでもエニは動かなかった。
「……おいで」
エニの右手が光る。電気が、空気を焦がしながら集まる。
魔物が跳んだ。その大きな爪が振りかぶられるより先に、雷が地を這って駆け抜けた。
エニが叫ぶように唱える。
「やっつけろ!」
電気の中から飛び出したのは、咆哮する雷の狼。
真っすぐに魔物へと突っ込む。
火花が爆ぜて、衝撃が走り、雷光が迸った。
そのまま――魔物は、倒れた。
ふうっと、エニが息をついた。その肩はまだ緊張で固く、手の先から電気の残滓がパチパチと散っている。
私も心臓がバクバクと鳴ったまま、我に返るのに少し時間がかかった。あまりに突然の出来事に、頭の中が真っ白になっていた。
「大丈夫?」と声をかけてくれたエニに小さく頷き、私は狐の子を抱き上げる。
「……この子しっぽ、多くない?」
エニがそう呟いた。
「……このしっぽ。まさか、この子……焔幻の尾の……?」
思い出したのは、あの日、ギルドでのやり取り。
シルヴィアさんが提出した焔幻の尾の証。討伐対象の強大な魔物。そして、その子供がいると、話していた。
――その子だ。間違いない。
私は、腕の中の子狐を見つめた。
その毛並みは灰にまみれ、身体は傷だらけで……小さく震えていた。でも、今にも消えそうな灯火のような命が、そこにあった。
魔物は退治するもの。
人を襲う。街を壊す。だから……。
この世界に転生してからそれが当たり前だった。
でも――この子は、なんだろう?
小さく、体を縮こまらせて、痛みに耐えていて。
今の今まで、魔物に追われ、森の奥から、必死に逃げてきて。
私が出会った、あの時のエニとそっくりだった。
怯えていて、誰も信じられなくて、それでも必死に生きようとしてた。
人間じゃないってだけで、酷い目に遭わされて。
「……っ」
私の手が、震えた。
この子を、このまま見捨てたら、見なかったことにしたら。
それは、自分の手で――かつてのエニを見捨てるようなものだ。
そんなこと、できるはずない。
「とーこ……?」
エニが心配そうに声をかけてくる。
私はうなずいた。そして、子狐の額に手をかざす。
口にしたのは、魔法の言葉。
「……いたいの、いたいの……とんでけ」
掌から、ほんのりとした光が溢れた。
言霊魔法。形は曖昧で、はっきりと何が起きるかはわからない。
だけど、私は願うように、祈るように唱えた。
「とんでけ、とんでけ……痛いのも、怖いのも、全部……とんでっちゃえ」
手のひらが、ぬくもりを伝える。
子狐の震えが、すこしずつ、静まっていった。
その目が、うっすらと開かれる。
――金色の瞳だった。ただ、ぼんやりと、困惑するように、私を見つめていた。
私は笑った。
「大丈夫。もう怖くないよ。ね、エニ」
隣で、エニもうなずいた。
「うん。とーこがいるから、大丈夫だよ」
子狐の目が、ゆっくりと細められる。
そして、私の手に、ぽすんと額を預けた。
魔物だからって理由だけで、切り捨てられる命じゃない。逃げるしかなかった誰かを、救えなかった自分には、なりたくない。
だから私は、ぎゅっとその子を抱き上げた。
「さ、行こうか」
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エニ「あたしも抱っこしたい」
とーこ「はい、そっとね」
エニ「かわいい」
とーこ「早く休めるとこ探そう」