「明日も帰ってきて」
本日もよろしくお願いします。
今回はシルヴィアとエレーナ!
ギルドの灯りをすべて落とし、重い扉を閉めてから、私はようやく一息ついた。
魔物の異常な暴走。そして、それの原因と思われる赤い目の災厄。
私は寒さを、マントの裾で誤魔化しながら、家路を急ぐ。
家が見えてくる。
そして――わかっていた。
玄関の前に長身の影がしゃがみ込んでいる。
あの子の、いつもの場所。いつもの“ふり”。
「またそこで武器の点検のふり?」
私が声をかけると、ぴくりと動いた肩。
顔を上げた彼女の銀の髪が、風にふわりと舞った。
長く、まっすぐで、誰よりも綺麗な髪。
背は高く、姿勢も凛と伸びていて、戦場に立てば誰もが息を飲む存在。
でも、今の彼女は。
ただ、私の帰りを待っていた、ひとりの女の子。
「いやー、ちょっと気になるところがあって……」
「お出迎えありがと、寒いから中入りましょ」
「ほんとに点検してた」
「はいはい」
外ではギルドでも、誰もが頼りにする最強の冒険者。
なのに、家ではこうして、私の帰りをじっと待ってる。
まるで、恋に落ちたばかりの少女みたいな目をして。
「ただいま、シル」
「おかえり、エル」
家に入ると、香ばしい香りが鼻をくすぐる。
焼きたてのパンの匂いに、バターの香ばしさが重なって、食欲が一気に湧き上がった。
テーブルの上には、皮がこんがりと焼かれた白身魚のソテー。
レモンとハーブがほんのり香るソースがかかっていて、付け合わせには彩りのいい根菜のグリル。
湯気を立てる野菜スープの中には、柔らかく煮込まれたキャベツと豆、それからほんの少しのベーコンの香り。
あの子の料理は、派手じゃないけど、どこまでも丁寧で、優しい。
私は席につきながら、ふと口に出してしまう。
「……最前線で戦って、疲れてるだろうに。料理まで……ありがと」
シルヴィアはパンを取り分けながら、少しだけ笑う。
「ううん、エルのその顔が見れるなら、何でもできるよ」
そう言って、ちょっとだけ得意げな顔をするのが、また可愛かった。
夕食後。
ソファで彼女のいれたハーブティーを飲みながら、私はようやく言葉を口にした。
「ねえ、シル……冒険者なんてやめちゃいなよ」
彼女の動きが止まる。
長いまつ毛がわずかに震えて、そして私を見た。
「それは、ギルドマスターとしての判断?」
「……違う。あなたの恋人としてのお願い」
私は、ギルドマスターだ。
命を預ける者たちの最前線に立ち、全体の戦力を見渡す責任がある。
だけど、それよりも前に、私はこの子の帰りを願う、ひとりの女だった。
「お願いだから、危ないことはもうしないで。私の知らないところで血を流して、帰ってこなかったらって思うと、もう……怖いのよ」
本音だった。
醜くても、弱くても、これが私の真実だった。
「……ごめん、エル。でも」
シルヴィアがそっと、私の手を取る。
その手は、鍛えられた硬さを持っているのに、今はこんなにも、優しかった。
「私が引いたら、誰が前に出るの? あの赤い目の災厄に、誰が立ち向かえるの? 身軽に動ける星5は私だけでしょ?」
「それでも……あなたじゃなくたっていいかもしれない」
「……いいや。私じゃなきゃだめだよ」
その声に、決意だけでなく、どこか懺悔のような響きを感じた。シルヴィアの目に昔の故郷の影が浮かんでいる。
それが、彼女の戦う理由。そして、私が彼女を止められない理由。
何も言い返せなかった。
彼女なら、そう言うと思っていたから。
そんな私を見て、彼女はふわっと微笑んで、唇を重ねてきた。それは、熱くて、優しくて、泣きたくなるほど甘かった。
シャツの隙間から差し込んできた手が、私の肌を撫でる。指先は慎重で、でも迷いがなくて、私の震えをすべて拾い上げてくれる。
「まだお風呂入ってないんだけど……」
「私はシャワー浴びたよ」
「私が入ってない……ん……!」
キスは深く、舌が触れ合って、息が止まりそうになる。
耳元に吐息がかかるたび、心臓が軋むほどに鳴る。
……まったく。
私の方が年上なのに、どうして毎回こうなるのよ。
抵抗しようにも、キスひとつで思考が奪われる。
「ねえ、エル。ちゃんと私を感じて、私はここにいるよ」
「……感じてるわよ。最初からずっと……」
私はもう何も拒めなかった。
ただ、彼女の腕に身を預けて、
何度も、名前を呼ばれながら、甘い夜に溶けていった。
夜半過ぎ。
シルヴィアは隣で、すやすやと眠っていた。
かすかに乱れた銀髪が、枕にさらりと広がっている。
こんなにも、穏やかで、可愛い顔でお腹を出して寝る子が、人間より大きな魔物と1人で戦ってるなんて。
「ほんとに、バカ」
私は声に出さずに呟いた。
この子が、どこかで倒れていたら。
報告書に“戦死”の文字があったら。
私は、きっと後を追うだろう。
私は、その額にそっと手を置いた。
「……シル。お願いだから、明日も帰ってきて」
初めてこの子を見たのは、魔物に襲われた村の避難所だった。誰とも話さず、血のついた服で、黙って地面を見つめていた。
名前を訊いても、何も言わない。
ただ――どうしても放っておけなかった。
あれは、保護でも救済でもなかった。
ただの私のわがまま。
ほんの数日、預かるだけのつもりだったのに……気づけば、十数年。
私を「エレーナさん」と呼んでいた口が、いつの間にか「エレーナ」になっていて。
私の服の袖をちょいちょいと引いていた子が、今では私を抱きしめてくれるなんて、誰が予想できただろう。
前ギルドマスターのことを追っかけ回し、彼女が私への好意を隠さなくなった頃、私のことを「エル」と呼ぶようになった。私にはそれが嬉しかった。
そんな大好きな彼女にギルドマスターとしての私は、「行け」と言わなければならない。
でも、恋人としての私は、「行かないで」と叫びたくなる。
この矛盾を抱えたまま、私は明日も彼女を見送る。
あなたを見送る朝が、いつも怖い。
でも、あなたを迎える夜は、幸せでいさせて。
読んでくださりありがとうございます。
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