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「……たまにはいい餌でも買っていってやるか」

本日もよろしくお願いします。


本日はバルトとシフォンのお話。


 ギルドマスターを辞めた夜は、妙に静かだった。


 引き継ぎの書類を渡して、印を押して、椅子から立った。制服の裾を整えて、背筋を伸ばす。長年座り続けてきたあの椅子も、もう俺のものじゃない。


 そこに未練は――ない、と思っていた。

 けれど、どうにも身体が軽すぎて、風に持っていかれそうだった。


 肩の荷が下りたのか、張り合いがなくなったのか。正直、自分でもよく分からなかった。

 ただ、胸の奥にぽっかりと空いたような、妙な隙間があった。


 その夜、予想外に騒がしい連中が俺の家に押しかけてきた。


「おーい、開けろバルトー!」

「飲めーっ! 騒げーっ! 今日はそういう日だろーが!」

「我と共に杯を交わさん……!」


 扉を開けると、見慣れた顔が並んでいた。

 ロク。キリアン。ブラスト。


 かつて命を預け合った仲間たち。

 今はそれぞれの道を歩いている、俺にとってはもう過去の連中。


 ……でも、こうして駆けつけてくれるんだな。


「お前ら、いつのまに……」


「辞めるって聞いて、そわそわしてたんだよ。黙って消えるつもりだったろ、甘い甘い」

「ブラストがしれっと情報流してたからな」

「人の魂は燃ゆる宴にて輝きを増す……」


 勝手に用意してきた酒とつまみをテーブルに広げて、気づけばいつもの空気に戻っていた。

 

 俺の家に、即席の宴が開かれる。

 

 懐かしい酒。しょっぱい干し肉。妙に高いチーズ。

 そして、ブラストの何を言ってるいるか分からない詩なのか歌なのかを永遠と聞かされた。


 ……正直、悪くなかった。


 口数は少なかったけど、俺が黙って座っていても誰も気にしなかったし、たまに交わすひとことが、妙に沁みた。


「じゃ、またな」

「生きてたら、連絡でもちょうだい」

「次は焰哭の祭典で集わん……ッ!」


 全員が帰った後、俺はふらりと夜道に出た。

 酔いを醒ますついでに、久しぶりに首都の裏通りを歩く。


 街灯がまばらに灯る静かな道。

 今までは「見回りのついで」として歩いていた道。

 でも今は違う。

 もう冒険者としての肩書きもギルドマスターとしての肩書きもない。俺はただの、ひとりの男だ。


「……ぴ、ぃ……」


 かすかな声に足が止まった。

 物陰から、濡れた毛玉がこちらを見上げていた。


 猫だった。

 まだ小さくて、泥だらけ。

 逃げる元気もないようで、ただ座り込んで、身体を震わせていた。


「……こんなところで、何してんだ」


 しゃがみ込み、そっと手を伸ばすと、小さく鳴いて顔を背ける。

 それでも、逃げはしない。


 ため息をひとつついて、上着を脱いだ。

 包み込むと、すぐにその体がぬくもりに沈むように落ち着いた。


 懐の中で、か細い喉が鳴った。


 ……ああ、似てるな。

 

 役目を終えた自分と、行き場をなくしたこの命。

 誰にも名を呼ばれないまま、ただ夜の端に取り残された命。


 けれど、まだ生きてる。


 その“生きてる”という事実だけが、妙に重たく、あたたかかった。



 翌日、ギルド。

 古びた書類棚の横、エレーナがペンを走らせていた。


「よく来たわね。まだ署名が残ってるわよ、前ギルドマスターさん?」

「……昨日のうちに終わってたと思ったんだが」

「甘いわね。事務は戦場より厄介なのよ」

「身をもって知ってるよ」

「ぴゃ」


 こいつの鳴き声に驚いて顔を上げたエレーナが、俺の腕の中を見て、目を細める。


「……それ、猫?」

「ああ。昨日拾った」

「ふーん、辞めたその日に?」

「タイミングってのは、そういうもんだ」


 懐の中の猫は、すっかり落ち着いていて、小さく呼吸を繰り返していた。


「名前は?」

「……ない」

「つければ?」


 ……正直、そういうのは苦手だ。


 なんとなく、そういうことに名前を与えるのは、「責任を持つ」って感じがして、昔から避けてきた。


 けど、今は、この小さな生命の重みに、名前をつけてもいい気がしていた。


 名があるってことは命があるってことだと、ラガンも言っていたっけ。


「……何がいいと思う?」

「んー……」


 エレーナは腕を組んで、猫の顔をのぞき込んだ。


「ふわふわしてるし、シフォンケーキみたいな色してるし」


 少し考えて、ふと笑って言った。


「シフォンって感じじゃない?」

「……シフォン、か」


 言葉にしてみると、妙にしっくりくる気がした。

 その名前を口にした瞬間、懐の猫が、小さく鼻を鳴らした。


「いい名だな。こいつも気に入ったらしい」

「でしょ?」


 エレーナがにやっと笑って、ペンを置いた。

 その笑顔を見て、ふと思い出したことがあった。


「……シルヴィアはどうしてる」


 俺の問いに、エレーナは少しだけ意地悪な顔をして、口元をゆるめる。


「昨日までギルドマスターだったんだから知ってるでしょ? 元気よ。……あの子、昔はあんたのこと“師匠”って追っかけ回してたけど、2ヶ月後の試験に合格すればついに星5冒険者になるわ」


 その言葉に、胸の奥が少しだけ熱を持った。

 

「……大したもんだな。俺を超えるか……」


 あの銀の髪をなびかせて、真っ直ぐに走ってくる姿。剣を振って、何度転んでも食らいついてくる目。

 それが、今では誰よりも前を歩く冒険者になった。


「私から見れば、魔法もなしに、星4に登ったあんたが化け物だけど……」

 

 その言葉に、古傷がうずく。

 右肩の深い傷跡。腰の骨折の痕。全身に刻まれた数々の死線。

 魔法を使えない俺が星4まで登り詰めるのがどれほど命がけだったか、この身体が知っている。

 だが、その全ての痛みと引き換えに得た強さを、あの銀髪の少女は軽く上回ろうとしている。


「でもあの子も、いい目をするようになったわよ。ちゃんと、前を見てる。でも、武器が大剣なのは受け入れがたいわ」

「俺と一緒の武器がいいって言ったのはシルヴィアだ。それにあいつの魔法とも相性がいい」

「私の家……そんなに広くないのよ」

「シルヴィア、そんなにでかくなったのか」

「大剣の話」

 

 たわいもない雑談が部屋の空気に溶けていった。シフォンは途中から寝ていた。


 その後、形式的な引き継ぎを終えた。

 

 変わっていく時間の中で、俺が残してきたものはギルドに置いていく。


 これから残していくものは今、俺の懐で寝息を立てている。


 命に、居場所を。

 名もなきものに、名前を。

 


 それから、いくつもの季節が過ぎた。


 シフォンは立派に育ち、最近は俺のベッドで寝てくれなくなった。

 俺が出先から帰っても、「ああ、なんだお前か」みたいな顔で毛繕いをしている。


 でも。

 それでも、俺は分かっている。


 あの夜、あの子猫と出会ったあの瞬間が、俺に“今を生きる理由”をくれたんだってことを。


 風が吹く。


 けれどもう――俺の胸に空いた隙間は、やわらかな毛玉の重みでちゃんと埋まっている。風で飛ばされることもない。


 商店街の帰り道、ふと目に入ったペット用品店。

 悩んで、少し高めのパッケージの餌を手に取る。

 

「……たまにはいい餌でも買っていってやるか」


 ――お前の居場所であり続けるために。

 読んでくださりありがとうございます。

 ブクマ、評価、感想、よろしくお願いします。


 シフォンはこのエサが気に入らなくて、家出しました。

 親の心子知らずですね。

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