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狼の耳としっぽ、そして私  作者: 加加阿 葵
第1章 狼の耳としっぽ、そして旅立ち
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第5話 「この世界にお風呂って概念があってよかった!」

本日もよろしくお願いします。

 宿屋には驚くほど立派なお風呂があった。

 木の桶にたっぷりとお湯が張られ、ほのかに木のいい香りが漂っている。


「すごいね……川で水浴びを覚悟してたけど、まさかお風呂に入れるなんて」


 私は感嘆の声を漏らしながら、湯気の立つ浴室を眺める。異世界の宿屋ということで、もっと粗末なものを想像していたが、これは完全に予想外だった。

 エニは少し緊張した様子で、私の肩越しに浴室を覗き込む。


「……あたし、お風呂ってはじめて」


 ぽつりと呟く彼女の耳がピクリと動く。


「そう? じゃあ、エニ先に入っていいよ」


 私が振り返ってそう言うと、エニはむすっとした顔でこちらを見上げた。


「……とーこも一緒に」


 そう言いながら、彼女は私の袖をつまむ。小さな手がぎゅっと生地を握る感触が伝わってきた。

 その仕草には、どこか甘えるような雰囲気があった。


「えっ、一緒に?」


 想定外の展開に、私は一瞬言葉を詰まらせる。


「恥ずかしくないの?」


 思わずそう聞き返すと、エニの頬がほんのり赤く染まる。それでも、彼女は真っ直ぐ私を見つめたまま、小さな声で答えた。


「一緒がいい。とーこは嫌?」


 そんな顔で言われたら、断る理由なんてないじゃないか。


「いいよ。一緒に入ろ」


 そう言って私が服を脱ぎ始めると、エニもそっと自分の服に手をかけた。



 お湯に浸かると、体の芯からじんわりと温かさが広がり、全身がほぐれていく。

 ほんの少し硫黄の香りがするお湯は、温泉のような心地よさだった。


「ふぅ~……」


 思わず気の抜けた声が漏れる。


 まだ、今日がこの世界に来た初日なのに、内容が濃すぎる。

 エニと出会い、魔物と戦い、村人たちに歓待され、そして今、お風呂に入っている――。あ、変な男達にも襲われたか……。


「まるで数日分のイベントを一気にこなしたみたいだよね……」


 私はそんなことをぼんやりと考えながら、前を向いた。

 二人で広々と入れる湯舟ではなかったため、エニは私の足の間にちょこんと座っている。

 湯気を含んだ彼女の銀色の髪がふわりと揺れる。


「ねえ」


 エニが小さく呼ぶ。


「なあに? エニ」


 エニは少し言いにくそうに、ぽつりと続ける。


「……これからどうするの?」


 不安げな声。その言葉に、私はゆっくりと考える。


「まずは、いろいろ揃えなきゃね。服は作ってくれるっていうし、あとお金も稼がなきゃ」

「それだけ?」


 エニがくるりと湯舟の中で向きを変え、私と向かい合う形になった。


「それだけじゃないけどさ。エニもいろいろあって疲れてるでしょ? もっと元気になるまで、エニに無理させたくないしね」


 そう言うと、エニは頬を膨らませて不満げな顔をした。


「とーこは、自分のこと考えてない」


 鋭い指摘だった。私は返す言葉を失った。

 確かに、エニのことばかり考えていたかもしれない。

 でも、それは当然だと思っていた。今日出会ったばかりだとしても、彼女はもう、私にとって「守りたい存在」になっていたから。


「そうかな?」


 私が苦笑いを浮かべると、エニはじっと私の目を見つめる。


「そうだよ。とーこは何をしたいの」


 湯気の中でも、彼女の瞳には迷いがなかった。


「私がしたいこと……」


 転生してから、そんなことを考える余裕すらなかった気がする。

 エニと出会い、彼女を守ることに必死で――。


「今はいいんだよ。旅をしてるうちにやりたいこと見つかるよ」


 私は笑って彼女の頭を撫でた。

 エニは少し拗ねたように耳をぴくぴくと動かした。


「ずるい。あたしのことばっかり」


 と、頬をぷくっと膨らませる。


「なんでさ。エニが大事なんだよ」

「……なら、あたしもとーこを守る」


 その言葉が、思いのほか真剣だった。


「そっか。ありがと」


 エニは「……うん」と小さく頷くと、そっと私に体を預けた。

 その仕草はどんな言葉よりも、これからの未来に希望を感じさせてくれるものだった。



 お風呂から上がると、脱衣所の温かい空気が心地よかった。


 私はタオルで水滴を拭き取りながら、エニの方をちらりと見る。

 濡れた銀色の髪が背中に広がり、ぽたぽたと水滴が落ちていた。


「エニ、髪乾かすの大変そうだね」


 そう言いながら、私はタオルを持ち上げる。


「ん……」


 エニは目を閉じて、素直に頭を差し出した。

 タオル越しに指先がふわっと髪に沈む。普段のさらさらした手触りとは違い、湯浴み後のしっとりとした感触が新鮮だった。


「耳もちゃんと拭かないね」


 そう言いながら耳を軽く包むようにタオルで押さえると、エニの肩が少し跳ねる。


「……くすぐったい」

「ちょっと我慢して」


 軽くタオルを押し当て、余計な水気を取ると、エニはほっとしたように目を開けた。

 湯気のせいか、それとも気持ちが緩んだからか、頬が少し赤みを帯びている。

 髪を拭き終え、用意されたナイトウェアに袖を通したときだった。


「……負けた」

「え?」


 エニの呟きに、私は首を傾げる。

 彼女は唇を尖らせ、ちらりと視線をこちらへ向けた。

 その目線の先――私の胸。


「……とーこのほうが、大きい」

「あー……」


 ようやく彼女の言いたいことを理解し、なんとも言えない気持ちになる。エニの耳がしょんぼりと下がっている。


「まさか、そんなことで勝負してたの?」


 エニの視線を受けて、私は無意識に自分の胸元を見下ろす。

 確かに、多少の差はある。でもエニだって決して小さいわけじゃない。


「大丈夫だよ、エニ。今のままでも可愛いし、これから成長するかもしれないよ?」

「……ほんと?」


 エニは不安げに目を細めながら、自分の胸をぺたぺたと触る。

 その仕草があまりにも無自覚に可愛らしくて、思わず口の端が緩んでしまう。


「ほんとほんと! そんなに落ち込まないで」


 私はエニに近づき、彼女の頭をくしゃくしゃっと撫でた。


「んぅ……」


 エニはむくれながらも、撫でられるのを拒まない。

 タオルで最後に髪の水気を取っていると、エニがぽつりと呟いた。


「でも……いいなって思う」

「ん?」


 私が聞き返すと、エニは一瞬言葉を詰まらせた後、小さな声で続けた。


「……とーこの胸」

「えっ!?」


 エニの言葉、思わず体が動いた。


 ぎゅっ。


「っ……!?///」


 エニの顔が一瞬で真っ赤になった。


「ちょ、いきなり何……!」

「いやもう可愛すぎて限界で……」


 抱きつきながらエニの頭を撫でると、彼女はさらに顔が赤くなった。


「……ばか」


 小さな声で呟いた後、エニはそっぽを向いたまま黙り込む。

 けれど、顔はまだ赤く染まっていて、耳が恥ずかしそうに倒れ、尻尾がゆらりと揺れていた。

 読んでくださりありがとうございます。


 ブクマ、評価、感想、よろしくお願いします。

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