第5話 「この世界にお風呂って概念があってよかった!」
本日もよろしくお願いします。
宿屋には驚くほど立派なお風呂があった。
木の桶にたっぷりとお湯が張られ、ほのかに木のいい香りが漂っている。
「すごいね……川で水浴びを覚悟してたけど、まさかお風呂に入れるなんて」
私は感嘆の声を漏らしながら、湯気の立つ浴室を眺める。異世界の宿屋ということで、もっと粗末なものを想像していたが、これは完全に予想外だった。
エニは少し緊張した様子で、私の肩越しに浴室を覗き込む。
「……あたし、お風呂ってはじめて」
ぽつりと呟く彼女の耳がピクリと動く。
「そう? じゃあ、エニ先に入っていいよ」
私が振り返ってそう言うと、エニはむすっとした顔でこちらを見上げた。
「……とーこも一緒に」
そう言いながら、彼女は私の袖をつまむ。小さな手がぎゅっと生地を握る感触が伝わってきた。
その仕草には、どこか甘えるような雰囲気があった。
「えっ、一緒に?」
想定外の展開に、私は一瞬言葉を詰まらせる。
「恥ずかしくないの?」
思わずそう聞き返すと、エニの頬がほんのり赤く染まる。それでも、彼女は真っ直ぐ私を見つめたまま、小さな声で答えた。
「一緒がいい。とーこは嫌?」
そんな顔で言われたら、断る理由なんてないじゃないか。
「いいよ。一緒に入ろ」
そう言って私が服を脱ぎ始めると、エニもそっと自分の服に手をかけた。
お湯に浸かると、体の芯からじんわりと温かさが広がり、全身がほぐれていく。
ほんの少し硫黄の香りがするお湯は、温泉のような心地よさだった。
「ふぅ~……」
思わず気の抜けた声が漏れる。
まだ、今日がこの世界に来た初日なのに、内容が濃すぎる。
エニと出会い、魔物と戦い、村人たちに歓待され、そして今、お風呂に入っている――。あ、変な男達にも襲われたか……。
「まるで数日分のイベントを一気にこなしたみたいだよね……」
私はそんなことをぼんやりと考えながら、前を向いた。
二人で広々と入れる湯舟ではなかったため、エニは私の足の間にちょこんと座っている。
湯気を含んだ彼女の銀色の髪がふわりと揺れる。
「ねえ」
エニが小さく呼ぶ。
「なあに? エニ」
エニは少し言いにくそうに、ぽつりと続ける。
「……これからどうするの?」
不安げな声。その言葉に、私はゆっくりと考える。
「まずは、いろいろ揃えなきゃね。服は作ってくれるっていうし、あとお金も稼がなきゃ」
「それだけ?」
エニがくるりと湯舟の中で向きを変え、私と向かい合う形になった。
「それだけじゃないけどさ。エニもいろいろあって疲れてるでしょ? もっと元気になるまで、エニに無理させたくないしね」
そう言うと、エニは頬を膨らませて不満げな顔をした。
「とーこは、自分のこと考えてない」
鋭い指摘だった。私は返す言葉を失った。
確かに、エニのことばかり考えていたかもしれない。
でも、それは当然だと思っていた。今日出会ったばかりだとしても、彼女はもう、私にとって「守りたい存在」になっていたから。
「そうかな?」
私が苦笑いを浮かべると、エニはじっと私の目を見つめる。
「そうだよ。とーこは何をしたいの」
湯気の中でも、彼女の瞳には迷いがなかった。
「私がしたいこと……」
転生してから、そんなことを考える余裕すらなかった気がする。
エニと出会い、彼女を守ることに必死で――。
「今はいいんだよ。旅をしてるうちにやりたいこと見つかるよ」
私は笑って彼女の頭を撫でた。
エニは少し拗ねたように耳をぴくぴくと動かした。
「ずるい。あたしのことばっかり」
と、頬をぷくっと膨らませる。
「なんでさ。エニが大事なんだよ」
「……なら、あたしもとーこを守る」
その言葉が、思いのほか真剣だった。
「そっか。ありがと」
エニは「……うん」と小さく頷くと、そっと私に体を預けた。
その仕草はどんな言葉よりも、これからの未来に希望を感じさせてくれるものだった。
お風呂から上がると、脱衣所の温かい空気が心地よかった。
私はタオルで水滴を拭き取りながら、エニの方をちらりと見る。
濡れた銀色の髪が背中に広がり、ぽたぽたと水滴が落ちていた。
「エニ、髪乾かすの大変そうだね」
そう言いながら、私はタオルを持ち上げる。
「ん……」
エニは目を閉じて、素直に頭を差し出した。
タオル越しに指先がふわっと髪に沈む。普段のさらさらした手触りとは違い、湯浴み後のしっとりとした感触が新鮮だった。
「耳もちゃんと拭かないね」
そう言いながら耳を軽く包むようにタオルで押さえると、エニの肩が少し跳ねる。
「……くすぐったい」
「ちょっと我慢して」
軽くタオルを押し当て、余計な水気を取ると、エニはほっとしたように目を開けた。
湯気のせいか、それとも気持ちが緩んだからか、頬が少し赤みを帯びている。
髪を拭き終え、用意されたナイトウェアに袖を通したときだった。
「……負けた」
「え?」
エニの呟きに、私は首を傾げる。
彼女は唇を尖らせ、ちらりと視線をこちらへ向けた。
その目線の先――私の胸。
「……とーこのほうが、大きい」
「あー……」
ようやく彼女の言いたいことを理解し、なんとも言えない気持ちになる。エニの耳がしょんぼりと下がっている。
「まさか、そんなことで勝負してたの?」
エニの視線を受けて、私は無意識に自分の胸元を見下ろす。
確かに、多少の差はある。でもエニだって決して小さいわけじゃない。
「大丈夫だよ、エニ。今のままでも可愛いし、これから成長するかもしれないよ?」
「……ほんと?」
エニは不安げに目を細めながら、自分の胸をぺたぺたと触る。
その仕草があまりにも無自覚に可愛らしくて、思わず口の端が緩んでしまう。
「ほんとほんと! そんなに落ち込まないで」
私はエニに近づき、彼女の頭をくしゃくしゃっと撫でた。
「んぅ……」
エニはむくれながらも、撫でられるのを拒まない。
タオルで最後に髪の水気を取っていると、エニがぽつりと呟いた。
「でも……いいなって思う」
「ん?」
私が聞き返すと、エニは一瞬言葉を詰まらせた後、小さな声で続けた。
「……とーこの胸」
「えっ!?」
エニの言葉、思わず体が動いた。
ぎゅっ。
「っ……!?///」
エニの顔が一瞬で真っ赤になった。
「ちょ、いきなり何……!」
「いやもう可愛すぎて限界で……」
抱きつきながらエニの頭を撫でると、彼女はさらに顔が赤くなった。
「……ばか」
小さな声で呟いた後、エニはそっぽを向いたまま黙り込む。
けれど、顔はまだ赤く染まっていて、耳が恥ずかしそうに倒れ、尻尾がゆらりと揺れていた。
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