第36話 「痛いの痛いの飛んでった!」
本日もよろしくお願いします。
カーテンの隙間から朝日が差し込み、柔らかい光が部屋を照らしている。
ぼんやりと意識が浮上してきて、私は身じろぎし――。
――その瞬間、違和感が走った。
(……エニがいない?)
目を開けると、いつもなら隣でぴったりくっついて寝ているはずのエニの温もりがない。
布団を手探りするも、そこにあるのはひんやりとしたシーツだけ。
(え、どこ!?)
まだ寝ぼけた頭のまま、私はガバッと起き上がる。
やっぱりベッドにエニの姿はない。
「エニ!?」
心臓がバクバクとうるさく鳴る。エニがこんな風に自分から離れるなんてなかったのに!
もしかして、昨日の満月の影響で何か――。いや、考えたくない。
一瞬で不安が押し寄せ、私は慌ててベッドを飛び降りる。
(どこ行ったの!?)
焦って部屋の扉を開けようとした――その時。
「……ん?」
――いた。
椅子に座って、もぐもぐと干し肉を食べながら、こっちをぼんやりと見ている。
「……とーこ、おはよう」
「…………」
一瞬、頭が真っ白になる。
「……え?」
エニはぽかんとした顔で首を傾げる。
「なんでそんな顔してるの?」
「いや……だって、朝起きたらベッドにエニがいなくて……!」
「お腹すいたから起きた」
そう言って、エニは無邪気に干し肉をもうひとかじり。
「……」
「……」
(なんだこの無言で見つめあってる時間は……まあ、何も無いなら良かった)
私は心底脱力して、額に手を当てた。
ああもう、なんなのこれ……心臓に悪い。いつもねぼすけのくせに〜。
安心したらどっと疲れが来た。でも目が覚めちゃって二度寝できそうにもない。
――そういえば。
「……エニ?」
「あい」
「……昨日、お風呂入ってないよね?」
私はエニの隣に腰を下ろし、彼女をじっと見る。
「ん……」
エニは口をもぐもぐさせたまま、微妙に視線を逸らした。
「ほら、私も昨日入ってないし、一緒にお風呂入ろう?」
「……今?」
「今」
エニはしばらく私を見ていたけど、観念したように干し肉を置いた。
「……わかった」
お風呂の湯気がふわっと立ち込める。
エニは湯船に肩まで浸かり、私はその隣でのんびりと湯に浸かる。
肌に心地よい温かさが広がって、少し眠気が戻ってきそうなほどリラックスできる。
「はぁ……いいお湯」
私がぼそっと呟くと、エニもふにゃっとした顔をしながら尻尾をゆるく揺らした。
「……エニ、しっぽ、浮いてるよ」
水面にぷかぷかと浮かぶ銀色のしっぽを指さすと、エニはのんびりとした目でそれを眺める。
「んー……とーこも浮いてる」
「え、私しっぽないけど?」
「髪」
エニはぼそりと言って、私の髪をちょいっと引っ張る。
「んーもう、やめてよ」
「ふふ」
エニは小さく笑う。
「ほらエニ、髪洗ってあげる」
私がふとそう言うと、エニは小さく「ん」と頷いた。
エニを湯船から引っ張り出して、椅子に座らせる。
彼女の長い銀色の髪は湯気に濡れ、光を反射してやわらかく揺れていた。
「……くすぐったい」
エニがくすっと笑って、肩をすくめる。
「そろそろ慣れてよー」
そう言いながら、私は指先で優しく頭皮をマッサージするように泡を立てていく。
エニの髪はさらさらしていて、洗っているだけなのに気持ちいい。
エニが心地よさそうに目を閉じる。
「……エニ、寝ないでよ?」
「んー……」
エニはちょっと眠そうに頭を預けてくる。
「はいはい、目つぶっててね」
私はそのまま彼女の髪を最後まで綺麗にすすいだ。
脱衣所でエニの髪や耳を丁寧にタオルで拭きながら、私は満足げに頷いた。エニも気持ちよさそうにしっぽを揺らしている。
「ありがと」
「どういたしまして」
エニがふにゃっと笑い、私はその笑顔にやられかける。
――そして。
「ねえエニ」
「ん?」
「昨日のこと……覚えてる?」
その瞬間、エニの耳がぴくっと動いた。
「……」
(えっ、今めっちゃ反応した!)
沈黙。
そして――
「……覚えてない!」
ガチャ!!
「ちょっ……エニ!?」
エニは頬を真っ赤に染め、しっぽをブンッと振りながら脱衣所の扉を開ける。
――が、焦りすぎて手元がもたつき、ノブをがちゃがちゃしてる。
「ちょ、焦りすぎじゃない?」
「しらない!」
「いやいやいや、完全に覚えてるでしょ!?」
「しらないっ!!」
勢い余ってタオルを踏みつけ、そのまま「ぬるっ」と滑る。体が前に飛び出し、バランスを崩す。
「んべ……!」
しっかり顔面から倒れる、しっぽがバタバタと動く。
それでもなんとか体勢を立て直し、よろよろと扉へ向かう。
「いやいや、顔大丈夫なの!?」
「しらないっ!!!」
バンッ!!
今度こそ扉を開け、タオルを引っ掛けながら必死に逃げていった。
私はぽかんとしながら、その背中を見送る。
「……もう、しっかり覚えてるじゃん」
思わず苦笑しながら、肩をすくめる。
「エニー! 髪、乾かしてあげるから帰っておいでー」
――トコトコトコ。
数秒後、めちゃくちゃバツが悪そうな顔で、エニがしれっと戻ってきた。
「……お願い」
「ふふ、はいはい」
――乾いて。
私が言霊魔法を使うと、エニの髪がふわっと揺れ、数秒で髪はサラサラ、耳としっぽはモッフモフになった。
――が、ふと、気付きが頭をよぎった。
(……最近の私、エニの毛を乾かすか、服を綺麗にする時くらいしか魔法使ってないのでは?)
「それよりも派手に転んだけど、顔大丈夫?」
「……いたい」
「痛いの痛いのとんでけ! なーんてね」
「……!」
エニが驚いたように耳をピンと立てる。赤くなっていた彼女の鼻先から、うっすらと光が広がるような感覚。それは一瞬のことだったけど、確かに何かが起こった。
そして、彼女は少しきょとんとした顔になり――
「……痛くない」
「…………え?」
私は自分の手を見つめ、次にエニの顔を見る。
まさかとは思うけど、本当に魔法が発動したの?
「とーこ、すごい」
「いやいや、偶然だよ、偶然。魔法が発動するとは思わなかったよ」
「……もう1回やってみる?」
「そのためにはもう1回エニに転んでもらわないと」
そう言いながら、私はエニの髪を優しく撫でた。
エニはくすぐったそうに目を細めながら「じゃあ、やらない」と呟いた。
結局、私はいつも通りエニに振り回されながら、今日も一日が始まるのだった。
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